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2005年11月21日 (月)

子供の未来を断つ行為

>>> 胎児死亡:交通事故の影響で 加害者は致死罪に問われず

 妊娠9カ月で交通事故の被害に遭った女性(30)が事故の影響で胎児を失った。加害者を業務上過失致死罪に問えるか否か--。札幌地検は検討を重ねた結果、致死罪での立件を断念し、けがをした女性と夫(31)に対する業務上過失傷害罪で加害者を起訴した。胎児は帝王切開で生まれ、11時間の命だった。「胎児に人権はないのか」。夫妻は釈然としない思いを抱き続けている。

 ◇「胎児に人権はないのか」

 胎児は女の子。仮死状態で取り出され、人工呼吸で息を吹き返したが、翌朝、夫妻の目の前で息を引き取った。「手の中でどんどん冷たくなっていった。それが子供に触れた最初で最後。何もしてあげられなかった」。夫は無念の思いを口にする。妻は意見陳述書に「苦しい思いだけさせて死なせてしまい、涙を流して娘に謝りました」とつづった。2人の初めての子供。春に生まれるからと名前を「桜子」と決め、ベビーベッドや服も用意していた。

 事故は03年12月、札幌市東区で起きた。年末の買い出しに出かけた帰り道、凍結路面でハンドル操作を誤った対向車が中央線を越え、夫妻の車に衝突。運転席の夫は鼻骨骨折、妻は左手骨折の上、下腹部を強く圧迫された。

 事件を自ら担当した札幌地検の依田隆文交通部長にとっても初のケースだった。法務省刑事局にも照会したが、致死罪での立件は困難との結論に達した。「刑法上、『人』として扱われるのは母体から胎児の一部が露出した時点から。今回のケースは母体内で危害を受け、生後11時間で死亡したため、『人』として扱えない。過失規定のない堕胎罪とのバランスも考えた」と説明する。

 「私たちは法の範囲でしか動けず、感情で押し切れない。しかし、医学の進歩に法律がついていっていないのかもしれない……」。依田部長は胸の内を語った。

 加害者の男(35)を今年9月、起訴した。論告に「十分人間と呼ぶに足りる状態だった胎児を死に至らせた結果は極めて重大」と記載し、禁固2年を求刑した。判決は11月末に言い渡される。

 夫は地検の配慮に感謝しつつも、「今の刑法は胎児の人権を担保していない」と悔しさをにじませる。事故後、精神的に不安定になった妻を支えるため仕事を辞めた。現在は小児医療に携わろうと大学に通う。

 交通事故の影響で早産で生まれた女児が36時間後に死亡したケースで、秋田地裁は79年の判決で「刑法上、女児は『人』になったと言えず、胎児の延長上にある」として業務上過失致死罪を適用しない判断を示した。

 北海道大大学院法学研究科の小名木明宏教授(刑法)の話 胎児は生物学的には「ヒト」だが、刑法上の「人」として扱うのは難しい。現行刑法を変えるとすれば、全体のバランスをとるために大手術が必要だ。「ヒト」はいつから「人」として扱われるか、どのように扱われるべきかを幅広い視点で考えるべき時期に来ているのは確かだ。(毎日新聞)2005/11/13

 
 
 法解釈作業の主なものとしては、条文にある言葉の意味を、通常よりも広げるか狭めるかの決定があります。本件と関連させて申し上げれば、刑法上の「人」に、出産前の胎児は含まれておらず、通常の意味で使われる「人」よりも狭い意味で用いられている、というわけです。

 あるいは、裁判所は、ヒトのDNAを持つ生命体に「人」としての資格を与える線引きを、常識的な認識よりもズラしている、という言い方もできそうですね。

 ただ、こういう特殊操作が行われれば行われるほど、「常識の延長上にあるべき法律が、常識から乖離してどうするんだ」「単なる言葉遊びだ」などの批判が増えてくることになります。その批判は正当なものですが、時代の流れや定着した世論に即した法改正が遅れている場合(or議員センセイが怠慢で放置している場合)には、なんとか妥当な結論をひねくり出すためにも、仕方なく司法が言葉遊びをせざるをえない、という側面もあります。

