2013年9月 9日 (月)

『伝説の弁護士、会心の一撃!』という、ノリが軽いタイトルの新書を出します(^ ^)

みなさま、大変ご無沙汰しておりました。

このブログは、大幅にリニューアルをしたいと思っているのですが、私の腰の重さのせい、また、新しいシステムがなかなか手強いせいもあり、遅々として進まずにいます。

その代わり(?)、今月は新刊を2冊出す運びとなりましたので、ご紹介しますね。
1冊目は9月10日、つまり明日の発売。奇しくも、司法試験の合格発表と重なります。

 

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書名は『伝説の弁護士、会心の一撃! ― 炎と涙の法廷弁論集』 (中公新書ラクレさま)

だいぶノリが軽いですよね。

じつは、書名案は30本ぐらい出したのですが、どれも気合いが入りすぎていたようで……。

ちょうど集中力のエアポケットにハマったときに気まぐれで思いついた、一昔前のドラクエのパクリみたいな書名案を、担当編集の方が気に入って下さいまして、そのまま採用となったのです。世の中、わからないものです。

 本の中では、一般庶民をかばう弁護士だけでなく、一筋縄ではいかない政治家など、権力者の言い分を代弁する弁護士もかなり採り上げました。

前者のケースだけ採り上げたほうが世間的にウケるのかもしれないけど、それでは弁護士の仕事の紹介としてウソになってしまうので……。 


元祖・理不尽に立ち向かって戦う職業、それが弁護士!

法廷版「やられたら倍返し!!」の物語。

堅いイメージの法律家が、そんなことを言っちゃうのか……?
明治~平成の各時代を彩る、カリスマ的な弁護士たちが、熱くてユニークで大胆不敵な最終弁論を通じて、無味乾燥の法廷に「愛」と「笑い」を添えてきた実録。

そして、現在の弁護士界をむしばむ「過当競争」という危機……!

志を高く持ちたくても、持ちづらくなった「知の勇者」たちへ、弁護士になりたくてもなれなかったフリーライターが、あえて厚顔無恥に贈る応援の書。
「弁護士が嫌い」な方にこそ、読んでいただきたいと願います。

 

第1章 「イケメン弁護士」「美人弁護士」が減り続ける理由
 ⇒ 法律家のプライドを賭けて法廷で戦えなくなった、7つの事情。

第2章 世の中の「多数派」との戦い
 ⇒ 静穏な日常を求める心は、交通の便に掻き消されねばならないのか。

第3章 「ディテール描写型」の法廷弁論
 ⇒ 依頼人の置かれた状況を裁判官へ伝えるため、弁護士は何を為すべきか。

第4章 阿部定を弁護する
 ⇒ 暗い時代を騒がせた「珍事件」の一流弁護人は、哀しい女をどう弁護したか。

第5章 被告人、ニッポン
 ⇒ 敗戦日本にとどめを刺す戦勝国の裁き。国民感情に抗い、言うべきことを言った弁護人。

第6章 よくも悪くも「弁論の天才」
 ⇒ 三度の飯より法廷弁論を愛し、国政へも参入した売れっ子イケメン弁護士。

第7章 検察官への、正しい「噛み付き方」講座
 ⇒ イヤミ・だじゃれ・沈黙・山勘…… 国家権力に、七色の「弁」で対抗する。

第8章 伝説の「暴走法曹」
 ⇒ 拷問による取調べで、不遇の死を遂げた男の墓前。冥福を祈る弁護士、次の一手は?

第9章 弁護士を大切にしない政策は、国民を大切にしない政策だ
 ⇒ 1999年7の月、人類は滅びなかったが、何かが崩壊するきっかけが作られようとしていた。

 

■ 「『かつて弁護士はかっこよかった』 ベストセラー著者が描く『最終弁論ストーリー』」(弁護士ドットコムさま)
http://www.bengo4.com/topics/720/

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2012年8月31日 (金)

日本史上に燦然と輝き、シビれる「弁護士弁論」の備忘録(2) 『チャタレー夫人の恋人事件』正木ひろし弁護士

 
 

 今では当たり前のように販売中。

 それどころか映画化もされ、1クリックで翌日にはクロネコヤマトが本やDVDを届けてくれちゃう時代ですが……。

 かつての発禁文書「チャタレー夫人の恋人」をめぐる検挙・裁判の話は、高校1年の現代社会の教科書で触れてあって、それで初めて知ったもんです。

 当時は、男子生徒しかいないクラス(男クラ)に属していたものですから、エロ小説をめぐる検挙・裁判の話だと聞き、教室中がニヤついた雰囲気に包まれたことをよく覚えています。

 しかし、これは表現の自由をめぐる真剣な戦いだったのですよね。正木ひろし弁護士が弁護人に就いていた事実も知りませんでした。
 

 ((参考カテゴリ))
 「らしくない弁護士 正木ひろし」
 

 被告人は翻訳を実施した大物作家の伊藤整、そして版元の小山書店代表。

 最終的に二人は、わいせつ文書頒布罪の共同正犯と認定され、有罪判決(小山被告人に罰金25万円、伊藤被告人に罰金10万円)が言い渡されたわけですが、いったんは一審・東京地裁で伊藤被告人は無罪とされていました。

 「チャタレー夫人の恋人」の日本語訳の出版を企画したのは小山書店であり、伊藤整はその翻訳を依頼された立場。よって伊藤被告人は、わいせつ文書頒布の共犯ではないとされたからです。

 ただし、二審で協力関係が認定され、逆転有罪となりました。

 以下は、いわゆるチャタレー事件をめぐって、一貫して被告人両名の無罪を主張する、最高裁判所・大法廷における正木ひろし弁護人の舌鋒鋭い弁論(抄)です。

 

 

 ……もとより、限りある時間、限りある陣容の上に、極めて限りある経験と知能を持つ者にすぎません故、裁判官又は検察官その他、現在及び将来の一般社会の眼から見たならば、さだめし欠陥の多かったことを指摘されるでありましょうし、また指摘されることによって、われわれは反省の資とし、日本文化のため、捨石の役目を果たすことができると信じているものであります。

 世間では、本件の対象となっている物件が、日本の文化資材であるという意味から「文化裁判」と呼ぶ向きもありますが、実は本件の裁判それ自身が、その運営を通じ、過渡期における日本国民の法律思想、ことに未だハッキリと身についていない民主主義を、既に我等のものとなっている民主憲法と結び付け、それを国民の血肉と化し、日本文化をして、現代世界第一流の文化の一環たらしめるように、そこまで押し上げる働きをさせる意味に於いて、すなわち「文化を向上させる権利」という意味に於いて、「文化裁判」と呼ぶこともできると信ずるものであります。

 ことに敗戦の結果、日本の国土より離脱した朝鮮、台湾、沖縄等の住民は、国籍は日本でなくなった今日も、いまだ日本語を利用し、日本語を通じて日本文化の深い影響の下にあると思いますので、その日本の言論が、いつまでも彼等の信頼を保ち続けることができるかどうかということは、将来に亘って、いよいよ重大となります。

 本件はかように日本語にある文化の輸出の問題にも深い関係があると信じます。なおまた、本件のために出廷した各証人たちが、過去並びに現日本を指導してきた各方面の知名の士であり、或は多数の国民の声を代表する選手として選ばれた有識者でありましたので、将来、この裁判記録が1951年当時の日本の文化の状況を研究する人達のためにも、歴史的好資料となるだろうという意味においても、文化の名に値する裁判だと信じます。

 本件の被告人たちは本件の著作物を日本国民に提供した動機と同じ動機、すなわち、日本文化の向上と、非民主的な一部の官僚的思想打破の目的を以って、本件裁判を迎えたのであります。

 日本文芸家協会、日本ペンクラブ等の文化団体、その他の学術研究団体等が声明書を発したり、或いは個人の資格を以って応援したことは枚挙にいとまがなく、また、自分から進んで本件の弁護人側の証人となったり、有力な資料を提供されたりしたことは、個人伊藤或は個人小山の無罪を要求するといわんよりは、伊藤、小山を有罪にしようとする無知と不正と不合理に対する文化的良心の爆発にすぎなかったのです。
 
 他を責める者は、これもまた責められる位置に立って居ります。我々5人の弁護人、並びに2名の被告人は、本公判に臨むに当って、主任弁護人が第1回の公判廷の冒頭で陳述した如く、一言一行いやしくもせず、法律を尊重し、裁判の神聖を穢すことのないよう、細心の注意を払うと共に、いささかたりとも非論理、非良心、非民主性、無智、無責任等のないよう、出来る限りの努力を払ったつもりであります。

