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2012年6月 6日 (水)

冤罪に遭った人は、品行方正でなければならないか

 明日は、いわゆる「東電OL(女性社員)殺害事件」の犯人の疑いをかけられ、無期懲役の判決が確定し、横浜刑務所に収監されている、ネパール国籍のゴビンダ・プラサド・マイナリさんについて、再審(裁判のやり直し)が認められるかどうかが決定します。

 つい先日、名張毒ぶどう酒事件について、再審を認めない決定がなされたため、イヤな流れが続かないように……と思っています。

 ゴビンダさんとは直接の面識はないのですが、ゴビンダさんを支援し続けている客野美喜子さんとは、5年来のお付き合いで、事件現場となった渋谷近郊の部屋に入ったり、この方の紹介で『冤罪File』誌の仕事をいただく機会を得たという縁もあります。

 ゴビンダさん、10年以上の拘置生活で、すっかり日本語を覚え、手紙の文面も、漢字交じりで難しい言葉もおぼえ、本当に立派だと思いますね。

 

 ご存知の方も多いと思いますが、犯人だと疑うに足りる十分な証拠がないとして、一審:東京地裁では無罪が出されたのです。 しかし、いろんな理由を付けてゴビンダさんは釈放されないまま、二審で逆転有罪となりました。

 ゴビンダさんは、被害女性との情交があったりしたため、それがスキャンダラスに採り上げられるとともに、殺人事件の犯人として疑われてしまいました。

 もちろん、「それとこれとは別」なはずなのですが、たとえ犯人でないとしても、何らかの後ろめたい事情が背景にあると、世間ではなかなか支持してもらえない側面があります。

 冤罪被害者とは辛い立場だと思います。

 

 たまたま明日、私は『冤罪File』誌の取材で、東大和放火殺人事件という裁判員裁判の被告人質問を、東京地裁立川支部の法廷で傍聴することになっています。

 これも「放火なんて私はやってない」と被告人が述べている、いわゆる否認事件なのですが、被告人は半分ホームレスのような生活をし、たびたび空き巣をしながら暮らしてきた過去があるようで……。

 たとえ火をつけてないとしても、世間の同情・共感を得るのは、はなはだ難しいケースなのかなと思います。

 被告人についている弁護士さんですら、「本当にやってないのかな……?」と、若干疑っているらしいので、一筋縄ではいきません。

 

 なにはともあれ、明日は朝から晩まで、この1件を集中して取材してきます!

 明日は偶然、「冤罪」づいていますね。

 
 

Photo

(↑東京地裁立川支部庁舎・オープンの日 2009/04/20)

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ぬれぎぬという理不尽」カテゴリの記事

コメント

>冤罪に遭った人は、品行方正でなければならないか
やってもいない人殺しという汚名を返上したいのはわかるけど、
冤罪を訴える人には善人じゃない人がいるからな。

・川端町事件で強盗先の店の店員にハンマーで殴った尾田信夫
・首都圏女性連続殺人事件で婦女暴行や窃盗の常習者だった小野悦男
・山中事件で金銭トラブルで小刀で刺した霜山則男
・鶴見事件で1000万円盗んだ高橋和利
とかは無期懲役や死刑になるか否かは別にして、この人たちは善人じゃないと思いますね。

投稿: xxx | 2012年6月 7日 (木) 21:14

長嶺さん。逆に捜査機関が個人の後ろめたさに付け込んで一部の冤罪を引き起こしている危険性もあるかもしれません。多かれ少なかれ、後ろめたいことのひとつやふたつ、誰にでもあるでしょう。それを思うと・・・

投稿: イトー | 2012年6月 8日 (金) 05:36

>XXXさん

「善人じゃない」人なら、何でもかんでも罪を着せてもいいのかどうか、ということを今回は問題にしてみました。

それで済むなら裁判所は不要なのかもしれません。

 
>イトーさん

そういう陰謀論も説得力を持ちうるぐらい、捜査機関に対する国民の信頼が揺らいでいる昨今ですよね。有罪証拠を偽造しちゃうぐらいですから。

投稿: みそしる | 2012年6月 8日 (金) 21:45

個人レベルで冤罪を防ぐことはできないけど、過去の冤罪事件の多くは、前科があったり、地域の不良・犯罪者予備軍であったりして、警察に目をつけられていた例が多いので、品行方正であることは自己防衛の手段たりうるのではないでしょうか。
さらに言えば、町内会などの地域活動にも参加し、近隣との有効な人間関係を築いておくことも有効ではないのでしょうか。

投稿: 小市民 | 2012年6月21日 (木) 13:54

有難うございます。確かに個人レベルで冤罪に遭う確率を限りなく低くするという観点では、「品行方正に生きる」ということも大切だろうと思います。

ただ、それが仮に「冤罪に遭うのも自業自得だ」という他責的・自己本位の考え方に結びつくとしたら寂しいものです。

違う環境で生まれ育ち、自分とは異なる状況に置かれた人に対する、わずかばかりの想像力も「品行方正」の定義の中に含んでいてほしいと思うのです。

確かに昔はワルをやってたけれども、「それとこれとは話が別だ」と冤罪を主張する立場は保障されなければならないと思います。

投稿: みそしる | 2012年7月 2日 (月) 14:09

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