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2007年12月17日 (月)

疑わしきは、被告人の利益に

 立ったり座ったり着替えたり食べたり、日常生活における大半の姿勢が苦痛です。

 「こんな何気ない姿勢にも、腰が大いに関係していたとはな。 ありがとよ、腰」と、腰に感謝する気持ち半分、「もうカンベンしてくれ、腰」と、懇願する気持ち半分。

 恥ずかしいことに、きのうの晩、ギックリ腰になってしまいまして、動けません。

 一日中、座椅子に座りっぱなしでパソコンを打ってたのがマズかったようです。立ち上がろうとして、若干からだをひねった瞬間に……、やっちゃいました。

 そういえば、おととしにも一発やられてますけど、数千円の出費が惜しい時代でしたし、カイロプラクティックに行かずに治しちゃいました。 だから、ぶりかえしてしまったのかも。

 今度こそ、痛みが治まってからでも、ちゃんと骨を矯正しておかないと怖いですね。 まだまだイケると思いこんでいても、寄る年波には勝てぬぞよ。じわじわガタが来とるんです。

 あわててネットで調べたら、2~3日の安静が必要とのことなので、今回は寝床の上で横になりながらブログを更新している失礼を、どうぞお許しください。

 脇腹を下にするポジションで寝て、ゆであがったエビのように丸まり気味でいなきゃならんそうなので、片手でキーボードを打っております。

 

 あーあ、実はですね、先週青森にいたぐらいから、少し腰の筋肉がこってる感じがしてたんですよね。 あの時点で、ホテルで素直にマッサージを頼んでおけば、こんなことにならなかったろうに。

 

 マトモに日常生活も送れない状況でして、おとなしく寝ているべきなのですが、それでも、今日は無理して裁判傍聴に行ってきました。 3年半前、埼玉県で韓国人の男性が同居中の女性を殺害したとして、一審で懲役13年を言いわたされた控訴審の判決公判です。

 開廷前、以前に雑誌で対談させていただいた北尾トロさんと、少しお話を交わしました。

 「どうなるかねぇ…… 判決」 「どうなるでしょうかねぇ」と。 北尾さんも私も、今年1月の控訴審第1回公判から今日まで、裁判を断続的に観てきました。

 マスコミではほとんど採りあげられていませんが、本件は冤罪の可能性が高いです。

 被告人は、許された滞在期間を超えて日本にいたため、最初は入管難民法容疑で逮捕されましたが、殺人容疑での再逮捕後、それまでほとんど知らなかった日本語を勉強しはじめ、拘置所からマスコミ各社にあてて、無実の自分が殺人事件の犯人として拘束されている状況を説明した書簡を送っています。

 一部スポーツ紙のみが、本件を「第二のゴビンダ事件」として記事で採りあげ、そこから少しずつ支援の裾野が広がっていったのです。

 ゴビンダ事件の支援者が、彼にスーツを買って贈ったといいます。無罪が推定されているのに、着古した服で法廷に出るのは問題だという意識からです。

 10月に、小菅の東京拘置所に行って、被告人の彼と面会をしてきました。「お言葉集」とスナック菓子を差し入れ。

 「何か好きな日本語はありますか」と尋ねると、「日本語で知っているのは多くが裁判用語で、あまりない」との返事。

 11月からキムチを食べるのが解禁されるので楽しみ、と話していましたが、今度の刑事部に、裁判体には加わらないものの、一審で有罪判決を言いわたした張本人の裁判官が異動してきたとのことで、それが少し心配と話していました。

 ただ、たとえ裁判官らの雑談で、被告人を有罪に導くような話の流れになっていたとしても、それは裁判の証拠ではありませんので、認定の基礎とするのは慎んでもらわなきゃ怖いです。

 私が「原田國男裁判長は、刑事裁判の論文をたくさん書いている理論派だし、無罪判決をわりと出している方だから、期待できるんじゃないか」と言うと、彼は顔を真っ赤にして、涙声でお礼を言ってくれました。

 今となっては、単なる気休めの言葉にしかなっておらず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 本日13時30分、東京高裁805号法廷。