 「戦後文学論争 上巻」(番町書店)より

 

 実態は、不倫の恋を採りあげたフランス作家のエロ小説に関する裁判ではあるのですが、正木ひろしは果敢にも「文化裁判」と名付け、決して卑俗な争いではなく、国民の基本的人権を初めて保障した 戦後の日本国憲法が機能するか否かの試金石であると再定義しました。

 時は昭和26年。大日本帝国の敗戦から6年、日本国憲法が施行されて、まだ4年目という時期です。
 戦前の国家体制を痛烈に批判してきた正木弁護士ですから、ここで敗北し、国民の表現の自由が単なる絵に描いた餅であるとの現実を突きつければ、またあの頃の暗黒政治が復活するとの生々しい恐怖が胸に迫っていたことでしょう。

 
 正木弁護士の弁舌は熱を帯び、さらに壮大な方向へと翼を広げていました。遡って、当該弁論の冒頭部分を採りあげます。

 

 

 (敗戦の事実を指摘、戦前の政治を批判し)……かかる非民主的な政治が、いかに脆弱であり、いかに危険であり、いかに国民を不幸にするかということは、すでにこの敗戦によって、徹底的に全国民の前に証明されたのでありました。新日本は、新憲法とともに始まったのであります。
 この憲法を生かすか、殺すかということは、ただに全日本国民の来るべき運命を決するほか、現世界人類の禍福にも重大な影響を及ぼす可能性のあることは、戦後の国際関係に少しでも注意する者が、等しく感じ、かつ、憂慮するところであろうと思います。
 チャタレー事件は、そのような時機に発生した不思議な使命を持っている事件であります。

 今日、世界を恐怖に陥れている原子爆弾の発明は、世界の学者がニュートン以来の古い物理学体系を捨てて、新しい物理学体系を受け容れた結果といわれていますが、この二つの物理学体系の真偽を決定したのは、1919年、アフリカにおける皆既日食の瞬間に、たまたま太陽付近を通って光る小さな光の光線が、太陽の引力によって僅かながら太陽の方へ引きつけられるや否やという、極めて微妙な実験観測でありました。
 おそらく、アフリカの土人等にとっては、実験者の群れが右往左往している様を見て、ただ一つのお祭り騒ぎとしか映じなかったでありましょうが、世界の物理学者たちは、括目してその結果如何を待ち設けました。

 チャタレー裁判事件は、まことに微細な事件でありますが、現日本において、旧憲法的な考え方が支配するのか、新憲法の精神が支配するかを決定する、最重要なる実験用の星の光だったのであります。

 

……なんだか、脱線したものの修正してうまく着地したように見えますけど、こじつけといえばこじつけなのかな。

 

 古いニュートン物理学を疑い、質量がエネルギーに化けることを見抜いた相対性理論を構築できなければ、原子爆弾が誕生することはなかった。

 

 ……広島と長崎の民間人へ向けて米軍が2発の原爆を投下した被害と記憶が、まだ生々しく残っていたと思われる時期に、まるで「われわれは今、法体系における原子爆弾を発明できるかどうかが試されている!」と、原爆を肯定するかのような発言をする なりふり構わぬ大胆さが印象的です。

 なにしろ、警察の拷問取り調べを証明するため、被疑者の墓を掘り起こすなど、目的達成のために手段を選ばない人ですからね。

 でも、それだけ当時は、原子力エネルギーという新発見が良くも悪くも画期的で、人類の明るい未来を予感させるほどの希望が託されていたともいえるのでしょう。

 原爆を使った米軍はどうしようもないが、原爆の発明そのものは人類文明の躍進なのだと。 技術革新と善悪を切り分けて捉えていたのかもしれません。 これも理性の発動だといえます。

 

 現代における「文化裁判」は、はたしてどんなものでしょうね。

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2012年8月26日 (日)

映画『死刑弁護人』を観て……

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 誰も引き受けないような凄惨な殺人事件の弁護人を請け負うことで知られる、安田好弘弁護士。彼の仕事ぶりと半生を終始取り上げたドキュメンタリー映画です。

 都内ではJR東中野駅前の「ポレポレ東中野」で今月いっぱい上映されています。

 

 ((参考エントリ)) 『最高裁ドタキャン弁護士 安田好弘さんの基礎知識』2006/03/24
 

 

 オウム真理教事件、和歌山カレー事件、光母子殺害事件という、日本で生活していれば誰もが知っているような数々の著名殺人事件の弁護を手掛けてこられました。

 私はこの人、単純な好き嫌いで言うと、好きなタイプの弁護士ではありません。

 確かに、刑事弁護人としての使命感は、日本でも指折りのものをお持ちだと思います。同時に多くの大事件を担当し、膨大な仕事量をこなし、日本中を駆けずり回っている。費用もほとんど持ち出しでしょう。
 それでも思い通りの判決が出ないことが多々あり、それでも信念を曲げずに貫いている。常にファイティングポーズを崩さない姿勢、エネルギッシュな行動力には敬意を表します。

 また、滅びの美学のような要素も感じますね。

 殺人事件は必要的弁護事件ですから、弁護士資格を持つ誰かが弁護人に就かない限り、有罪判決を出すことすらできない。それどころか裁判すら始まらないのです。

 その汚れ役を買って出るのは、並大抵での覚悟でできるはずがないでしょうし、刑事裁判の運営という公共的利益においても、一定の貢献をしているといえます。

 一方で、公判期日に欠席するなどの引き延ばし工作が目立つので、その点はマイナス材料という他ないですが、かといって永久に引き延ばすこともできないわけで、いずれは判決が出されるでしょうからね。

 

◆ 刑事訴訟法 第289条
1 死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮にあたる事件を審理する場合には、弁護人がなければ開廷することはできない。
2 弁護人がなければ開廷することができない場合において、弁護人が出頭しないとき若しくは在廷しなくなつたとき、又は弁護人がないときは、裁判長は、職権で弁護人を付さなければならない。
3 弁護人がなければ開廷することができない場合において、弁護人が出頭しないおそれがあるときは、裁判所は、職権で弁護人を付することができる。

 

 
 職権で付された弁護人は、どうしても「裁判長から命令されて、やらされてる感」が拭えないかもしれません。安田弁護士のような方のモチベーションの高さには敵いません。

 安田弁護士が強制執行妨害容疑で逮捕された際、彼の弁護人を引き受けたいと志願した弁護士が、全国から山のように押し寄せたと、作中で紹介されてましたし、人望は厚いのだと思いました。

 そうした事情を考慮しても、やっぱり苦手です。

 目的と手段を履き違えているところが。

 安田弁護士が担当した殺人事件のひとつに、1980年に発生した「名古屋女子大生誘拐殺害事件」があります。

 安田弁護士の献身的な努力むなしく、彼には死刑判決が言い渡されて確定したのですが、安田弁護士は「恩赦」の申し立てを助言して、死刑言い渡しそのものの取り消し、ないし軽減を求めようとしたんですね。

 しかし、彼の死刑は執行されます。恩赦の申し立てを検討している事実だけでは、死刑執行の可能性を止められないからです。

 

◆ 刑事訴訟法 第475条
1 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

 

 安田弁護士は、こういう主旨のことを述べて、当時を回顧します。
 

 「早く再審請求しておけばよかった。そうすれば彼はまだ生きていられた」

 「事実をでっち上げてでも再審請求すればよかった」

 事実をでっち上げてでも? ……その一言に心がズキンと痛んで、その後に作中で美談のように綴られている安田弁護士の弁護活動の様子も、素直に受け取れなくなっていました。

 もちろん、話に勢いがついて大げさな表現で述べたとも考えられますが、死刑判決を回避するために、なりふり構わぬ大胆な活動をする方なので、時間にすればコンマ数秒程度であろう「でっち上げ」発言を、どうしてもスルーできませんでした。

 あるいは、検察が事実をでっち上げてるから、「こっちもでっち上げて構わない」という確信がおありなのか。

 

◆ 刑事訴訟法 第1条
 この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。

 

 たびたび書いていますが、私自身も、究極的には死刑制度を廃止すべきだと考えています。
 とはいっても、あんまり理念的な考えに基づいているわけではなく、人を殺めるという取り返しのつかない過ちに落とし前をつける対価として、その者の「死」が本当に釣り合うんだろうか? という問いに基づいています。
 むしろ、遺族の悲嘆や怒り、諦観などの人間的感情に正面から向き合わせ、生きて苦しむべきではないかと。

 少なくとも、「国家権力を忌み嫌う感覚」からスタートして、権力を攻撃するネタのひとつとして採用する死刑廃止論ではありません。

 

