最高裁判事のバリエーション

 最高裁の判事なんて、法律しか知らない世間知らずのオッサンばっかりじゃないか? いえいえ、決してそうとは限りませんよ。

 

■■□ 女 性 □■■

 現役の櫻井龍子氏は、最高裁で3人目の女性判事です。

 

 高橋久子 (たかはし・ひさこ) 【行政官出身】
 (1994-1997)

 女性で初めての最高裁判事。 3人の女性閣僚がいた細川連立内閣による指名で、当時の首相自身も「大きなプレゼント」と表現。
 東京大学経済学部を卒業後、官僚として労働省に入ったが、最初はお茶くみやトイレ掃除もさせられた。明るい笑い声から、官僚時代のニックネームは「キャー子」。他方で数字にめっぽう強く、綿密な仕事ぶりを発揮した。
 「最高裁に女性が入るべきとは思っていましたが、まさか自分とはと、びっくりしました」とあいさつ。また、「裁判でも、人間の一方の性の視点が抜け落ちてはいけない。女性の100パーセント近い人が結婚で名前を変え、私もその痛みを経験しました」と、夫婦別姓に理解を示す発言も。

 

 横尾和子  (よこお・かずこ) 【行政官出身】
 (2001-2008)

 大学生(ICU)時代にボランティアをしていた福祉施設の食堂で、出てくるアジフライが「半身で1人前」だったことが気にかかり、予算の少ない理由が知りたくて、福祉の総元締め、厚生省へ入ることに決めたという。
 のんびり口調で相手を持論に引き込んでいく穏やかな雰囲気の持ち主。うるさ型の国会議員や役人も、いつの間にか不思議とうなずいてしまっていたとのこと。
 趣味は、山登りや写真、また、日本酒を愛する並はずれた酒豪としても知られ、厚生省時代は酔いつぶれた上司をおぶって帰ったこともあるといい、「伝説」には事欠かない。動物好きでもあり、「犬に吠えられたことは、今まで一度もない」という。
 社保庁長官のころは、厚生省ナンバー2の立場として、薬害エイズ問題における事実関係の確認作業等を指揮した。
 最高裁に入って、記者会見では「よい耳をもった裁判官でありたい」とコメント。
 2008年に、定年まで3年弱を残して依願退官している。社会保険庁のトップとして、年金記録改ざん問題の責任を問う声が高まったのが理由とみられるが、本人は否定。

 

■■□ 理系出身 □■■

 

 大堀誠一 (おおほり・せいいち) 【検察官出身】
 (1988-1995)

 東北帝国大学工学部の航空学科卒。
 学生時代は戦争のただ中だったが、当時の理系学生は徴兵が延期されており、勤労動員として群馬県の工場で木製の飛行機を造っていた。 そのころ墜落した米軍機を目撃。「航空機の工作技術は、日米で格段の差があったのです。ショックでした」と話す。東京地検特捜部で「武州鉄道事件(贈賄)」の捜査に加わった。座右の銘は「ゆっくり急げ」。

 

■■□ スポーツ・芸能界の要職 □■■

 

 井上 登 (いのうえ・のぼり)  【裁判官出身】
 (1947-1955)

 大の野球ファンで、最高裁から引退した後は、プロ野球のコミッショナーに就任し、野球殿堂入りも果たしている。
 若いころから、3つの私立大学で民事法を教え、専門書を翻訳し、大審院判事にまで登りつめるなど、卓越した優秀さを見せた。
 その一方、開廷時間によく遅刻し、そのたびに書記官が法服を持って玄関で待ち受けていたという、かなりドジな伝説の持ち主でもある。

 

 高橋 潔  (たかはし・きよし)  【弁護士出身】
 (1957-1961)

 戦前に、大日本相撲協会(現・日本相撲協会)の顧問弁護士をしていたほどの大相撲ファン。若い力士の面倒をよく見ていた。
 青森の弘前市出身で、ずっと東北弁が抜けきれない素朴さがあったという。
 終戦後、東京裁判では、大学時代の同級生だった岸信介の弁護人を務めた。日弁連で、新しい最高裁判事の人選を進める役をしていたが、めぼしい弁護士全員に断られ、結局は自分が引き受けるはめに。立身出世とは縁遠い弁護士活動を続けていて「私ほど最高裁に不適当な人間はいないですよ」と話していた。

 

 
 城戸芳彦  (きど・よしひこ) 【弁護士出身】
 (1963-1970)

 学生時代に「君恋し」の作詞者である時雨音羽と知り合ったのがきっかけで、著作権の考え方に興味を持ち、弁護士になってからは大日本作曲家協会(現・日本作曲家協会)の法律顧問を務めていた。 実家は薬屋。


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