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2005年7月14日 (木)

著書廃棄訴訟 「つくる会」側の逆転勝訴の見通し

>>> 「つくる会」関係者著作の図書館蔵書処分は違法 最高裁

 市立図書館の司書が、「新しい歴史教科書をつくる会」や関係者の著作などを処分したことが違法かどうかが争われた訴訟で、最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)は14日、「公立図書館は住民のほか著者にとっても公的な場で、著者には思想や意見を伝えるという法的に保護される利益がある」との初判断を示した。「職員の独断的な評価や個人的な好みで著書を廃棄することは、著者の利益を不当に損なうものだ」として、つくる会側の主張を退けた二審・東京高裁判決を破棄。審理を同高裁に差し戻した。

 第一小法廷は、著者の思想の自由や表現の自由が憲法で保障された基本的人権であることを重視。「著者が意見などを伝える利益は、法的保護に値する人格的利益だ」と位置づけ、「図書の廃棄は著者の人格的利益を侵害し、違法」と結論づけた。 (朝日新聞)


 千葉・船橋市立西図書館による「つくる会」著書 集中廃棄問題


 【 事実関係 】

 2001年8月、船橋市立西図書館が、「新しい歴史教科書をつくる会」が扶桑社から出版した教科書執筆者の著書を廃棄処分していたことが、翌年4月に一部新聞で報じられた。
 同市教育委員会の調査では、同図書館はこの評論家らの著書を45冊所蔵していたが、このうち44冊を廃棄した。同図書館は毎年9月、蔵書の虫干しをするのに合わせて破損した本や貸し出し回数の少ない本を処分しているという。原告の著書以外で廃棄されたのは、西部邁氏(評論家)の著書43冊と渡部昇一氏(上智大学名誉教授)の著書25冊など。

 

(図書館 臨時記者発表)2002/05/10
 平成13年8月に除籍された541冊(内訳 一般図書170冊、児童図書17冊、雑誌354冊)の除籍理由については、職員からの事情聴取の中で判断しましたが、一般図書170冊のうち63冊、児童図書17冊、雑誌354冊は、船橋市図書館資料除籍基準に基づき除籍したものでありました。

 しかし、一般図書107冊については、利用が低下しているものや、受入れ年月日の古いものなどがありましたが、除籍理由を明確にすることは出来ませんでした。

(除籍の内訳)  (除籍数)  (基準に基づいた除籍) (不 明)
 一般図書     170冊       63冊         107冊
 児童図書      17冊       17冊           0冊
 雑  誌      354冊      354冊           0冊

廃棄書籍リスト (「正論」2002/06)

【 司法判断 】

●2002/08/13 提訴
  原 告 : 著者ら8名 新しい歴史教科書をつくる会
  被 告 : 図書館 担当司書
  請求額 : 一人当たり300万円
  根 拠 : 憲法違反、名誉毀損、著作者人格権の侵害

●2003/09/09 第一審判決 東京地裁

 司書による廃棄について、「決して一時の偶発的行為ではなく、周到な準備をした上で計画的に実行された行為であることが明らか」、「市が定めた除籍基準を無視し、個人的な好き嫌いの判断によって大量の図書館の蔵書を除籍し廃棄して船橋市の公的財産を不当に損壊したもの」であると認定し、船橋市に対しても「責任の所在を曖昧
にしたまま幕を引こうとしており、このような被告船橋市の姿勢に原告らが強く反発するのも理解し得ないではない」との見解を示した。

 しかし、損害賠償請求については、「司書によって除籍等がなされた図書は、すべて船橋市が購入して所有し管理していたものであって、原告らの所有・管理に属するものではなく、これらの蔵書をどのように取り扱うかは、原則として被告船橋市の自由裁量にまかされているところであり、仮に、これを除籍するなどした
としても、それが直ちにその著者との関係で違法になることはないと考えられる」として、原告側の訴えを退けている。