 確かに、十分な社会的武器を持たずに虐げられている人のために、自らの力を貸すのが、民間における権力者である弁護士の望ましい姿だと思いますよ。一般論ですが。

 とはいえ、安田弁護士は自らの担当の刑事被告人に不自然に肩入れ過ぎていて、被告人が犯した罪の重大さ・凄惨さを敢えて、自らの行動原理から排除しているように思えるのです。被告人の冤罪を主張しているなら別ですが。

 安田弁護士が被告人に寄せる同情の仕方は、率直に申し上げて「没頭」や「自己投影」に近く、語弊があるかもしれませんが純文学的な印象を抱かせるんです。法律学は一応、社会科学なんですから。

 なので、犯罪被害者や裁判官・検察官・警察官など、それぞれの事件当事者・裁判当事者に対する立場への一定の目配りが抜け落ちている点にも、強烈な違和感があります。
 「敬意を表せ」とまでは言いませんが、せめて、それぞれの立場に配慮した発言や行動があるべきです。

 戦う姿勢は素晴らしいのですが、生身の人間を相手にして戦っているとは思えない営みに、うすら寒さを覚えるのです。

 人間を殺すのも人間なら、権力を動かすのも人間ですからね。

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2012年6月13日 (水)

日本の現代史を塗り替えた、シビれる「弁護士弁論」の備忘録(1) 『森永ヒ素ミルク中毒事件』1973年4月

 司法試験人気に陰りが出ているのを残念に思う私は、「弁護士法廷弁論集」の出版を企画しています。
 
 法曹界の歴史に残るほど、爽快で惚れるほどかっこよすぎる弁論の事例本。明治時代まで遡ってもいいですが、できれば国内限定で。何かとっておきのネタをご存知の方、お力を貸していただきたく願います!

 

 ところで、中坊公平さん。90年代の豊島事件では抜群の手腕で解決へと導く一方、近年では整理回収機構などの社長として、情け容赦ない取り立てを指揮した行き過ぎが指摘されるなど、とにかく世間からの毀誉褒貶の激しい弁護士でした。
 
 とはいえ、中坊さんが若手の頃に携わった『森永ヒ素ミルク中毒事件』の弁論(冒頭陳述?)に関しては、類まれなる熱意や人情をおぼえざるを得ません。

 弁護士の弁論なんだから、首尾一貫した論理性があることは当然の前提として、歴史を動かすような場に立ち会う弁護士の語りの説得力は、理論の外でこそ支えられるものだと感じます。

 

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■ 母親達の自責の念

 昭和30年当時、被害者は原因不明の発熱、下痢を繰り返し、次第に身体がどす黒くなっていき、お腹だけがぽんぽんに腫れ上がってきた。

 そして夜となく昼となく泣き続けた。
 
 そういう場合、母親としては、なんとかその子を生かせたい助けたい一心で、そのミルクを飲ませ続けたのです。
 
 そのミルクの中に毒物が混入されていようとは、つゆ考えていなかった。
 
 生後八ヶ月にもなると赤ちゃんは、すでにその意思で舌を巻いたり手で払いのけたりして、この毒入りのミルクを避けようとしたそうだ。
 
 しかし、母親はそれをなんとかあやして無理にミルクを飲ませ続けたのです。その結果、ますますヒ素中毒がひどくなり、現在の悲惨な状況が続いてきたのだ。

 この18年間、被害者が毎日苦しむ有様を見た母親が自責の念にかられたのは当然だ。

 母親達は言った。私たちの人生は、この子どもに毒入りミルクを飲ませた時にもう終わった。それから後は暗黒の世界に入ったみたいなもの。私たちは終生この負い目の十字架を背負って生き続けなければならない。

 乳幼児に対する残虐行為は弁解の許されない行為のはずだ。またこれほど社会的に非難を受ける行為もない。
 
 いわんや、その乳幼児の唯一の生命の糧であるミルクに毒物を混入させた本件事案においてその責任を曖昧にすることは、人類が自ら自己を抹殺することにもつながると私は考える。

 第一番目にこのことを深く再認識すべきと信じる。

 第二番目に私たちは、消費者として、被告森永、並びに被告国の責任を考えなければならない。
 
 そもそも、このミルクに添加されたという第二燐酸ソーダにしても、新しい牛乳であればそれを使う必要はなかった。現に森永は、今は使っていない。
 
 その森永が過日、徳島地方裁判所の刑事事件において、森永の弁護人は『私たちに過失はない。私たちは第二燐酸ソーダを協和産業に発注しただけだ。協和産業が間違えて日本軽金属から排出された産業廃棄物を納入した。森永というような専門の業者の間においては、違うものが入るようなことを考える必要がなかった』と。
 
 ここに被告森永の、製品の安全性に対する基本的な誤りを私は見いだした。
 
 そして己の責任を納入業者協和産業、あるいはそのもう一つ手前の松野製薬などになすりつけ、あるいは滑稽にも国になすりつけている。

 しかし、同じ日本軽金属から出た産業廃棄物で南西化学を経て、国鉄仙台鉄道管理局に納入されたものがある。その際国鉄は、これを製罐用としても、使う際にその品質を検査し、ヒ素を発見して返品している。
 
 同じ物質を森永は何の検査もなく、こともあろうに乳製品のしかも乳幼児が飲む調整粉乳の中にこれを混入させたのだ。被告森永の責任は極めて明らかであると言わねばならない。

 ここに私が持っている森永ドライミルク、これはまさに昭和30年当時、あなたたちの徳島工場で作られた問題のMF缶だ。
 
 そして『森永ドライミルクは、医師の指示に従って乳幼児用として作られた最も理想的な高級粉乳です。本品は純良牛乳、砂糖及び乳児に消化吸収しやすい滋養素を加え、その他乳児の発育に必要な各種ビタミン塩類を添加して衛生的に乾燥粉末にしたものです』と印刷させている。
 
 どこが本当に理想的な粉末乳であり、あるいは衛生的に検査されたものだろうか。

 

■ 消費者と企業、国家の関係

 そしてあなたたちは、母子手帳にカバーをつけ、そのカバーに『森永ドライミルク』という文字をつけさせていた。地方公共団体とも密着して宣伝したわけだ。
 
 被害者は、買うときから、また子どもを産むときから母子手帳に『森永ドライミルク』という表示をつけてもらっていたのだ。己の責任は曖昧に考えながら、宣伝のときにはかくも徹底的な宣伝をしたのだ。

 国家というものは国民の健康を維持し、その生命を保持しなければならないという義務がある。
 
 しかるに、日本軽金属から出た産業廃棄物に対する回答を一年近くも遅らせたり、あるいは、食品衛生法の添加物の規制を自ら緩めたりしたこと、これはひとり行政上の怠慢だけではなしに、企業の利益のために一般消費者を犠牲にしたと言っても過言ではないと思う。

 このように、本件事案はまさに消費者と、企業あるいは国家という関係を裁く裁判だ。私はこの点を強調したいと思う。

 

■ 公害被害者は二度殺される

 第三番目に、この事件を公害事件として見たときに、この事件はもちろん数多くの乳幼児を死なせたという、食品公害における世界史上類を見ない大惨事であることは言うまでもない。
 
 しかし、私はこの観点においては特に強調したいのは、被害者の圧殺ということなのだ。
 
 これまでの森永あるいは国の責任は、これは過失で誤って行政上の怠慢であったと言われるかもしれない。

 しかし、被害者の圧殺ということに関しては、それはまさに過失ではなくして故意なのだ。しかもこの点までくると、被告森永と国とは完全に共謀して、このことを実行したのだ。
 
 昭和30年11月2日、あるいは昭和31年の3月26日の通牒によって治癒基準を作り、そして形式的な一斉検診を行って、これらの被害者を、もう後遺症がないと言って打ち切ったわけだ。

 その結果、大多数の被害者は、お医者さんから『もう大丈夫だよ』と言われることを聞いて喜んで帰った。
 
 何も医学上のことは分からない被害者は、それで喜んで帰ったのだ。
 
 また一部の人達は、その当時、なお症状が続いている人も何人あった。その人達は、ある場合には入院している病院から強制退院までさせられた。
 
 そして、一斉検診後、なお症状の続いている人が森永に行くと、森永さんは何と言われたか。
 
 『あなたたちだけの治療費は払いましょう。よその人には言わんといてください。これは表沙汰にしないでください』。
 
 この原告の中にもそういう人が何人ある。このようにして、表面上は何も後遺症はないと言って打ち切ったのだ。
 
 しかし真実は、その後後遺症は依然として継続していたのだ。その結果、多くの被害者たちは、行政機関からも医者からも見放された。
 
 その後子ども達の親は子どもが悪くなる、あるいは目が見えなくなる、あるいは耳が聞こえなくなる、あるいはてんかんの発作が続く、原因不明の吹き出物が出てくる、こういったたびに、それぞれ医者へかけつけた。しかし、どの治療も効果がなかった。

