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2005年12月20日 (火)

裁判員制度… 誰にどんなメリットが?

 今年2月に内閣府が行った世論調査によりますと、国民が裁判員制度について知りたいことの第3位に「裁判員制度が導入される意義」がランクインしております。要するに、「なぜ、どうしてこんなもんを導入するのか??」 「誰がトクして、誰がどう喜ぶのか??」、このミステリーに関してです。

 2001年の司法改革審議会「意見書」によると、法科大学院や基本法の大改正などを含めたいろんな司法改革が行われるのは「国民の統治客体意識から統治主体意識の転換を基底的前提とするとともに、そうした転換を促そうとするものである」とのことです。そして「統治者としての政府観から脱して、国民自らが統治に重い責任を負い、そうした国民に応える政府への転換である」と語っています。

 すんごい抽象的で、わかりにくいのですが、「日本国民は受け身過ぎる。もっと国の在り方に参加してくれよ」というわけです。ただし、参加しないヤツは刑罰で脅してでも裁判所に引っぱってくるわけで、「統治主体意識」が聞いてあきれます。

 さらに「国民のための司法を、国民自らが実現し、支えなければならない」ということです。プロは「国民のための司法」の実現をあきらめてしまわれたのでしょうか。がっかり。

 「裁判員制度」(平凡社新書)の著者、関西学院大学法科大学院教授 丸田隆氏によると、「国民が重要な権力機構に主体的に参加するのは民主主義の前提(参加することに価値がある)であるし、主権者たる国民の権利であり義務でもある」と述べています。
 国会議員を選ぶ選挙については、たしかにそのとおりでしょうが、「参加することに価値がある」という一種のアマチュアリズムは、司法権についてはあてはまらないと私は考えます。

 社会の「あるべき姿」「よりよい姿」という、答えが明らかでないものを、国家は2つのアプローチで探します。

 ひとつは「主権者(国民)の全員一致or多数決原理」です。とにかく、多数から支持されることが目的で、理屈や妥協はその手段です。それで国民にとってマズい結果になったら、次の選挙で修正することが期待でき、そういった経験の積み重ねで「あるべき姿」を目指すことができます。この手続はたしかに「国民がひとりでも多く参加することそのものに価値がある」というべきかもしれません。

 しかし、多数決原理からこぼれた少数者がいます。その言い分を拾い上げるのが裁判所の役割のひとつです。裁判所は、法律を基盤に「論理」「推論」の積み重ねで「あるべき姿」を目指します。そして、判決で出された結論の、いちおうの正しさを担保するものが「判決理由」ということになります。
 そんな手続の中に一般人が食い込むとしたら、ワケがわからないことを、見栄を張らずに「わからない」と鋭くツッコんだり、「日常生活で養った健全な感覚」をもとに、推論のパターンを増やしうる発言などをしてくださらないと、具体的な効果が期待できないわけで、とても「参加することに意義がある」とは言いがたい領域です。

 私はてっきり「判決の間違い(誤判)を減らす」のが、裁判員制度の意義だと思っていました。しかし、そんなことは全く言われず、ご立派だけど得体の知れない抽象概念でお茶を濁す始末。

 人をバカにしちゃいけません。「普通の感覚」を持った庶民は、「統治主体意識」「民主主義の前提」なんていう、無味無臭のスローガンでは決して動きません。もっと具体的なメリットはないのでしょうか。それとも、国民にメリットがないと最初から分かっているから、罰則でムリヤリ引っぱってくるしかないのでしょうか。全国の店舗や施設の経営者が「どうしたらお客さまに一度二度と訪れていただけるか」と、サービスに腐心するこの時代、気楽なもんです。

 日本の司法改革がアメリカ政府からの指示・圧力で行われていることは、「拒否できない日本」(文春新書)の中で詳しく分析されています。しかし意外にも、裁判員制度はアメリカからの要求ではなかったんですね。「年次改革要望書」には、アメリカ経済界が日本に進出しやすくするための布石である、弁護士増員・商法改正などは載せられていますが……。せっかく当たりを付けて調べていたのに、少し拍子抜けしました。