●2004/03/03 控訴審判決 東京高裁

 本控訴審判決は、事実認定および原審にて既に争われた論点については原審判決を採用した上で、追加の控訴趣意に対して、
 (1) 検閲とは行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、発表前にその審査をした上、不適当と認めるものの発表を禁止することをいうものと解されるから、本件除籍等はこれに該当しない。
 (2) 不合理な差別的取扱いを受けたとしても、それについて不法行為が成立するためには、控訴人らに侵害されるべき法的権利ないし法的保護に値する利益が存することが前提となるから、取扱いが不合理であることにより直ちに損害賠償請求権が発生するとは解されず、控訴人らの主張は採用できない。
 (3) 公貸権は、控訴人らの主張によれば、書籍が図書館に所蔵され閲覧に供されることにより著作者らが被る経済的不利益に関する議論であり、本件で侵害されたとする控訴人らの利益が法的権利ないし法的に保護されるべきものであることを直接根拠づけるような内容にまでその議論が及んでいるとは理解し難い。
 との判断を下し、控訴棄却を言い渡した。

 (「つくる会」HPより)


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2005/06/02  上告審 口頭弁論 
          (最高裁第一小法廷 横尾和子裁判長)


 13:20 入廷して傍聴席の2列目中央に着席。原告(上告人)席には、すでに西尾幹二氏と井沢元彦氏の姿があった。被上告人席にも、弁護人などの関係者が5名ほどスタンバイしている。

 きょろきょろ見回すと、傍聴席には若い学生さんらしき人も混じっている。最高裁の入り口で金属探知器を通るとき、「今日は、大学生の人も傍聴に来てらっしゃいますけど、授業か何かですか」と警備員さんに聞かれてしまったのを思い出した。「いえ、私ひとりです」と答えたのだが、今年三十路を迎える私が、学生に見られている場合ではない。おそらく、ラフすぎる服装のせいだろう。

 13:30 5人の最高裁判事が入廷し、全員が起立して一礼。裁判長が両当事者に対して、上告趣意書と答弁書の陳述を確認した後、他に陳述することは無いかと促した。

 まずは西尾氏が起立して口を開く。3つの点について述べたいと前置きして弁論を開始。

 
■ 判決についての個人的印象

 日本国の公立図書館から、著書を処分されるというのは計り知れない屈辱。公的機関から差別されたという屈辱である。

■ 歴史的・公的意見として

 廃棄された私の著書9冊のうち7冊は、「つくる会」発足以前のもので、人生論について書いたような内容である。それらを無差別に廃棄されたというのでは、なんらかの組織に属していることが悪いことのようにされる。これは集団の罪や全体主義と質的に同じ。
 

■ 焚書とはなにか

 歴史の抹殺である。一国の人々を抹殺するには、その人々の記憶を消し去り、新しい記憶を植え付ければいい、といわれる。それが本を消す、歴史を消すということにつながっていく。
 少し大げさな話になるが、スペインは「闇の歴史」を背負ってしまったがために、先進国としてなかなか表に出て来られない。スペイン軍によるインディオの侵略については「インディアスの破壊についての簡潔な報告」(岩波書店)に詳しい。イギリスやオランダは、そのことについて世界に広めていったが、スペインは反論の書を書かなかったために、最大級の自虐国家となってしまった。

 敗戦直後の日本で、検閲があったのは知られているが、焚書もされたことはあまり知られていない。なぜ、日本が戦争に突入していかなければならなかったのか、その自己弁護すらできなかったのである。どこか強くつながる問題ではないか。

 本件は、左翼イデオロギーによる、相当犯意の濃い、個人でなく団体の罪である。


 
 次に、西尾氏とは少し主張根拠が違うということで、井沢氏も弁論。
 

 これは、民主主義に対する挑戦である。相手が自分と違う意見を述べても、それを認めるのがルールであり、出版された内容を自由に読めなければ意味がない。
 歴史上、数多くの焚書がなされてきて、ナチスドイツによるそれが最後かと思っていたが、今回の事件である。