 弁護側の控訴は棄却されました。 懲役13年という原審判決を維持する宣言です。

 被告人は、弁護人に主文の意味を小声で説明されて涙を流し、「もう聞いてられない! こんなの裁判じゃない!」と3人の裁判官を怒鳴りつけ、自主退廷しました。

 閉廷後に、3人の弁護人が憔悴しながらも、傍聴人に向けて判決理由の内容を説明してくださいました。 「何か質問はありますか」と尋ねられましたが、弁護団に対しては何もありません。 ただ、裁判官に対する質問が山ほどあるだけです。

 いちおう、被告人に「サイコーですか? 最高裁!」にサインしてプレゼントしようと思って、カバンのなかに用意してたのですが、手元に残ることになり残念です。 (こんなの

 大学で第二外国語に朝鮮語を履修していました。 今となってはハングルで自分の名前を書くぐらいが精一杯ですが、私がかの国で、殺人犯だと決めつけられたなら、やはり彼と同じように朝鮮語を勉強しなおして、理不尽と闘うほかないのでしょうか。

 ますます彼は、日本の司法を憎んだでしょうね。

 でも、わかりませんよ。 彼はこの殺人事件の真犯人であって、私たちをだまし続けているのかもしれません。

 仮に、彼がウソ八百を並べた真犯人だとしましょう。

 気になるのは、殺害の動機が見あたらない点です。

 被害者の女性は、広島で韓国エステ嬢として働いていて、彼はその店の雇われ店長でした。しかし、そのふたりの仲をねたんでか、オーナーのおばちゃんが、ふたりを追放したのです。

 結局埼玉まで逃げてきて、ひとつ屋根の下で二人は生活し始めます。一緒に買い物したり、彼女の職探しを支援したり、性交渉もあったようですが、一方で、それぞれのパソコンでチャットで会話するなど、付かず離れずの関係にあったと認定されています。判決理由でも「犯行動機は判然としない」と認めちゃってます。

 他方、被告人が埼玉に発送しようとした荷物を、オーナー側が勝手にキャンセルして取り戻した事実もあります。被告人らの居場所を突き止め、追跡しようとした可能性は捨てきれません。

 事件発生の前に、彼が部屋を出て行くときの、彼女との出来事を話す際、涙声で、しかも思わず日本語から朝鮮語に変わった被告人質問の場面が忘れられません。

 アリバイの主張も、事件当時の彼の記憶があいまいなため、客観的事実との食い違いが見られますが、一部は目撃証言と一致しています。

 被害者の首に絞められた携帯電話のコードと、被告人の指に残った筋状の痕跡が一致するそうですが、コードが強く締められ、きつい結び目をほどこうとして付いた可能性もあります。その疑問が解決されていません。

 被告人は、好意を抱く女性が変わり果てた姿になっていることに衝撃を受けながら、この状況だと自分が怪しまれると考えるのが自然です。 自分が触れてしまったコードをどうすべきか、当惑したでしょう。

 被告人は、ほどいたコードを近所のコンビニのゴミ箱に捨てていますが、それをもって裁判長は「逃亡・証拠隠滅」と認定しちゃってます。 本気で隠したければ、まず埋める場所を探すでしょう。 そもそも、なぜ逃げようとせず、あっさり捕まったのでしょう。

 また、最初の取り調べ段階で、供述内容が変遷している点を指して、真実を述べているとは言い難いとあっさり認定したようです。

 取り調べの初期段階で、被告人の供述内容の多くは証拠で裏付けられています。 少なくとも逮捕直後は、本当のこと(少なくとも、自らが認識しているとおりのこと)を話しているのです。

 では、仮に無実の罪で拘束され、本当のことを言えば、ますます捜査側から怪しまれると気づいたとしたら、人はどうするでしょう。

 供述内容が時を経るにつれ移り変わっているのは、有罪の証拠にも無罪の証拠にもならず、ただ、被告人が動揺しているのを示す資料となる程度のもの、というべきです。

 弁護人は、被告人の無罪を立証する必要はありません。 税金も人材も資材もたっぷり犯罪捜査に注ぎ込める検察のほうに、有罪の立証責任があります。 弁護人としては、その立証の合理性を少しでも突き崩せば、十分に反論として足ります。

 これだけ検察官の有罪主張に疑問があれば、裁判所は無罪を言いわたすのがルールです。 裁判官ほどの優秀な頭脳があれば、少ない情状証拠から有罪の理由付けをこじつけようと思えば、いくらでもできてしまうでしょうが、それは極めて危険です。

