2008年5月 3日 (土)

文化放送が、5月6日午前10時より、死刑執行の模様を放送

 

>>> 死刑執行の音をラジオで放送 文化放送が5月に特別番組

 AMラジオの文化放送(東京)は、5月6日の報道特別番組『死刑執行』(仮題)で、実際に死刑が執行された時の音を放送する予定を15日、明らかにした。

 使用する音源は、大阪拘置所が昭和30年代、刑務官への教育などを目的に用意したテープだという。文化放送は「あらためて死刑制度を正面からとらえたい」としているが、議論を呼びそうだ。

 文化放送によると、市民が刑事裁判に参加する裁判員制度のスタートを来年5月に控え、死刑執行の現状を伝えることが必要だと判断。「過度な演出は避け、死刑囚のプライバシーに配慮して放送する」という。

 番組は午前10時から55分間の放送予定で、死刑執行にかかわったことのある刑務官や拘置所職員の話などを交え構成する。(産経新聞) 2008.4.15


 

 ロープがきしむ音まで入るそうですね。 ……えらいこっちゃ。 たしか、10秒間つるしておくんでしたっけ。


▼=================== 後日追加 2008.5.5 

◆ 刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律 第179条(解縄)
 死刑を執行するときは、絞首された者の死亡を確認してから5分を経過した後に絞縄を解くものとする。

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 私は仕事柄、耳をかっぽじって聴く義務がありそうですけど、いい気分ではないでしょう。 決して。

 でも、現実に起こっている出来事ですからね。

 文化放送の電波が届かない地域に住む友人から「一度聴いてみたい」と言われているので、ラジオをデジタル録音するための機材も買いました。 それほど大げさでなく、USBでパソコンとつなぐ接続コードみたいなものですが、いくら古い時代の音声とはいえ、たぶんこれで十分でしょう。

 たしかに、極めて重い放送内容に違いありません。 踏み絵みたいなものかもしれません。

 たとえが相当かどうかわかりませんが、たとえば原爆資料館で展示されたむごい写真を直視できず、うろたえていれば、「そんなに気味悪がったら、被爆者に申し訳ないと思わないか」「われわれは歴史の真実から学ばねば」といった、正しさという名の無言のプレッシャーを感じるかのような。

 まさか、この文化放送の挑戦について「死刑制度のむごさばかり強調するのは不公平だから、殺人現場の音声も並行して放送すべき」と主張する人は、たぶんいないと思いますが、まずは、裁判員のひとりとして、一般人が目の前の被告人に対して「死」を宣告する意味と覚悟について、大型連休の最終日に想像してみるのも、いかがでしょうか。

……とは、あんまり気軽にオススメできませんが。

 

 もともと、死罪は一般に公開されなければ意味のないものでした。 古今東西の権力者にとって、その権力を誇示する「見せしめ」としては絶好の機会だったとされます。

 公に見せることが前提のため、昔の処刑方法のバリエーションは豊富。 マスメディアがほぼ皆無の時代では、相当にインパクトの強い方法を選ばないと、権力の威圧感が世間へ浸透していかないはずです。 まるで祭りのような雰囲気で執行される場合もあったようですね。

 アメリカでは、今も公開処刑がされている州があるといいますし、現代的・国際的な「見せしめ」としては、独裁者の公開処刑もあります。 サダム・フセインについては記憶に新しいところです。 ちょっと古いところではチャウシェスク。

 一方で、現代の日本では、徹底して秘密裏に執行される死刑。

 いったい何を隠そうとしているのか。 ひた隠してまで執行する意味は何か。 死刑判決の増え方に比べ、死刑執行命令の回数が追いついていないのはなぜか。

 これらの疑問を解く糸口となりうるかどうかは未知数ですが、貴重な史料であることには間違いありません。 覚悟して耳を傾けることにします。

 文化放送の可聴地域(関東地方 1134kHz)にお住まいの方はぜひ。

 文化放送はネット配信の手段も持ってますけど…… ネットには乗らないかな。

 このたび、地上波で一般に公開される音声は、はたして私たちに何を伝えるのか。 少なくとも、法律の条文からは感じ取れない営みなのでしょう。 きっと。

 
 

◆ 刑法 第11条(死刑)
1 死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する。
2 死刑の言渡しを受けた者は、その執行に至るまで刑事施設に拘置する。

 

◆ 刑事訴訟法 第475条
1 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

 

◆ 刑事訴訟法 第476条
 法務大臣が死刑の執行を命じたときは、5日以内にその執行をしなければならない。

 

◆ 刑事訴訟法 第477条
1 死刑は、検察官、検察事務官及び刑事施設の長又はその代理者の立会いの上、これを執行しなければならない。
2 検察官又は刑事施設の長の許可を受けた者でなければ、刑場に入ることはできない。

 

◆ 刑事訴訟法 第478条
 死刑の執行に立ち会つた検察事務官は、執行始末書を作り、検察官及び刑事施設の長又はその代理者とともに、これに署名押印しなければならない。

 

◆ 放送法 第3条(放送番組編成の自由)
 放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

 

◆ 放送法 第3条の2(国内放送の放送番組の編集等)
 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
  1.公安及び善良な風俗を害しないこと。
  2.政治的に公平であること。
  3.報道は事実をまげないですること。
  4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