 1994年6月に、経済同友会が「現代日本社会の病理と処方」と題して司法改革を提言し、その中で「国民の司法参加」についても触れられています。アメリカからの手紙「年次改革要望書」は、この年から太平洋を渡って送りつけられているんですが、「国民の司法参加」という、この問題意識は、国内で自然に盛り上がってきたものなのでしょうか。

 一方、2003年の衆院選に際してのマニフェストで、「裁判員制度」という大衆による裁判関与について、最も詳しく熱心に採り上げていたのは、自民でも民主でもなく、公明党らしい……という情報をネットで見つけました。これは、当時のマニフェストを入手して、実際に比較検討をしてみなければならないようです。
 それにしても公明党って……。私、ヤバいところを掘り進めてない? ダイジョーブかぁ?




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裁判員制度を裁く!」カテゴリの記事

コメント

 お久しぶりです。

 私は「裁判員制度」については制度の思想的にも、日本人の国民性を考えても、定着させるどころか、国民の手で破綻させるべき制度だと考えています。
 そもそも、日本人の政治意識は投票率や、検察審査員の出席率を考えても非常に低いのですが、もしこんな社会状況で、重罪事件を対象に「裁判員制度」を導入するというのだからとんでもないものです。国民に対してガンジガラメの罰則規定を設けておかないと、国民の相次ぐ制度への協力拒否、そして、重罪事件の刑事裁判が停滞し、ひいては日本国の国際的信用に関わる重大問題になることになるためです。すなわち、裁判員制度は「罰則先にありき」にならざるを得ない構造になっているのです。まして、人命に関わる重罪事件の刑事裁判(数学的に近い証明が特に求められる)を一般のアマチュア市民に扱わせるのは、いわば「ヤブ医者に手術をさせる」と同等。犯罪行為といってもいいのではないでしょうか?

 私は「国民の司法参加」を行うとすれば、「司法審査員制度(トラックバック先参照)」はできないか?と考えております。

投稿: 高野 善通 | 2005年12月26日 (月) 22:16

 ごぶさたしております。いつも、貴重なご意見ありがとうございます。

 「国民性」という言葉はとっても便利で、私もしばしば使わせてもらうんですが、「日本人の国民性」と思われている特徴は、たいてい同様のものが他国にもあったり、ある地方ではあてはまらなかったりします。アメリカでも、陪審召喚状で呼び出された国民の10%前後しか、裁判所に来ないといいます。

 なので、裁判員制度を批判する根拠として「国民性」を持ち出すのは、あまり強くないと思うんです。数々のデメリットを押しのけてでも、裁判員制度を導入するメリット(個人的には誤判の回避可能性)が上回っていれば、私は無理に同制度に反対の声をあげるつもりはございません。

 その観点から、高野様の持論であります「司法審査員」をみてみますと、どうしても、あえて導入すべきメリットが見えてこないのです。
 すでに国民審査の制度が日本にある以上、こっちをもっと国民の皆さんに注目していただき、より実効性あるものにすることが先決ではなかろうか、と考えています。

 一方で、「司法審査員」の選出方法いかんによっては、参加意識の低迷など、裁判員制度と同様のデメリットが生じるのではないでしょうか。

 司法権をガチンコで改革するのって、難しいですよね。どうすりゃいいんでしょうか。

投稿: みそしる | 2005年12月27日 (火) 01:55

 再びコメントいたします。

 制度推進派が「誤審の可能性を減らすための裁判員制度」という論理を国民に説明しても、まるで説得力はないと思います。というのも、捜査情報は警察や検察が権力者の立場で発表するものばかり、しかもそれを大手メディアが視聴率本位、商業主義的に報道する姿勢ですから、市民にとって誤審の可能性がかえって増大するのではないでしょうか?
 この構造的問題点が極端な形で出てしまったのが例の「松本サリン事件」で、警察から一方的に出される捜査情報、それを無批判的に信じてなおかつ犯人探し本位の姿勢で報道したメディアのせいで、妻がサリンの被害に遭った上に、自身が容疑者扱いされた河野さんという二重の被害者を出してしまったのです。これが裁判員制度の元で行われたら、と考えると身の毛もよだつ思いがあります。

 ちなみに、私が考える「司法審査員」については、国民審査と連動することに意義があると考えているのですが、制度を導入した場合、議決の方式の問題、メディアの取り上げ方の問題など、課題が多くなることが想像されます。

