« 月曜の夕方から風邪ひいてました | トップページ | 「一人一票」アンケートにご協力を! »

2009年6月 5日 (金)

賢い法律家たちだって、不完全な人間なのだ…「足利事件」

 今から20年近く前に栃木県で起こった、幼女殺害「足利事件」の犯人として、無期懲役判決を受け、服役中だった男性が、昨日、千葉刑務所から釈放されました。

 DNA鑑定による検察官の有罪立証に、疑わしいところが出てきたからです。

 疑わしきは罰しちゃいけないのです。

 

 この裁判が行われていた時代、DNA鑑定は、鳴り物入りで導入されたものの、まだできたてのホヤホヤの技術でした。

 DNA鑑定結果を、有罪の証拠として最高裁が採用したというだけで、大ニュースになったのは、まさに、この足利事件での裁判が、日本で最初の出来事でした。

 司法浪人をやっていた時代に、最新判例として覚えたので、記憶にとどまっています。

 しかし、その最新判例は、9年後の現在、地に墜ちたことになりますね。 技術的に早すぎた判例だったのかもしれません。

 

 本件の加害者とされた菅家さんが、本当に犯人でないのか、私にはわかりません。 わかるワケもありません。

 「私は犯人じゃない」…… その重たい言葉を、人として信じたい気持ちでいっぱいですが、「なるほど、間違いなく犯人じゃない」と、100%の納得をもって断言できるかどうかは、また別の話です。

 

 「無罪」と「無実」は違います。

 無罪というのは、あくまで「有罪を証明できなかった」という裁判技術の問題。

 無実というのは、究極的には、本人にしか認識しえない事実です。

 

 無実を客観的な根拠をもって確定させるのは至難の業ですが、無罪判決を出すのは、技術的に何も難しくありません。 本来は、検察官の有罪立証が、0.1%でも崩れれば無罪なのです。

 無罪判決を出す難しさが、何かあるとすれば、

 それは、凶悪事件の被告人に無罪判決を出した後に待ち受けるであろう、世論(メディア論調)のバッシングを思い浮かべたときの恐怖感があるぐらいです。

 今回の場合、「DNA鑑定が怪しい」という一点を弁護人が突いて、それで検察官による有罪立証が少しでも揺らいだなら、裁判官は被告人を無罪にしてしまっていいのです。

 それが、神ならぬ人間が「無実の人を、一切刑務所に送らないための安全弁」として開発した、現時点での知恵の到達点なのです。

 たしかに、真犯人に無罪判決が出された結果、心の中で密かに笑いながら、この社会で生活しているヤツもいるかもしれません。

 真犯人を逃がすか。

 無実の者を罰するか。

 究極の選択ですが、少なくとも司法は、「真犯人を逃がしたとしても仕方ない。 とにかく無実の人を絶対に処罰しないこと」と決めたのです。

 全体のために、ひとりに犠牲となるよう強制してはいけないと、憲法13条の「個人の尊重」は謳っているからです。

 もちろん、その人の意思で「自分が社会全体の犠牲になる」と覚悟するのは、美しい話ですし、個人の自由ですが、少なくともその犠牲を周りが強制してはいけないと。

 
  

 無実の人を罰しないように、気をつけてシステムを構築しているハズでも、今回の「足利事件」裁判のように、無実の人を長期間にわたって拘禁してしまう間違い、悲劇は起こるのです。

 菅家さんには、いずれ再審で無罪判決が出ることでしょう。

 しかし、失われた時間は決して戻ってきません。

 仕方がないので、法制度は「刑事補償」という仕組みを用意しています。

 要するに、失われた時間を「お金に換算しましょう」というのです。

 失われた時間に対する刑事補償は、最高額で1日あたり12,500円です。たいていの場合は、その最高額が支払われるようです。

 菅家さんが逮捕された1991年12月2日から、釈放された2009年6月4日までは、期間計算サイトによると、6394日(19年6カ月2日)だそうです。

 ということは、国からの刑事補償額は、単純計算で、約8000万円になります。

 

 とはいっても、「補償」って「賠償」とは違って、支払う側に責任はないけど、結果的に気の毒な目に遭っている人のために支払うよ、というニュアンスがあります。

 つまり、刑事補償をしている国は、ひとりの人生を台無しにしたということについて、自分が悪いことをしたと自覚していないんでしょう。

 しかも、刑事補償は、無罪判決が出た後に、裁判所に改めて訴え出ないと支給されません。 どこまで不親切なんでしょうか。

 

