最高裁の!! 裁判官お言葉集
「定年なんて、老いぼれの烙印を押されるのはイヤだからね」
谷村唯一郎 (たにむら・ただいちろう)
(1951-1956)
>>> 70歳の定年を迎える前に、依願退官をした理由を聞かれて。 病気やケガなどの健康面に問題があったわけでなく、あくまで自分の考えに基づいていたとのことです。 「無理をしない、欲を出さない、何事も腹八分目」の人生訓に沿っての判断だと、ご本人は話しています。
「裁判以外に何事にも関心はない。 そして憲法を死守するのみ」
本村善太郎 (もとむら・ぜんたろう)
(1952-1957)
>>> 弁護士の要職として、司法制度調査委員長や人権擁護委員長を歴任した、実直な方ならではのお言葉です。 ちなみに、プライベートでは、焚き火に関心がおありだったようですね。(趣味参照)
「人間はどちらかというとアホがいい。 あんまり利口だと、かえって不幸ですよ」
高木常七 (たかき・つねしち)
(1958-1963)
>>> 羽振りがよかった弁護士時代に、最高裁からオファーを受けて悩んだが、おみくじをひいて「吉」が出たので引き受けた、という裏話をお持ちの高木氏。 最高裁判事のような超エリートが言うと、ヘタすりゃイヤミに聞こえてしまいそうですが、高木氏の人柄がこの発言を許していると言っても過言ではないでしょう。
「裁判を経済的にやるのは、われわれの義務でっせ」
山田作之助 (やまだ・さくのすけ)
(1960-1966)
>>> 「訴訟事件にも原価計算をせよ」が持論の、非常に合理的な考えの持ち主。 関西での若き弁護士時代は、妥協を知らずに他人とぶつかり、「あかんあかんの山田」と煙たがられた過去もあったそうです。
「ワイフです」
五鬼上堅磐 (ごきじょう・かきわ)
(1961-1966)
>>> 記者会見で「一番美しいと思う女性は?」との質問に、こう即答したという愛妻家エピソードです。 それはともかく、どういう流れから、そんな質問に至ったのかが気になりますけどね。
「まず、100点というところでしょう」
石田和外 (いしだ・かずと)
(1963-1973)
>>> 最高裁の退官会見で「長官・石田和外を、ご自分で採点したら何点でしょうか?」と記者から尋ねられての回答。 自信家として知られた石田元長官ならでは、面目躍如のエピソードです。
「今日は、酒を飲む日ではない」
城戸芳彦 (きど・よしひこ)
(1963-1970)
>>> 弁護士時代、最高裁判事への就任が本決まりになった夜に、祝杯をあげなかった理由を聞かれて。 「酒は1日おきしか飲まない」という、自分に課したオキテを厳守する、城戸氏の生真面目エピソードです。
「東大では最も右だった私が、最高裁では最左翼だ」
田中二郎 (たなか・じろう)
(1964-1973)
>>> 法律学者からの転身だった田中判事は「最高裁に入ったころ、議論を戦わせても外では談笑し、毎日が楽しかった。だが、辞める間際には裁判官相互の意思疎通が薄れ、発言しにくい雰囲気があった」とも語っています。
自由や権利を重視するリベラル派(左)の裁判官が、現状維持を是とする保守派(右)の上層部から露骨に冷遇された、日本司法の「冬の時代」と呼ばれた頃の発言です。
上には上がいるように、右にはさらに右がいるということでしょうか?