 そういう時に、母親たちは『ひょっとしたら乳幼児の時にヒ素中毒にかかっている。お医者さん、おれと関係あるのではないだろうか』という言葉を言うと、お医者さんはたちまち態度を急変させて『ヒ素中毒の関係の診断書は、当院ではかけない』と言って断った。
 
 親たちは言った、『私は診断書を書いて欲しいわけではない。この子どもの病状がヒ素に関係あるかどうかわからないけれども、あるんならなんとか治療する方法を考えて欲しいのだ』と頼んだが、お医者さん達は全て、にべもなく申し出を断った。
 
 そして世間からは、あの人達は自分の子どもが先天的な病気なのに、それを森永のせいにしているといって冷たい目で見られてきた。
 
 『14年目の訪問』によって、ようやくそれが回復されたと、考えられるかもしれない。しかし、実態はそれ以後もお医者さんに言っても、あれは一養護教諭の言っていることなのだとして、相手にもされなかった。
 
 現在被害者達は、医者並びに人間に対する限りのない不信感を持っている。

 このような悲惨な状況に追い込まれてきたのも、被害者圧殺のせいなのだ。
 
 私は、公害事件において、公害の被害者は二度殺されるという警句を思い出す。
 
 一回は事故によって、一回は第三者機関などによって殺されると言う。私は、森永事件において、この典型的な原型を、ここに見いだすものである。
 
 この事件後に発生したチッソ、あるいは新潟の水俣病において、これと同じようなことが行われている。この二つの事件においては、裁判によってその二度目の壁は打ち破られた。
 
 私はこの裁判において、この原型について終止符を打たれ、『公害の被害者は、二度殺される』というような警句が、少なくとも日本語ではそういう言葉がなくなることを期待して、この裁判を進めていきたいと考えている。

 と同時に、被告森永に対して申し上げたい。

 あなたたちは、この事故が起きた当時、森永の資本金は4億5000万円、それが現在は資本金60億円の巨大な企業となって、私たちの前に大手を広げて構えている。
 
 しかし、あなたたちがかように大きな企業になった陰には、その被害者達の圧殺があるということも忘れてはならないと思う。
 
 と同時に、あなたたちがいかに被害者を抹殺しようとしても、この被害者が叫んでいる声は消せない。あなたたちの手によっては、永久に抹殺できないものであることを私は強調したいと思う。
 
 あなたたちが本当に被害者を救済してあげるまで、この声は叫び続けるのである。

 

■ 懸命に生きた被害児たち

 私は第四番目に、その結果現在の被害者がどのような悲惨な状況下にあるか、ということについて、二、三申し述べる。これはすべて原告に関することである。
 
 原告のうち、すでにご存じのように小西健雄君と藤井常明君は死亡している。昭和46年と昭和44年にそれぞれ死亡した。
 
 どのような死に方をしたか。

 彼らは二人ともてんかんの発作を繰り返し、病院への入院を繰り返しながら、枯木のようにやせ細って、死ぬ前の約1週間というものは40度に近い高熱にうなされ、全身脂汗をいっぱいかいて、ある場合には、額に原因不明の吹き出物をいっぱいできさせて、そして長い間、終生離すことができなかったおむつに、糞を出す力もなく糞の中にまみれて死んでいったのだ。
 
 のみならず彼らが生存しておるとき、それ以外にも原告の中には、何人かの精神薄弱児がおられる。

 この人達は、心ない世間の人達から阿保と呼ばれている。そして外へ遊びに行くと、がんせない子ども達は、逆にこの子どもをいじめるのだ。
 阿保と言って罵られたり、あるいは殴られたり、蹴られたり、ひどい時には頭から砂をぶっかけられたり、水をかけられたりして、家へ帰ってくることも少なくなかったと聞く。
 
 そんな時、この子ども達は、決して泣かなかった。泣かないのは、わからないのだろうとお考えになると思う。しかし、この子ども達は、家に帰ってきて、母の手にすがった時には泣け叫んだのである。
 
 この子ども達は本当は非常に悲しかったのだ。悲しくて抵抗しようにも、一本の健康な手も足もなかったのである。

 原告の中にK君という少年がいる。
 彼も同じように、かなりひどい発作を繰り返している。彼は、自分のその発作が起きて、そして粗暴な振る舞いをしだすことが事前にわかるのだそうである。そうすると、屋外に出て屋根に向かって、石をなげつける。それでも、どうにもおさまらない彼は、家の中に入ってきて、弟や妹の勉強している机を荒らす。
 
 小さい時には、お父さんはそれを押しとどめた。なんとかして止めた。しかし、それが大きくなってきてお父さんの力では止められなくなってきた。お父さんはついにK君がいかに可愛くても、かの子どもを全部犠牲にすることはできないということで、この子を強制的に精神病院へ入れようと決心した。しかし、その話をする前にK君の方から、自ら『私が精神病院へ行きます』と言った。

 K君は現在も精神病院に入っており、そこから『お父さん、高等学校へ通います』と言って、精神病院から高等学校へ通学しているのである。時たま帰ってきても日暮れになる前には病院へ帰るという。家にこれ以上いては、家に長くいたくなる。なんとかして逆に早く帰って行くのだそうだ。
 日暮れになる前に帰って行く、精神病院に帰って行くのを見送られる子ども、並びに見送る母親の気持ちは、一体どんな気持ちだろうか。

 滋賀県の原告のある子は、ここ数年前から右眼が失明した。
 十分働くにも働けないのだ。それでも中学校を卒業後、二、三の転職を重ねて、現在あるスーパーに勤めるようになった。
 
 私が訪問した日、彼女はたまたま出勤していたが、本来なら休暇の日であった。
 
 しかしお父さんは言った。『本人は今このスーパーの勤めているところですでに森永の子だというのがわかりました。そして目がみえないなら辞めてくれと暗に言われておるんです。ここで首を切られたらもう働きに行くところがない。生きて行く自信がないのです。なんとかして首をきらないで下さい。自分は片方が見えなくても一般の人達と同じように働けますと言って、彼女は休みの日にも働きに行く』のだそうだ。
 
 被害者はそれなりに一生懸命なんとかして、この世の中で生き続けて生きたいと働いている。

 しかし、その子ども達の前に控えているものは、それはいつ、何時どういうことが起こるかもしれないということだ。この病気はそこにまた特徴がある。
 
 多くの被害者は、あるいは突然修学旅行へ行く前の日に、便所の中で、てんかんの発作を起こし、それ以来頻繁にてんかんの発作が起きる。バスの停留所からバス会社の人の電話がかかってくる。お母さんは、いつも電話を聞く度に、またどこかで倒れたのかと心配しなければならない。あるいは、ここ数年前から突然お腹のあたりに幾百幾千という赤黒いアザがいっぱいできてくる子もいる。

 このように、突然どんなことが起きるかもしれないという不安の中に、これらの被害者は暮らしているのだ。しかもその発病形態が極めて多様であり、ある子は指に何の指紋もできないほど、皮がむける。あるいはすぐ吐いて、洗面器に一杯くらい吐かなければ止まらないほど吐く、こんないろいろな症状を呈してくる子どももある。

 私がある家に訪れた時、娘さんと母親と二人おって、二人とも目をいっぱい腫らして泣いていた跡が私にははっきりした。

 お母さんが言った。『この娘は受験勉強をしたいと言うんだけれど、勉強しようにもどうしても身体がいうことをきかない。癇癪を起こして今朝から畳をかきむしって泣く』。

 母親はこれに対しなんのすべもなく、共に肩を抱いて泣く以外に方法はないのである。母親は訴えている。

 この子たちは、今まさに問題の18歳前後になろうとしている。この人達の青春はもちろんなかった。しかしこれからがまさに問題の年なのだ。
 
 また異口同音にこの親達が言うことは、自分たちはいずれ死ぬ、残った子の面倒を誰が見てくれるかということだ。
 
 この事件において被害者の救済が真に望まれるゆえんはまさに、この点にあるのだ。

 

■ 青春を取り戻したい

 第五番目に、私はこの事件の審理に入るまでの経過について若干申し述べたい。

 守る会の人達は、今まで森永との間で長い間の自主交渉を続けて来た。
 
 その間、森永の方は世論を欺くためだけに、昨年の8・16声明のように法的責任を認めるのだといったようなことまで言った。あるいは今度のこの裁判が始まる数日前にも、守る会の本部にそのような文書を出したと聞く。
 