 「罪を犯したかどうか、証拠からは疑わしいような被告人を無罪放免にしてたら、真犯人までシャバに出してしまうことになりかねない」という批判が、当然考えられます。 残念ながら、こればっかりは、人類の知恵の限界というほかないのです。

 裁判所による有罪判決だって、ほかならぬ国家権力の発動場面ですから、あくまで必要最小限、抑制的でなくてはなりません。

 まぁ、起訴された刑事事件の99.918%が有罪判決(2005年)なんですから、日本の裁判はタテマエに反し、お世辞にも抑制的とはいえませんが。

 裁判官は、犯行現場を見たわけではありません。机のうえでキレイに整えられた数々の証拠を見たにすぎないのです。ちょっとでも真犯人であることに疑いが生じたのなら、有罪を言いわたして強制的に自由を剥奪することは、ためらわれるべきなのです。

 人類が、タイムマシンかタイムテレビでも新たに発明しない限り、「そのとき、その場所で、何が起こったのか」、物的人的証拠や、検察官が描いたストーリーを見聞きして、裁判所は「知った気」になっているだけなのです。

 もっとも、タイムテレビの記録を、裁判所が証拠能力ありと認定するかどうかは別問題ですが。

 その「知った気」が「確信」に変わらない限り、グレーが限りなく黒に染まるまでは、有罪にしないのが刑事裁判なのです。

 もしかしたら、司法作用をだまし抜いて罪を逃れる真犯人を、私は擁護しているように読み取られるかもしれません。 まぁ、そう見えたら見えたで、仕方のないことです。

 身に覚えもない罪でムリヤリ裁かれるような目に遭わされることに比べたら、そんな批判は痛くもかゆくもありません。

 極端な話、無罪を言いわたされた真犯人と、刑期を終えて出所した真犯人とで、その後の再犯のリスクにどれほどの違いがあるでしょうか。

 

 物書きという職業は、名誉毀損罪や侮辱罪などで検挙される可能性と、常に隣り合わせですが、まぁ、それは自分自身で気をつけようがあります。

 ただ、私は、明日とつぜん、いわれもない人殺しの罪で逮捕されるかもしれません。そんなリスクは、回避しようがありませんよ。 それが、ただ怖いだけなのです。

 誤認逮捕までで済むなら、まだ救いがあります。ぬれぎぬ着せたまま有罪判決を漫然と確定させてしまうなら、それは司法の敗北を意味します。

 私には同居人がいないので、「被害者に一番身近な存在が疑われる」という、多くの冤罪のパターンには当てはまらないかもしれませんが、平々凡々と生活している私の家族や近しい人間が、ムリヤリ牢屋にブチこまれるとすれば、絶対に許すわけにはいかないのです。

 だから「疑わしきは被告人の利益に」を鉄則として例外なく徹底してもらいたいと思っています。 この鉄則を軽く扱うほどの勇気は、私にはありません。

 「疑わしきは被告人の利益に」「疑わしきは罰せず」とは、人類が獲得した、いい意味での「あきらめ」だと思っています。 むしろ、そう思わないとやってられない、といいましょうか。

 

 腰痛で集中できず、文章が固く、しかも取っちらかってしまい、すみません。でも、今日だけは、どれだけしんどかろうと、なんとしても更新しなければならないと思いました。

 本件は上告されるそうですが、依然として被告人は東京拘置所にいます。

 もし、腰が痛くて動けない日があっても、きっと自由に横にはならせてくれないのでしょう。 拘置所のなかでは。

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コメント

失礼いたします。
読んでいて伝わってくるものがありました。
今後も裁判の現状を伝え続けていただきたく思います。

投稿: kc | 2007年12月17日 (月) 19:28

>kcさま

どうもいらっしゃいませ。ブログを拝読するに、韓国語にたずさわってらっしゃる方でしょうか。

今日はてっきり無罪判決を生涯2度目で傍聴できるものと思っていたので、つくづくあきれました。残念です。

どうなるんでしょうかね。韓国の大統領選。水曜でしたっけ。

投稿: みそしる | 2007年12月17日 (月) 23:29

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