« 冒険企画への船出! 「裁判傍聴マガジン」創刊! | トップページ | 幻冬舎新書 in ローソン »

2008年3月31日 (月)

人間様の「おごりたかぶり」

 昨日午前0時に、メールマガジンの復活号を配信いたしました。

 

 今のところ、幸いにも、面白いというご感想ばかりいただいておりますが、それを真に受けてイイんですかねぇ。ホントに……。 勘違いしてしまいますよ。

 賛否両論の「賛」ばかりではないはずですけどねぇ…… もちろん、ムリヤリけなされたところで、当方はどうしたもんか困ってしまうんですが。

 なにはともあれ、復活を喜んでくださる方の存在を感じられて、ありがたいです。

 

 来週は、「ウィークリーながみね」という実験コーナーにおいて、2回目にして最大の無謀な実験を敢行します。

 この私が、調子に乗って、小説を書き始めちゃいますぜ。(^^;

 高校時代には星新一にハマったものの、最後に読んだ小説が「パラサイト・イブ」(古っ)である私に、はたして小説を書く資格があるものか?

 もともと理科好きで、SFぐらいしか読んどらんばってんが……。 今回の企画は、いったい何と呼べばいいものやら。

 法律SF小説?  そんなもん成立するのか。

 じつは、結末は思いついてるんですが、そこに至るまでの筋書きというんですか? そいつがあんまり固まってないんですよ。 文字通り、本末転倒です。

 そうして半年以上あたためてきて、さらに最近気になるのは、話がなんだか「デスノート」っぽくなってきとるってことです。 こりゃドエライ恥ずかしいぞと。

 もちろん、まったく違うテーマを設定して最初は出発してるはずなんですが、なんだかんだで、行き着く先は「デスノート」もどきなのか……。 ガッカリ。

 恥ずかしいと同時に、悔しいなと。 しょせんナガミネだなと。

 まぁ、これから小出しに配信していきながら、この問題作の筋書きを少しずつイジっていこうと思います。 どうしても他の原稿の片手間になってしまいますけど、いつか形になるといいなぁ~(他人事)。

 

 集英社新書「イカの哲学」を読みました。

 飽きっぽい私の場合、大半の本は途中で読むのを中断してしまいます。 結局は何度かにわけて読了するのですが、ひさびさに一気にスパッと読める本に出会えましたね。 うれしいっす。

 たしかに、何が言いたいのか意図が見えにくい部分もありますよ。 でも一貫したワクワク感がある。 これは大事です。 しかめっツラして書かなきゃ本じゃない、みたいな風潮を、うまく吹き飛ばしていて、爽快感すらあります。

 最も納得できたのは、「人間尊重主義に対する疑いのまなざし」です。 人間尊重主義の行き過ぎが、環境破壊と戦争を生む。 ……これは心にしみます。

 人間様によるイカ漁というのは、イカの群れにとっては、突然の「大量殺戮」以外のナニモノでもない。 海面に巨大な網を投げ入れられるというのは、まるで核兵器を落とされたようなダメージを受けるというのです。 イカたちの感覚では。

 「万物の霊長」などと調子に乗ってる、ヒト目ヒト科ヒトどもよ。 もっと謙虚になれ。

 お前が銃を向けている相手は、かけがえのない生命のひとつなのだ。 お前が銃を向けようとする衝動も、かの者を征服・支配したいという欲求も、生命における本能的な反応である。

 背後には、気が遠くなるほど繰り返されてきたDNAの交換・つながりといった営みがあるのだ。 そのへんをどれだけ想像できているか。 国際法や軍事規律などといった、外部から課される掟だけでなく、実存する生命において、実感としての内面から訴えかけていく。

 お前が気軽に食べているコンビニ弁当は、生命の犠牲が複雑に入り組んで構成されている。 そこらへんをどこまで感謝して口にできているか。

 

 となると、私がなんとなく抱いてきた、動物愛護法に対する違和感についても、少し理由が見えてきた気がします。

 

◆ 動物の愛護及び管理に関する法律 第44条(罰則)

1 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。
2 愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめることにより衰弱させる等の虐待を行つた者は、50万円以下の罰金に処する。
3 愛護動物を遺棄した者は、50万円以下の罰金に処する。
4 前3項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
  一  牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
  二  前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの

 

 

 もちろん、犬や猫など、「かわいいかわいい」と、多くの人間様からの人気を集める生物だけでなく、牛や豚などの家畜とされる生物も「愛護動物」の定義に入れた点は十分に評価できます。

 人間様の都合を最優先としてきた法の伝統的な発想から抜け出す第一歩、まだ途中なんだろうな、というのもわかります。

 しかし、あえてモノ申したい!