 まず、そこを踏まえておかないと、この問題の難しさはなかなか伝わらないかな、と思っております。

 じつは、刑法上の「人」の定義は、現行の刑法典に書かれているわけではありません。胎児の身体が一部でも母体の外に出れば、他者からの攻撃対象になりうるのだから、その時点で「人」として扱って保護しよう、という「一部露出説」を、明治時代に司法府が宣言し、その原則論が現在まで連綿と息づいているにすぎません。

 だったら、判例を変更して定義しなおせばいいじゃないか。子供が無事に産まれて育つかどうかも紙一重で「7つになるまでは神のうち」とされたのも遠い昔。医学の発達によって、胎児が無事に出産まで至る確率は格段に上がっている。
 しかも、生命の神秘にこれだけ科学のメスが入り込み、公害や交通がこれだけ大がかりになった危険極まりない時代なんだから、もはや、卵子が受精した時点で「人」にしないと保護したことにはならん。それが21世紀だぜ、バイオてくのろじーだぜ……ということにはなるんですが……。

 「人」の定義を変えるということは、法体系の「全体のバランス」を崩すおそれがあると、記事中で北大大学院の先生はおっしゃっています。

◆ 刑法 第212条(堕胎)
 妊娠中の女子が薬物を用い、又はその他の方法により、堕胎したときは、1年以下の懲役に処する。

◆ 刑法 第213条(同意堕胎及び同致死傷)
 女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させた者は、2年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させた者は、3月以上5年以下の懲役に処する。

◆ 刑法 第214条(業務上堕胎及び同致死傷)
 医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、3月以上5年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させたときは、6月以上7年以下の懲役に処する。

◆ 刑法 第215条(不同意堕胎)
1 女子の嘱託を受けないで、又はその承諾を得ないで堕胎させた者は、6月以上7年以下の懲役に処する。
2 前項の罪の未遂は、罰する。

◆ 刑法 第216条(不同意堕胎致死傷)
 前条の罪を犯し、よって女子を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。
 
 
 
 一連の「堕胎の罪」でございます。「女子(母親)」への配慮はございますが、堕胎で母体外に押し出され掻き出されした胎児については、何も書かれていません。そもそも、殺人罪よりもはるかに軽い刑罰が設定されているのですから、胎児の生命を断つ行為は、その程度のものだと。胎児を「人」として扱っていないことは明らかです。

 たしかに、これをもって「法的に、胎児はほったらかしにすべきなのだ」とも読めます。しかし、胎児について刑法で特に触れられていないということは、具体的な運用は司法府に委ねられている、と捉えることも可能なはずです。

 各種堕胎罪が成立する場合、その堕胎させた医師(場合によっては母親)には、加えて胎児についての殺人罪が成立する……と考えることも、論理的には禁じられていません。交通事故を起こして胎児を死亡させた点につき、業務上過失致死罪で摘発することも同様です。刑法改正は不要で、単に「一部露出説」と呼ばれる大審院・最高裁判例、その事実上の重しが、現場の裁判官や検察官の背中に乗っかっているだけなのです。
 ただ、それだけなのですが、その重さが想像を絶するものなのでしょう。上で、ご紹介した事件では、胎児への犯罪を成立させることは断念し、父母に対する業務上過失傷害の公判の中で、「胎児の生命を奪った責任」について検察官が言及するという手法を採りました。苦肉の策です。
 
 悩んだのはわかりますよ。わかりますけどねぇ。なぜ、司法試験が法律系の国家試験で最も難しいとされているのか。それは、頭に詰め込んだ知識の蓄積だけでなく、今ある法律を駆使して、新しい事態にどれだけ対処できるか、どこまで現代社会の空気を読めるか、も問われているからです。少なくとも、私はそう認識しております。

