裁判員制度を輝かす 100の改善案 〔No.36-45〕
【 36 】
傍聴席の最前列に“緩衝地帯”を設けては?
法廷の被告人が傍聴席に飛び込んで、遺族・被害者や傍聴人を襲ったり、逆に、感情的になって行動が止められなくなった遺族・被害者が被告人に飛びかかったりする事態を防ぐため、アメリカなどの刑事法廷では、傍聴席の最前列には、あえて誰も座らせないようにする運用も行われているようです。
ならば、凶悪事件ばかりを扱う裁判員裁判では、それだけ当事者の感情が爆発するほど膨らむ潜在的リスクがありますから、同じ運用がなされてもいいでしょうね。
ただし、そのぶん傍聴席が減る結果となるのは、傍聴人としては厳しいですが。
【 37 】
裏で隠れての「打ち合わせ?」疑惑問題
裁判員裁判第1号の法廷で、初日は裁判員からの発言・質問がゼロ、2日目が1回、そして3日目になって、6人の裁判員が各1問ずつの質問を行ったと報じられました。
「6人全員」がキレイに「1問ずつ」という点に、違和感をぬぐいきれません。
これでは裁判長が、裁判官が行うべき質問の取捨選択をしているんじゃないかと勘ぐられても仕方がありませんよ。 当の裁判長は「痛くもない腹を探られている」と不愉快かもしれませんが。
質問内容はプロ裁判官が統制せず、なるべく裁判員が自由に話してもらうのが、庶民感覚を借りる裁判員制度の趣旨にも合うと考えます。
【 38 】
「わかりやすさ」のワナ
生々しい証拠、複雑な事実関係が、CGなどを駆使してビジュアル化されています。
ただ、「わかりやすくする」とは、「加工する」ということです。
わかりやすくすればするほど、かえって真実から遠くなる危険が、常につきまとうことを忘れちゃなりません。
いや、もちろん忘れてはいないと思いますが、ある証拠がどのように加工されたか、その過程は追えるように担保してもらいたいと思います。
とことん真相を追いたいと希望する裁判員には、ナマの証拠を吟味させることも、真剣に検討していただきたいです。
【 39 】
被害者参加で情緒的になりすぎないように
被害者・遺族による「復讐」の権利を、いったん司法が預かり、法に基づいて客観的に裁くことにしていますが、それだけ、被害者・遺族の悲しみや怒りといった原始的な感情が封じ込められ、被告人が犯した過ちに身をもって気づかせる「感銘力」が薄れる可能性があります。
その点で、被害者参加という制度趣旨は理解できますね。
ときには、法廷で感情を爆発させるような場面もあるかもしれません。そうした感情の吐露も、一定程度は尊重すべきです。
ただ、感情だけで犯罪行為を処理すればいいのなら、裁判は必要ありません。同時に冷静さも求められます。
ブレーキ役として、裁判官や弁護士の役割も重要ですが、検察とマスメディアが、無意識にせよ被害感情をあおる側面があるので、その自制も欠かせません。
むしろ、検察が遺族に「事実を淡々と伝えたほうが、人の心を打つ場合もあるんですよ」と説得するぐらいの、引いた立ち位置も必要でしょう。
【 40 】
「弁護側求刑」の創設
従来のような検察官による求刑と同時に、被害者・遺族の意見として、刑罰の希望を述べる機会が与えられるようになりました。
ただ、弁護人は無罪でも主張しない限り、「寛大なる判決を」「執行猶予を」と述べるだけで、具体的な量刑数値については語りません。
裁判員に、量刑目安の加減を示すべく、弁護人にも求刑意見を述べられるようにしたほうがいいでしょう。
ただ、被告人をかばう立場である弁護人が「求刑」(刑罰を求める)というのも、若干の違和感があります。
「弁護人の量刑意見」ぐらいの、中立的な言葉を作ってみるのもひとつの方向性です。
【 41 】
傍聴券の受け渡しを防ぐ抽選の仕方は?