 動物愛護法44条4項に列挙された名前以外に、「愛護」すべき生物は、はたして本当にいないのでしょうか。

 ほ乳類だの魚類だの、無脊椎動物だの…… こんなもん、人間様が勝手に決めた分類でしょう。

 研究者の人間に向かって、水を飛ばしてからかうタコもいるらしいです。このタコは「遊び」というものを知っているわけです。

 野生のアメリカカケスという鳥は、木の実を盗まれないよう、密かに隠し場所を移動させたりして、仲間の鳥をだますといいます。

 小さな魚の群れだって、規模のあるカタマリを構成するためには、個々の魚がある種の論理的思考をしていなければ不可能だともいわれます。

 もし、ヒトの知能の高さ・複雑さが、人間尊重主義の基本的な根拠とするなら、これら「非愛護動物」に見られる知性の片鱗について、いかに落とし前をつけるでしょうか。

 人間様の都合で対象を分断する、いびつな「愛護」が、かえって生きとし生けるものの軽視を生むのではないでしょうか。

 魚類を愛護動物に含むとなったら、釣り師が困る? そのへんは、動物愛護法44条1項「みだりに」の解釈の問題として処理すれば済むんじゃないですか。

 つまり、釣りは、魚を「みだりに殺す」「みだりに傷つける」ことに含まないと解釈することも、可能性としてはありうるでしょ。

 

 昆虫や植物、菌類なども一般的に「愛護」されていいはずですし、みだりに傷つけるものに対する罰則だってあって構わないでしょう。 昭和天皇は「『雑草』という言葉は好きでない」とおっしゃったそうです。

 雑草もいのちなのですから、庭を草むしりした後には、死骸に手を合わせるとか……。 変ですかね? たしかに一般常識からは変ですよね。

 雑草と呼ばれる植物たちも、温室効果ガスである二酸化炭素を酸素に変換し、人間様に貢献しているのです。 たとえ人間尊重主義を貫く立場でだって、植物は人間様の寵愛を注がれてしかるべきでしょう。

 もちろん植物は、空気中の酸素濃度を維持する営みが人間様のためだなんて認識していません。 単に光合成で生じた排泄物を出しているだけです。

 私は、死んだり枯れたりするのが過剰に悲しくて、熱帯魚とか飼えないし、観葉植物も育てられないのです。

 もちろん、動物とか植物は大好きなんですけど、直接ふれあうというより、ある程度距離を取って、遠くで観察しているほうが性に合ってます。

 世話よりも観察のほうが安心する性格って、そのむかし、動物から何かひどい目に遭わされたトラウマか……? と思ったりもするのですが、特には思い出せません。

 でも、めでたくベランダつきの部屋に引っ越せたし、この春からは、トマトとかゴーヤとか育ててみたいなぁと、ほのかに思ってますね。 そうなると、取材などで長い間自宅を離れづらくなりますので、それも困るのですが……。

 

 私は化石好きですけど、大自然とか天体とか、そういうものに対する「愛護」の精神だって、あってもいいですよね。

 恐竜のレプリカ骨格でもいいですし、水族館のジンベイザメでもいいですし、頂上が見えないほど高い山でも結構ですし、気が遠くなるほど遠い天体に思いをはせるのもいいでしょう。

 人間たちは、まるで自然を征服したような気分にひたっていますが、そんなのムリムリ。 目で見え肌に感じる範囲だけ認識して済ませてるだけです。

 自然界に限らず、あえて人工物でも構いませんが、「圧倒的に壮大な存在」すなわち「ロマン」を繰り返し見せつけられれば、子どもたちの非行も意外と減るんじゃないかと思ってます。 もちろん、それだけじゃダメでしょうけど。