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2008年4月22日 (火)

「ぐっとくる条例」洗い出し作業【群馬県】

 最近、「裁判官の爆笑お言葉集」を読んでくださった一部の方から、私は「死刑存置派・厳罰派」の「右寄り」だと思われたりしているようです。

 右寄り左寄りはともかく、「死刑執行の署名は法律通りに行われない」とか「オウム松本智津夫に対する裁判所の結論は、弁護団が何をどうこねくり回しても動かしようがない」などは、いちおう事実に沿って説明を行ったまでです。

 前作では説明スペースが1ページずつでしたから、基本的に、自分の意見を出すよりも、客観データを提示することに徹したんですよ。

 そういえば、このブログで、だいぶ前に「死刑は、社会防衛のために私たちが引き受けるべき罪だ」みたいなことを書きましたが、そこでも「こんな刑罰、無いに越したことはない」とも付け加えたとおり、基本的には死刑制度に消極的・懐疑的です。

 

 光市事件で、ついに死刑判決が出ましたね。

 それにしても、おととし、被告人の出てこない最高裁弁論の傍聴希望者が約70人でしたよ。 まぐれで傍聴券を当ててみたところで、弁護人が「お休み」して10分で終わったため、フタを開ければハズレクジだったんですが。

 そして本日、被告人の出頭する差し戻し控訴審判決の傍聴希望者、なんと4千人近くにのぼったというから驚きです。

 皆さん、そんなに人殺しに死刑判決がくだされる様子が見たいのでしょうか。 別に趣味の問題だからいいのですが。

 

 ただ、人をふたり殺して、死刑を科す。 おかしいですよね。

 自分のしでかしたことに対する落とし前は、どう付ける気でしょう。

 謝罪は? 反省は? 償いは?

 そいつが命を絶たれたところで、何がどうなるというのでしょう。 2人の死を、1人の死で償おうなんて、どう繕おうと無理が生じるに決まってます。 傲慢きわまりない。

 私は、「どんな理由があろうと、人を殺めることは許されない」とか、非人道的だとか、憲法36条に反するとか、そういう論拠で死刑制度にツッコミを入れているのではありません。

 むしろ、「死んでオシマイで、それでいいの?」と思っているのです。

 彼に対する処遇として必要なのは、「生かし続ける」ことではないでしょうか。 前にも書きましたが、現世で大きな過ちを犯してしまった人間にとっては、「死」よりも「生」のほうが辛かろうと考えるからです。

 生き続けることが極刑ではないか、と思いはじめています。

 犯罪被害者・遺族が死刑を求めているから、私は命をもって償う。 ……とんでもない思い上がりです。

 少なくとも被害者から恨みを買っている間は、どうか現実から目をそむけずに生きていただきたい。

 そして、自分の過ちを総括し、「一時の快楽で人を殺めても、何も生まない」ということを、同じような境遇の者に対して生きるヒントを与える「かたりべ」になったりできれば、わずかな社会貢献となるでしょうか。

 もっとも、そこまでうまくやれなくても、ただ生きているという事実が、私たちに警句・戒めをシンボリックに投げかける存在となりえます。

 重大な過ちを犯した人間こそ、すべてと向き合うべく、腹いっぱい長生きしてください。

 そのために、毎日ちゃんとバランスよく栄養を摂取し、十分な運動・睡眠を心がけてください。 拘禁ストレスを解消するプログラムも受けてください。

 

 そもそも、「生きている死刑囚」が100人以上いるのに、年間の執行数は、数人というオーダー。

 心身に支障、再審開始請求中などの事情が死刑囚にあれば、執行リストから外れるらしいのです。 そのため、裁判所が死刑判決を出しても、その多くがなかなか執行されず、「渋滞」しているのが実際のところです。

 こんな現状で、死刑という刑事罰の威嚇力やら犯罪抑止力などを議論したところで、へのつっぱりにもならん空論にしかなりえないといえるでしょう。

 できっこない刑罰なら、サッサと止めることも視野に入れていいのではないでしょうか。

 

 かの凄惨な事件が起こってしまった、山口県光市ですが、その街には同時に「おっぱい都市宣言」という素晴らしいコンセプトが根底に流れています。

 さぁ、またまた地方条例をめぐる旅に出かけましょう。 あいかわらず強引な導入ですみません。

 条例から、ニッポンが見えるか!?

 今回は、群馬県の「なんじゃこりゃ条例」です。 ちょっぴり収穫が少なくて残念でした。



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○群馬県 ぐんま星空憲章

平成11年10月28日
告示第626号
ぐんま星空憲章を次のように定める。
(できれば、青空も曇り空も見ようね!)

