司法試験崩れから、油彩画家への転身
>>> 個展:司法試験に挫折→秘めた才能開花 さいたまの異色画家、27日まで国立
司法試験をあきらめた後、26歳で絵筆を執った異色の画家、田中拓馬さん(31)=さいたま市浦和区=の個展が22日、JR国立駅南口の画廊「アートスペース88」(国立市中1)で始まった。
(※中略)
プロへの道のりは異色だ。早稲田大法学部在学中に弁護士を志望、自室にこもり1日16時間の勉強を2年間続けたが、ストレスからうつ病に。卒業後の02年に弁護士をあきらめた。(毎日新聞)2008年5月23日
たまにいますよね。 合格体験記やブログなどで、うなるほどのお勉強時間をアピールしている方々が。 そりゃ、1日十数時間も受験準備を続けられる皆さんにはかないませんよ。 そりゃ受かるでしょう。 神様は見ています。
「夜中に突然血を吐いた」とか「しばらく入院したが、いい休息になった」だとか、いろいろ派手に書いてある思い出も懐かしく、今は法曹としての使命を果たしておられるでしょうね。
私は血こそ吐きませんでしたが、胃液なら何度か、予備校の便所に吐いてます。
でも、やっぱり胃液じゃカッコ悪いんです。 くっさいゲロなんかでなく、赤黒い血ヘドを吐いて努力なさった合格者の皆さんがうらやましい。 そして、わりかし丈夫な身体に産んでくれた両親に感謝。
「おれは特別な才能に恵まれているわけじゃない。血のにじむ地道な努力の果てに合格を勝ち取ったんだ」というエピソードですから「努力は誰にでもできるのに、やらないで文句いうな」と、私たちにメッセージを伝えたいのでしょう。
とはいえ、ペーパーテストの得点を上げるための学習に高い理想を掲げ、そこまで没頭できるのなら、もう立派な才能の持ち主だと信じます。 決してマネできませんので。
そうした努力は誰にでもできるわけではなく、育まれた強靱な性格の賜物なのですから。 得点を少しでも多くとるために、自分の解法や論証を微調整していく訓練のなかで、ときに「楽しい」「興味深い」と思えるような感性が備わっているなら、すでに違う領域に立っているといえます。
ふつうは、1日16時間も受験準備を繰り返せば、田中さんみたいに潰れてしまうもんです。
私だって、一日じゅうお勉強せんがために、親の反対を押し切って司法浪人という道を選んだひとりです。
でも、身体で思い知りました。 勉強時間が計10時間を過ぎたあたりが、さすがに集中力のデッドゾーンですね。 12時間を超えると、次の日はだいたい使い物になりません。
一見うつむいて本の文字を追っているように見えるでしょうが、じつは何も頭に入っていない「ただ、自習室の椅子に座りに来た人」と化します。
気分が乗ったからといって、やり過ぎても、その後に襲いかかる「反作用」との差し引きで、結局はかえって効率が悪かったりしますよね。
私はそれを最初「自分の根性が足りないから」だと認識していましたが、そのうち「司法試験に向いていないから」と、意識を転換しました。 さらには「司法試験には向いてないが、弁護士には向いている」などと、都合よく信じていました。
もちろん、それも真っ赤な勘違いでしたが、ともかく、会社員としてまっとうに働いている友人らの手前、平均8時間のお勉強は確保しようと決めてましたね。
8時間の間に、問題を解きながら、ついつい余計なことを夢想してしまうことが多々あったり、1時間条文を読んだあと、休息として、ついつい近所の本屋で2時間立ち読みしてしまうこともありました。 でも、とにかく8時間は座っていようと。
8時間に満たず自習室が閉まったら、公園の明かり下にあるベンチとか、川のほとりとか、寒い日にはコーヒーショップやドーナツショップの隅なんかで資料を読み込んだりテープを聴いたりしてました。
この夜のひとときが、なかなかいいもんです。 でも、自分を癒さずに、もっともっと追い込まないから受からなかったんでしょう。 自分を大事にしようとするヤツはダメですね。
モチベーションが高かろうが低かろうが、ダメなヤツはダメ。 当然受かるヤツは受かるし、そりゃ結果論です。
だから、「頭のよさを証明して、今後の人生に自信がつく公式ライセンスがほしい」程度の意気ごみで、サッサと司法試験に受かってしまえる人もいます。 弁護士になるのか裁判官になるのか、最低限の志望すら決めないままで。
うらやましいなぁ~。 でも、そういうもんなんです。 司法試験の解答用紙に、将来の職業ビジョンを記入する欄はありませんから。
ただ、こんな私も、今の仕事だったら、1日16時間働いても平気なんですよ。
……といいたいところですが、それもムリです。 書くのに3時間(考え込む時間を除く)、調べものに5~6時間がせいぜいでしょう。
なにかの拍子に、辺りが暗くなっているのに気づかず、メシを食うことも忘れて、すいすい~っと書けてしまう日も、年に1、2回ほどありますが、そんな偶然の訪れに期待しても仕方ありません。
書きものまで中途半端なら、私は、いったい何に向いているのでしょうか。
と、私は誰に聞いているのでしょうか。
失意のなか、友人に影響されて03年10月、「自分の内面を表現できるかも」とカンバスに向かった。基礎だけはプロに習ったが、自作のレベルを知るため展覧会に片っ端から応募した。反響は予想を超え、04年の埼玉県展入選を皮切りに、05年には二科展入選。日本最大級の公募展「国展」にも07、08年と連続入選した。何が受けたのか。田中さんは「絵画一筋ではなかった柔軟性が作品に表れているのでは」と話す。
よかったですねぇ。 司法試験だけを一筋にやっているときは絶対に「柔軟性がない」と周りに思われていたはずですが、何がどう転ぶかわからないものです。
さらには、駅前の路上で作品を展示しているときに、足を止めた「お客さん」のひとりである女性と結婚したんだそうですよ。
いいなぁ~、そういう運命的な出会い。
おれも「お言葉集」を手売りしようかいな。 そんな賞味期限切れの商品ではダメか。
なんでも田中さんは「重ね描き」という技法の使い手で、いちど完成させた絵の上に、薄めた絵の具で別の絵を描いてしまうのだそうです。 公式サイトの「Gallery4」にある作品の多くが、重ね描きによるものかと伺えます。
欲張りです。 イイ意味で。
ひとつの表現が形になっても、また飽き足らないという貪欲さは、「得点アップに必要ないものは切り捨てる、割り切る、長いものに巻かれる」という司法試験受験の営みとは対極に位置します。 そりゃあ、法律家として不合格な人材に決まってます。
彼の国立での作品展は、すでに終わってしまったみたいですが、今月は南青山で個展が開かれるそうですから、ぜひ足を運んでみたいと思いますね。
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