 しかし、話を詰めて聞けば、私たちは法的責任はないのだ、とこう言うわけだ。
 
 責任を認めないところに本当の交渉あるいは補償などあり得ないことは、分かり切っていることだ。世間を欺くためにだけこのような形をとって、真実はなんの真心からなる救済も行わないで本日に至っている。
 
 それのみか、この裁判が事件後18年を経てやっと起こされた。
 
 起こすことについて森永はどのように妨害をしてきたか、私はたまたま自分の手許にこのような確認書を持っている。これは、森永の現地駐在員のある方が、守る会の堺支部との間で交わした確認書である。それにはなんと書いてあるか。
 
 『因果関係については訴訟をしないことを前提とした方に対しては認める立場で救済にあたる』、
 
 端的に言えば、裁判を起こすのなら救済はしてやらないということだ。こんな非人道的な言い分が一体どこにあるのか。裁判をやれば、治療費を払ってやらないと。

 この原告の中に重症児の何人かが欠けている。その親たちは言った。
 
『先生、私達は卑怯でしょうか。しかし今、森永から受けているわずかな治療費でも切られるということはつらいのです』。

 私達は『おじさん、無理することはない』、そう言った。何人か欠けているのもそれがためなのだ。原告36名はそういうようなことも踏み切って、この原告となって裁判を提起しているのだ。
 
 これらの被害者は決して金銭の補償を主たる目的にしているのではない。本当の願いは、言い古された言葉だが、やはり身体を元の健康な身体に返してほしい、失った青春を取り戻したいということなのだ。
 
 そして、それが少しでも実現できるようにといって具体的救済案なるものを提案している。まさに、この裁判はこのような意味を持っているわけだ。

 私はこの審理を始めるに際し、最後に裁判長に一言お願いする。
 
 どうか一日も早い迅速な、しかも公正な審理と公正な裁判をお願いする。同時に人間として、子を持つ親として暖かい審理をしてやっていただきたい。
 
 同時に被告森永と国に申し上げる。今からでも遅くはない。日々あなたちが犯している罪を考えて己の責任を率直に認め、真に被害者の救済に当たられんことを切願して止まない。
 
 以上を持って、私の意見の開陳を終わる。

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2009年12月23日 (水)

若手弁護士が出すソルティードッグに、涙の隠し味

>>> 弁護士バー「のめません」 若手ら計画、所属先が警告

 バーテンダーは弁護士。法律相談も受け付けます―。こんな「弁護士バー」を都内で開く構想が、法に抵触する可能性を指摘する弁護士会から〝待った〟をかけられている。企画した若手らは、早期実現で社会の理解を得たい考えだ。
 コンセプトは「もしもに備えて、かかりつけの弁護士に出会う店」。弁護士がボランティアでバーテンダーを務め、飲食面のプロスタッフも加わる計画。既に運営主体の社団法人を設立し、来年3月のオープンを目指している。
 企画した第二東京弁護士会所属の外岡潤(そとおか・じゅん)弁護士(29)や、知人で元システム開発会社役員の三上泰生(みかみ・やすお)氏(33)によると、トラブルを避けるため、(1)弁護士は店内で飲酒しない(2)本格的な法律相談を受ける場合は時間や場所を変える―などと定め、10人前後の若手が参加に興味を示したという。
 ところが、二弁が資金や経営ノウハウなどを支える民間会社の事業参加を問題視。弁護士以外の法律事務の取り扱いや周旋を認めない弁護士法72条などを盾に、今月4日には書面で「計画の自制を促す」と“警告”する事態になった。
 外岡弁護士と三上氏は二弁に理解を求める一方、「『バーが社会に不利益か』という視点で、実際に開店して直接訴える方法も考えたい」と話している。 (共同通信社 2009/12/12)


 弁護士バー、のめません。 記事の見出しが、ニクイぐらいウマイですねぇ。

 「人権派」「革新」のイメージが強い第二東京弁護士会ですら、この新しい試みに物言いを付けるということですから、問題が大きいのでしょう。

 いわゆる「非弁提携」というヤツで、弁護士が弁護士以外の人と業務提携しちゃいけないという決まりがあります。

 まぁ、要は他業種と提携しなければいいわけで、弁護士だけでバーを経営してみせれば、たぶん法律上の問題はクリアなんでしょうが……

 現実的には、飲食業のプロのサポートを得たいところでしょう。

 
 

◆ 弁護士法 第27条(非弁護士との提携の禁止)
 弁護士は、第72条乃至第74条の規定に違反する者から事件の周旋を受け、又はこれらの者に自己の名義を利用させてはならない。

◆ 弁護士法 第72条(非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)
 弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。

◆ 弁護士法 第77条(非弁護士との提携等の罪)
 次の各号のいずれかに該当する者は、2年以下の懲役又は300万円以下の罰金に処する。
 一 第27条(中略)の規定に違反した者
 三 第72条の規定に違反した者

 
 

 こうした条文が問題になるのは、ほとんど、揉め事を見つけてくるのが巧い「事件屋」と、法律は得意だが営業活動が苦手な売れない弁護士がタッグを組むケースです。

 依頼人の足元を見て、ワケのわからない名目で金銭をむしり取り、食い物にする、その程度がひどい場合には、刑事事件として立件されることもあります。

 

 ただ、今回のように、客を集める飲食業と弁護士が組むというのは……

 もちろん、形式的には弁護士法に抵触するように見えますが、依頼人が食い物にされるようなリスクと直結するわけではありません。

 新しい発想で、依頼人を集める仕掛けを作ろうとしている若手に、得体の知れない恐怖を抱く、殿様商売のベテラン弁護士が、嫌がらせでいちゃもんをつけている可能性も否定できませんね。

 バーという業態を介すれば、一般のお客さんにとっては、弁護士との敷居が低くなり、気軽に相談できる雰囲気が作れそうな気がします。

 まぁ、うまく行きそうな気がするだけで、実際にはどうなんでしょうか。

 一度やってみないとわかりませんよね。

 そう、一回やらせてみればいいんです。

 

 話題性でマスメディアの目を惹き、最初は大勢のお客さんを集めるでしょうが、その勢いが継続するかどうかは、今後の「口コミ」次第だと思います。

 入口であるバーがオシャレでも、肝心の事件処理がフニャフニャだと台無しですからね。 本人も重々わかっていると思いますが。

 いくら酒に酔っているとはいえ、依頼に結びつくかどうか皮算用しながら話を聞いている弁護士バーテンダーに、腹を割って告白してくれる客が本当にいるのかどうか。

 1000人中999人の客が、普通のバーと同じように利用するのを承知の上で、残り1人にすべてを賭ける! ぐらいの覚悟が必要かもしれません。

 まぁ、弁護士バーがうまくいって、弁護士会など煩さ型のOKが出たら、マネする弁護士がたくさん出てくるのは、想像に難くありません。

 バーに限らず、対話が重視される接客業が、弁護士業と組むってコトだったら、いろいろと応用も利きそうですしね。

 弁護士居酒屋、弁護士占い、弁護士キャバクラ、弁護士デリヘ……

 

 冗談はさておき、この外岡潤弁護士。 巣鴨に「法律事務所 おかげさま」というネーミングの事務所を開設しているそうです。

 自己紹介の文章が、やたらめったら謙虚なのが気になります。 世の中には「慇懃無礼」という言葉もあることですし、

 

 まぁ、そんなコトより、

 いずれ巣鴨地蔵通り商店街に、明治大正時代の古民家を移築・再生して、土間と囲炉裏のあるバリアフリーの事務所を作るのが夢です! ( http://okagesama.jp/access.html )


 ぬぉぉ、素晴らしい! 外岡弁護士!

 フワフワした、地に足の付いてない弁護士バーなんぞより、こっちの企画を真っ先に実現させるべきでは?

 「介護・福祉系」の弁護士を謳うのなら。

 私が司法浪人時代に温めていた「巣鴨とげぬき法律事務所」構想に非常に近く、とても期待が持てます。

 深刻な法律トラブルに巻き込まれる可能性が高いのは、オシャレバーに通うような年齢層の人々より、貯蓄はあるけど孤独暮らしで身寄りのないお年寄りのほうだと思うのです。

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2007年12月 3日 (月)

本来の「ビジネス弁護士」?