わたしたちのふるさとぐんまは、自然に恵まれ、夜空にはたくさんの星がかがやいています。
人々は、星をながめて詩(うた)をつくり、流れ星に願いをかけ、宇宙への夢をはぐくんできました。
そして、遠い宇宙からの光によって、地球がかけがえのない星であることを知りました。
いま、わたしたちは、たくさんの人工の光で、夜も安全に活動することができます。
わたしたちは、先人の努力で発展してきた産業の恵みを受けているのです。一方で必要以上に強い光は、美しい星の光をさえぎり、産業の活動や便利になった生活の営みは、限りある資源を浪費し、かけがえのない地球の環境をそこなうことがあるのです。
星は宇宙の中で処(ところ)をえてかがやき、そこでは長い間かかって生物の生きながらえる環境が整(ととの)えられてきています。
わたしたちは、豊かな自然の象(しょう)徴(ちょう)であり財産でもある美しい星空を守り、地球をより住みやすい環境に保ち、未来をになう次の世代に引きついでいく努力をすることを誓い、ここに、ぐんま星空憲章を定めます。
1 見よう、星空を
1 きれいにしよう、星空を
1 伝えよう、うつくしい星空を

 

 

○群馬県 尾瀬憲章

昭和四十七年五月十一日
告示第二百九十二号
(はるかな おぜ~♪)

群馬県尾瀬憲章を次のように定める。
群馬県尾瀬憲章
尾瀬は、自然の偉大な恵みによつて生まれ、自然界の厳しゆくな法則のもとに、すぐれた原始的景観を保つてきた。
高層湿原をいだく美しい自然は、ここに生育する動植物とともにきわめて高い学術的価値を有している。
この貴重な尾瀬の自然は、祖先から受け継いだとうとい共有の遺産であつて、これを国民の宝として大切に保護し、後世に伝えることは、われわれの責務である。
ここに、われわれは、尾瀬の自然の美しさを愛し、そのとうとさをいつそう深く認識し、厳正な保護と秩序ある利用のもとに、国民の願いをこめて尾瀬の自然を守ることを誓う。
一 尾瀬を訪れる人は、その自然を愛そう。
一 尾瀬に接する人は、その利用に責任を持とう。
一 尾瀬を尊ぶ人は、その景観を破かいから守ろう。
一 尾瀬に親しむ人は、その豊かな恵みに感謝しよう。
一 尾瀬に誇りを持つ人は、その美しさを後世に伝えよう。
尾瀬を後世に伝えることは、県民あげての願いである。

 

 

○群馬県 群馬県における農薬の適正な販売、使用及び管理に関する条例
  平成14年10月11日

<前文>
 人は食べて生きている。
 食物は人の健康に影響を及ぼす。
 したがって、農産物がどのようにして生産され、流通を経て消費者の口に入るか、我々は高い関心を持つ。
 農産物は品質的に優れ、かつ、安全なものでなければならない。
 群馬県は食料の生産、供給県であり、その使命を果たす。
 食料に関係する人々はすべてこのことを自覚し、特に農薬の適切な使用について万全の注意を払うためこの条例を制定する。

 

 

○沼田市 準市民制度運営要綱
平成13年3月30日
告示第21号
(準市民と呼ばれて嬉しい人が、どれほどいるのかナゾ)

(目的)
第1条 この制度は、本市出身の県外在住者等との様々な情報交換や交流を図ることにより、市民はもとより、沼田を郷土とし、沼田を愛する多くの人々がきずなを深め、“ふるさと沼田”の更なる発展に資することを目的とする。
(定義)
第2条 この要綱において「準市民」とは、次条の規定に該当する本市出身の市外在住者等で任意に準市民登録をしたものをいい、何ら法的な根拠に基づくものではない。
(登録対象者)
第3条 準市民登録の対象者は、本市出身又は本市に居住した経験を有し現に市外に在住する者とする。
2 市長は、前項の規定に該当しない者であっても、本市とのゆかりやかかわりがあると認められ、準市民登録を希望する者については、登録対象者とすることができる。
(登録の手続)
第4条 準市民登録は、市で保有する準市民名簿に氏名、住所、生年月日その他参考となる事項を掲載することにより行うものとし、口頭、郵便、電話その他適宜の方法で差し支えないものとする。
(制度の運営)
第5条 市長は、準市民制度を推進するため、次の事業等を行うものとする。
(1) 準市民の帰郷機会の創出
(2) 準市民と市民又は準市民相互の交流機会の創出
(3) 市の刊行物等の送付による情報提供
(4) その他市長が制度の目的に即して必要と認める事業
2 準市民制度は、交流会の出席負担金等一部の実費負担を除き、無料とする。
(制度の普及及び啓発)
第6条 市長は、準市民登録者の拡大を図り、準市民の輪を広げていくため、定期的な制度の周知・普及及び登録の啓発に努めるものとする。
(その他)
第7条 この要綱に定めるもののほか、準市民制度の運営に関し必要な事項は、市長が別に定める。

 

 

○沼田市 善行青少年顕彰基金管理条例
昭和57年3月18日
条例第16号
(青少年よ、善い行いを!!)