多くの人々からの注目を集める裁判では、傍聴席に人が入りきれませんので、事前に整理券が配られ、のちの抽選によって人数が絞り込まれ、正式な傍聴券が配布されます。
ただ、その抽選で当たる確率を上げるため、大量の整理券をとるだけの目的で、たくさんの臨時アルバイトを動員し、それで得た傍聴券で記者やお抱えのジャーナリストを入れたりしているんですね。
まぁ、双方の利害は合致してますし、違法でないことは認めますが、「裁判の公開」という原則に反し、まるで金銭で傍聴券を買うようなまねをマスメディアが行うことで、裁判に興味を持った一般の方を閉め出しているのは、いかがなものでしょう。
これは裁判員制度の問題に限らないのですが、8月3日からの第1号裁判員裁判(東京地裁)でも同様、このアルバイト動員は露骨に行われていて、一部に問題視する向きもあります。
なお、8月10日から行われた第2号裁判員裁判(さいたま地裁)では、行列に並んで当選した本人しか傍聴券を得られないよう、「リストバンド型」の整理券が配られました。これは一歩前進といえるかもしれません。
もっとも、整理券と傍聴券を交換した後に、傍聴人をいったん解放してしまったら意味がないわけですが。
【 42 】
前科や余罪は、メインの事件と直接関係ないことを説明
刑事裁判では、起訴されて「公訴事実」という枠のなかで書かれた問題を審理します。
そのなかで、過去に被告人が行った犯罪の「前科」や「前歴」、ないし、証拠が不足するなどで起訴にまで至らなかった「余罪」は、公訴事実の枠のなかに入っていない以上、審理の対象ではありません。
そのことは、事前にしっかり裁判員に説明しておく必要があります。
ただし、メインの事件で、被告人が「有罪」を認めるのであれば、彼/彼女に前科前歴・余罪が存在する事実は、犯罪に染まる生活態度や性格などを示す「情状資料」として扱われる可能性があります。
メインの事件で無罪を主張している場合には、前科前歴・余罪の存在は、判断者である裁判員に先入観や偏見をもたらすおそれがありますので、慎重に排除していく必要があるでしょう。
【 43 】
異議が出た回答は忘れるように
質問者が欲しがる回答へと導くかのような誘導尋問、
同じことを表現を変えながらしつこく質問して、回答が変化していくことを期待する重複尋問(単純に、時間のムダでもありますが)、
実際に経験・知覚したことしか話せない立場の証人に、意見を求めたり議論を持ちかけるかのような尋問、
回答者をバカにするような侮辱的な尋問、
……などは禁止されています。
わざと質問者がトラップを仕掛けている場合もあるでしょうし、うっかりやってしまう場合もあるでしょう。
特に、被告人が無罪を主張している事件で、目撃証人や被害者証人を尋問する場合などで、問題になります。
本来は、こうしたズルイ尋問に対して、証人が答える前に、相手方の法律家(弁護人や検察官)が異議を出すべきなのですが、そううまくいく場合ばかりとは限りません。
ズルイ尋問に対し、証人が回答してしまったなら、判断者である裁判官や裁判員は、その回答を頭の中から消す、そうでなくても、判断の資料として使ってはいけません。
そのことも、裁判員に説明しておく必要があるでしょう。
裁判員の負担を取り除くことも大切ですが、裁判のルールを貫く配慮も同じように重要です。
【 44 】
えぐい証拠は、強制的に見せるべきではない
裁判員裁判では、人が亡くなったような事件を中心的に扱うものですから、被害者の遺体の状況など、非常に凄惨な証拠もあがってきます。
ただ、そうした証拠を直視しなければ、「有罪/無罪」や「量刑」を判断できない、というケースはごく少数でしょう。
できれば、見る勇気のある裁判員は、そういった類の証拠も見るべきですが、どうしても見られない場合は、無理強いすべきでありません。
えぐい証拠を直視できなかった裁判員も、質問や評議など、ほかのシーンで十分に、裁判を充実させる貢献はできるはずです。
また、凄惨な証拠を見た裁判員と、見られなかった裁判員との間で、まるで立場に差が生じるかのような空気が流れる場面も考えられます。裁判長をはじめとする職業裁判官は、そうした空気を敏感に察知し、公平に意見を述べる機会を与えることが重要でしょう。
【 45 】
いわゆる「区分審理」について
区分審理というのは、たとえば一連のオウム事件のように、凶悪犯罪をたくさん犯している被告人について、裁判が長引きそうな場合に、それぞれの事件を分割して審理する方法です。
たとえば、別々のタイミングで3つの殺人事件を犯している場合は、それぞれの事件につき、裁判員を6名ずつ召集することになります。そして、各グループの裁判員は、それぞれの担当事件につき、有罪か無罪かの判断さえくだせば、任務から解放されるため、一般国民への負担が軽くなると考えられています。
ただ、職業裁判官の3名は、殺人事件3件をすべて共通で担当しています。
ただでさえ法律知識に差があるのに、一連の事件に関する情報量まで、総合的に大きな差が生じてしまっては、個別の事件で駆り出されてくる裁判員が、単に市民参加という外観を満たす目的だけの「お客さん」となってしまう可能性も捨てきれないのです。
負担を軽くするだけでなく、市民参加という目標がしっかり達成されるような仕組みづくりも忘れてはならないでしょう。
たとえば、6名の裁判員のうち3名は、比較的時間に余裕のある国民(年金生活者など)のなかから選んで、裁判官と同じように一連の事件を共通で担当させるなど、なるだけ両者が対等に議論できるような環境も、工夫して作れるかと思います。
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