住民票コードと免許証番号の違い?
「法治国家つまみぐい」の有料メルマガで、住基ネット訴訟について書いているんですが、その関連で調べていたら、このような興味深い文を発見しました。
名前は他者も自分も自分を参照する際に用いるという対称性が存在する関係のもとで用いられる。これに対して、番号は一方的に参照される関係での『名前』であり、人間関係でいえば対等性を意味する『参照の対称性』を前提としていない。番号で自分を参照することを自分はしない。(「『IT化』によって自覚される社会関係と対称性」藤本一男 氏 作新学院大学 人間文化学部紀要より)
これが、私たちに付されている11桁の住民票コードに対して、人々が抱く根元的な違和感だということです。
つまり、『田中一郎』という名前で呼ばれれば、自分が呼ばれていることはわかるが、『12345678901』と示されても、自分を指している記号だとは分からない。しかし相手は自分を指す記号として使っている。しかも、その番号は生まれてから死ぬまで不変だという。この場合、田中さんは疎外されている感覚を持ってしまう、ということでしょうか。
たとえば、学級単位で付けられる児童や生徒の出席番号は、1年ごとに入れ替わるわけですし、自分でも何番か把握できるのですから、番号で識別されても違和感を持つことはありません。それに、出席番号は、番号そのもので個人を識別するというより、便宜上、生徒らをその順番に並べるという使われ方をしますけれど。
免許証番号やクレジット番号の場合はどうでしょうか。特に免許証番号は、再発行の際に下1桁が変更される以外は一生不変である点では、住民票コードと似ています。しかし、警察やクレジット会社から、その番号で個人を識別されることに対しての違和感は、それほどありませんよね。なぜなんでしょうか。
おそらく運転免許証は、いわば自分が乗用車を運転できる地位に付着するものですから、個人の属性とまでは感じないのでしょうね。そこが違和感の薄い原因かもしれません。
2003年の初登場以来、とてつもなく普及が低調な住基カードですが、今後、民間利用が解放されるようになれば、保険証や通行証代わりに使われるなど、日常生活に無くてはならない一枚となるのでしょう。そうなれば、ますます住民票コードが個人に付着するものになりますね。
番号で識別されるその違和感に慣れれば、かなり便利な世の中が実現しそうなんですが。私は、どちらかといえば住基ネットに賛成派です。その意見は、ただいま執筆中の有料メルマガにもにじみ出ているかと思います。
でも、慣れていく自分に対して違和感を持ったりして。……それは、あんまり『慣れ』とは言わんか。
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