竹崎博允(たけさき・ひろのぶ)

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  最高裁判事 在任期間
   2008年11月25日 ~ 2014年7月7日
   (※就任と同時に長官となる)
         

 

エピソード

 
 父親も裁判所の職員だった。 裁判官になって40年のキャリアでは、最高裁事務総局に勤めた期間が長い“エリート司法官僚”で、刑事裁判の専門家としても知られる。

 東京地裁裁判長時代の1996年には、オウム真理教の「教祖」松本智津夫死刑囚の初公判に向けて、傍聴希望者が大勢押し寄せることを見越し、パソコンによる傍聴席の抽選を発案した。

 一見、こわもて風に見えるが、東京高裁の長官時代、管内の裁判所を熱心に回り、若手裁判官らの意見に耳を傾けた。仕事を離れた議論の大切さは若いころに経験した。

 その仕事ぶりは「もういいと思っても、さらに深く考える。知的誠実さ、忍耐強さがある」とされる一方「思ったことをズバズバ言い、周囲を冷や冷やさせることもある」とも。

 島田仁郎長官は、先見性やリーダーシップから「坂本竜馬のよう」と例えた。

 

プライベートの横顔

 
 酒は飲まず、1日60本吸っていたタバコも、数年前にやめた。

 趣味は、園芸と音楽鑑賞、読書。「思考の体質として合っている」からと、自然科学の本が好きという。最近では、数学の超難問「フェルマーの最終定理」の本が面白かったという。

 以前は渓流釣りが好きで、よく山に出かけたそう。

 多忙な日々を送り、近ごろは、海外旅行から遠のいていることを気に留めているというが、そんな合間にも、毎年、岡山へ里帰りして、99歳と100歳を迎えた両親を見舞う(2008年末現在)。また、たいてい母校周辺などを歩き、同窓会には可能な限り出ているという。

 参院議長の江田五月氏(元裁判官)は、竹崎長官と同じく、岡山市の弘西小、旭中、朝日高を経て、東京大を卒業した3年先輩。

 

大抜擢

 
 最高裁は、リーダー格の「長官」1人と、「判事」14人で構成されている。

 最高裁判事としての経験を経ずに、いきなり「14人抜き」で長官になるのは、1960年の横田喜三郎・第3代長官以来。

 島田長官は「長年の慣行よりもこの際、裁判所にとって一番最適任の人を選びたいという気持ちがありますし、諸般の状況、情勢を考えますと、今ここで、彼の出番であるという風に思ったわけです」と、後任に竹崎長官を指名した理由を話している。

 ここでいう「諸般の状況」とは、ほかでもない裁判員制度のスタートのことであろう。

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小法廷で裁く

  
 最高裁長官は、憲法判断などを行う大法廷では裁判長を務めるが、小法廷の審理には参加しないのが慣例となっていた。

 しかし、竹崎長官は、第二小法廷の裁判長として、福島県青少年健全育成条例違反が問題となった刑事事件を担当(後述)するなど、裁判の現場に積極的に顔を出している。 これも、横田正俊・第4代長官以来となる異例のこと。

 就任からいきなりトップの長官に抜擢されたため、判事としての実務も経験しておきたかった、との見方もある。

 

裁判員制度について

 
 1988年、最高裁からアメリカに派遣され、市民から選ばれた陪審員が有罪・無罪を決める陪審制度を目にする。その時、国民に身近とはいえない日本の刑事裁判が、このままでは立ち行かなくなるのではないか、と危機感を覚えた。

 そして、1992年には最高裁が出版した「陪審・参審制度 米国編1」の執筆陣として参加し、アメリカ陪審制の手続きをリポートした。

 自身は、日本における「司法への市民参加」への導入に、当初は反対していたという。

 しかし、その後は、裁判所内部にも消極的な意見が根強かった「国民の司法参加」を強力に推進し、実現にこぎつけた、いわば「裁判員制度スタートの張本人」ともいえる人物。

 東京高裁時代に、裁判員制度について私的な立場で書いた文章の内容が、いつの間にか、最高裁でも了解事項となったほどの影響力があった。

 「一番難しいのは裁判官の意識。今までミリ単位の物差しで仕事をしてきたが、今後はセンチ単位でなければ国民はついてこない」と、書面を読みこんで細部にこだわってきた今までの事実認定から、目で見、耳で聞き、大局や本質を見通す事実認定へと改革していく必要性を訴える。

 そのうえで「センチ単位の物差しで測っても、大きさは誤らない。そうした意識改革である。決して結論を粗略にしていいというものではない」とも付け加える。

 死刑判決については、「判断する国民にとっては非常に心理的な負担が重いが、そのような重大な事柄について国民の判断を信用するということを前提とした制度だ。そのうえで、国民が適切に判断できるよう、判例を再検討し、意味や問題点を明らかにすることが必要だ」と説明する。

 さらに、裁判員経験者らの守秘義務の範囲に関しては、「少し事例を積み重ねれば簡単にわかることだと思う。制度の運用で支障になるほどの問題と神経質に考えないほうがよい」とも述べた。

 

 

 

裁判員制度がテーマの記者会見、欠席へ

  
 2007年以来、「法の日」の10月1日に、最高裁長官ほか法曹三者トップが臨んでいる記者会見(主催:日本記者クラブ)につき、竹崎長官が今年、欠席の意向を表明した模様(8月現在)。

 一昨年と昨年は、島田前長官や、当時の最高裁事務総長、検事総長、日弁連会長が、裁判員制度について、各自の見解を述べていた。

 昨年11月に就任した竹崎現長官は、これから先、「裁判員法は憲法に違反し、無効だ」という訴訟が提起され、最高裁まで上告されることになれば、大法廷の裁判長として憲法判断する立場となる。

 そこで、「審理の公平性」などを考慮して欠席する意向を伝えたとされる。

 ( 2009年8月3日 共同通信と毎日新聞の報道より )

 
 

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竹崎長官の おもな個別意見

 
 特になし。

 

そのほかの判断
(竹崎長官が裁判長として関与・小法廷で全員一致の意見)

 

2009年3月9日
 アダルトビデオなどを売る自動販売機を規制する福島県条例が、表現の自由などを侵害し、憲法に反するかどうかが争われた訴訟。「条例は憲法に反しない」と判断。 業者の代表者に懲役6カ月(3年間の執行猶予)と、罰金10万円、さらに会社へ罰金40万円を言い渡した判決を確定させた。

 

<東京地裁時代>
 

1997年3月24日
 オウム真理教のスポークスマン役だった教団最高幹部(上祐史浩)に対し、偽証や有印公文書偽造などで懲役3年の実刑判決を言いわたす。
 「一連の事件を特徴付ける徹底した欺瞞性は、まさに被告人の関与の結果である。公判でも、松本智津夫への信を繰り返し述べるなど、現実逃避した態度を続けており、反省の態度は全くうかがえない」と、厳しく指摘した。
 
 

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