 
 

>>> マケドニアの裁判所、はちみつ盗んだクマに有罪判決

 マケドニア南部ビトラの裁判所は、養蜂家からはちみつを盗んだクマに有罪判決を下した。ただ、クマには所有者がおらず、保護動物にも指定されていることから、養蜂家に対しては国が14万デナール(約35万円)の損害賠償を支払うよう命じている。

 勝訴した養蜂家はドネブニク紙に対し「クマが怖がると聞いたので、撃退するために照明や音楽を使った。そのために発電機を買い、辺りを照らして音楽をかけた」と語った。

 ただ、その後の数週間は効果があったものの、発電機が使えなくなって音楽がやむと「クマは再びミツバチの巣箱を襲ってきた」という。

 クマの居場所などの情報は明らかになっていない。(2008年3月17日 ロイター)


 

 こういうニュースを見て、「バカじゃないか」と考える日本人って、きっと多いと思うんです。 人間さまの理屈でクマを裁くって……。

 これは、人間尊重主義の行き過ぎなのか。 それとも、クマの知性もヒトのそれと変わらないという、「イカの哲学」的な認識における現象なのか……。

 はちみつを採取する都合で、それを妨害したクマを裁いているみたいですから、前者のようなニオイもしますけど。

 

 そうそう。 私は、こんな子どもの話を聞いたことがあります。

 たしか小学2年ぐらいの男児らしいのですが、飼っていたミドリガメが死んでしまって、それで部屋にこもってビービー泣いていたそうなんです。

 母親がなだめつつ、ミドリガメを小箱に入れ、近所のキンモクセイの木の下に埋めに行こうと男児を引っ張っていったのですが、そいつ、さらに大声あげてワンワン泣きさけぶんですよ。

 で、母親が理由を聞いたら、なんて答えたと思います? そのガキ。

 

 「箱が埋められたら、箱がかわいそう!」

 「箱も死ぬ!」ですって。

 

 ……ほんと、バカじゃないの? 単なる紙箱にまで感情移入して。

 その男児、オトナになったら案の定、組織のなかでは使い物にならず、今では個人でおかしな文章を書いて売る仕事なんかしてて、現実社会に適応するかしないかギリギリの、ヤクザな生活をしてるんですって。 ムリもないですよね~。

 あぁ、そういえば、こんな私もゴキブリや蚊を見つけたら殺してしまうわなぁ……。 やっぱり、人間尊重主義の思想に片足つっこんでいます。

 どうやら、この業からは、なかなか逃れられないようですな。 にんげんだもの。

|

« 冒険企画への船出! 「裁判傍聴マガジン」創刊! | トップページ | 幻冬舎新書 in ローソン »

文明VS大自然」カテゴリの記事

コメント

みそしる様

初めて書き込みさせて頂きます。

「箱が死ぬ」っていうの、わかる気が致しますよ。

うちの子は凧揚げしてて、凧に私の名前をつけてましたね。凧が墜落したら、私が死んだと思ったらしく、泣きまくったと保育園の先生から聞きました。

子供が一番哲学できると思います。自然に敬意を持てるのも子供のうちだけかもしれません。


投稿: まつたけ | 2008年3月31日 (月) 14:14

自分で希望したわけではないですが、霊能者に除霊(?)していただいたことがあって、「蚊を大量に殺している」「交通事故にあったネコらしいが目の前で息絶えたため、路肩に移動して、可哀想に思った」(同情すると憑いてくるらしい)ことについて、相談したことがあります。その霊能者は「頭の悪い動物には魂がない」というようなことを言って「問題ない」と言ってました。
私は「あなたがそう見えてるだけでしょ? 勘違いだったらどうするの?」などとしつこく聞きましたが、全然取り合ってもらえませんでした。

それが反面教師になったのか、例えば蚊を殺す時、いつも申し訳ないと思うようになりました(面倒くさい奴)。
さすがに菌類までは思い付かなかったです。カビを消毒したら手を合わせることにします。
ヨーグルト食べたら悪玉菌に手を合わせるべきだろうか?