「最高裁判事は天下の名医だから、重病人だけ診察すればいい。ところが、今は風邪や腹痛まで診ている」
関根小郷 (せきね・こさと)
(1969-1975)
>>> 当時は「まだ最高裁がある!」を合言葉に、敗訴者みんなが上告審に期待し、上告される量が最高裁の処理能力を超えつつありました。 90年代の民事訴訟法改正によって、この関根氏の懸念がなんとか解消されたかたちです。
それでも、最高裁判事ひとりあたり、同時に千件単位の事件を抱えているそうですが。
「裁判は、論理でなく勘です」
藤林益三 (ふじばやし・えきぞう)
(1970-1977)
>>> 最高裁の長官まで上り詰めた方が至った境地なのでしょうか。 法律の道もとことん極めれば、問題は感覚的に解けてしまうのかもしれません。
じつは、特に民事裁判では、「結論先にありき」でよく、法律の理屈は後づけで構わないのです(同じことを刑事裁判でやったら、冤罪のもとですが)。 なので、トラブル解決に有効な結論を練る第一段階では「勘」でいいんでしょうね。
「裁判官と弁護士は、野球でいえば、主審と投手」
環 昌一 (たまき・しょういち)
(1976-1982)
>>> そのココロは、「投手は作戦上必要があれば、カーブもシュートも投げなければならないが、主審はストライクゾーンにボールが入っているかを見極めるだけ」とのこと。弁護士出身の判事ですから、両方の気持ちがわかるんでしょうね。
「人間を裁く裁判官は、自身が裁かれている」
江里口清雄 (えりぐち・きよお)
(1973-1980)
>>> 法廷の高いところに座って裁く立場だからといって、傲慢にならず、物事には謙虚にあたれ、という自戒をこめた発言なのでしょう。 「私は子どもに育てられている」と話す親や、「生徒に教えられている」と感じる教師にも似た心境なのかもしれません。
「かねてより、日本の役所の中で、一番清潔で信頼されているのは最高裁判所だと思っていた」
和田誠一 (わだ・せいいち)
(1982-1986)
>>> 渉外弁護士の走りとして、国際的に活躍された方が、最高裁判事に就任したときのあいさつです。 多少はリップサービスの意図もあったのでしょうが、ワイロなどは一切受け取らない日本の司法は、たしかに世界に誇れる清潔さです。 裁判員制度が始まった後も、その信頼感は維持できるでしょうか。
「裁判官は、いい格好をしてはならない。 『国民の目線で』というのは美しい言葉だが、国民の喝采を受ける気分で裁判をしていたら大変なことになる」
可部恒雄 (かべ・つねお)
(1990-1997)
>>> 「市民感覚を取り入れて」裁判員制度がスタートするこの時代には、特に深い意味のこめられるお言葉だと思います。 裁判を「多数決」でやるのは、一見よさそうですが、条文や証拠が軽視される危険もあるため、いつか必ず間違いが起こります。
「推理小説だけは読みません。仕事だけで十分」
小野幹雄 (おの・もとお)
(1992-2000)
>>> 実際には、ほとんどの被告人が犯行を自白しちゃって、情状の問題になってしまいますから、推理小説のような「犯人探しのミステリー」が、刑事裁判で浮上する場合は、ほんの少しです。 それだけ真剣に臨むのは難しいわけですね。
「下級裁判所がハッスルしないと、最高裁の判例も動いていかない。 若手は、もっとガンバリズムがあっていい」
山口 繁 (やまぐち・しげる)
(1997-2002)
>>> 言い回しは、ちょっと古い印象ですが、若いメンバーを鼓舞したい気持ちが、ひしひしと伝わってきます。 ガンバリズム!
「私の好みで選んだワケじゃありません」
町田 顯 (まちだ・あきら)
(2000-2006)
>>> 2005年秋、裁判員制度のイメージキャラクターが、女優の長谷川京子さんに決まった理由について聞かれて、こう答え、記者たちの笑いを誘った町田元長官。 ちなみに、2代目は仲間由紀恵さん、3代目は上戸彩さんです。 若手人気女優ばかりで、どれだけのギャラが税金から支出されたのか気になります。
「料理を作るのは、準備書面を作るより簡単」
滝井繁男 (たきい・しげお)
(2002-2006)
>>> 奥様と家事を分担しているという、滝井氏ならではのジョークです。 ちなみに準備書面とは、民事裁判などで弁護士(代理人)が作成する文書でして、裁判官に「陳述します」と言って提出しただけで、そこに書いてあるとおりに法廷でしゃべったとみなされる、とても便利なモノです。 もちろん、提出するまでが大変な道のりでしょうが。
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裁判官室は、なんと43畳(約71m2 )の広大さ。
驚くほどラグジュアリー(豪華絢爛)な法廷の造り。
だが、そんな最高裁判所にも、不遇の時代があった。
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