(設置)
第1条 青少年の健全育成を図るため、善行青少年の顕彰を行うことを目的とし、沼田市善行青少年顕彰基金(以下「基金」という。)を設置する。
(基金)
第2条 基金の額は、430万2,149円とする。
2 青少年の健全育成を図る目的をもって寄附されたものについては、基金に追加して積立てをすることができる。
3 必要があるときは、予算の定めるところにより基金に追加して積立てをすることができる。
4 前2項の規定により積立てが行われたときは、基金の額は、当該積立額相当額が増加するものとする。
(管理)
第3条 基金に属する現金は、金融機関への預金その他最も確実かつ有利な方法により保管しなければならない。
(運用)
第4条 基金の運用から生ずる収益は、一般会計歳入歳出予算に計上して善行青少年の顕彰に必要な費用に充てるものとする。
(処分)
第5条 基金は、第1条に規定する事業の財源に充てる場合に限り、全部又は一部を処分することができる。
(委任)
第6条 この条例に定めるもののほか、基金の管理に関し必要な事項は、教育委員会が別に定める。

 

 

○館林市 つつじオーナー制度実施要綱

平成14年10月29日
館林市告示第70号

改正   

平成17年12月12日告示第76号

館林市つつじオーナー制度実施要綱(平成12年館林市告示第5号)の全部を改正する。
(目的)
第1条 この要綱は、花を活かしたつつじの町づくりを推進するために、つつじを守り育て、開花期には市内につつじの鉢を設置し、まちをつつじで飾ることにより市民参加による潤いのある市政を実現することを目的とする。
(実施主体)
第2条 この制度の実施主体は、館林市とする。
(定義)
第3条 この要綱において「オーナー」とは、この目的に賛同する個人、企業、団体等で市からつつじを購入し、市に肥培管理を委託し、開花に応じて市長の指定する場所につつじを設置するものをいう。
(申込み)
第4条 オーナーを希望するものは、館林市つつじオーナー申込書(別記様式)により、市長に申し込むものとする。
(オーナーの期間)
第5条 オーナーの期間は、2年とする。
(実費の徴収)
第6条 市長は、つつじの鉢植え13号鉢1鉢につき、3,000円を徴収する。
(オーナーの表示)
第7条 市長は、鉢ごとにオーナーの氏名等を表示するものとする。
(寄附の申出)
第8条 オーナーは、管理の期間を経過したつつじを市に寄附することができる。
2 オーナーは、期間満了までに実費の全部若しくは一部を支払わないときは、市へつつじの寄附をしたものとする。
3 市長は、前2項により寄附を受けたつつじを公共機関等に植栽するものとする。
(委任)
第9条 この要綱に定めるもののほか必要な事項は、市長が別に定める。

 

 

○富岡市 富岡製糸場のユネスコ世界遺産登録に関する決議
平成18年9月29日
告示第166号
(がんばれ、まちおこし)

富岡市には、明治5年に政府が威信をかけて創設した製糸場が往時の姿を変じることなく保存されている。その主体は木骨レンガ造という他にあまり類例のない建造物群である。
明治政府は、殖産興業政策を進展させるため幕末期からわが国の主力輸出品であった生糸の「品質向上」と「大量生産」を目途とした洋式器械製糸場の建設に力を注いだのである。その指導者としてポール・ブリューナを首長とするフランス人の男女技術者を雇い入れ操業開始した。
洋式技術の習得と器械製糸場の設立ということを主目的とした富岡製糸場は、予期していたとおり全国各地に大きな影響力を及ぼし、これらが要因となって明治期末にはわが国は世界第一の生糸輸出国となり、これを基礎としてわが国の近代化が進展した。
官営の払下げ後も堅牢かつ大規模な建造物群が同じ製糸場としての役割を果たし続け、その継続的実績は、わが国の「近代産業発祥の原点」であると同時に今日の「工業立国の原点」であり、さらに生糸を通してアジアやヨーロッパ諸国に大きな影響と貢献をしてきたことは紛れもない事実であり、その功績は高く評価すべきである。
現在、富岡製糸場は、各方面から産業近代化遺産として大きく注目されている。富岡市と群馬県では、これを核として「養蚕・製糸・織物」というシルク産業を構築し、ユネスコの世界遺産登録を目指したさまざまな取り組みが行われている。
こうした中、中核をなす富岡製糸場の世界遺産を目指す手続きと運動は、昨年来よりの国指定史跡、建造物群及び敷地の富岡市への移管、さらには創業当初の建造物群が国指定重要文化財に指定されるなど順調に展開されている。これらを基盤として本年度後半には世界遺産国内暫定リスト登載に向けて最大の山場を迎えることになる。
富岡市議会は、高い歴史的・文化財的価値を保有する富岡製糸場のユネスコ世界遺産登録に向けて、市民と強い連携を図りながら、市当局はもちろん、国や群馬県並びに関係市町村、関係団体等の機関に働きかけを行い、その目的実現に向かって積極的に取り組むことを決議する。
平成18年9月26日


○東吾妻町 富永一朗あづま(吾妻)漫画廊の設置及び管理に関する条例

平成18年3月27日
条例第165号
(お笑いマンガ道場!!)

(趣旨)
第1条 この条例は、東吾妻町富永一朗あづま(吾妻)漫画廊(以下「漫画廊」という。)の設置及び管理に関し必要な事項を定めるものとする。
(設置)
第2条 美術に関する町民の知識及び教養の向上を図り、文化の発展に寄与するため漫画廊を設置する。
2 漫画廊の名称及び位置は、次のとおりとする。
名称 東吾妻町富永一朗あづま(吾妻)漫画廊
位置 東吾妻町大字奥田39番地1
(業務)
第3条 漫画廊は、次に掲げる業務を行う。
(1) 富永一朗画伯の漫画・図書等を収集し、保管し、及び展示すること。
(2) 美術に関する講演会・講習会等を開催すること。
(3) 前2号に掲げるもののほか、漫画廊の目的を達成するために必要な業務
(管理)
第4条 漫画廊は、東吾妻町が管理する。
(委任)
第5条 この条例に定めるもののほか、必要な事項は、規則で定める。

