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2009年5月26日 (火)

精神鑑定の結果に逆らい続ける裁判所

>>> 「鑑定重視を」最高裁の差し戻し審、高裁で再び実刑判決

 03年6月に東京都北区で起きた傷害致死事件をめぐり、男性被告(40)に刑事責任能力があったかどうかが争点となった刑事裁判の差し戻し後の控訴審 で、東京高裁は25日、責任能力があったと判断し、被告に懲役2年6カ月の判決を言い渡した。精神鑑定に基づく責任能力の認定のあり方について、中山隆夫 裁判長は、最高裁の従来の考え方を踏まえつつ、裁判員制度のもとでは固定的・絶対的なものとすべきではないとの考えを示した。

 被告は、元勤務先の塗装店経営者を殴って死なせたとして起訴された。一審・東京地裁は「心神喪失」とした鑑定結果に基づいて無罪判決を言い渡した が、二審・東京高裁判決は鑑定結果を信用せず懲役3年の逆転有罪に。しかし、最高裁は上告審判決で「専門家の精神鑑定は十分に尊重すべきだ」として審理を 東京高裁に差し戻していた。

 中山裁判長は、最高裁の考え方を「一般論としては正鵠(せいこく)を射ており、裁判官も含めて素人の知見で評価するのは慎重でなければならない」 と評価した。その一方で、「責任能力は社会や一般人の納得性を考えて規範的にとらえるべきもので、固定的・絶対的なものとするのは相当ではない」と指摘し た。

 さらに、最高裁が過去の裁判例で「様々な要素を考慮して総合判定すべきだ」としたことに言及し、「責任能力についても裁判員に意見を求める意義はこの点にある。(最高裁の考え方を)そう解釈してこそ、裁判員の率直な感覚や意見を引き出すことにつながる」と述べた。

 これらを踏まえ、一審が無罪の根拠とした鑑定結果を検討し、現在の精神医学の知見から見て信用性に問題があると判断。有罪の結論を導いた。 (アサヒ・コム 2009年5月26日)

 

 そもそも、裁判で証拠として提出された精神鑑定の結果に、裁判官が従わなくていいという、司法業界のオキテが、どうしても理解できないのです。

 精神医学の専門家が、長い間をかけながら、試行錯誤を繰り返し、被疑者・被告人に面と向き合い続けて出した結論について、外野(裁判官や裁判員)があれこれ口を出してひっくり返すのですよ。

 そのくせ、裁判員裁判の評議(話し合い)には、誰にもツッコミを入れられたくないので、非公開にし、中身をバラした裁判員経験者に罰則を科してまで、誰が何を話したのか、外部へ明らかにされないのです。

 これを、一般人の市民感覚では「ズルい」と呼びます。

 医療ミスを法律の論理で平気で裁いているクセに、なぜ医療は法律の世界に満足に関われないのか。 この一方的な流れは何なのか。

 本件のような傷害致死事件で裁判員は召集されませんが、裁判員が呼ばれる殺人などでも責任能力は問題になりえます。

 中山裁判長は、責任能力の問題についても、一般の裁判員にフリーハンドで意見を求めることの意義を強調しています。

 しかし、責任能力について尋ねられても困るのが多くの裁判員の率直な気持ちだと思うのです。 万一、私が裁判員でも、大いに困りまくるしかありません。

 困らない自信満々の裁判員でも、自分の直感で意見をいうしかありません。

 つまり、「人ひとりが亡くなっているのに、無罪はおかしい! 誰も責任を取らないのか! 遺族がかわいそうだ!」という直感を、法廷に反映させようということなのでしょう。

 

 精神医学が結論づけた「心神喪失」「心神耗弱」と、司法にいう「心神喪失」「心神耗弱」が、なぜ同じではいけないのでしょう。

 どういう筋合いで、裁判官が精神科医の意見にダメ出しできるのでしょう。

 共通の言葉を使って、医療界から法曹界に手渡されているのに、わざわざ別の中身にしなければならない理由なんてあるでしょうか。

 理由が特にない根拠として、「社会や一般人の納得」とか「規範的」というような、どういう意味とでもとれる、ボンヤリしたキーワードしか出せない点があります。

 つまり、直感で裁判しようぜ、といっているのです。

 ただでさえ「合理的に推察される」「総合的に判断すべき」という表現の裏で、裁判官は直感的に裁いとるのに、これ以上まだ直感でやるのかと。

 古今東西の人々が抱いてきた直感が土台になって、法ができあがっているのは疑いないところですが、直感って、時と場合によってブレるのが宿命なんだから、本来は法の基準としてふさわしいものではないのです。 特に刑事罰の基準としては。
 

 「人ひとり死なせたんだから、償え。 むしろ死んでわびろ!」

 ただ、心神喪失状態(善悪の区別、あるいは行動のコントロールができない状態)にある状態で犯した犯行で、単に結果責任をとらされるのでは、刑罰を科される本人が納得いきません。