 秋田地裁の判例が記事中で紹介されていますが、その後に、胎児性水俣病に関する最高裁判例が出ています。そこでは、胎児の際に原因行為(この場合は有機水銀が体内に入ること)があって、その影響が出生後に顕在化した場合には、出生した「人」について業務上過失致死傷罪の成立を認めているのです。この論法を借りれば、胎児の際に原因行為(交通事故)があった本件でも、同罪での立件は十分に可能だろうと考えられます。

 もともと、堕胎罪での検挙は少なく、年に1回あるかないかの頻度です。妊婦が事故にあって胎児が傷害を負い、あるいは死亡するという事態は、堕胎行為よりは発生頻度が高いとみられますが、立法府で堕胎罪廃止の可能性も含めた適切な刑法改正がなされるまでの経過措置だとすれば、大きな問題は生じないのではないか、と思うんですけれども、やっぱり、そこは「最高裁チルドレン」。親が設定した一部露出説という正解に逆らうわけにはいかないのですよね。司法試験や司法修習制度が彼らに少しずつ投与してきた薬の効果は絶大です。

 人工妊娠中絶は、原則は堕胎罪なんだけれども、母体保護法で掲げられた条件を満たしているのなら例外的に処罰しない、違法性はない、という取り扱いになっています。それを「原則は殺人罪なんだけれども……」と変更しするならば、ルーチン的に中絶を担当し、感覚が麻痺しつつある、一部の医師や看護師の方々への心理的効果も期待できるかもしれません。しかも、理論的にイジってみただけで、どっちみち不処罰という結論は変わらないのだから、具体的に生ずる問題も少ないでしょう。

 かつて、メルマガでは大きく採り上げて特集しましたが、昨年7月、横浜の産婦人科医院で、中絶胎児の遺体が一般ゴミに混ぜられて捨てられていたことが発覚しました。それで院長が逮捕されたわけですが、その容疑が「廃棄物処理法違反」とは、これいかに。
 「荼毘に付したときに、お骨が残るギリギリの線」ということで、12週に達している胎児であれば、その遺体は墓地埋葬法で埋葬されるべき対象となっており、放置した者は刑法上の死体遺棄罪に問われます。しかし、12週に満たない胎児の遺体は、あろうことか「感染性の産業廃棄物」。つまり、血に染まったゴミというわけですな。法律上は家畜の死骸と同じ扱いなのです。ものすごい、アクロバチックなバランス感覚です。一瞬、中国雑伎団かと思いました。

 もちろん、一般論として法体系の理論的なバランスは大切ですよ。しかし、そのバランスは、社会の共通認識になりつつあるものを軽視・無視してまで成り立たせるべきものなのでしょうか。ぜひ、立法・行政・司法が連携して対処していただきたい問題です。
 

 いやぁ、判例・通説に久々に噛みついて、ちょっとドキドキです。各方面からの鋭いツッコミ、お待ちしております。
 

 いよいよ明日、宮崎さんちのツトムくんの上告審口頭弁論が行われます。最高裁に問い合わせたところ、「おそらく傍聴券は抽選になるだろう」とのことでした。11月22日はバイトを休もうと、夏ごろから決めていた私。

