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2008年5月 3日 (土)

文化放送が、5月6日午前10時より、死刑執行の模様を放送

 

>>> 死刑執行の音をラジオで放送 文化放送が5月に特別番組

 AMラジオの文化放送(東京)は、5月6日の報道特別番組『死刑執行』(仮題)で、実際に死刑が執行された時の音を放送する予定を15日、明らかにした。

 使用する音源は、大阪拘置所が昭和30年代、刑務官への教育などを目的に用意したテープだという。文化放送は「あらためて死刑制度を正面からとらえたい」としているが、議論を呼びそうだ。

 文化放送によると、市民が刑事裁判に参加する裁判員制度のスタートを来年5月に控え、死刑執行の現状を伝えることが必要だと判断。「過度な演出は避け、死刑囚のプライバシーに配慮して放送する」という。

 番組は午前10時から55分間の放送予定で、死刑執行にかかわったことのある刑務官や拘置所職員の話などを交え構成する。(産経新聞) 2008.4.15


 

 ロープがきしむ音まで入るそうですね。 ……えらいこっちゃ。 たしか、10秒間つるしておくんでしたっけ。


▼=================== 後日追加 2008.5.5 

◆ 刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律 第179条(解縄)
 死刑を執行するときは、絞首された者の死亡を確認してから5分を経過した後に絞縄を解くものとする。

▲=====================================

 

 私は仕事柄、耳をかっぽじって聴く義務がありそうですけど、いい気分ではないでしょう。 決して。

 でも、現実に起こっている出来事ですからね。

 文化放送の電波が届かない地域に住む友人から「一度聴いてみたい」と言われているので、ラジオをデジタル録音するための機材も買いました。 それほど大げさでなく、USBでパソコンとつなぐ接続コードみたいなものですが、いくら古い時代の音声とはいえ、たぶんこれで十分でしょう。

 たしかに、極めて重い放送内容に違いありません。 踏み絵みたいなものかもしれません。

 たとえが相当かどうかわかりませんが、たとえば原爆資料館で展示されたむごい写真を直視できず、うろたえていれば、「そんなに気味悪がったら、被爆者に申し訳ないと思わないか」「われわれは歴史の真実から学ばねば」といった、正しさという名の無言のプレッシャーを感じるかのような。

 まさか、この文化放送の挑戦について「死刑制度のむごさばかり強調するのは不公平だから、殺人現場の音声も並行して放送すべき」と主張する人は、たぶんいないと思いますが、まずは、裁判員のひとりとして、一般人が目の前の被告人に対して「死」を宣告する意味と覚悟について、大型連休の最終日に想像してみるのも、いかがでしょうか。

……とは、あんまり気軽にオススメできませんが。

 

 もともと、死罪は一般に公開されなければ意味のないものでした。 古今東西の権力者にとって、その権力を誇示する「見せしめ」としては絶好の機会だったとされます。

 公に見せることが前提のため、昔の処刑方法のバリエーションは豊富。 マスメディアがほぼ皆無の時代では、相当にインパクトの強い方法を選ばないと、権力の威圧感が世間へ浸透していかないはずです。 まるで祭りのような雰囲気で執行される場合もあったようですね。

 アメリカでは、今も公開処刑がされている州があるといいますし、現代的・国際的な「見せしめ」としては、独裁者の公開処刑もあります。 サダム・フセインについては記憶に新しいところです。 ちょっと古いところではチャウシェスク。

 一方で、現代の日本では、徹底して秘密裏に執行される死刑。

 いったい何を隠そうとしているのか。 ひた隠してまで執行する意味は何か。 死刑判決の増え方に比べ、死刑執行命令の回数が追いついていないのはなぜか。

 これらの疑問を解く糸口となりうるかどうかは未知数ですが、貴重な史料であることには間違いありません。 覚悟して耳を傾けることにします。

 文化放送の可聴地域(関東地方 1134kHz)にお住まいの方はぜひ。

 文化放送はネット配信の手段も持ってますけど…… ネットには乗らないかな。

 このたび、地上波で一般に公開される音声は、はたして私たちに何を伝えるのか。 少なくとも、法律の条文からは感じ取れない営みなのでしょう。 きっと。

 
 

