「極刑」としての終身刑 ― 生きる刑罰
いきなり、なんとも物騒なタイトルで、すみません。
日本の大量殺人のワースト記録とされる「津山の三十人殺し」の都井睦夫(21歳)は、1938年5月、1時間足らずで30人を殺害し、猟銃自殺を遂げている。その遺書には、「僕は幻滅の悲哀を抱き、淋しくこの世を去っていきます」とある。そこで行きがけの駄賃に、日頃の恨みを晴らした。30人も殺害しておいて「身を以て償う」とは、恐るべき傲慢さではないか。
( 佐木隆三「人が人を裁くということ」より )
佐木氏は、「死刑の廃止」が持論の方です。おそらく、「誰かの命を、キサマなんぞの薄汚れた命で埋め合わせることなど、到底できまい」というニュアンスは込められていそうですね。なんとなく、武論尊先生が好きそうなセリフではあります。
こんなことを書くと誤解を受けそうなので、どんどん書いていきたいんですが、1938年と現代とでは、「生きる」という奇跡の重みが変わってきているようにも思えるんです。「生きるのがやっと」の時代に比べれば、私なんか、ロクな収入にならんのに好き勝手なこと書き散らかして、平日の昼間から観たい裁判を傍聴して、幸せなもんです。心配事といったら、来月の家賃が払えるかどうかぐらいです。
弱冠30男などが達観したフリで言うようなことではないでしょうが、たぶん、「生きる」ことのほうが辛い。小学校に乱入して、8人の未来を身勝手に奪った男は「はやく死刑にしてくれ」と懇願し、法務省もその願いにいち早く応えましたね。国家の最高刑が、犯罪者へのアフターサービスになってどうするんですか。そんなギャグ、笑えませんよ。
だとしたら、この“人生80年”時代、刑罰も見直されるべきなんです。死刑存置でも廃止でも、どっちでも構わないので、とにかく死刑より厳しい位置づけで「生きる刑罰」を置くと。
今、死刑と無期懲役(「無期」とは名ばかりで、20年かそこらで仮釈放される)の間に、だいぶ処遇の開きがあるので、その両者の間隙を埋めるべく(あるいは、死刑廃止の引き替えとして)終身刑を新設すべきかどうかが議論されています。
たしかに、終身刑はエゲツない刑罰かもしれませんね。自ら命を絶つことも許されず、残りの人生を孤独に、娯楽ひとつ無い場所でやり過ごしつづけるのです。個人的には、その「非人道性」は、絞首刑を超えていると考えています。
「死刑に犯罪抑止力はない」という、証明が事実上不可能な説を信じる方々も、恐怖の終身刑が導入されるのなら、その一般予防力に納得がいくのでしょう。また「後で冤罪だと判明した場合に取り返しが付かない」というのが、死刑という刑罰の最大の弱点ですが、受刑者を生かしておけば、その批判はなんとか弱まります。繰り返しになりますが、生きることのほうが辛いのです。
ただ、「生きる刑罰」は、この終身刑をさらにエグく発展させたものです。大勢の人々の生命を奪った者、そのひとりの命を断つことでは、犯罪被害を償うには足りないのです。そうです。そんな考えは傲慢きわまりないんですよ。だったら、奪った命のぶんだけ、受刑者には生きていてもらおうではありませんか。
人生80年です。 小学生を8人殺したのなら、ひとりにつき約70年の人生が踏みにじられたとして、受刑者には、あと560年生きていただきましょう。
アメリカなど諸外国では「禁固999年」など、しばしば冗談みたいな刑期が設定されて話題を集めます。さすがにそんな刑期を満了することなど生物学上ありえませんので、事実上の終身刑として機能しているわけです。
しかし、「生きる刑罰」は、マジです。現代医療で実現できる、ありとあらゆる延命措置を講じて、しゃにむに560年生きていただきます。もちろん、薬剤をジャブジャブ投与することによって、精神を安定・平穏に保ちながら。 これが死刑を超える最高刑、「延命刑」でございます。医学の発展にも寄与する、新時代の刑罰。「死刑は国家による殺人だ」と断じる佐木氏にも、ご納得いただけることでしょう。
ただ、「延命刑」の受刑者がすべて収容されるだけの施設規模が確保できるのか、そこは課題でしょうか。「収容しきれないから、一部を死刑に……」というのでは、なんとも人道に反しますから。
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コメント
理想論としてはありかもしれませんが、人道的 (犯罪者にこの言葉を使うのは好きではありませんが) にも経済的にも机上の空論にしかならないように思いますね。