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コメント

すばらしいですよ(≧□≦)!!!!
泣きたくなるほどの、素晴らしい噛み付きっぷりでした。突っ込むところは1文字もなかった。。。
恐ろしく激しく同感しますです。

「人体の不思議展」に行かれましたか?私は行って、一番感動したのが、胎児の立派な人間としての形や機能についての展示でした。そのことを思い出しました。。。

みそしるさんの論じる力と言葉の使い方、尊敬してしまいますよ。ほんとに。オラにもその力をわけてくれ~(> <)♪♪です。

じゃぁ、私の力を送っときます。
傍聴券取れますように!!
カメハメハー!! ( *゚ロ゚)ハ ⊂☆===≡≡≡)))☆

投稿: 月下美人☆ | 2005年11月22日 (火) 12:52

まずは釈迦に説法になってしまいますけどおきまりの批判がてら争点の確認を。
長嶺さんの援用される胎児性水俣病に関する最高裁判例については、前提としての母体侵害説に対する批判(自己堕胎罪との関係)とその先の錯誤論チックな解釈に対する批判(実行行為時に客体は存在しないということと、錯誤論は実際に傷害を加えたその人以外への傷害の結果をも帰責させるものではないということ)がありますから、長嶺さんのお考えではこれらをそのまま背負って立つことになります。
恐らく小名木教授いや記者が最判を挙げなかったのもこの批判までは紙面にのっからないからでしょう。
原因行為とおっしゃっておられますので恐らくご反論がおありでしょうけど私は学者でないのでこの辺で勘弁して下さい。これ以上はネタ切れです。もうブロック吐き出せません(笑)。
上記批判を背負って立つ勇気に乾杯というか完敗です。
さて刑法学説は言いだしっぺの学者におまかせしまして、オリジナリティのある批判をしてみたいと思います。
結論から申し上げて私は通説どおり立法を待つべきとの見解に立つのですが、(どこがオリジナリティ?)私と長嶺さんの見解の相違は結局どこから生じているのかということを考えました。
で、見つかりました。「社会の共通認識になりつつあるものを軽視・無視してまで成り立たせるべきものなのでしょうか。」というところです。
いや、私とてこの問いへの答えは否です。
問題は「社会の共通認識になりつつある」ととらえるか否かです。
恐らく社会は「卵子が受精した時点で「人」にしないと保護したことにはならん。」とは思っていないと思うのですよ。「胎児に人権はないのか」という問いに究極的には是と答える社会なのだと思います。
だって死刑制度反対を声高に叫ぶコテコテの人権派だって胎児の生命よりも女性の人生設計を優先するじゃないですか。伝聞例外よろしく刑法は母体保護法の例外みたいになってますし。他方で動物愛護なんてことはどんどん進んでいきます。
法律上というより社会自体がアクロバチックなバランス感覚を有しているわけで、その意味でこの論点について言えば立法司法行政は正常に機能している気がします。
こうやってみると私は血も涙もない人間にみえますね。でも、私も本当は「卵子が受精した時点で「人」にしないと保護したことにはならん。」と考える人間なんです。死刑制度反対を声高に叫びながら女性の人生設計と胎児の人権についていつも悩んでいました。バランスのとれた動物愛護というのも昨今の私の問題意識です。どうですか!誉めてください!!(笑)
ただ、刑罰が国家によるもっとも重大な人権の制約であるということを考えると刑罰法規の解釈にはどうしても慎重になってしまうのです。
社会として「胎児の人権」という問題についてコンセンサスが得られているとはいえない以上、司法が社会のアクロバチックなバランス感覚に勝手に手を加えて刑罰法規を適用することは越権であると思うわけです。
普段は私、議員センセイにはすこぶる厳しいのですが今回に関してはさほどその様に感じません。民意が煮詰まっていないというか社会自体が未だこの論点に対して問題意識を持っていない、いや目をそむけているようにすら感じられるのです。
刑法学者の先生方(通説)も恐らくこのようなことを考えておられるのではないでしょうか。
でも口から出るのは「罪刑法定主義に反する。」
も~。素直じゃないんだから!!

はじめてのコメントのくせに長文で思いっきり噛み付いて本当にすいません。

投稿: 山本 | 2005年11月22日 (火) 18:26

冒頭に「はじめまして。いつも拝見いたしておりましたが、ずっと気になっていた問題でしたのではじめてコメントさせていただきます。」
という文を入れるはずでしたが、消えてしまいました。いきなりなんて不躾なヤツだと思われたことでしょう。申し訳ないです。

投稿: 山本 | 2005年11月22日 (火) 18:31

>月下美人☆さま

 傍聴券ですが、なんと外してしまいました……。倍率は2倍足らずで、ハズレを引く人間のほうが少ないにもかかわらずです。これは逆に、運がいいのかもしれません。

 せっかく、かめはめ波でくじ運を送っていただいたのに、活かせず無念です。でも、これに懲りず、次の機会もお願いします。(笑)
 