 昨日の続きです。

 社会的に追い詰められた人に手を差し伸べて、自分を犠牲にし、すべてを投げ捨てたはいいが、大きなストレスを抱え、それでもかろうじて精神的な支えになってるのが、弁護士としてのプライドだけ…… という人たちは、ハッキリ言ってうっとうしいです。

 それは「自らが努力したり苦悩している姿を、あちこち平気で見せびらかす作家やクリエイター」にも通ずるうっとうしさですね。 そんな人の作品は、純粋に楽しめないでしょ。

 ただ単に好みの問題かもしれませんが、同じ「人権活動」なら、優しさと逞しさを両方兼ね備えるかたちで継続させているほうが、個人的にずっと尊敬できますね。

 大企業を相手にビジネスローヤーとして腹いっぱい稼いで、他方で、稼いだぶんを採算が合わせにくい業態(刑事弁護や行政・労働事件など?)にもまわすという手もあります。 ……わりとオーソドックスでしょうか。

 でも、「人権活動」そのもので採算が合うようにして、むしろ拡大路線にすら乗せてしまうほうに魅力を感じます。 そういう驚異的な弁護士さんこそ、本来は「ビジネスローヤー」の名に値するのではないでしょうか。

 そんな法律事務所があったら、ぜひご一報ください。 「すげぇすげぇ」と言いながら、24時間追いかけまわしたいですねぇ。

 これから弁護士業界で競争が激化していくにつれ、今まで清貧的・自己犠牲的・孤高の感じでやってきた分野にこそ、きっちりチームを組み、クールに黒字を出していく弁護士法人は求められるべきだと思います。

 具体的なアイデアについては、私もこれから勉強したいですが、偉い人が決めた答えに向けて、即興で寄り添ってみせる司法試験とは、違うアタマを使って考える必要があります。

 ひとりの依頼人からガッポリお金を取ることもできないでしょうし、今の段階で思いつくとすれば、全国各地を細かくネットワークでつないで、その種の事件に巻き込まれた大勢の依頼人を集約させることで、一人あたりにかかる経費を削減する「薄利多売」にも似たビジネスモデルでしょうか。

 ただ、ケータイ料金じゃあるまいし、安けりゃいいってもんじゃありません。 いくらなんでもマズいですよね。

 それぞれの依頼人としっかり向き合い、「しっかり働いてもらった」と納得してもらえる態度も必要です。 そのへんの「顧客満足」要素との両立という、きわめて難しい課題を突きつけられることになります。

 まぁ、経営学に詳しかったり、企業経営の実践に長けた人も含めて、年間3000人合格させてるうちに、さすがに1人ぐらいは混じってそうですけど。 そうした問題を解決してみせる「完全体弁護士」の卵が。

 こんなこと書いていると、「オマエがまた司法試験受けろよ」とか言われそうですが…… カンベンしてください。 もう、あの試験に振り回されるのはコリゴリです。

 私に弁護士の適性はありません。 その事実を、すでに心身ともに痛感させられております。 しっかりした適性を持つ人々に、願いを託すしかないのです。

 外野から勝手なことを書いているのは重々承知しております。

 弁護士の個性に依存する「人権活動」なんて…… もちろん全く無いよりはましですし、見る人が見れば美しいんでしょうが、行き着く先は無責任だと思いますね。 弁護士という業界全体の将来を考えるうえでは。

 たぶん、自分に「正義」があると信じこめる人たちでしょうし、その正義に対して反対意見を言う者を、無条件に不正義とみなして、黙殺か逆ギレでもしてきたんでしょうが、一度、どう落とし前をつける気なのか尋ねてみたいものです。

 困っている人のために私財を投げ打つ、どんなに優しさあふれる弁護士だって、いつかはお亡くなりになるのですから。 そしたらどうするんですか? その後は。 素朴な疑問です。

 お金は、物事を継続させていくための基本要素だということを、前回に強調した真意は、そこにあります。

 以前に載せていた、私の妄想らくがきである「巣鴨とげぬき法律事務所」の図を再アップすることにしましたけど、「庶民の味方」を本気で名乗りたいなら、まず商店街の中、それも1階に事務所を構えてみてはと。
 

Lawfirm_2

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2007年12月 2日 (日)

私が、裁判官よりもツッコミ入れたい人たち

 昨日は、「日本裁判官ネットワーク」の会合に招かれ、「『裁判官の爆笑お言葉集』をめぐって」というテーマで話をさせていただきましたが、途中で何を話せばいいのかわからなくなり、設定時間を大幅に残しての「ギブアップ」となってしまいました。

 そのぶんだけ、会場からの質疑をたっぷり頂戴したのですが、事前に覚悟していたほど、意外とキツいことは言われませんでした。(単に鈍感なだけかもしれませんが)

 それどころか「一貫して温かい」「よく勉強している」なんて、お褒めのお言葉をいただいてしまいましたよ。 ありがとうございます。

 いずれも、お言葉集のなかで発言を紹介させていただいた裁判官の方からのコメントです。

 また、日本裁判官ネットワークの刑事裁判官は、法廷での説諭に、それほど重きを置いていないという、興味深い事実もわかりました。 判決後のお言葉一発で感銘を与えるのでなく、もっと裁判全体をもって配慮しようということのようです。

 「気持ち」が大事なのだと。 そのご主旨はわかりますが、どんなに温かい気持ちを持っていても、他者からは「発言」や「態度」からしか、裁判官のお気持ちを感じ取ったり推測したりすることはできないのです。 そのへんの事情はおそらく、被告人にとっても同じでしょう。

 「採りあげているのは刑事裁判ばかりで、民事裁判での『お言葉』が少なすぎる」というご指摘や、「もっと印象的なお言葉を発しつづける裁判官は別にいる」というツッコミも。

……うーむ、次はどうしよう。 第2弾の方針に関して、修正の検討が必要かもしれません。

 「裁判官の言葉を脚色したりしてないのか」というご質問もありましたが、私が意図的に手を加えなければ興味が湧かないような言葉なら、初めから載せません。 ほかにも候補はたくさんあったのですから。

 書名にある「爆笑」の2文字には違和感がある、という感想は大勢を占めていましたね。 そりゃそうでしょう。 私自身が未だに納得できてませんし。 どうにか納得しようと努めてはいるつもりですが。

 幻冬舎社長の見城さんがおっしゃるには「顰蹙は買ってでもしろ」ということのようですから、世間から顰蹙を買う書名を付ける行為というのは、そのお言葉にかなうわけです。

 ただ、幻冬舎以外の人々まで巻き込んで、しかも何も釈明しないまま「名付けっぱなし」というのは止めてもらえないですかね。

……なるほど、これこそが顰蹙を買うということなのか。 なんだかメタな感じだ。

 会場には、弁護士さんも参加してらっしゃいましたが、その一部からの質問が気になりましたね。

 

 「民事裁判では、法廷より、和解の場での裁判官の言葉が、当事者にとって効果あるのだ」と、某弁護士。 その後に、革新系の政党がどうのこうのと付け加えてましたが。

 ただ、それで私にどうしろと? 和解室は非公開で、一般人の傍聴は許されませんよね。 単に「オマエが見られない場を、私は見られるのだよ、フフフ」といった、特権意識に基づく、マト外れな自慢話にしか聞こえません。

 それに、企業法務部に勤める友人の話によると、和解の場で妙なことを言い出したり、あからさまに面倒くさがったりする裁判官も、ちゃんと存在するとのこと。 だったら、和解だけが特別じゃないでしょう。

 別の方は、のらりくらりと同じコトを繰り返し述べる堂々めぐりで、何をおっしゃいたかったのか見えなかったんですけど、その断片を総合すると、おそらくは「ナガミネさんは裁判官をネタにして本を売っているが、いずれナガミネさんがネタにされるかもしれませんね」と、私に警告したかったようです。

 どうぞどうぞ。 そんな原稿を面白く書けるもんなら、そんな本の出版企画が通るんなら、いくらでも世に出していただけば結構です。 きっとガッポリ稼げますね。

 ただ、妙な意趣返しなど、そういうつまらない意図や発想は、読む側にも必ず伝わります。 あんまり世間を軽く見るのは、やめたほうがいいですよ。

 しかも、いずれの弁護士も、「あなたの本を買ってませんし、読んでません」と前置きしてのお言葉です。 それ、わざわざ言う必要あります?