最近、「じゃこ」「しらす」が、イワシの稚魚だと知りました。生まれてすぐに捕まって干されてしまうとはムゴイと思いました。
でもおいしいから好きなんですよ。「みだりに」には該当しないからいいということでOKかと(笑)

ご存知かと思いますが、動物だって、人間ほど大量には殺さない(通貨がないから)ものの、自分の都合で殺しをします。
しかも、同じ環境に生息していることから、同胞殺し(共食い含む)が多いと聞きます。アリなんかは相手の巣を全滅させる種もあるとか。
殺しは特別なことではないからこそ、人間社会では厳しい処罰が下されるのかなあと思います。

だから、動物に関しては、人間社会の中で迷惑な部分だけ、取り締まるのかなあと。死んでしまったものは元に戻せないですからね。

人間のための動物愛護だと、よく覚えておきます。

投稿: 絶坊主 | 2008年3月31日 (月) 14:58

絶坊主 様

面白かったです!微生物には手を合わせなくて良いと思われます。人間より過酷な環境で生きることができ、進化の大元ですから人間より優秀ですね。

シラスに思いをはせるなら、卵にも。

人間のための動物愛護・・・間違いありませんね。

投稿: まつたけ | 2008年3月31日 (月) 15:19

>まつたけさま


いらっしゃいませ。
凧に親御さんの名前を付けて、大空に舞わせる。

凧を揚げていると、まつたけさんに、遠くで見守ってもらえているような安心感があるのかもしれません。

まつたけさんのお子さんは、保育園児ながら、はやくも素晴らしく親孝行ではありませんか。

このまま、すくすくと成長していくよう、支えていっていただきたいと、陰ながら思います。ありがとうございました。

 

>絶坊主さん

こんにちは。

なんだか、私と似ているトコ多いなぁと思いつつ、ニヤニヤしながら読んでしまいました。失礼しました。

私も、蚊をたたくのって、けっこう抵抗があるんですよ。叩いたら手のひらに血が付いちゃうんじゃないかって……。これは自己本位。

でも、かわいそうという気持ちもよぎります。かゆくならなきゃ、いくらでも血を吸わせてやるのに、とムリな注文までしたくなったこともあります。

そのわりには、「腕に力を入れると、蚊のクチバシが抜けなくなる」などと悪友に聞いて、そのまま実験してみたり。

もちろん、たっぷり血を吸われたあと、まんまとクチバシを抜いて逃げられましたけど。

結局わたしは、お人好しなのか残酷なのか、よくわからんガキでした。
 

よく聞きましたよね。ネコの死体は見て見ぬフリしないと取り憑かれるって。

そうそう、こないだ徳島駅から高速バスで神戸に向かって、いざ出発するぞ、というとき、駅前の大きな交差点で、1羽のハトが行き交うクルマにバンバン轢かれているのが、車窓ごしに見え、とてもやるせない気分になりました。

クルマが通過するたびに、地面から羽毛がパッと飛び散るんですね……。

すごく、そのハトに同情を寄せてしまいましたよ。クルックー!(←憑かれた?)

動物系のドキュメンタリー番組を見ていると、「種」や「群れ」全体を残すためだったら、わりと躊躇なく「個」を犠牲にするような場面が目立ちますよね。

それが自然の動かしがたい摂理だとしたら、人間様が作り上げた「個」を尊重する憲法とか、多数派より少数派の意見に耳を傾ける(のがタテマエの)裁判所って、かなりムリがあるシステムなのかな、って思ってしまいました。

カビは…… そうですねぇ。 あんまり突き詰めると、ウソくさいことに。

人間以外の生物も、単なるタンパク質の複合体でなく、「命」なのだ。寿命が来れば動かなくなるし、いったん死を迎えれば、二度と生には戻らない……と思いを馳せるのは大事ですが、あんまりいちいち意識していると、なかなか円滑に生活できなくなってしまいますよね。