 私は船橋市在住で、10年以上住民税を払っている市民である。まさか、そんな身近で焚書が行われるとは思わなかった。市からの謝罪もない。ただ、これは個人的憤懣についてであり、大した問題ではないが。

 これを認めれば、たとえば訴訟の相手方を支持する判決文が気に入らなければ処分することも可能ということになってしまう。この野蛮な行為に対して、厳しく処断されることを望む。右とか左とかではなく、民主主義に基づく最低限のルールを問題としているのだ。

 最後に弁護人から。


 本件は船橋市民の知る権利を侵害しかねない問題。なにも、図書館に対して、ある著書を購入せよと求めているわけではない。もともと図書館員によって広く閲覧に供されていた蔵書を、司書が単なる好き嫌いで処分したことを指摘したい。

 図書館利用者からの「最近、あの本が無いね」という素朴な申し出を不当に無視した。単なる司書一個人の問題ではなく、広く、公立図書館の健全な運営の問題である。また、一公務員の意図で、言論が不当に妨げられてはならないという、民主主義の問題でもある。

 地裁や高裁が、旧来からの意識にとらわれすぎ、高い見識を見せてこなかったのはまことに遺憾である。こうして最高裁が弁論を開いてくださったことに、深く敬意を表するものである。


 被上告人からは、「答弁書の通り」とのことで、特に口頭で述べられることはなかった。

 判決期日は、7月14日午前10時30分と指定され、13:50に閉廷した。

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コメント

最高裁、原告が勝ったようですね。
判決文はざっと読みましたが、私としては、下級審の判決の方がしっくり来ました。

最高裁判決、いかが思われましたか?
ぜひ、ご感想をお聞かせください。

投稿: marines | 2005年7月25日 (月) 22:08

 最高裁は原告が勝った形ですけど、まだ差し戻し審が残っていますので、予断を許しません。

 うーむ。難しい問題ですけど、個人の好き嫌いで廃棄を判断したと認定しておきながら、結局は裁量論で切った下級審の言いぐさは、しっくりどころか、一見バランスを取っているように見せかけた詭弁じゃなかろうかと思いました。

 著書は図書館の所有とか管理下にあって、著者のものではないとか、んなこた分かりきっとります。では、所有権があるから、図書館は自由に処分できるんでしょうか。
 その書物を図書館に所有せしめたのは税金ですから、私たちが共有すべき財産です。それを司書が選り好みして公共施設を私物化できるとは、やっぱりいい商売ですね。オレも公務員試験受けとけばよかった。

 図書館にもキャパシティというのがあるでしょうから、国会図書館でもない限り、出版された本をすべて置くわけにはいきません。だから、どの本を置くかは、たしかに各自治体の裁量で結構なのかもしれません。過去に「天皇コラージュ」事件の原告は、作品を置いてもらえなかったことを理由に最高裁まで争いながらも敗訴しています。しかし、本件は性質が違います。もともとそこに置いてあった本を廃棄しているんです。

 ただ、「つくる会」側の争い方もどうなのかなぁ、と。そりゃ、自分の著書を正当に扱ってほしいというのは、物書きとしての素朴な願いでしょう。図書館の利用者に借りて読んでもらったところで、著書の売り上げや印税収入が増えることには必ずしも直結しませんし。減ることはあっても。
 それだけに惜しかったなという印象を受けます。金銭賠償でなく、処分の無効確認とか義務づけといった行政訴訟のアプローチで迫っていれば、より世間的にも支持されやすかったような気もしますので。

 まぁ、最高裁が国家賠償法上の違法性に言及しちゃいましたからねぇ。これからはそっち方向でいくのでしょう。

投稿: みそしる | 2005年7月25日 (月) 23:55

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