投稿: 高野 善通 | 2005年12月29日 (木) 15:41

 コメントがたいへん遅れまして失礼いたしました。

 記事を読んでいただければわかっていただけるものと思いますが、私は「推進派」「反対派」いずれにも所属しておりません。今はいろんな資料を集めている最中で、けものか鳥か、どちらに付くべきか揺れている段階です。強いて言うなら「条件つき推進」というコウモリ状態でしょうか。

 今から新しい制度を導入するのなら、「誤判を減らす」という目的がくっついていないと意義に欠ける、というスタンスです。今の刑事裁判には、訴追側に不当に有利な運用がされ、誤判の温床と指摘されている制度がいくつもあります。ここに書き並べるのがウンザリするほど大量に。
 本来は、司法関係者が自主的に改善すべき課題ですが、長年そのままになってきました。そこで「お客さんが訪ねてくるなら、前もって散らかった部屋を片づける」という人の習性を根拠に、一般の裁判員に理解できない怪しげな法運用をなくして、外から見える刑事手続を実現してもらおう、という目論見も制度導入のキッカケのひとつであります。たしかに本末転倒ですが、現状を打開するには仕方のないことです。

 メディアの報道姿勢は、メディア自身の責任ですし、目を惹くキャッチーな提灯記事を好んで買って商売を成立させてきた読者・視聴者・スポンサーの責任です。それを裁判員制度の批判にスリカエていただくのは困ります。
 たとえ、テレビの前で発泡酒片手に「オマエがやったんだろうが、白状せえや」と思っていたとしても、裁判員として具体的な証拠を前にしながら、さまざまな社会的背景を背負った他の8人の意見を聞いているうちに、偏見が緩和されていく可能性は決して絵空事ではありません。


 たしかに河野さんのときの報道はヒドかったです。私が記憶している限りですが、あるニュース番組で、専門家が「材料を1秒間に何千回もかきまわすような特殊な装置がないとサリンはつくれない。農薬等だけでは無理」とコメントしているのに、キャスターは半ば無視して先に進める始末。別に、私は当時から河野さんの無実を確信していたわけではありませんが、すでに捜査の強引さに違和感を抱いていたのはたしかです。

 メディアが最初から容疑者を犯人と決めつけて叩く姿勢もキライですし、裁判員制度を最初から悪者と決めつけるのも、あまり好みではありません。それでも、絶対に裁判員になりたくないポリシーをお持ちの方は、それで結構だと思います。実際に制度が開始されれば、任務を避ける抜け道はいくらでも見つかってくるでしょう。

 私は「人を裁く自信はないが、選ばれてしまったので仕方なく……」という消極的な裁判員の皆さんに、誤判を回避するための基礎的な法律知識や有益な情報をご提供するお手伝いができれば、と思っています。ただ、「基礎的」と思われる情報量が膨大なので、「このままで本当にやっていけるのかな」という心配もいなめないのですが……。