 どうにか私に対して突き刺さることを言ってやりたいと、いろいろ涙ぐましく考えをめぐらしておられたのでしょうが……。

 いくら「30万部のベストセラー」と周りが持ち上げたところで、裏を返せば、日本の400人に1人がお買い上げくださった計算です。 買っても読んでもいない人が圧倒的多数なんですから。

 こないだも、ある弁護士さんから「こんな本が、なんで売れるんですかねぇ」という感想メールをもらったりしましたが、どうも私に対して突っかかってくる弁護士さんが散見されます。

 司法試験の競争で蹴落とした人間を、今まで能無しだとナメ続けてきたことの反動でしょう。 きっと。

 たまに「世間知らずの裁判官が多い」と主張するメディアはありますが、もしかしたら、バランスを喪失した「世間知らず」は、むしろ弁護士の方に多いのかもしれません。

 具体的な切り口は思いつきませんが、いつかは弁護士について書かなければならないようです。

 ただ、弁護士業界は一枚岩ではないので、まとめてネタにしたら無理が生じるでしょうね。 たとえば刑事弁護人と渉外弁護士では、やってる仕事がまるで別の業種といえるぐらい懸け離れてますし。

 半年前にテレビで共演させていただいた八代英輝弁護士は、私のおぼつかない発言を逐一フォローしてくださったり、本当に気配りのできる温かい賢者でした。

 「絵に描いたようなエリート肌で、イケすかねぇなぁ、渉外弁護士さんはよぉ」という漠然としたイメージを、完全にブチ壊されましたね。 今年の6月13日は。

 八代さんは「お言葉集」を2冊買ってくださったそうですが、だから褒めてるわけでは決してなく、ビジネスの論理で動ける人のほうが、モノの見方が客観的だし、決めつけた口調で独善的な物言いをしないし、話は噛み合う気がします。

 ビジネスに限らず、お金は、物事を継続していくための基本的な道具。 お金にばかり執着する人生も可哀想ですが、国家資格にあぐらをかいて金儲けを平気で軽んじる人も気の毒ですね。

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2007年9月 3日 (月)

“就職できなかった弁護士”に、期待を寄せたい!

 先日、某出版社から「『弁護士お言葉集』を書きませんか」という打診があったのですが、丁重にお断りして、別の企画で進めさせてもらうことにいたしました。

 だって、現代の弁護士の言葉を取り上げて、面白いと思います?

 誰かが与えてくれたメニューから人生の進路をチョイスし、何年か先の転職のことを考えながら就職し、ちょっとした困難にぶち当たったときは、まずコネ(他人の頭脳)を使って乗り切ろうと発想する連中をインタビューしたところで、「人々の心を響かせるお言葉が返ってくるはず」と期待するほうが無茶です。

 そのうえ裁判官と違って、すでにテレビ番組や注目の法廷などで活発にあれこれ発言しておられる方も多いですし、いまさら弁護士が「犬のウンコ」とか「ど変態」とか言ってみたとしても、たいしてインパクトないでしょ。

 

>>>「司法試験合格者3千人、多すぎる」 法相が「私見」

 司法制度改革の柱として司法試験合格者を年に3000人程度に増やす政府の基本方針について、鳩山法相は31日、報道各社によるインタビューで「ちょっと多すぎるのではないか」との見解を示した。法科大学院の現状についても「質的低下を招く可能性がある」と述べ、現在の政府の計画に疑問を呈した。

(※中略)

 法曹人口を増やすために新設された法科大学院についても「法科大学院の発想は(修了者の)半分か、半分以上が法曹になるというもの。検事や裁判官も含め、格別に難しい試験を通った人だから信用しようという考えが、我が国にはある」との考えを述べた。 2007年08月31日 (朝日新聞)


 なるほど……。 だったら、法務大臣になるのも「格別に難しい試験」を課してからにしましょうか。

 あ、どなたかと思えば、第2次安倍内閣、新法相の鳩山邦夫さんじゃないですか。 はじめまして。 今後の動向によっては、ついついツッコミを入れてしまう場面があるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

 

 これから弁護士になるのは、ますますお金がかかって仕方がないみたいですね。 まぁ、旧司法試験を受け続けるのも、かなりの経済的な負担がありました。

 まずは予備校の基礎講座受けて、年中行事の答案練習会やら模試やら、あるいは苦手科目や改正法の特殊講義などをそのつど受講してたら、びっくりするぐらいお金が飛んでいきます。

 司法試験予備校も、かつらや美容整形、ダイエットなどと同じく、一種のコンプレックス産業ですから、そのへんは抜け目ありません。

 あまりにお金がかかるので、母校にある「松法会」という司法試験の自主勉強会の門をたたいてみたことがあります。 たしかに答練も模試もゼミもやっとるし、受験生の同志もたくさんいて楽しかったのですが、やはり人員もお金も潤沢にある司法試験予備校と比べたら、さまざまな面でクオリティが劣ってしまうのは、致し方ないところでしょう。

 ただ、結果として挫折するんなら、どっちでもかまいません。

 受験生によって個人差は大きいでしょうが、私の場合、出費はわりと抑えたほうだと思います。 それでも、司法浪人中の7年間でトータル200万円弱は注ぎ込んだでしょうか。

 大半は両親に負担させてしまったので、今後の親孝行は大変ですけど、本が売れたので幸いにも助かっています。

 

 

 新しい制度では、法科大学院を修了して法務博士号を取らなければ、司法試験の受験資格はありません。 法律家が全員ドクターという、いよいよ身もフタもない時代の到来です。 ちなみに、医師(ドクター)は、医学部を卒業しただけで博士号(ドクター)をもらえるわけではありませんけどね。

 ドクターはドクターでないのに、法科大学院を出たらドクターという…… しかも法科大学院を出た法務博士は、博士論文を書いた法学博士とは扱いが区別されるといいます。 じゃあ、最初から「博士」と名づけなきゃいいのに。 なんだか難しすぎる仕組みです。

 これから弁護士になりたい人は、まず適性試験というのを受けるにあたって予備校に通い、法科大学院の入試に受かるまで予備校へ通いつめ、法科大学院に合格したら2年から3年通って、年間100~200万円ほどの授業料を上納するそうですね。

 もちろん、司法試験の受験準備のため、大学院の放課後は相変わらず予備校に通うわけです。 並のポテンシャルでは、カラダもサイフももたないことでしょう。

 あとは、司法試験を受けるにあたって、出題・採点する考査委員の皆さんにも、いくらか包まないといけませんよね。 便宜を図っていただくんですから、先方さまにもそれ相応のメリットが要ります。

 そうですねぇ…… 考査委員のジィさんバァさんたちが、ちゃんと老後を健やかに過ごせるよう保証すべく、一人あたま5千万~1億は握らせる必要があるでしょう。 あとは、自分の答案だと判別できるよう、なにか答案用紙に印を付けておけばOKです。

 もちろん、人一倍お歳を召されている委員については、残された人生が少ない関係で、渡す額も少なめでよかろうと思いますが、今、考査委員って何人ぐらいいますかね? だいたい200人ぐらいですか?

 とすれば、確実に弁護士になるには、ざっと100億ぐらいの出費を覚悟しなければなりません。 「弁護士業が、ボンボンやお嬢様の道楽になってしまう」といわれるゆえんです。

 もちろん、出費を抑える方法はあります。 法科大学院によっては、合格者輩出の実績をつくらんがため、模擬試験の問題を通して、本試験問題をタダで漏らしてくださる先生がいらっしゃいます。 なので、そういう先生方が揃っている法科大学院に通えば、ワイロをいくらか節約できますよね。

 ただ、そんな手っ取りばやく合格させてくれる法科大学院は、要領のいい法曹志願者からの人気を集めてますから、受験競争も激しいですし、本試験情報リークの付加価値があるぶん、授業料が吊りあがってしまうことも予想されます。 ただ、これも市場原理のあらわれですから仕方のないところです。

 

>>> 司法修習生、就職先未定が100人超す 日弁連の調査

 来月から年末にかけて修習を終える司法修習生約2500人のうち、現時点で少なくとも100人以上の就職先が決まっていないとみられることが日本弁護士連合会の調査で分かった。例年なら行き先が固まっている時期だが、今年は、司法制度改革で司法試験合格者が増えている影響で、当初から「就職難」が予想されていた。調査結果は懸念を裏付けた形だ。 (朝日新聞)2007/08/26

 このニュースは朗報だと思いますね。 一筋の光が見えてきましたよ。

 「順当エスカレーター」に乗り遅れてしまい、取り残された100人超の「就職先未定」となった皆さんに対して、私はひそかな期待を寄せています。

 なぜなら、史上はじめて、しょーもないエリート意識を削ぎ落とした弁護士が、この国に誕生する可能性が出てきたからです。 私は、彼ら彼女らを勝手に「オルタナティブ弁護士」と呼ぶことに決めました。