 

 

○ 片品村「尾瀬の日」条例

平成19年9月18日
条例第27号
(趣旨)
第1条 国民の財産である貴重な尾瀬の自然を、将来にわたりこれを守り後世に伝えるのはみんなの願いです。
尾瀬の郷片品村民は、恵まれた自然をいつくしみ感謝する日として片品村尾瀬の日(以下「尾瀬の日」という。)を定める。
(尾瀬の日)
第2条 尾瀬の日は尾瀬国立公園指定日の8月30日とする。
(委任)
第3条 この条例の施行に関し必要な事項は、村長が別に定める。

 

 

○板倉町 合同金婚式等実施要綱

平成15年10月29日
告示第62号
(合同結婚式なら聞いたことが……[以下略])

(目的)
第1条 この告示は、結婚後50年又は60年を迎え、長年にわたり共に手をとりあい、家運の隆昌及び地域社会発展のため尽力された夫婦を慶祝し、もって高齢者福祉の増進を図ることを目的とする。
(対象夫婦)
第2条 慶祝の対象夫婦は、次のいずれかに該当し、当該年の4月1日から町長が別に定める慶祝を行う期日まで継続して板倉町に住所を有し、かつ居住している夫婦とする。
(1) 戸籍法による婚姻の届出をした年から婚姻期間が満50年(以下「金婚式」という。)を迎える夫婦
(2) 戸籍法による婚姻の届出をした年から婚姻期間が満60年(以下「ダイヤモンド婚式」という。)を迎える夫婦
(申出)
第3条 前条に該当する夫婦は、ダイヤモンド婚式・金婚式を迎える夫婦申出書(別記様式)を、町長が別に定める日までに提出するものとする。
2 前号の申出漏れを防止するために、老人クラブ及び民生委員等に協力を依頼するとともに、町広報紙等を活用し、広く町民に対し周知するものとする。
(慶祝の期日)
第4条 慶祝の期日は、毎年、町長が別に定める。
(慶祝の方法)
第5条 慶祝は、合同祝賀会を開催し、慶祝状及び記念品を授与して行う。ただし、ダイヤモンド婚式の夫婦には祝金を贈ることができる。
(その他)
第6条 この告示に定めるもののほか、必要な事項は、町長が別に定める。

 

 

○千代田町 人にやさしい美しいまち宣言
平成6年9月28日
告示第57号
(なんか、理由もなく「ごめんなさい」って謝りたくなる迫力)

「一人ひとりがみんな幸せになりたい。」「人間らしく生きたい。」
この願いが私たちの生きがいや生きる喜びにつながります。
かつて私たちの祖先は、ひたすら自然を愛することで、その恵みを受ける農耕の民であったに違いありません。そこにはお互いに助け合うことの尊さと自然への思いやりが息づき、人と人、人と自然との営みが理想的に展開されていたことが想像されます。
私たちは、この人と人、人と自然との信頼関係を大切に、同和問題をはじめとするすべての差別をなくし、人と自然への思いやりに満ちたまちづくりを進めることを誓い、ここに「人にやさしい美しいまち」を宣言します。
(1) すべての差別をなくし、人権を尊重するまちをつくります。
(2) 福祉をひろめ、思いやりのあるまちをつくります。
(3) 小さな善意を積み重ね、心豊かなまちをつくります。
(4) 健全な青少年をはぐくむ、健康なまちをつくります。
(5) 自然を大切にし、清潔な美しいまちをつくります。

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2008年4月 4日 (金)

幻冬舎新書 in ローソン

Photo 

 うちの近所にあるローソンの店長さんに許可をとり、(チョイ怪しまれたので、名刺を渡して)1枚撮ってまいりました。

 これからちょっと、弁当買いに行きづらくなった?(←自意識過剰)

 

 ただいま、コンビニエンスストア、ローソンの、東京・大阪(その近郊ふくむ)にあるチェーン店に、期間限定で幻冬舎新書が乗り込み鎮座しております!

 このラインナップは、きっと売り上げ上位の4つですね。 それぞれ3冊ずつ置けるようになってるんですが、紳助さんのご著書が、早くも1冊なくなってました。 いいなぁ~。

 お言葉集はですね……、手前の1冊につき、お客さんがいっぺん立ち読みして戻しているような形跡がありました。

 「裁判官」と「爆笑」という、両キーワードの絶妙なギャップに惹かれて手に取り…… パラパラめくってみたうえで、結局は「やっぱ別にイイわぁ」という判断がくだったのでしょう。 ぐっすん。

 まぁ、この1年間、全国の本屋さんの売り場で、何十万回か何百万回か知れませんけど、そういった「買うまでもない」とのシビアな判断が静かに繰り返されていたんでしょうねぇ。

 読んで何かの役に立つ本ではないので、やっぱり難しいなぁ。

 「お言葉集2 (仮)」では、どうやったら皆さんに購買動機を持っていただけるか、けっこう真剣に考えてますが、うだうだ考えすぎて、ただいま原稿の一部箇所を消して書き直し中です……。

 すみません、幻冬舎さん。 お待たせしてます。

 
 

>>>>> おすすめブログ
 

 ふつうに世間から弁護士と間違えられてしまう国家資格の筆頭。

 アイデアやブランドなどをつかさどる、知的財産権の守護神…… それが「弁理士」という職業です。

 そんな弁理士のひとりが、内に外にツッコミを入れまくる!

