【最高裁】元 国際派弁護士 濱田判事の後任は?
昭和17(1942)年2月11日(満64歳)
長野県出身
那須・井口法律事務所
第二東京弁護士会 所属
平成18年5月25日 最高裁判事 就任内定
1964(S39) 東京大学法学部卒
1969(S44) 司法修習修了(21期)
同年 弁護士登録
1987(S62) 第二東京弁護士会 副会長
1988(S63) 民事訴訟改善委員会 委員長
1993(H5) 研修委員会 委員長
1995(H7) 仲裁センター運営委員会 委員長
その他役職 : 日本弁護士連合会 常務理事、 花王(株)監査役、 東大法科大学院 客員教授
得意分野 : 民事・商事
この方の似顔絵は難しかったです。 3回描きなおしたのに、結局うまくいってませんからね。
それに、この写真、若すぎません? たぶん、20年か30年前のものが、ずっと「弁護士大観」に載せられたままになっている可能性もあります。 ちょっとだけ、大昔のウチの親父に似てますもんね……。
45歳にして、第二東京弁護士会の副会長を務めた実績もお持ちです。 ただねぇ、「二弁」所属の弁護士さんって……、なんと表現したらよろしいのか…………、あのー、何か意見を主張したいときには、常に「○○権」とか「△△の自由」といった、憲法に載ってるスローガンから説き起こすよう心がけてらっしゃる方々ですよね。
もちろん、それだって自由ですが。
だがしかし! 那須先生は、ちと違うようです。
そりゃ、たしかにリベラルはリベラルなんですけど、ありきたりのリベラルとは一線を画している、といった勝手な印象です。
すべての弁護士が、自分の仕事を常に『基本的人権の擁護』や『社会正義の実現』に直結させて考えているかといえば、そんなことはない。 そのように考える弁護士もいるであろうが、いずれの考え方に立つかで、弁護の質に優劣が生じるとも思われない。
外部の者から見て、弁護士の日常の業務(その中には、貸し金の回収や、家賃を払えない人に対する家屋明渡請求等も含まれている。公害の加害者である企業側に付いて弁護することもある)が、すべて基本的人権の擁護、社会正義の実現を目指しているという説明は納得しがたいだろう。
むしろ、一つひとつの弁護士業務の実践は、依頼人の個人的利益を擁護することを目的としているのであって、ただ、それらの集積が『基本的人権の擁護』や『社会正義の実現』に結びつくと説明するほうが説得力がある。 (「民事訴訟と弁護士」(信山社・初版2001年)より)
◆ 弁護士法 第1条(弁護士の使命)
1 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
てっきり「二弁」とは、カッチョイイ弁護士法1条のファンクラブなのだとばかり思っておりました。 それは偏見だったんですね。 すみませんでした。
弁護士さんが『人権擁護』だとか『社会正義』だとかいう、裸のキーワードを声高に叫べば叫ぶほど、普通に生活する人々との間に厳然としてある「溝」は、ますます深まっていく、と考えます。
ですから私は、そういう便利で美しい言葉の威光に頼って、いろんなものをごまかしたがる連中を、マユにツバを付けつつ見ております。 やっぱり、言葉よりも態度で示したいもんです。
ひとりひとりが、毎日の仕事で粛々と、依頼人の利益につながると信じることを遂行していく。 その少しずつの積み重ねが、全体として私たちの笑顔を少し増やす方向に作用する。 そういうことでしょう。
そんな那須先生のご指摘によって、「人権派」などと自称する一部の弁護士や、それを持ち上げて讃えたがる一部の人たちの、恥ずかしい独善っぷりが浮き彫りになっているような気がします。
アンタたちだけが偉いんじゃないですよ。 勘違いしないでください。 弁護士は全員「人権派」なんです。
もちろん、個々の弁護士活動が、全体として真に『社会正義』へ寄与しているかどうかについては、常に検証を怠らない姿勢が必要なのでしょう。 先日の「最高裁ドタキャン騒動」もございますしね。
我々は、弁護士法の中に弁護士の統合理念を求めるならば、弁護士法3条1項の『弁護士は、当事者その他関係人の依頼又は官公署の委嘱によつて、訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件に関する行為その他一般の法律事務を行うことを職務とする。』に行き着かざるを得ない。
弁護士の統合理念としては、あまりに平凡に過ぎて面白味がないという欠点を持つのであるが、実際のところ、弁護士はこれ以上のものでもなければ、これ以下のものでもない、と私は考える。 (前掲書)
この軽く抜いてみせた感じ。 「二弁」に、ここまで柔軟な感性をお持ちの方がいらっしゃったとは、本当にお見それしました。 やっぱり、最高裁判事にまでなる人は違うんだな。
これから「那須裁判官」の出すであろう判断を、個人的にはとっても注目しながら追ってみようと思います。 期待しておりますよ。
他にも、出来合いの枠組みにとらわれないご意見を、数々お持ちのようですね。 楽しみです。
<弁護士人口の大幅増員論>
(※年間5000人合格も視野?)
<法科大学院構想の『二弁案』に対し、あろうことか「批判的検討」を加える>
(※「二弁案」=「司法研修所の廃止」)
ダイナミックな自然科学の進歩に力負けしない弁護士や裁判官を養成することは、どうすれば可能になるのだろうか。それとも、そのようなことを望むこと自体無謀な企てなのであろうか。それにしても、せめて講義の進め方ぐらいは、自然科学の手法を応用できそうなものだ。司法試験の受験予備校では、かなり進んだ手法が採用されていると聞くが、大学の講義の実態はどうなっているのだろうか。 (法律のひろば 2000年9月号「『法曹』と弁護士」より)
<民事訴訟の「口頭主義の復活」を主張>
だいたい弁護士は尋問にさいし、証人や当事者本人に対し「聞かれたことだけに答えなさい」という助言ないし指導を長年やってきたわけだけれども、よくよく考えると、きわめて非人間的ですよね。やっぱり、しゃべりたいことをしゃべらせろという欲求があるわけです。 (「民事訴訟の過去・現在・未来」(日本評論社)…山本和彦 一橋大教授との対談より)
<謙抑的和解論>
(※和解という解決方法を、必要以上にもてはやすべきではない。和解ばかりが、当事者にとって妥当で迅速で円満な解決として役立つとは限らない、というスタンス)
和解は、裁判所が考えるほどには当事者に歓迎されていない、と言ってよい。勝訴が見込める場合でも、遅滞した審理にしびれを切らして、やむを得ず和解を受け入れることは、よく経験することである。また、敗訴の可能性が強い場合に、判決まで粘るという姿勢を示すことによって、相手方(すなわち勝訴を期待できる当事者)に、なお相当の日時と労力を必要とすることの無言の圧力をかけて和解に応じさせることも無いではない。このような場合、和解は、判決に比べて、正義の量をそれだけ目減りさせて紛争を解決していることになる。 (前掲「民事訴訟と弁護士」より)
<たとえ話が好きっぽい??>
病院の改革に患者がイニシアティブを取るかというと、それは期待できない。…………それは民事訴訟でも同じで、訴訟になる前は、誰も自分が訴訟事件に遭うとは思っていないし、訴訟手続きに巻き込まれたときは、それに対処するのが精一杯で、終わったらなるべく早く忘れようとする。だから、利用者が自ら改革に立ちあがることは期待できない分野である。そうすると、誰が改革をやらなければいけないかというと、当事者に一番近いのは弁護士であって、弁護士が訴訟手続を改革しなければならない。 (前掲「民事訴訟の過去・現在・未来」より)
そういえば、明日は5月3日の憲法記念日。 町田長官の談話に注目です。
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