最高裁判所判事 寺田逸郎 (てらだ・いつろう)
実の父・治郎氏(故人)は、1982年から約3年にわたり最高裁長官を務めた。祖父も裁判官。
任官後、法務省に出向し、民事局長として借地借家法の立案などに携わり、在オランダ日本大使館でも一等書記官として勤務。また、裁判員制度や育児休暇、会社法などの制度設計にも奔走。
裁判官としては異色の経歴を辿った。
難民申請が認められず不法滞在になったクルド人男性ら家族3人が、日本からの強制退去処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審では、問題解決に向け国と家族が話し合うよう促し、結果として原告3人は、定住者として1年間の在留資格を得るという特別措置。
ベテラン裁判官でありながら、法廷実務に携わった期間は約6年間。冗談めいて「法服はたんすの一番下にあった」と笑いながら語ったことも。
法廷から離れていた時期が非常に長かったのは、最高裁の人事局から、抜群の交渉力や企画能力が買われたためともいわれる。
趣味は野球観戦・サッカー観戦。
◆ 〔元最高裁長官である実父・治郎氏のことについて尋ねられて〕 「会う方に常に訊かれる。裁判官としての影響は多くの優れた先輩から得ており、父もその一人。裁判官としても人間としても尊敬できるが、父の裁判を意識することはない」 (最高裁判事の就任会見にて)
● 「さいたま地裁で初めての裁判員裁判、初日はあいにくの台風だった。傘を差し、続々と訪れる候補者の姿に頭が下がった。事件の重みを実感してもらうことに大きな意義がある。ただ、候補者として訪れながら選任から漏れるケースもあり、そうした人の負担をできるだけ軽くするのが課題」 (2009年 さいたま地裁所長時代)
● 「正面から向き合う人が多く、勇気づけられる。検察官と弁護人の努力も大きい。裁判員や候補者の力で進んで行っていると感じている。裁判員に選ばれなかった人の負担を最小限にしないといけない」 (2010年 広島高裁長官時代)
● 「国民の強い熱意で支えられており、刑事裁判のレベルアップにつなげていかなければならない」 (最高裁判事の就任時)
※ 法務省出向時代、裁判員制度の骨格づくりでは、国会議員の協力を難なく取り付け「法務省に寺田あり」と言わしめたという。