映画『死刑弁護人』を観て……
誰も引き受けないような凄惨な殺人事件の弁護人を請け負うことで知られる、安田好弘弁護士。彼の仕事ぶりと半生を終始取り上げたドキュメンタリー映画です。
都内ではJR東中野駅前の「ポレポレ東中野」で今月いっぱい上映されています。
((参考エントリ)) 『最高裁ドタキャン弁護士 安田好弘さんの基礎知識』2006/03/24
オウム真理教事件、和歌山カレー事件、光母子殺害事件という、日本で生活していれば誰もが知っているような数々の著名殺人事件の弁護を手掛けてこられました。
私はこの人、単純な好き嫌いで言うと、好きなタイプの弁護士ではありません。
確かに、刑事弁護人としての使命感は、日本でも指折りのものをお持ちだと思います。同時に多くの大事件を担当し、膨大な仕事量をこなし、日本中を駆けずり回っている。費用もほとんど持ち出しでしょう。
それでも思い通りの判決が出ないことが多々あり、それでも信念を曲げずに貫いている。常にファイティングポーズを崩さない姿勢、エネルギッシュな行動力には敬意を表します。
また、滅びの美学のような要素も感じますね。
殺人事件は必要的弁護事件ですから、弁護士資格を持つ誰かが弁護人に就かない限り、有罪判決を出すことすらできない。それどころか裁判すら始まらないのです。
その汚れ役を買って出るのは、並大抵での覚悟でできるはずがないでしょうし、刑事裁判の運営という公共的利益においても、一定の貢献をしているといえます。
一方で、公判期日に欠席するなどの引き延ばし工作が目立つので、その点はマイナス材料という他ないですが、かといって永久に引き延ばすこともできないわけで、いずれは判決が出されるでしょうからね。
◆ 刑事訴訟法 第289条
1 死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮にあたる事件を審理する場合には、弁護人がなければ開廷することはできない。
2 弁護人がなければ開廷することができない場合において、弁護人が出頭しないとき若しくは在廷しなくなつたとき、又は弁護人がないときは、裁判長は、職権で弁護人を付さなければならない。
3 弁護人がなければ開廷することができない場合において、弁護人が出頭しないおそれがあるときは、裁判所は、職権で弁護人を付することができる。
職権で付された弁護人は、どうしても「裁判長から命令されて、やらされてる感」が拭えないかもしれません。安田弁護士のような方のモチベーションの高さには敵いません。
安田弁護士が強制執行妨害容疑で逮捕された際、彼の弁護人を引き受けたいと志願した弁護士が、全国から山のように押し寄せたと、作中で紹介されてましたし、人望は厚いのだと思いました。
そうした事情を考慮しても、やっぱり苦手です。
目的と手段を履き違えているところが。
安田弁護士が担当した殺人事件のひとつに、1980年に発生した「名古屋女子大生誘拐殺害事件」があります。
安田弁護士の献身的な努力むなしく、彼には死刑判決が言い渡されて確定したのですが、安田弁護士は「恩赦」の申し立てを助言して、死刑言い渡しそのものの取り消し、ないし軽減を求めようとしたんですね。
しかし、彼の死刑は執行されます。恩赦の申し立てを検討している事実だけでは、死刑執行の可能性を止められないからです。
◆ 刑事訴訟法 第475条
1 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。
安田弁護士は、こういう主旨のことを述べて、当時を回顧します。
「早く再審請求しておけばよかった。そうすれば彼はまだ生きていられた」
「事実をでっち上げてでも再審請求すればよかった」
事実をでっち上げてでも? ……その一言に心がズキンと痛んで、その後に作中で美談のように綴られている安田弁護士の弁護活動の様子も、素直に受け取れなくなっていました。
もちろん、話に勢いがついて大げさな表現で述べたとも考えられますが、死刑判決を回避するために、なりふり構わぬ大胆な活動をする方なので、時間にすればコンマ数秒程度であろう「でっち上げ」発言を、どうしてもスルーできませんでした。
あるいは、検察が事実をでっち上げてるから、「こっちもでっち上げて構わない」という確信がおありなのか。
◆ 刑事訴訟法 第1条
この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。
たびたび書いていますが、私自身も、究極的には死刑制度を廃止すべきだと考えています。
とはいっても、あんまり理念的な考えに基づいているわけではなく、人を殺めるという取り返しのつかない過ちに落とし前をつける対価として、その者の「死」が本当に釣り合うんだろうか? という問いに基づいています。
むしろ、遺族の悲嘆や怒り、諦観などの人間的感情に正面から向き合わせ、生きて苦しむべきではないかと。
少なくとも、「国家権力を忌み嫌う感覚」からスタートして、権力を攻撃するネタのひとつとして採用する死刑廃止論ではありません。
確かに、十分な社会的武器を持たずに虐げられている人のために、自らの力を貸すのが、民間における権力者である弁護士の望ましい姿だと思いますよ。一般論ですが。
とはいえ、安田弁護士は自らの担当の刑事被告人に不自然に肩入れ過ぎていて、被告人が犯した罪の重大さ・凄惨さを敢えて、自らの行動原理から排除しているように思えるのです。被告人の冤罪を主張しているなら別ですが。
安田弁護士が被告人に寄せる同情の仕方は、率直に申し上げて「没頭」や「自己投影」に近く、語弊があるかもしれませんが純文学的な印象を抱かせるんです。法律学は一応、社会科学なんですから。
なので、犯罪被害者や裁判官・検察官・警察官など、それぞれの事件当事者・裁判当事者に対する立場への一定の目配りが抜け落ちている点にも、強烈な違和感があります。
「敬意を表せ」とまでは言いませんが、せめて、それぞれの立場に配慮した発言や行動があるべきです。
戦う姿勢は素晴らしいのですが、生身の人間を相手にして戦っているとは思えない営みに、うすら寒さを覚えるのです。
人間を殺すのも人間なら、権力を動かすのも人間ですからね。
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