 

  ある弁理士の本音

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2008年3月31日 (月)

人間様の「おごりたかぶり」

 昨日午前0時に、メールマガジンの復活号を配信いたしました。

 

 今のところ、幸いにも、面白いというご感想ばかりいただいておりますが、それを真に受けてイイんですかねぇ。ホントに……。 勘違いしてしまいますよ。

 賛否両論の「賛」ばかりではないはずですけどねぇ…… もちろん、ムリヤリけなされたところで、当方はどうしたもんか困ってしまうんですが。

 なにはともあれ、復活を喜んでくださる方の存在を感じられて、ありがたいです。

 

 来週は、「ウィークリーながみね」という実験コーナーにおいて、2回目にして最大の無謀な実験を敢行します。

 この私が、調子に乗って、小説を書き始めちゃいますぜ。(^^;

 高校時代には星新一にハマったものの、最後に読んだ小説が「パラサイト・イブ」(古っ)である私に、はたして小説を書く資格があるものか?

 もともと理科好きで、SFぐらいしか読んどらんばってんが……。 今回の企画は、いったい何と呼べばいいものやら。

 法律SF小説?  そんなもん成立するのか。

 じつは、結末は思いついてるんですが、そこに至るまでの筋書きというんですか? そいつがあんまり固まってないんですよ。 文字通り、本末転倒です。

 そうして半年以上あたためてきて、さらに最近気になるのは、話がなんだか「デスノート」っぽくなってきとるってことです。 こりゃドエライ恥ずかしいぞと。

 もちろん、まったく違うテーマを設定して最初は出発してるはずなんですが、なんだかんだで、行き着く先は「デスノート」もどきなのか……。 ガッカリ。

 恥ずかしいと同時に、悔しいなと。 しょせんナガミネだなと。

 まぁ、これから小出しに配信していきながら、この問題作の筋書きを少しずつイジっていこうと思います。 どうしても他の原稿の片手間になってしまいますけど、いつか形になるといいなぁ~(他人事)。

 

 集英社新書「イカの哲学」を読みました。

 飽きっぽい私の場合、大半の本は途中で読むのを中断してしまいます。 結局は何度かにわけて読了するのですが、ひさびさに一気にスパッと読める本に出会えましたね。 うれしいっす。

 たしかに、何が言いたいのか意図が見えにくい部分もありますよ。 でも一貫したワクワク感がある。 これは大事です。 しかめっツラして書かなきゃ本じゃない、みたいな風潮を、うまく吹き飛ばしていて、爽快感すらあります。

 最も納得できたのは、「人間尊重主義に対する疑いのまなざし」です。 人間尊重主義の行き過ぎが、環境破壊と戦争を生む。 ……これは心にしみます。

 人間様によるイカ漁というのは、イカの群れにとっては、突然の「大量殺戮」以外のナニモノでもない。 海面に巨大な網を投げ入れられるというのは、まるで核兵器を落とされたようなダメージを受けるというのです。 イカたちの感覚では。

 「万物の霊長」などと調子に乗ってる、ヒト目ヒト科ヒトどもよ。 もっと謙虚になれ。

 お前が銃を向けている相手は、かけがえのない生命のひとつなのだ。 お前が銃を向けようとする衝動も、かの者を征服・支配したいという欲求も、生命における本能的な反応である。

 背後には、気が遠くなるほど繰り返されてきたDNAの交換・つながりといった営みがあるのだ。 そのへんをどれだけ想像できているか。 国際法や軍事規律などといった、外部から課される掟だけでなく、実存する生命において、実感としての内面から訴えかけていく。

 お前が気軽に食べているコンビニ弁当は、生命の犠牲が複雑に入り組んで構成されている。 そこらへんをどこまで感謝して口にできているか。

 

 となると、私がなんとなく抱いてきた、動物愛護法に対する違和感についても、少し理由が見えてきた気がします。

 

◆ 動物の愛護及び管理に関する法律 第44条(罰則)

1 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。
2 愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめることにより衰弱させる等の虐待を行つた者は、50万円以下の罰金に処する。
3 愛護動物を遺棄した者は、50万円以下の罰金に処する。
4 前3項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
  一  牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
  二  前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの

 

 

 もちろん、犬や猫など、「かわいいかわいい」と、多くの人間様からの人気を集める生物だけでなく、牛や豚などの家畜とされる生物も「愛護動物」の定義に入れた点は十分に評価できます。

 人間様の都合を最優先としてきた法の伝統的な発想から抜け出す第一歩、まだ途中なんだろうな、というのもわかります。

 しかし、あえてモノ申したい!

