最高裁判事 岡部喜代子 (おかべ・きよこ)
東京・日本橋生まれ。 子供の頃は、実家の写真店の暗室で現像を手伝った。
「女性は結婚し家庭に入る」のが常識だった時代だが、高校生の頃、独り立ちした人生を歩みたいと考え、裁判官を志した。
身内に法律家はいないのに司法試験を受けたのは、女性が働くには医療か法律の道しかないと考えたから。 3度目の受験で合格を手にする。
17年間の裁判官生活の後、退官し、多くの裁判経験から「実務に役立つ理論をつくりたい」と、民法(親族・相続法)の研究者に。
民法に明確な規定がなくても、虐待などの場合、父母の離婚前でも子供の監護者を裁判所が定めていい、とする論文を書いたこともある。
また、非嫡出子(婚外子)の相続分問題については、嫡出子との区別を容認するのが持論とされている。
司法修習の同期だった裁判官の夫と、約8年前に死別。 医師となった息子は独立し、現在は1人暮らし。
史上4人目の女性最高裁判事。 裁判官・学者出身者としては女性初。
裁判官時代には、札幌の「スモン薬害訴訟」で、和解に向けて患者の家を訪ね歩いたこともある。 「一人ひとり大事なものは違う。それを理解し、誠意を持って対応することが大切」と学んだという。
仕事が楽しく、休日も平気で返上するため、息子から「つまらない人生」と言われるほど。
趣味は木版画だが、「仕事と同じぐらいの集中力と忍耐力がいるので、息抜きにはならない」とも。
好きな言葉は「見識ある技術、技術ある見識」。
◆ 「裁判官を志したのは、私は“変人”だったから(笑) 結婚して家庭に入ることはできないと思いこんでいた」 (最高裁判事 就任に際して)
◆ 「裁判官は問題解決から逃げられない」 (最高裁判事の就任会見にて)
◆ 「訴訟指揮と学生には厳しいと言われます。でも学生はかわいくて仕方がない」 (最高裁判事の就任会見にて)
◆ 「裁判官の仕事は好きだった。 最高裁判事は責任が重過ぎて、うれしいとは思えないけど」 (最高裁判事に就任し、17年ぶりに司法の場へ戻って)
● 「まじめに取り組んでいる裁判員が、制度を支えていると思います」 (最高裁判事の就任会見にて)