 ……といったような話を、私は次回作の中で、たまたま書いていました。

 これから裁判員が加わる刑事裁判が行われれば、「疑わしきは罰せず」という原理は、ますます一般の皆さんにとって重要性を増すからです。

 法律なんて、しょせん人間の作ったもの。 疑いながら従うぐらいで、ちょうどいい。

 

 とはいえ、ナガミネの次回作は、もちろん堅苦しい雰囲気の本ではありません。

 

 読んでみて、もしかしたら、「今までの雰囲気と違う」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

 今まではあえて削っていた、皮肉やイヤミ、冗談、ツッコミなど、わざとトゲやエッジを残してますので、私と同年代(30歳~35歳)ぐらいの「男ウケ」をする本かな、と思っています。

 人によっては、「裁判官の爆笑お言葉集」よりも、笑っていただけることでしょう。

 まぁ、著者の狙いなんて、だいたい外れるんですけどね。 良いほうにも、良くないほうにも。

 

 はたして、法律界の感覚がズレているのか? それとも、私の書いていることがズレてるだけなのか?

 最新刊「ズレまくり! 正しすぎる法律用語」は、阪急コミュニケーションズから、来週木曜(6月11日)発売予定です。

 あと6日ですね。 どうぞよろしくお願いします。

 だいたいの目次は、こちらで。

 
 

Photo

|

« 月曜の夕方から風邪ひいてました | トップページ | 「一人一票」アンケートにご協力を! »

★『ズレまくり! 正しすぎる法律用語』(阪急コミュニケーションズ)」カテゴリの記事

裁判ニュースつまみぐい」カテゴリの記事

コメント

裁判員裁判の始め(始まる前?)に行われる裁判長の裁判員に対する訓辞として、「証拠に基づいて有罪か無罪かを決める」といったものがよく紹介されています。いわゆる「想定無罪」から若干距離のある言い方だとは思われませんか? 「証拠によって証明されたと思われるときのみ無罪」とでも言うべきだと思います。

投稿: jsds001 | 2009年6月 5日 (金) 10:59

>jsds001さま

ありがとうございます。

おそらく「証拠によって証明されたと思われるときのみ"有罪"」という意味で、お書きなのだろうと思いますが、ご指摘に賛同いたします。

検察官が証明できなければ、無罪を出す、ということですからね。

もし「有罪か無罪か決める」という説明をしてしまえば、どちらか決められない場合はどうするのか?という問題が生じます。

刑事裁判の鉄則において、有罪か無罪かを決められない場合は、無罪なのです。

投稿: みそしる | 2009年6月 5日 (金) 18:26

最高裁の「決定」は、DNA鑑定の証拠能力についてを肯定したものであり、その証明力を絶対的なものとしたわけではありません。マスコミ報道を見ると、何か、混同して勘違いしているように思えます(私の勘違いでしょうか?)。当時も今も、証拠能力のある証拠の証明力の判断は、裁判官の自由心証主義に委ねられているわけです。
足利事件は、当初、公判廷で自白して、被告人質問か何かで否認に転じたことが、えん罪(?)の大きな要因になっている気がします。当初の弁護士が、最初から、きちんと、取調段階の調書の自白の任意性を争っていたら、また違った結果になったんではなかろうかと思えてしかたありません(被告人質問間際まで、弁護士も知らなかった可能性もありますが)。
裁判官が、最初に公判廷でした自白の方を信用して、自白の任意性を肯定し、その補強証拠としてDNA鑑定を用いたわけですから、当時のDNA鑑定の証明力でも一応、問題なかったわけです。ですので、一般論として、当時の裁判官を責めるのはちょっと違うのでは?と、個人的には思ったりします(自白の任意性の疑わしさが公判廷に現れていたのを見過ごしたのなら、裁判官が無能ということになりますけど)。

投稿: 通りすがり | 2009年6月 5日 (金) 22:44

いつも専門的で高度なコメントを頂戴して、ありがたく思います。

過去の新聞記事を検討していますが、一審担当の国選弁護人は、「いったいDNA鑑定とは何なのか」を調べるのに頭がいっぱいだった模様で、菅家さんが取り調べでどのように自白に転じたのか、その状況まで慎重に調べる余裕がなかった可能性があります。