 動物愛護法44条4項に列挙された名前以外に、「愛護」すべき生物は、はたして本当にいないのでしょうか。

 ほ乳類だの魚類だの、無脊椎動物だの…… こんなもん、人間様が勝手に決めた分類でしょう。

 研究者の人間に向かって、水を飛ばしてからかうタコもいるらしいです。このタコは「遊び」というものを知っているわけです。

 野生のアメリカカケスという鳥は、木の実を盗まれないよう、密かに隠し場所を移動させたりして、仲間の鳥をだますといいます。

 小さな魚の群れだって、規模のあるカタマリを構成するためには、個々の魚がある種の論理的思考をしていなければ不可能だともいわれます。

 もし、ヒトの知能の高さ・複雑さが、人間尊重主義の基本的な根拠とするなら、これら「非愛護動物」に見られる知性の片鱗について、いかに落とし前をつけるでしょうか。

 人間様の都合で対象を分断する、いびつな「愛護」が、かえって生きとし生けるものの軽視を生むのではないでしょうか。

 魚類を愛護動物に含むとなったら、釣り師が困る? そのへんは、動物愛護法44条1項「みだりに」の解釈の問題として処理すれば済むんじゃないですか。

 つまり、釣りは、魚を「みだりに殺す」「みだりに傷つける」ことに含まないと解釈することも、可能性としてはありうるでしょ。

 

 昆虫や植物、菌類なども一般的に「愛護」されていいはずですし、みだりに傷つけるものに対する罰則だってあって構わないでしょう。 昭和天皇は「『雑草』という言葉は好きでない」とおっしゃったそうです。

 雑草もいのちなのですから、庭を草むしりした後には、死骸に手を合わせるとか……。 変ですかね? たしかに一般常識からは変ですよね。

 雑草と呼ばれる植物たちも、温室効果ガスである二酸化炭素を酸素に変換し、人間様に貢献しているのです。 たとえ人間尊重主義を貫く立場でだって、植物は人間様の寵愛を注がれてしかるべきでしょう。

 もちろん植物は、空気中の酸素濃度を維持する営みが人間様のためだなんて認識していません。 単に光合成で生じた排泄物を出しているだけです。

 私は、死んだり枯れたりするのが過剰に悲しくて、熱帯魚とか飼えないし、観葉植物も育てられないのです。

 もちろん、動物とか植物は大好きなんですけど、直接ふれあうというより、ある程度距離を取って、遠くで観察しているほうが性に合ってます。

 世話よりも観察のほうが安心する性格って、そのむかし、動物から何かひどい目に遭わされたトラウマか……? と思ったりもするのですが、特には思い出せません。

 でも、めでたくベランダつきの部屋に引っ越せたし、この春からは、トマトとかゴーヤとか育ててみたいなぁと、ほのかに思ってますね。 そうなると、取材などで長い間自宅を離れづらくなりますので、それも困るのですが……。

 

 私は化石好きですけど、大自然とか天体とか、そういうものに対する「愛護」の精神だって、あってもいいですよね。

 恐竜のレプリカ骨格でもいいですし、水族館のジンベイザメでもいいですし、頂上が見えないほど高い山でも結構ですし、気が遠くなるほど遠い天体に思いをはせるのもいいでしょう。

 人間たちは、まるで自然を征服したような気分にひたっていますが、そんなのムリムリ。 目で見え肌に感じる範囲だけ認識して済ませてるだけです。

 自然界に限らず、あえて人工物でも構いませんが、「圧倒的に壮大な存在」すなわち「ロマンshine」を繰り返し見せつけられれば、子どもたちの非行も意外と減るんじゃないかと思ってます。 もちろん、それだけじゃダメでしょうけど。

 
 

>>> マケドニアの裁判所、はちみつ盗んだクマに有罪判決

 マケドニア南部ビトラの裁判所は、養蜂家からはちみつを盗んだクマに有罪判決を下した。ただ、クマには所有者がおらず、保護動物にも指定されていることから、養蜂家に対しては国が14万デナール(約35万円)の損害賠償を支払うよう命じている。

 勝訴した養蜂家はドネブニク紙に対し「クマが怖がると聞いたので、撃退するために照明や音楽を使った。そのために発電機を買い、辺りを照らして音楽をかけた」と語った。

 ただ、その後の数週間は効果があったものの、発電機が使えなくなって音楽がやむと「クマは再びミツバチの巣箱を襲ってきた」という。

 クマの居場所などの情報は明らかになっていない。(2008年3月17日 ロイター)


 

 こういうニュースを見て、「バカじゃないか」と考える日本人って、きっと多いと思うんです。 人間さまの理屈でクマを裁くって……。

 これは、人間尊重主義の行き過ぎなのか。 それとも、クマの知性もヒトのそれと変わらないという、「イカの哲学」的な認識における現象なのか……。

 はちみつを採取する都合で、それを妨害したクマを裁いているみたいですから、前者のようなニオイもしますけど。

 

 そうそう。 私は、こんな子どもの話を聞いたことがあります。

 たしか小学2年ぐらいの男児らしいのですが、飼っていたミドリガメが死んでしまって、それで部屋にこもってビービー泣いていたそうなんです。

 母親がなだめつつ、ミドリガメを小箱に入れ、近所のキンモクセイの木の下に埋めに行こうと男児を引っ張っていったのですが、そいつ、さらに大声あげてワンワン泣きさけぶんですよ。

 で、母親が理由を聞いたら、なんて答えたと思います? そのガキ。

 

 「箱が埋められたら、箱がかわいそう!」

 「箱も死ぬ!」ですって。

 

 ……ほんと、バカじゃないの? 単なる紙箱にまで感情移入して。

 その男児、オトナになったら案の定、組織のなかでは使い物にならず、今では個人でおかしな文章を書いて売る仕事なんかしてて、現実社会に適応するかしないかギリギリの、ヤクザな生活をしてるんですって。 ムリもないですよね~。

 あぁ、そういえば、こんな私もゴキブリや蚊を見つけたら殺してしまうわなぁ……。 やっぱり、人間尊重主義の思想に片足つっこんでいます。

 どうやら、この業からは、なかなか逃れられないようですな。 にんげんだもの。

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2008年3月24日 (月)

冒険企画への船出! 「裁判傍聴マガジン」創刊!