難しいところです。どこかで落としどころが必要のような気も…… なんて書くと、面白くもなんともない結論になって怖いし。(笑

悩みどころですね。うーむ。

投稿: みそしる | 2008年3月31日 (月) 17:05

みそしる様

育て方を間違ってるかも?!といつも思っておりました。温かいお言葉をありがとう御座います。

「子供は社会の宝でしょ」by裁判官
              ありましたね。

大事に育てたいと思います。

投稿: まつたけ | 2008年3月31日 (月) 19:18

>まつたけさま


ありましたねぇ。裁判官のお言葉。ありがたや。

私と弟は幼いころ、ヒーロー物の番組を見ているときに、正義の味方でなく悪役のほうを応援してました。

悪役の攻撃が効いて正義サイドがやられると、テレビの前で、ふたりして腹かかえて大笑いしていたので、「わたしの育て方が悪いのか」と、母親を本気で悩ませていたようです。

今だからごめんなさい。マイマザー。

単なるあまのじゃくというか、ひねくれ者なんです。

そのへんは今でも治ってませんが、でも、いちおう人殺しとかチカンとかはしてませんので、他人様に顔向けできる人間に育ってるとは思います。

ご参考まで。(何の?)

投稿: みそしる | 2008年4月 1日 (火) 00:50

みそしる様

非常に参考になります!

さすがマイナー志向でいらっしゃる!

凧親の私の名前というのは、私のことをペットと思っているか、寂しさがあってのことでしょう。

それでも、今日も頑張って保育園に行ってくれます

感謝!!

あまのじゃくでもひねくれ者でもいいから、とにかく大きくする、人殺しとかチカンもしないこと。

自分も子供も、これが出来れば十分です。

ありがとう御座いました。


投稿: まつたけ | 2008年4月 1日 (火) 06:37

まつたけさま

卵とは! 気付きませんでした。明太子を食べる時にはお経を唱えないと…。
いや、人の始期は一部露出説が通説であるから、卵巣にいるうちは大丈夫なのか???
考えても答えが出そうにないので、「いただきます」をして、おいしくいただくことにします。

みそしるさま

>それが自然の動かしがたい摂理だとしたら、人間様が作り上げた「個」を尊重する憲法とか、多数派より少数派の意見に耳を傾ける(のがタテマエの)裁判所って、かなりムリがあるシステムなのかな、って思ってしまいました。

わざわざ国家が定めなければならないということは、迷惑であることはもちろん、何より頻繁に起きるからだと思います。放っておくと少数派の意見に傾けないから、ルールを決めないとダメなのかと。先人たちの努力のたまものです。

よりよい社会を目指し、ムリのあるシステムを考え、維持し続けている人間はスゴイのです! エライのです!
だからイカどもはおとなしく人間様の胃袋におさまるのだー!

すいません。調子に乗りすぎました↓↓↓

投稿: 絶坊主 | 2008年4月 1日 (火) 23:09

絶坊主 様

ありがとうございます。
誕生は露出によるのが通説ですね。

卵に思いをはせるなら、ミトコンドリアとか染色体とか、DNAとかしまいにはアミノ酸までも同情しなきゃなんないから大変なことになります。

誕生前に食べられてしまう卵は、元々この世には「無」であると解釈するとしっくりきます。

卵とは、簡単に崩壊する屁理屈をこねてしまいました。失礼致しました。

食べ物を美味しく有難く頂くしかありませんね!

明太子好物です!

投稿: まつたけ | 2008年4月 1日 (火) 23:44

>絶坊主さん

いいこと考えました。

さまざまな形で殺生をするたびに情を寄せるのは正直しんどいので、なにかのきっかけで「自分は数多くの犠牲のうえで生かされてるんだな~」と、まとめて手を合わせるのはいかがでしょう。

なんか、「千日参り」の日に神社にお参りしたら、参拝1000日分の御利益がいただけるとか、あるじゃないですか。そういうのにならって。

これこそ人間の都合でしかないような気も……。

>まつたけさま

 
「ひねくれ者でもいいから健康に育って」と願うのが、素朴な親心かもしれませんね。

でも、ひねくれないほうが、人生を送るには有利だとは思います。(^^;

外野からのつぶやきでした。

投稿: みそしる | 2008年4月 3日 (木) 13:11

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人間様の「おごりたかぶり」:

« 冒険企画への船出! 「裁判傍聴マガジン」創刊! | トップページ | 幻冬舎新書 in ローソン »