韓国の裁判官、乱暴お言葉集!?
>>>【社説】「離婚者は黙っていろ」 暴言吐いた判事
ソウルのある裁判所に所属する40代後半の判事は今月6日、賃貸物件の保証金返還訴訟に出廷した母子に暴言を繰り返した。離婚歴がある母親(57)が挙手して発言しようとしたところ、判事は「お前は離婚したというのに、何を言いたいんだ。黙っていろ」と失礼な言葉でそれを制止。娘(33)に対しては「カネを早く受け取りたくないのか」などとぞんざいな言葉を連発した。また、裁判の過程で亡くなった父親の名前が登場すると、判事は「さん」という敬称さえ付けなかったという。
これが「東方礼儀の国」と呼ばれてきた国の法廷風景で、秀才の中の秀才とされる判事の品格だ。娘は「判事が両親にあまりに失礼な態度を取り、苦痛を受け、怒りが込み上げた。これでは納得がいかないことがあっても、判事が怖くて裁判も受けられない」として、国家人権委員会に訴えた。
判事が暴言を発したケースはこれにとどまらない。69歳の訴訟当事者に「臆面もなく-」などと発言した39歳の判事や「この事件はむちゃくちゃで汚くてやってられない」と発言した判事もいた。ソウル地方弁護士会が今月1日に発表した裁判官評価調査でも、弁護士の30%が判事の暴言や威圧的な態度を問題点として挙げた。
裁判官倫理綱領は「裁判官は訴訟関係者に親切かつ丁寧に対しなければならない」と定めている。また、その綱領に違反した場合には、懲戒が可能だと定めた裁判官懲戒法に触れるまでもない。
裁判官の言動が訴訟当事者の信頼を失えば、判決に対する信頼、司法に対する信頼が失われる。しかし、裁判所は国民の委任に基づく司法権を個人の権限と勘違いした判事に対し、ただ口頭で注意を与えただけだった。暴言判事は今後も後を絶たないだろう。 (朝鮮日報日本語版 2010/07/14)
こういうネタを取り上げると、韓国を差別したり卑下したりして一種のカタルシスとするような、水面下で鬱屈した一部の日本人の態度と直結させる向きもあるんでしょうが……。
記事をよく読むと、韓国の裁判官、みんながみんな暴言を吐くわけではなく、特定の裁判官だと相場は決まっているようですからね。
だったら、日本の裁判官にも同じようなことがいえるのではないかと。
全国に3500人ほどいる裁判官のうち、妙な人も明らかに、ごく一部混じってます。
一昨年に、週刊ダイヤモンドさんで、拙著「裁判官の爆笑お言葉集」のスピンオフ企画(?)として、『裁判官の非常識お言葉集』という原稿を載せていただきましたが……
審理の途中で「こんな裁判をやるのはおかしい」と発言した民事裁判官。
「タクシー運転手には、雲助まがいの者や、賭け事などで借財を抱えた者が、まま見受けられる」と、あろうことか判決文に明記してしまった裁判官。
「暴走族は暴力団の少年部。 犬のウンコですら肥料になるのに、君たちは何の役にも立たない産業廃棄物以下だ」と発言した、家庭裁判所の裁判官。
週刊誌の名誉毀損裁判で「被告週刊誌の読者が、サラリーマンや自営業者、主婦であることが認められ、特段に知的水準が高いとは言えないことに鑑みると……」という、ファンキーな認定をしてみせた裁判官。
……自分の書いた記事を改めて読み返してみましたが、いやー、ニッポンの裁判官もなかなかのものです。
ここまでわかりやすい失言でなくても、明らかに的外れ、思い込みに基づくような前提をもとに話を進めたり、被告人の話を聞かずに自分の言いたいことをダラダラ話したり、逆に手を抜いて質問なしで終わらせたりするような、志の低い裁判官は「まま見受けられ」ます。
刑事裁判官だと、弁護人にはヨソ行きの丁寧語を使っておきながら、検察官にはフランクにタメ口で話すような人も見かけます。
同じ刑事部の裁判官と検察官は、毎日顔を合わせていますので、なあなあの仲になっているんでしょう。
裁判の公平性に対する疑義が、ありありと目に浮かび、哀しくなります。
記事によると、韓国では、弁護士の30%が判事の暴言や威圧的な態度を問題点として挙げたそうですが、日本の弁護士にアンケートを採っても同水準の数字は出るものと想像できます。
この朝鮮日報の指摘を、決して「対岸の火事」とは思わないことですね。
「国民の委任に基づく司法権を個人の権限と勘違いした判事」という表現は、言い得て妙です。
>>> 裁判所が「法廷での正しい言葉遣い」マニュアル配布
最近、法廷では裁判官の暴言が問題となっているが、これを受けて裁判所では、裁判官の言葉遣いを正すための対策に乗り出している。
ソウル中央地裁は15日、改善策を取りまとめ、「法廷での裁判官の正しい言葉遣い」と題するマニュアル形式の冊子として発行し、刑事部の裁判官に配布したことを発表した。
改善策には▲法廷での正しい言葉遣いの重要性▲言葉・行動・表情の特性▲法廷での言葉遣いの注意点などが細かく記載されている。