 「人体の不思議展」は、福岡でも開催されたことがあったんですが、行くチャンスを逃してしまいました。塾講師時代に観に行った生徒がいて、「怖かったけど、すごく良かった。理科の先生なのに、まだ観てないんですか?」と言われてしまいました。痛いところを……。

 
>山本さま

 はじめまして。いつも読んでくださっているそうで、本当にありがとうございます。

 罰則規定の適用は慎重に、というご指摘は、たしかにその通りだと頷きましたし、胎児性水俣病判例についての批判を採り上げてくださったのも「なるほど、そういえば、そういうのもあったかも」と記憶の喚起になりました。
 学界から、じつに重たい一連の批判がありますよね。ただ、「実行行為時に客体は存在しない」という批判文は、ここで挙げていただいても仕方がありません。私はそのときに客体が存在していると考えているんですから。

 それに、どんな批判があろうと判例は判例ですし。って、判例批判をしている人間が言うセリフじゃないですね。雑な反論ですみません……。私は、学者から批判がくるのを承知で、あえてあの判決を出した、勇気ある当時の裁判官の皆さんに乾杯したいと思います。

 また、「胎児の人権」という憲法上(?)の問題と、「刑法211条にいう『人』に胎児は含まれるか」という問題は、いちおう分けておかないと混乱してしまいます。さらに、「胎児も人間だ」「いや、そうは思えない」という世間の素朴な意識についても、分けて捉える必要があります。これら三者が根底で相互に関連している可能性があるのは確かですが、やはり次元の違う問題というべきだからです。

 そのうえで、「胎児も人間」という意識が社会の共通認識になりつつある、などという事実は無い、と山本さんがおっしゃることについて、私からは「そうなんですか」としか申し上げようがないのです。

 犠牲となった子供の父親が「胎児の人権」と言及されたのは、憲法や各種思想を念頭に置いていたというよりも、「わが娘の死を、人間の死としてほしい」という、親として当然の叫びや嘆きが反映されたもの、と考えるのが自然ではなかろうかと思っています。

 「胎児の人権」って何なんですかね。信教の自由や居住移転の自由もあるんですか? 母親のお腹を蹴るのは、胎児による表現の自由の発露ですか。それはおっしゃるとおり、さすがにコンセンサス得られてませんよ。法人の人権と似たようなものなんでしょうか。

 「人間社会自体がアクロバチックなバランス感覚を有している」というご意見には、まったく異論ございません。同感です。それは自然界にもあてはまることでしょうけれども。
 ただ、12週未満の胎児の遺体を「廃棄物」とする運用を指して「アクロバチックなバランス感覚」と評したのは、単なる皮肉のつもりです。失礼いたしました。皮肉だと読みとれない書き方をした私に責任があります。

 バランスどころか、とっくに一輪車の上から落ちて頭を強打しているといえるほど、この問題に関する現行法体系は破綻しています。ただ、廃棄物処理法違反にでもしておかないと、元院長は無罪放免となりますので、訴追する立場としては、破綻しているとわかっていながらドロ舟に乗るしかなかったんでしょうね。


 山本さん、もっと思いっきり噛みついていいですよ。って、どんなプレイだか。 コメントをお寄せくださって、ありがとうございました。

投稿: みそしる | 2005年11月22日 (火) 21:43

お言葉に甘えて…
行為時に客体が存在しないというのは、胎児に対しての行為ではなく母体の一部に対する行為と考える見解に対する批判です。従って行為時に客体(すなわち傷害の客体としての胎児)が存在していると考えておられるならば、確かにこの批判は妥当しません。
しかし、この判例は行為時の客体は母体と考え結果発生時の客体は生まれた子と考える見解に立ちますから、結果の生じた客体(生まれた子)は行為時に客体としては存在していないのでそもそも傷害罪を認めることはできないという批判も妥当します。
あ、今気づきました。「客体が存在しない」ではなく「客体としては存在しない」ですね。
失礼しました。
私としては必罰的な感情に流され過失堕胎の問題などにおいて被告人に不利な類推として罪刑法定主義に反するとの批判もある母体侵害説を採用してしまう裁判官をもった国民に献杯します。(気を悪くされたらお詫びします。)