そもそも、生活できない人間が敢えて刑務所に入って衣食住を保障してもらおうとするような世の中で、真に「生きること」が罰足りえるかどうか。
もちろん、受刑者によってその重さは異なるでしょうが。
投稿: こんぺいとう | 2006年2月13日 (月) 13:15
はじめまして。ご意見ありがとうございます。
そうですよね。何の役にも立たない机上の空論など書き散らかしてしまって、申し訳なく思っております。
死刑にすれば「権力による殺人」と言われ、終身刑でも「人道に反する」という議論がある。「じゃあ、どないせぇっちゅうねん」と考えて、いわば第3の提案をしてみた次第です。皮肉の意味も少しあります。
来年か再来年でしたか、公庫と民間で出資しあう刑務所が完成するとか。それをヒントに「延命刑」への技術提供に協力してくれる薬品メーカーや医療機器メーカーをスポンサーとして募りましょう。
スポンサーが誇る最先端のテクノロジーによって、少しでも受刑者の延命に貢献できれば、各社の製品の確かさが示されるんですから、かなりの宣伝効果が期待できるはずです。
身柄拘束中の衣食住に期待して犯罪をおかす人々については、このブログでも以前に少し書かせていただいたことがあります。
http://miso.txt-nifty.com/tsumami/2005/10/post_63a7.html
総じて彼らは、大それた事なんてできないものだと思うんです。ましてや「延命刑」の対象になるような凶悪犯罪なんて、当面の衣食住とテンビンにかけたら割に合いませんから。
投稿: みそしる | 2006年2月13日 (月) 21:47
こんばんは。
延命刑ですか…
仰りたいことは分かりますが、一般の理解を得るのは難しいかなという気がします。
むしろ死んだ後葬儀は刑務所内で済ませて、期間が終えるまで遺灰を刑務所の外に出さないというくらいの方が理解を得そうな気もします(遺灰に出る予定の西暦…2566年出獄予定を記載して渡すとか)。
史記に伍子ショが復讐相手の遺体をムチ打ったとかいう話もありますけれど、そういう感じで。
ま~、個人的にはあまり犯罪者がどう、被害者がどうなんてこだわらず、結局社会が一番得をするには死刑なのか終身刑なのか重加算刑か現行のままただ廃止するのがいいのかという観点から見ていった方がいいのではという気はしますけれど。
結局、刑事裁判のお金も税金から出ているわけですし、税金を払う者にとって有意義に使ってもらわないとと思います。
投稿: 川の果て | 2006年3月24日 (金) 23:03
こんにちは。コメントありがとうございます。
受刑者の遺骨や遺灰を社会に出さないでおく、ですとか、刑罰の費用対効果ですとか、非常に配慮されているバランスの取れたご意見で、とても気持ちよく読ませていただきました。
それにひきかえ、私はどうしてこんなバランスに欠けたことを書いてしまったんだろう、と思います。別に当時、私生活でイヤなことがあったわけでもありませんしね。(笑) むしろ充実しているぐらいです。
何の少年事件だったかは失念しましたが、数年で仮出獄された元少年が「これからは、(被害者少年)くんのぶんまで長生きしたい」など、いけしゃあしゃあとコメントしてましたね。
ああいう更生のカケラも感じられないことを言われたら、「じゃあ、本気で長生きしてみるか?」と覚悟を問いたくもなってくるわけです。が、そんな言葉にいちいち脊髄反射していてもしょうがありませんからね。
これからもよろしくお願いします。
投稿: みそしる | 2006年3月25日 (土) 09:40
犯罪者に苦しみを与えることを刑罰として認めてよいということになれば、
当然、拷問刑も認められるという理論になります
投稿: パンツにコカイン | 2006年7月24日 (月) 03:35
>パンツにコカイン 様
コメントありがとうございます。
せっかくのご指摘にお言葉を返すようで恐縮ですが、当然そういう理論にはならないかと思います。その「苦しみ」や「拷問刑」という言葉が何を指しておられるのかによります。
苦しみの無い刑罰は、刑罰の名に値しないでしょうしね。また、以前いただいたコメントにもご指摘がありますが、現実社会のほうが生きていくのに苦しくて、刑務所に居場所を求める人々が後を絶たないのだとしたら皮肉なものです。
まぁ、ともかく「延命刑」は、物語といいますか、SF小説のネタとしては少し面白いかな、という程度でしょうね。やっぱり。
投稿: みそしる | 2006年7月24日 (月) 21:41