投稿: みそしる | 2006年1月13日 (金) 13:42

今回の裁判員制度導入が、ご指摘の通り経済同友会など、経済界いわばエスタブリッシュメントの側から勧められてきたことひとつをとっても、とても国民の納得するような形にはならないことは明らかです。また、司法改革審議会の意見書からすると、これは「司法の逆切れ」に近いものがありますね。「やれ裁判に期間がかかりすぎるだの、誤審だのつべこべ言うんならお前らやってみろ」という感じです。何か新しい事を始めるには、常に困難が伴うということを差し引いても、私は、裁判員制度導入は、時期尚早だと考えます。その前にやることがたくさんあるからです。私の経験、そして最近中村修二氏が青色LED裁判に関する著書でも指摘していたことですが、日本では極力証人出廷が押さえられ、ほとんど書面で判断しようとする傾向があります。一方裁判官が本当に書面を読んだのかどうか確認する手だてがありません。裁判傍聴を多くしている方ならご存知かもしれませんが、本当に起きているか寝ているかどうか分からない裁判官もいますし、裁判そのものも、書面の同意か、不同意かだけかが話し合われ数十分で終わってしまうものがほとんどです。その前提事項として警察、検察が作る書類は膨大な量です。ちょっとした知能犯事件であれば、その書類の厚みは1メートル位になります。証人出廷を増やせば、恐らく書類の量は半分以下になると思いますがなかなかそうは行きません。検察官は、基本的に自分が描いたストーリーから1ミリも動く事を好まず、そのため、想定外の議論に発展する可能性がある証人出廷を要請しないのです。色々な本に書かれているのでご存知だと思いますが、当局が取る供述調書は、供述者が、権利意識の強い人じゃなければほとんど作文です。調べが始まる前に7割は出来上がっているのです。話が横道に逸れましたが、国民の司法参加の第一段階として、証人出廷をより多くするというのが筋ではないかと思います。それは、警察の書類の軽減、街頭活動の増加にもつながる訳ですから一石二鳥です。
 次の意見も、前の意見につながるのですが、証人もしたことのない人、つまりこれまで司法に全く興味も、関わりもなかった人に重要事件を裁かせるのはやはり酷だと思うのです。刑事事件のかなりの数が窃盗であることを考慮しても、一般事件で裁判員制度をテストして、修正すべき点は修正しながら、その後重要事件でも導入していくというのが筋だと思うのですがどうでしょうか。私が今回の制度導入を「司法の逆切れ」と考えるのはそういう点からです。どうも本質的な意味で国民に司法を根付かせようと言う意図が見えてきません。
 それともう一点。日本では未だに推定無罪の原則が根付いていないことと、マスコミもあえてそれを無視している点が気になります。多くの人が逮捕イコール犯罪者と考えます。逮捕は「疑う理由があり、また逮捕する必要があるから」ということを、司法の側そしてマスコミがちゃんと説明せねばなりません。少なくとも裁判が始まるまでは冷静に情勢を見据える必要があると思います。堀江事件にも言えますが、まだ裁判が始まってない段階で、彼が、留置場で何を言っただの、そういう情報をリークするのは全く言語道断です。
 付け加えますが、私は、物事を考える上で「素人」がいるとは思えません。ルーティンで忙殺される司法関係者より、一般の人の方がより柔軟で深い洞察をする可能性は十分あると思います。しかし制度において素人であるために、結局、力のある側(裁判官、大企業、政治、マスコミに形成された世論)に沿う判断をせざるを得ず、結局導入前のやり方の真ん中にクッションをおいただけということになりかねないのです。司法関係者が本当にポジティブな意味で同制度を推進したいというのであれば、今ある問題点を一つ一つずつ解決していく必要があると思うのです。

投稿: ソクラテ | 2006年2月27日 (月) 06:11

 お返事が遅れまして、大変もうしわけありません。コメントありがとうございました。

 もともと日本の刑事裁判は、民事や行政事件と比べてそれほど時間がかかるものではないんですけどね。むしろ、重大事件ならば、じっくり腰を据えて時間をかけるべきです。
 新しく導入された整理手続を使って、重大事件まで驚異的なスピードアップをはかろうとしているようですが、ソクラテさんのおっしゃるとおり、裁判員にあまり時間を取らせられないのなら、重大事件を拙速でやるのでなく、時間をそれほどかけずに済む薬物事犯やオーバーステイ等の事件から手をつけていくのが筋でしょう。

 近ごろ「ひょっとして、裁判員制度を犯罪抑止力にでもしようとしてるんじゃないか?」と、皮肉や冗談抜きで考えます。「シロートに裁かれるのを嫌がって、凶悪犯罪が減る」という、ミョーな狙いでもあるんじゃないかと。

 私も同様に、裁判員制度は議論が詰められておらず、導入はまだ早いと考えています。以前にも、「どうせ裁判員を入れるんなら民事訴訟でやろうや」とも書いております。
 しかし、いずれ3年後に始まるのなら、その動かし難い枠の中で、なるべく良い方向に向かうような執筆活動ができないかな、とも考えています。格好よく言えば「ハードが変わらないのなら、ソフト面で変えてみる」のようなスタンスです。

投稿: みそしる | 2006年3月 8日 (水) 09:54

詳細はホームページをご覧ください
http://www.hpmix.com/home/fusako/index.
htm

投稿: | 2007年7月10日 (火) 15:35

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