さて、「胎児の人権」についてですが、この話は私としては「社会の共通認識になりつつあるか否か」という論点に話を絞るべく、「世間の素朴な意識」のレベルの話として論じたつもりです。立法論といってもいいでしょう。「人権」というのは新聞記事を引用したいわば象徴的なものにすぎず、憲法上の人権享有主体性の話ではありません。
法は民意を反映するものでなければいけないという理屈をかませてその民意を論じたかったのです。
だから法解釈を離れました。「刑法学説は言いだしっぺの学者におまかせしまして、オリジナリティのある批判」「立法を待つべき」と申し上げたのはそういう意味です。
あまりにも言葉が足らな過ぎました。行間を読ませるのは学者の特権ということを失念しておりました。申し訳ない。

犠牲となった子供の父親の胸のうちを思えば、私だって心が痛みます。
でも、その感情を強く感じつつ(これが大事)他方でそれをある意味で押し殺すようなことが刑罰法規解釈や刑事手続きには求められます。
だってそれが多数から『少数者』の人権を守るということであり、我々は人権を尊重する社会をつくると決めたのですから。
もっとも、今は立法論を論じるレベルです。
そうすると今度は私がこの事件にどう思うかということでなく、社会が(具体的なその子でなく一般的抽象的な)胎児をどのように扱うべきと考えているのかという話になります。
で、先程のコメントの「恐らく社会は」につながっていくわけです。

ところで、「アクロバチックなバランス感覚」という言葉、私は気に入ってますよ。長嶺節というか。
もっとも、「現行法体系は破綻しています」とのご意見には賛同いたしかねますが。
私に言わせれば破綻しているのは現行法体系ではなく我々の生命倫理です。法体系としては一部露出説でギリギリのラインを引くことで体系は保っています。(当不当は別にして。というか当不当の話になった瞬間立法論へ移行する。)
横浜の産婦人科の件にしたって、やむを得ず廃棄物処理法違反にしたのではなく、12週に満たない胎児の遺体は廃棄物と扱うことを社会が望んでいるように思います。
だってその遺体のほとんどは人工中絶のものですし、あれほどワイドショーで騒がれたにもかかわらず既に議論は下火だし、立法の解決はなされずにいます。現行法は国民の宗教的感情へ配慮して12週というラインを設けており、あの事件を受けてもなお社会はそれを追認したと見るべきなのではないでしょうか。
もしかしたら、私の意見は権威主義的にうつるかも知れません。
しかし、先程も述べた通り私の個人的な感情はというか、~べき論は長嶺さんと共通していると思っています。
長嶺さんと私の違いは、「破綻」を法に帰責させるか社会に帰責させるかの違いに過ぎないのだと思います。

とまあ、長嶺さんのありがたいおことばを真に受けて一度ならず二度までも長々とやってしまったわけですが、私がリップサ-ビスを真に受けた礼儀知らずの「粘着クン」になっていたら気にせずおっしゃって下さいね。

投稿: 山本 | 2005年11月23日 (水) 01:06

 どうもありがとうございます。勝手ながら、ちょっと整理してみます。

1.水俣病最高裁判決

 「必罰的な感情に流され」と感想を書いてらっしゃいますが、果たしてそこまでのものなのかと、少し疑問です。胎児のままで力尽き、結果として流産となってしまった場合は、この最高裁の基準でも処罰できないのでしょうから。
 死亡が母体内かその外かで、そこまで差をつけるべきものなのかなぁ、と個人的には思いますが。少し脱線ですね。