孤軍奮闘という感じだったみたいですし。

被告人質問で、いったんは無実を告白した菅家さんも、次の公判では再び罪を認め、かと思えば、無期懲役判決が出た後には、弁護人に「自分はやっていない」旨の手紙を出しているようですね。

本件の菅家さんとは逆に、痴漢の疑いで逮捕され、取り調べでは一貫して無実を主張していながら、公判廷で「私がやりました」と告白する被告人を、過去に法廷で観ました。

取り調べや裁判にかけられる人間というのは、緊張や不安感などから、客観的にみれば首尾一貫しない応対をしてしまうものかもしれません。

私が今日たまたま傍聴した事件で、「刑務所に入りたかった」としてパチンコ玉を盗んだのに、取り調べ段階で黙秘したり「未遂だ」と争ったりしている不可解な被告人を見て、ますますその思いを強くしています。

二審から結成された弁護団は、上告中「もう一度鑑定してみたら、結果が従来と違う」と主張して、DNAの再鑑定請求をしていたんですね。

現段階で私が何を言っても、後出しジャンケンみたいで恥ずかしいのですが、最高裁としては、たとえば「DNA鑑定の証拠能力は認めるけれども、本件は差し戻して再審理」という判断もできたんじゃないかと思います。

少なくとも、本件をめぐる当時のDNA鑑定は、保存状態が極めて悪い試料に基づいていて、鑑定を試すたびに結果がコロコロ変わっていたようなシロモノだったといわれています。

弁護側の開示請求にもかかわらず、鑑定の途中経過資料を出そうとしない検察の態度にも問題はあったでしょう。

もっとも「公益の代表者」を標榜しながら、開示請求にマトモに応じず、有罪立証に不都合となるいろんなものを平気で隠すのは、本件に限らない検察官の一般的な問題ですが。

往年のDNA鑑定のように、今後も新しい科学技術に基づき、満を持して法廷に提出される証拠は、続々と生まれるのでしょう。

「新しい証拠」に、まず司法はどのような対応で臨むべきなのか、あらためて確認しておく必要があるように感じます。

投稿: みそしる | 2009年6月 6日 (土) 00:44

これから、再審に向けて、いろいろと検証されるみたいですから、よりよい司法制度となるように、みそしる様も、情報を発信し続けてください。ではでは。

投稿: 通りすがり | 2009年6月 7日 (日) 14:46

どうもありがとうございます。

また、いつでも通りすがってください!

投稿: みそしる | 2009年6月 8日 (月) 02:23

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/3002/45238313

この記事へのトラックバック一覧です: 賢い法律家たちだって、不完全な人間なのだ…「足利事件」:

» 17年の歳月は戻らない [のんびりまったりおばばな毎日]
足利事件の菅家さんが釈放のニュース{/ee_3/} なんとなくこの事件を覚えていただけにショックだった{/hiyoko_thunder/} 17年も無罪なのに刑務所に入って両親はショック死。 兄弟たちもとてもつらい思いをしただろう。       ふと不安になった{/face_setsunai/} 裁判員制度になってもし自分が関わった事件が冤罪だったら・・・{/eq_1/} もう戻せない責任の一端を素人の私達が負うことになる。 人の生き死にの責任をみんなが分け合う時代がもうはじまってる。 他人は関係な... [続きを読む]

受信: 2009年6月 5日 (金) 06:44

» 飯塚事件「天文学的確率で有罪」 [趣味の事典]
以前に足利事件と飯塚事件の共通性について書いたが、その際、ただし足利事件とは違い、残念ながら当時の証拠は何も残っていないそうだ。したがって再鑑定は不可能なのかも。と書いた。 けれども、最近読んだこの事件の再審請求に関するある新聞記事によれば、もしかしたらこれが可能であるようだ。 それはこうだ。事件当時のDNA鑑定の結果の証拠品の側のDNAのある配列と、刑を執行された久間さんの遺族のDNAの配列を比較するという事。これで鑑定が出来るのかもしれないのだ。 私がまず真っ先に申し上げておきたいのは、こ... [続きを読む]

受信: 2009年6月 8日 (月) 09:58

« 月曜の夕方から風邪ひいてました | トップページ | 「一人一票」アンケートにご協力を! »