 犯罪結果を生じさせた原因は、本人の悪意ではなく、精神疾患だったのです。 むしろ治療の対象。 それこそ専門家が出した結論。

 つまり、刑罰を科されたところで、反発こそすれ、彼が心から反省する動機が見あたらないのです。 それじゃあ、何のための刑罰なのでしょう。

 だけど、「みんなの納得」のために、ひとりに犠牲を強いるわけです。

 今の憲法の根本的な考え方とは、逆をいく結果になりますね。

 中山裁判長は、きっと「良心」に基づいて今回の結論を導いたのでしょうが、それ以前に憲法には従いながら判決理由を書かなければなりません。

 

◆ 日本国憲法 第76条
 3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

 
 

 私だって、心神喪失・心神耗弱というのが、いったいどういう精神状態なのか、具体的には想像すらつきません。

 しかし、人間の精神状態について四六時中考えている精神科医が、精神医学という人類の英知の蓄積をもとに導いた結論なのですから、それに従っときましょうよ。

 その代わり、精神鑑定にあたる医師は、必ず複数人必要だろうなと思います。

 そのうち、精神鑑定にも、素人をランダムに6人ぐらい呼びつけて関与させるんじゃないかと、余計な心配をしたくなります。

 

 専門家というものが、なぜか少しずつ崩壊し始めている印象を受けます。

 ライターの世界だってそうです。 ネットを通じて、誰でも簡単に世界へ意見表明できる時代なのですし。

 しかし、そういう状況だからこそ、世の専門家が、プロがプロである理由を、仕事で示し続けなければならないと思うのです。

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コメント

傷害致死事件は、裁判員制度の対象です。

投稿: 通りすがり | 2009年5月27日 (水) 23:06

ご指摘ありがとうございます。うっかりしていました。訂正してお詫びします。

投稿: みそしる | 2009年5月28日 (木) 00:44

少し古い記事へのコメントなので読んで頂けるかどうか不安ですが・・・

大筋で主張内容に同感です。
最近他のブログなどで「犯罪を犯す奴は事件を起こした時点で正常では無いのだから精神鑑定なんかいらない。むしろ情状なんかもいらない。結果だけで裁くべきだ」的な主張が散見されるので、そう言う人に読んで欲しい記事だと思いました。

気になった点と言えば、上記の様な人々に対して「責任能力の有無」に付いて理解して貰える様なもう少し詳しい説明が有ればよりベターだと思いました。
また、なぜ裁判官が精神鑑定結果を軽んじるのかと言えば、最たる理由は「目に見えなず物理的に実証出来ない分野」と言う先入観の元、鑑定医によって鑑定結果のバラつきが激しいから権威が上がらないのだと思います。
これは今後、益々心理学や精神医学が発達するのを待つしか無いのですが、待てるか?と言う点でもっと問題視すべき事が有ります。
それは、この事件で裁判官が「責任能力のとらえ方は社会の流れの中で変わる可能性があり、社会や一般人が納得するかで考えるべきだ。」と言ってる点です。
これは近代刑法哲学よりも民意を重視すると言う事ですし、転じて近代刑法を捨てて魔女裁判時代に戻りましょうと言う事になり兼ねない由々しき問題だと思えます。

投稿: Toshi | 2009年6月 3日 (水) 20:01

>Toshiさま

いらっしゃいませ。コメントありがとうございます。

たしかに、精神鑑定の対象が「目に見えない話」だという要素は、裁判官の態度にも大きく作用していそうですね。

それでも、今の精神医学は「科学」といっていいほど、客観的な検証が可能な学問だろうとは思いたいです。

責任能力や精神鑑定というテーマについては、個人的な疑問も山積みですので、いつかはカッチリ取材してみたいです。
 


>上記の様な人々に対して「責任能力の
>有無」に付いて理解して貰える様な
>もう少し詳しい説明が有ればよりベ
>ターだと思いました。

そうですね。痛いところを突かれてしまいました。

責任能力というのは、抽象的な概念なので説明は難しいのですが、

たとえば、刑事罰というのは、合法な世界と違法な世界とを隔てる「壁」のようなものだと考えてください。

責任能力がある一般的な心理状態では、その壁の存在が見えていて、しかも、自分が壁の手前側(合法側)にいる、壁の向こう側(違法側)に行ってはいけない、ということも意識できています。

それでも、あえて「壁」を乗り越えたなら、その人の責任だとして処罰の対象になるわけです。

しかし、責任能力がない心神喪失状態とは、その壁が見えていない、あるいは壁が見えていたとしても、自分が壁の向こう側に行かないようセルフコントロールできない状態を指します。

その人のしわざで、たとえ社会的に重大な結果が起こったとしても、自分が「壁」を乗り越えたかどうか、よくわかってない人に対し、刑事責任は問えないというのが、現代刑事法の発想です。

投稿: みそしる | 2009年6月 4日 (木) 01:57

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