 「被告人に不利な類推」とも書いておられますが、何をどう類推しているでしょうか。どちらかというと拡張解釈のような気もします。少し細かいですかね。
 
 
2.横浜の産婦人科医院

 「12週に満たない胎児の遺体は廃棄物と扱うことを社会が望んでいるように思います」とのことですが、本当ですか? そう断定なさるわりには、山本さんの書かれている理由付けが消極的といいますか、消去法的なものばかり並んでいますので、気になりました。
 それに、今の時点で立法解決を済ませておくべきと要求するのは、タイムリミットが厳しくありませんかね。政府も問題意識を持っているでしょう。

 この問題に限らず、報道されなくなった話題は、よっぽど自分の生活に密接に関連するテーマでもない限り、世間というものは普通は忘れてしまうものです。私だってそうです。それを責めるのは酷ですよ。
 旬を過ぎた話題を、わざわざ井戸端や居酒屋で議論しないものですから。ただ、尋ねられたときに、ひとこと意見を出せるようにはしておきたいものですね。
 
 
 山本さんのコメントのおかげで、だいぶ問題が整理されてきて楽しくなってきました。

投稿: みそしる | 2005年11月23日 (水) 22:37

せっかく長嶺さんにお返事いただいたのに遅くなって申し訳ないです…。
「死亡が母体内かその外かで、そこまで差をつけるべきものなのかなぁ」
私もそう思います。
私の本音は刑法上の人の始期は受精時と考えるべきというところにあります。
しかし私の本音とは裏腹に、法に反映されるべき民意は、依然として堕胎罪が存置されていること、母体保護法と刑法の原則と例外の事実上の逆転、横浜の産婦人科医事件後にも立法がなされていないこと等にかんがみて、一部露出説を事実上追認している、とそう思うのです。
確かに「報道されなくなった話題は、よっぽど自分の生活に密接に関連するテーマでもない限り、世間というものは普通は忘れてしまうもの」かもしれません。
しかし世間が忘れる前に解決が図られるものもあります。危険運転致死罪の創設や道交法の様々な改正(運転中の携帯電話の使用など)や、ちょっと古いものでは日栄商工ローン事件に伴う出資法利息制限法の改正などがそうです。
そして刑法上の人の始期の論点とこれら一応の立法解決が試みられた論点の違いは、社会での価値観にずれが著しいというところにあるように思います。(これは女性の自己決定権との関係で思い悩み同一人格内でずれを生じさせていた私の痛感するところであります。)
つまり民意が始期を早めるべきとするものと現状維持とすべきとするものとに割れたままでは立法による解決は困難です。
ただ、割れた民意も議論を経ることで一応の統合は図れますから、不可能というわけではありません。(議論すらロクになされない立法解決もありますけど。)
ところが、この論点についてはそれすらなされません。
同一人格内でずれを生じさせていた私としては、まあ気持ちはわかるのですが、ともあれ社会は「とりあえず放置」を決め込んでいるわけで、これを私は「事実上の追認」とか「社会が望んでいる」と呼びます。

今回の件にしたって何も「人の始期」にまで波及させなくとも妊婦傷害罪や過失妊婦傷害罪あるいは業務上過失妊婦傷害罪(仮称)があればよかった。
で、法解釈のレベルで言えばそんな状態で恐れていた事件が起き再び騒ぎ出した社会に司法が過剰に反応して独自の解釈をもって被告人を処罰することが果たして妥当かということです。
(妥当でないというのが私の意見であり、それが「必罰的な感情」という言葉の意味するところです。なお必罰的な感情とは、当該その事件について必要以上に着目したものであることを非難しているわけですから他のケースへあてはめた結論は批判とはなりません。)

国家の刑罰権行使には常に被告人の人権という反対利益がついてまわります。他方、この問題について社会というか国家(被告人にしてみれば同じ)は立法をもって解決しえた。被告人にしてみれば「放置を決め込んだのはオメーらだろ」と。その声にどう反論するかです。(ちなみにここは立法論を論じています。)
タイムリミットが厳しいというのはだめです。厳しくするというのが罪刑法定主義です。

