藤子・F・不二雄ワールドの架空法律 『航時法』 (「のび太の恐竜」編)
今から30年前に公開されたアニメ映画『ドラえもん のび太の恐竜』では、白亜紀のピー助(首長竜の子ども)をタイムマシンで現代(未来)へ連れて帰る行為を、「航時法違反」として描いています。
はじめは、現代でのび太が恐竜の卵の化石らしきものを見つけました。化石にタイムふろしきをかぶせて、生きた卵に戻し、その卵からピー助を孵化させ、元いた白亜紀の時代に戻そうとしました。
しかし、タイムトラベルの途中で、珍しい生き物として未来の世界でピー助を高く売りさばこうとする「恐竜ハンター」に狙われてしまいます。
そんな恐竜ハンターの企みは「航時法違反」の犯罪行為ですから、それを取り締まるタイムパトロールが目を光らせていました。タイムパトロールは、のび太らを助け、恐竜ハンターを追い払います。
白亜紀に到着してから、いろいろと大冒険があり、その間に、ピー助に対して完全に情が移ってしまったのび太。最終的には、ピー助を置いて現代に帰ることになり、その別れが感動を呼ぶ結末となるわけですね。
……ただ、刑罰付きの法律には「罪刑法定主義」という大原則があてはまります。
ある行為に対して、法律で罪と罰を書き記していない限りは、その行為を犯罪として取り締まることはできず、私たちは自由に行えるのです。
当たり前といえば当たり前の話です。
しかし、現代に、まして白亜紀の時代に「航時法」はありません。航時法は未来(22世紀)の刑罰法規という設定です。
こんな法律を、過去の時代にいるのび太や恐竜ハンターたちに適用することは、罪刑法定主義に反しないのでしょうか?
罪刑法定主義とは、「犯罪とは何なのか」「その犯罪を行ったら、どんなペナルティが科されるか」を、前もって法律にキッチリ書いておくことで、合法行為と違法行為の境界線がハッキリさせ、わたしたちの自由な行動を保障するための概念です。
恐竜ハンターは、タイムマシンが発明された未来の時代(原理的に過去へのタイムトラベルが可能かどうかという物理学的観点は脇に置くとして)から来ているはずです。
その時代には、タイムトラベルを規制する航時法も制定されているでしょうから、恐竜ハンターは、恐竜を未来に持ち帰ることが犯罪だと知っています。
自分の企みが犯罪だ、航時法違反だと心得ている限り、たとえ航時法が存在しない過去に飛んだとしても、彼らはタイムパトロールからの取り締まりはキッチリ受けるべき道理となるでしょう。罪刑法定主義とは矛盾しません。
でも、のび太は航時法の制定されている時代の人間ではありませんし、航時法違反としておとがめを受けなければならない筋合いがあるかどうか、罪刑法定主義という理屈を念頭に置くと、ちょっとギモンですね。
もしかしたら、のび太がビー助をタイムマシンで現代に持ち帰ってしまうと、ドラえもんが航時法違反で捕まってしまうのかも?
ドラえもんは、航時法がある22世紀のロボットですから、のび太を道具にして過去の動物を未来に持ち帰らせようとした、となると、航時法違反の罪の「間接正犯」?が成立してしまう。
だから、ドラえもんは、ピー助を白亜紀に置いて帰るよう、のび太に厳しく忠告したのかも。
うーむ…… ロボットに法律が適用されるんかなぁ?
現代の価値観では、ロボットは「物」あつかいなので、たとえばホンダのアシモが犯罪に該当するような行動をしても、アシモが懲役を受けたり罰金払ったりすることはありません。
たしかに、あれだけスイスイと二足歩行する機能が備わっていることは凄いことですが、罰を受けて反省する機能は、まだ付いていないはずです。
この場合、悪い意図に基づくプログラムでアシモを操作した人間がいれば、そいつが処罰を受けることになるんでしょうね。
ただ、ドラえもんは、人間の操作からは離れて、立派に独立して行動することができますから、22世紀には人間と同様、ロボットにも法律を遵守する義務が課されると考えるのが自然でしょう。
ということは、22世紀には、ドラえもんのようなロボットにも、国会議員として立法に関与したり、選挙で投票したりする権利が与えられなきゃ、筋が通らないですね。
……いろいろと突き詰めて考えてたら、相当めんどくさい深みにドップリはまりました。
次の機会には、同じく藤子F不二雄原作の漫画「T.Pぼん」での『航時法』について考えてみたいと思います (こないだ、調べ物のついでに国会図書館で読みました)。
T.Pとは、タイム・パトロールの頭文字ですが、この「T.Pぼん」という作品のほうが、航時法についてさらに詳しい設定が盛り込まれています。
◇
あの村上博信裁判官(『裁判官の爆笑お言葉集』204ページ参照)が、まさか急逝とは……。 享年60。
去年、プレジデント誌での取材の関係で横浜市内へ行ったとき、アポ時刻になるまで横浜地裁で時間をつぶしてました。
その際に、村上判事の裁判をひさびさに傍聴したんですが、相変わらずオーラがビンビン出ている方だなと嬉しく思っていました。
まさかあれが、村上判事の勇姿を拝める最後の機会だとは。
あの時点で既に体調がお悪かったのかもしれません。 非常にショックです。
ご冥福をお祈りいたします。
村上さん、生まれ変わったら、また司法試験に受かって裁判官になってください。
ジジイになった私が、必ず傍聴しに行きます。
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