◆ 刑法 第11条(死刑)
1 死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する。
2 死刑の言渡しを受けた者は、その執行に至るまで刑事施設に拘置する。

 

◆ 刑事訴訟法 第475条
1 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

 

◆ 刑事訴訟法 第476条
 法務大臣が死刑の執行を命じたときは、5日以内にその執行をしなければならない。

 

◆ 刑事訴訟法 第477条
1 死刑は、検察官、検察事務官及び刑事施設の長又はその代理者の立会いの上、これを執行しなければならない。
2 検察官又は刑事施設の長の許可を受けた者でなければ、刑場に入ることはできない。

 

◆ 刑事訴訟法 第478条
 死刑の執行に立ち会つた検察事務官は、執行始末書を作り、検察官及び刑事施設の長又はその代理者とともに、これに署名押印しなければならない。

 

◆ 放送法 第3条(放送番組編成の自由)
 放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

 

◆ 放送法 第3条の2(国内放送の放送番組の編集等)
 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
  1.公安及び善良な風俗を害しないこと。
  2.政治的に公平であること。
  3.報道は事実をまげないですること。
  4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

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死刑という刑罰」カテゴリの記事

コメント

先日、このテープのさわりの部分を、TVで放送していました。

以前は、死刑囚に対して2、3日前に執行日が告げられて、お別れ会や、親族との最後の別れを行っていたそうです。しかし、今は、執行日の朝に執行官が来ていきなり執行がなされるそうです。
法務省によると、現行の制度の方が、死刑囚の精神状態を数日間に極限状態に置くよりも、死刑囚の負担を軽減できるとのことですが…、私なら、以前の制度の方が、良いように思いますが…。

ただ、このテープを少し聞いて感じたことは、「死」というものに対する感情は、死刑囚であっても変わらないということでした。不謹慎かもしれませんが、なんだか、「特攻兵が出撃する前の状況」に似ているように感じました。

あと、原爆資料館は、子供のころから何度か行っていますが、小さな頃は「皮膚が爛れ落ちた人形」がいつも夢の中に出てきてました。
しかし、大人になって感じることは、小さい頃から、原爆の悲惨さを知っておくことが極めて重要だったということです。
二度とあのような悲惨な状況を起こしてはならないという意識が、理屈でなく、今の私には生じています。いつか、娘も連れていきたいと思います。

投稿: ある弁理士 | 2008年5月 4日 (日) 11:44

>ある弁理士さま
 

いつもコメントありがとうございます。

すでにテレビで放送されていたんですね。さわりの部分ですか。

特攻兵が出撃する前というのは、けっこう勇ましい感じなのでしょうか。それとも心静かなのでしょうか。

どちらにしろ、「あるひとつの執行ケースだけ公開」という事実そのものが、ナゾをますます深めさせるばかりですね。

あまたある死刑執行のうち、今回のものだけが公開されるというのは、ほかのものは音声すら公開できない何かがあるのかなと思ってしまいます。

もちろん、そういう疑り深い性格の私が悪いのですが。

見苦しく暴れたりとか、刑務官がかなり強引に連れて行ったりとか、そういうケースもあるんでしょうか。

 
執行は午前10時でしたっけ。死刑囚は、午前10時が無事に過ぎるたびに毎日ホッとするとも聞きます。

それを思うと、極限状態は執行宣告の後だけでなく、その前から継続的にあるのではないかと考えてしまいます。

「毎日」というのは不正確でしたね。刑事収容施設法178条2項により、土曜・日曜・祝祭日と年末年始は、執行できませんので、それ以外ですね。

それでも、平日は毎日、いつ声をかけられるかビクビクしながら過ごしているわけです。

たしかに、それだけ取り返しのつかない過ちを犯してしまった人々には違いないわけですけども、矯正当局も「極限状態の軽減」をいうなら、死刑執行の曜日を固定するとか、第○週の□曜日とか、特定の日付を決めるべきですよね。せめて。

投稿: みそしる | 2008年5月 5日 (月) 00:37

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