さて、私としては、最早この問題は司法による解決の限界を超えており(法解釈による解決に早々に見切りをつけ)、立法解決を図るしかないという結論に至りました。
立法解決というと簡単に聞こえますが、この四字熟語(?)には問題意識をもつ人間一人一人が考え世論を喚起してそれを民意にまで高めるという壮大なスケールのポエムが凝縮されています。
話せばわかる、とは思っていませんが、私のポエムに一応のご賛同はいただけるという淡い期待を、「尋ねられたときに、ひとこと意見を出せるようにはしておきたい」とのお言葉、ひいては一人一人の考えを公表する場であり、またこのようにコメントにお返事をいただき問題点を整理いただくなどすることでその一人一人の考えをより論理的なものにしてゆく場でもあり、さらに世論喚起の端緒ともなりうるこのブログの存在に感じています。

あ…
「被告人に不利な類推」というのは母体侵害説一般になされる批判で(第三者による)過失堕胎が可罰的となってしまう可能性を指しています。判例に対する直接の批判ではないのですが、母体侵害説を採用したということで。
…締りがわるくなってしまいました。
締りがわるくなったついでにもうひとこと。
人の始期を受精時とすると人口妊娠中絶の違法性阻却は怪しくなってきますね。(純粋な行為無価値に立つならともかく。)
それにそうなるとまんま胎児の人権享有主体性の話から母体保護法に憲法違反の疑いも出てくる。母親の自己決定権(本当は強姦以外は性交時に一度自己決定しているわけでその後の中絶も同等に保護に値する自己決定権かどうか。)と他者(胎児)の生命ですから。原告は父親かな?
あれ?でも刑法の文言解釈が憲法に波及するなんて…
私のポエムは前途多難です。

今後も楽しみに読ませていただきます。
また山本が懲りずにコメントしてきたら適当に遊んでくださるととてもうれしいです。

投稿: 山本 | 2005年11月27日 (日) 01:37

 法律論はともかく、社会を真っ正面から語ろうとするときに面倒なのは、客観的なデータを調べておかなければ、印象だけではキリがなくなってしまう点だと思ってます。

 山本さんはそういう議論がお好きなのかもしれないとお見受けしますが、実は私、よっぽどの必要性(≒文章が面白くなるという確信)がない限り、このブログで社会現象を分析するのをわざと避けて(逃げて)おります。更新するたびに図書館に行っていたら時間も金も足りませんし……。

 このブログが、沈静化した世論を喚起させるきっかけになりうるということですか。なんだか褒めていただきすぎで、非常にくすぐったいのですが、ありがたいお言葉を頂戴いたしました。
 マスコミが流す旬の話題に乗っかれば、多かれ少なかれアクセス数が増えるのは分かってるんですけどねぇ……。たとえば、今でしたら耐震計算書偽造の問題に絡めて、瑕疵担保責任や工作物責任について書くとかできますけど。それをやらない理由は、ただ単に面白く書く自信がないだけです。

 人の始期を受精時とすると、人工妊娠中絶の違法性阻却は怪しくなりますか。やっぱり「原則は殺人の実行行為だけれども……」という構成はムチャですかね。
 それくらいの脅し文句を入れていたほうが、安易な中絶を減らす副次作用も期待できるかと。どんな事情をもって「安易」と責めるかは難しいですが。

 どーでもいいですけど、胎児に自己決定権があったら怖いですよね。「この親のもとに生まれるのは、やーめた」とか。でも、これぞ真の平等です。(笑)

 また、コメントください。お待ちしてます。

投稿: みそしる | 2005年11月27日 (日) 09:26

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猪口邦子少子化担当相は、児童手当や待機児童解消のための保育所整備費など少子化対策関連予算の拡充に積極的に取り組むことを宣言した。 この報道についての夫婦の意見 【妻の意見】 猪口さんも結局「ありきたりな政策」しか打ち出せなかったな。お嬢様育ちで学者で、ダンナ... [続きを読む]

受信: 2005年11月23日 (水) 11:28

» 大阪のミイラは語る [気になること]
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受信: 2007年5月20日 (日) 18:32

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