具体的には、「相手の話の腰を折らない」「神経質な態度を取るのは裁判官の品位を落とす」「“(発言者が)話にもならないことを言っている”という先入観は持つべきでない」などだ。
裁判所の関係者は、「国民が裁判のプロセスに信頼を置くことが急務であり、この点では共通の認識ができている。そのため今回、改善策を取りまとめた」と述べた。
ソウル家庭裁判所の裁判官らも、先月中旬から6週間の予定で、毎週1回ずつ「他人の話に耳を傾ける方法」「相手の気分を害さずに話をする方法」などのテーマで講習を受けている。(朝鮮日報日本語版 2010/07/16)
暴言対策も、ここまで来ると、やり過ぎというか、やるせなくなるような。
裁判官も、いちおう選びに選び抜かれた精鋭集団のはずですし、「正しい言葉づかいをしよう」という、まるで3歳児の躾みたいなパンフレットは必要なんでしょうか。
それにしても「神経質な態度を取るのは、裁判官の品位を落とす」というアドバイスは、私の目には興味深く映りますね。
庶民の話によく耳を傾けてくれる裁判官、細かいところに気を遣ってくれる裁判官も、好感度が高くていいのですが……
別に法廷はカウンセリング室じゃありませんしねぇ。
最終判断者たるもの、それだけじゃあ足らんのではないか! というのが、私の意見といいますか、裁判官に期待するイメージです。
うまく書けませんが、ある程度のカリスマ性というか、オーラというか、些事に動じない、媚びない態度は心がけていてほしいものです。
締めるべきところはキッチリ締めるような、メリハリがほしいなぁと。
とはいえ、そこにも落とし穴があります。
今年2月、名古屋地裁の裁判員裁判が終わった後の記者会見で、「裁判員席にずっと座っていると、自分が偉くなったような錯覚に陥りました」と、正直な感想を述べてみせた裁判員がいました。
一般市民から、このコメントを得られた。それだけでもう、裁判員制度は成功なのかもしれません。 (だからさっさと止めたほうがいいのかもしれません)
一段高いところに座り、物理的に法廷の隅から隅まで、すべてを見渡せる位置にいられる裁判官。
そして、裁判の進行を掌握する訴訟指揮権や、裁判の妨害を食い止める法廷警察権を与えられている裁判官。
そうした物理的視点や法律的権限を、心理的な傲慢に変えてしまうだけの「呪い」が、あの地位には隠されているようです。
現代受験システムの勝者である裁判官ですから、記憶力や事務処理能力などは抜群に高いのでしょう。
とはいえ、“頭の良さ”と一口に言っても、いろいろと「ジャンル」ってもんがあります。
自分自身の言動を客観的に想像、俯瞰して、自己コントロールする能力。 これも頭の良さです。
接客や営業担当者、お笑い芸人など、他の人間と真剣に向き合う職業人は、この能力を鍛えていなければ、おまんまの食い上げでしょう。
視点を1つに固定して見ればシリアスな問題でも、俯瞰で見てみれば喜劇だってことは、よくある話で。
俯瞰・客観視の能力が裁判官に備わっていれば、暴言や失言の心配はありませんが、その有無はは、司法試験や二回試験などでは検証できていないはずです。
まぁ、結局は何だって、バランスが大事だよね!
……という、面白くも何ともない結論になってしまうのが無念ですが。
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コメント
地方裁判所における民事裁判の弁論準備手続ではある裁判官がかなり言いたい放題であったことを耳にしました。「原告が死んだり、うつ病になったりした訳でもないのだから損害賠償なんか認められるはずがない」位のことは平気で口にする裁判官は確かにいます。
争点をきちんと整理できない裁判官、準備書面をろくすっぽ読まない裁判官、審理が始まったばかりの段階で裁判の勝ち負けを臭わせる裁判官。トラブルになっていないのが不思議なくらいです。
心身共に成熟した裁判官が育つよい方法はないのでしょうか。それが出来るのなら裁判員制度など全く不要と私は考えます。
投稿: きたひろさとう | 2010年7月18日 (日) 23:11
>きたひろさとう さま
コメントありがとうございます。
たしかに、法廷と違って非公開の手続き内では、とても(良くも悪くも)ざっくばらんな話をする裁判官は少なくないと聞きます。
人々に対して不要に謙遜したり卑屈になったりする必要はまったくありませんが、人の話にしっかり耳を傾けたり、自分の発言が礼を欠くものでないか想像できたりする程度は、求めてもいいのではないかと思います。
名案はないと思いますが、「問題裁判官」に対するクレームの存在が公開されるような仕組みは必要かもしれません。
投稿: みそしる | 2010年7月19日 (月) 17:54