 きたる3月28日(金曜日)、イースト・プレス社が、かなり冒険的なものを世に送り出します。

 去年の段階で企画書を拝見したかぎりでは、「はたして、こういう雑誌がビジネス的に成り立つのか?」 「まさか創刊号が休刊号になるのでは?」と、きわめて失礼な心配をしてしまいました。

 その名も「裁判傍聴マガジン」!!

 書名だけだと、「誰が読むの?」と、チョイ不安になりますが、き、きっと大丈夫なはず!

 裁判所もれっきとしたお役所であり、平日の昼間しかオープンしてないんですよね。 つまり、平日に休みを取る一部のサービス業でもない限り、まっとうな会社員の方が裁判傍聴を行うというのは極めて難しいのであります。

 なにせ、法廷を一度も傍聴をしたことがない日本人が、全体の約88%を占めるという現状がありますから。(※ナガミネの妄想アンケートより引用)

 なので、読者層を「傍聴マニアの皆さん」のみに絞れば、たちまちこの企画は破綻します。 もっと広く、傍聴未経験者が目を通して「楽しい」と思っていただくのが至上命題でしょう。

 ただ、そこはイースト・プレスさん、手ぬかりはありません。

 裁判傍聴というニッチワールドでは知らない人のいない、おなじみの北尾トロさん、阿曽山大噴火さん、「霞っ子クラブ」のユキさんも登場されるそうです。 きっと、こういった方々の記事を読めば、読者の皆さんも、ちょっぴり傍聴した気分に浸れるのではないでしょうか。

 また、映画「それでもボクはやってない」の周防正行監督や、外交官で作家の佐藤優さん、ベストセラー「反転」著者の田中森一さん、ノンフィクション作家の森達也さん、などなど! 皆さんにもおなじみの、そうそうたる顔ぶれが並びます。

 これだけの人物が誌面に登場していながら、しかも、私にも書かせてくれるなんて、勇気ある会社だなぁ。 よーし、ガンバっちゃうぞ。

 やっぱり、どこの誰のマネでもないこの冒険誌が、今後少しでも末長く続いていくほうがうれしいですし、長い目で見れば私にもトクがあるかなと。

 面白さでしか動かない、こんな32歳児の私も、自分の損得についてクールに考えられるようになりました。 成長しました。

 

 そんな成長したナガミネは、裁判員制度について書くようにお願いされました。

 ホントのことを言うと、裁判員制度そのものに興味や関心があるわけじゃーないのです。それは先方さんにも伝えています。

 たしかに「1億人の裁判員予備校」という企画を、2005年末の段階で立てたのは事実ですが、それも決して「書いてみたい!」という衝動から始まったものではなく……

 日本人の誰もが重大犯罪の裁判に関与する可能性がある、という一大事です。 なので、いずれメディアで裁判員制度は大きく採り上げられ、世間さまの話題にものぼってくるのは、まず間違いないかなーという……、私にしては珍しく、需要と供給をシビアに意識し、情勢を冷静に分析した結果です。

 すいません。言い過ぎました。 たまには、こういうカッコイイことも言わせてくださいな。 いちおう毛の生えそろったオトナですから。

 

 ただ、書く側のテンションが上がらない「裁判員制度」という素材を、まな板のうえに載せたはイイものの……

 さぁ困りました。 書いている側が面白いと思えないモノなのに、読む人が面白いと思ってくれるはず、と望むのは、スジ違いですよね。

 どうにかして、自分のテンションを上げて調理せねば! しかし、どうサバけばいいのやら……、調理方法に困りに困った挙げ句の果てが、今回のような原稿の仕上がりです。

 あいかわらず、バカなことも書いてました。 読み返した自分があきれるほど。 ラクガキかと思った。

 もちろんバカは修正せず、プレーンなままお届けします。 め・し・あ・が・れheart02

 それにしても、担当してくださった編集者の方には、いろいろな面でかなり助けられました。 「面白いモノを出したい」という情熱も伝わってきますし、どうもありがとうございます。

 「裁判傍聴マガジン」うまく行くといいな~。 皆さんも店頭で見かけたら、パラパラめくってみてください。

 明日あたりに、見本誌がウチに届くそうですので、届き次第、こっそり写真を載せます。

  

 あ、そうそう、きのう東京に戻ってきましたよ。 取材先でのホテル代も出す二重生活(?)で、これだけ頻繁に自宅を空けとると、毎月家賃を払ってるのがチョイもったいなく思えてきますね。 われながらセコビッチだぜ。 


 【 ↓ 2008/03/28 こっそり画像をアップロード】

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