 従来のオーソドックスな弁護士さんも頭脳明晰な方々ですから、社会的に立場の弱い人たちのことも、いちおう想像力で把握しようとなさるのでしょう。

 しかし、オルタナ弁護士の皆さんは一味違います。 想像力なんか持ち出すまでもなく、現に自分たちが弱い立場へと放り出されているからです。 リアルに。

 とすれば、人生に行き詰まった依頼人の気持ちも、その身体と気持ちで丸ごと理解することが可能でしょうね。

 

* 「むしゃくしゃして、ついやってしまったんです。 申し訳ありません! これでも反省してるんです!」

* 「オトコって、なんでいつもこうなの? どうして私だけ幸せを掴めないんだろう」

* 「明朝までに150万用意できないと、手形が不渡りになるんです! 先生、なんとか従業員を救ってください! なんでもしますから!」

 

……といった、せっぱ詰まった民衆からの悩みを大きく包み込み、自らの体験をもとにアドバイスできるだけの、度量や強靭さを身につけています。 オルタナさんは。

 人間、追い込まれないと本領を発揮できませんし、試行錯誤の工夫もしたがりません。 その点、既存の受け入れ先から見放され、完全に金づるを絶たれたオルタナ弁護士は強いですよ。 「窮鼠猫を噛む」思いでしょうから。

 もはや、イチから法律事務所をつくって、各方面へアグレッシブに営業を仕掛けるぐらいしか道はありません。

 「どうせ作るなら、考えうる最高の法律事務所を立ち上げよう」という、その無謀きわまりない試みは、退屈きわまりない法曹界の中でも異彩を放ちます。 きっと「依頼人本位」を意識した施策を次々と打ち出し、なんとか経営を維持しようとすることでしょう。

 「依頼人本位、顧客満足という市場原理に基づく発想は、弁護士業界を過当競争に巻き込み、従来の『良心的』な弁護士を駆逐するおそれあり」と考える人もいるかもしれませんが、それはそれで程度問題ですよね。

 今までの弁護士業界が長い間、受け身の殿様経営でお茶を濁してきたために、あくまで反作用としてオルタナ弁護士が新たな動きを見せるにすぎません。

 

 弁護士という職業の持つ醍醐味のひとつに「契約さえ結べば、誰の味方にだってなれる」という要素がありますよね。 権力者から大企業、各種有名人、犯罪者に至るまで、いろんな立場で知恵を絞れる仕事は楽しかろうと思います。

 とはいえ、周囲から話を聞くと、特に現在の弁護士志望者たちは「勝ち馬に乗ろう」「長いものに巻かれよう」という発想で凝り固まっておいでの方が、明らかに増えているそうですね。 とりあえず「力を持ってる人が大好き」という、わかりやすい傾向が見られます。

 もともと司法試験(殊に短答試験)が、「合格経験者の多数派解答」という名の勝ち馬に乗るテストですから、そうした訓練の賜物ではあるのですが。

 もちろん、「つねに弱者の味方たれ」なんて説教する気は最初からありません。 社会的地位が盤石な者のそばにベッタリ、足元が擦り切れるぐらい立ち続けるのも自由でしょうよ。

 ただ、そういった類の弁護士たちの態度は、着実に世の中を「つまんない方向」、ひいては「気持ち悪い方向」へと向かわせていますね。

 勝ち馬から振り落とされる恐怖におののき、必死でしがみついていたいのは結構です。 とはいえ、弁護士もいちおう国家資格ですから、社会全体のバランスやダイナミズムを無視してまでやるこっちゃないでしょ。

 えーと、弁護士バッジの中央に描かれているモノって、何でしたっけ? あいにく私の手元にはありませんので、弁護士さんは各自で確認していただきたいと思います。

 


 法曹界ではかねて「2007年問題」として就職難を危ぶむ声が高まっていた。合格者は10年には3000人に増える見通しで、来年以降はさらに深刻になる恐れがある。
 このため、日弁連は全国の弁護士事務所のほか、企業や自治体などにも雇用を呼びかけ続けている。弁護士業務総合推進センターの副本部長を務める飯田隆弁護士は「昨年末時点では最悪で500人が就職できないとみていた。全国の弁護士会を通じて雇用を働きかけ、最終的に40~60人程度に収めたい」と話している。 (同上)



 「最悪」でも「深刻」でもありません。 もうねぇ、放っときゃいいんです。

 オルタナ弁護士へと変貌するポテンシャルを秘めた人材を、わざわざ減らすこともないでしょ。 よけいなマネすんな。

 法曹、特に弁護士というのは「ズル賢いお人よし」でなければならない、というのが私の持論です。 頭が切れるだけじゃ頼れませんし、優しいだけじゃ使えません。 最低でも、これら両方を兼ね備えているのが「オル弁」だとお考えください。

 もし、このたび就職しそびれた弁護士の中に、「生まれてきた時代が悪かったんだ!」と、世の中を恨んでみたり、「とりあえずカネが要る!」と、やばい道に足を踏み入れたりする輩がいたならば、そりゃ彼らは、その程度の人材でしかなかったということです。

 ただ、年間3000人も合格させてたら、さすがに1人や2人は「オル弁の卵」が混じってるはずでしょう。 もし、いつまで経ってもゼロのまんまなら、それは選抜試験のあり方のほうを疑うべきかもしれません。

 ニッポンのどこかで、逆境から這い上がった掃き溜めのツル…… そう! つまり、真の「オル弁」が出現したなら、私は真っ先にお話を聞かせていただきたいですし、経営などの面でお困りなら、いくらか支援してもいいと思ってます。

 日頃から、冗談やイヤミしか書いてませんので、「ひょっとして、これもナガミネ流の皮肉か?」と捉える向きもあるでしょうが、なにを隠そう、ここだけは本気なんです。 「ここだけは」って何だ。

 

 「オル弁」の活躍を下支えする…… そんな日が来るのを夢見て、私は物書きとしてもっと稼いでいかなきゃなと思いますね。 そして今日も、次回著作の原稿がまるで進まないまま、こうしてブログで現実逃避しております。

 一番「つまんない」のは自分やな。 そう痛いほど感じつつ。

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2006年6月 4日 (日)

最高裁弁論の「ドタキャン」を擁護できるか

((参考過去ログ))

どのツラさげて来るのカナ?(2006/04/17)

最高裁ドタキャン弁護士 安田好弘さんの基礎知識(2006/03/24)

待てど暮らせど来ぬ人を……(2006/03/17)

 

 山口 光市の母子殺害事件 上告審弁論に関連して、マスメディアがあんまり「最高裁ドタキャン弁護士」たちを吊るし上げて叩きまくるので、その反作用を打ち出してバランスを保とうとしてか、「擁護論」がふつふつと湧き上がっているようですね。

 あの件で、安田好弘弁護士と足立修一弁護士をかばう声が噴出してくるとは、正直申し上げまして予想外でした。 このブログでは、そういった声への対応については、手薄のままで放置しておりまして、反省しております。

 この問題を論じるにあたって、たしかに最低限の情報収集は必要となるでしょう。 ただ、関連情報をどれだけたくさん集められたかは、問題の性質上、そう決定的な要素にはならないだろうと考えます。
 最高裁に呼ばれたのに、約束の日に法廷へ出てこなかった。 その事実に間違いは無いわけです。 ならば、不出頭の弁護人らに弁解の可能性があるとしたら、それは何なのか。 むしろ、そこを重点的に掘り下げて検証していくべきではないでしょうか。

 まず、「弁論の準備期間が足りなかったこと」と「期日に出廷しなかったこと」は、別々に考える必要があると考えます。 弁論の準備期間が足りなかった事実が、即「ドタキャン」の正当化に直結するとは思えないからです。

 今回の件は、なにも「弁護人を安田氏と足立氏に交替せよ」と、裁判所が強制的に命令したわけではありません。 弁護側からの申し立てによる交替なんです。 しかも、昨年12月6日の時点で、『翌年3月14日』に弁論の機会を与える、ということが、すでに最高裁から通告されていたのです(この私ですら、昨年の時点でスケジュール帳にメモしておりました。弁護人両名もご存知だったと考えるのが自然です)。

 これが、昨年12月の段階で、たとえば最高裁が『弁論やるぜ!! 正月明けやけど』という指定をしたなら、たとえ弁護人の交替がなかったとしても乱暴ですね。

 通常なら、相手方の言い分を整理したり、有効な反論のために客観的な資料を集めたりするには、10日とか2週間とか、それぐらいの準備期間が与えられるでしょうか。 ただ、この件の場合は、一審で死刑が求刑されたほど社会的に問題視された殺人事件であり、しかも上告審です。 間もなく最終決定に至る、たいへん重要な段階です。

 なのに、仮に「1ヶ月で仕上げろ」と、最高裁が強引に突っぱねていたのとしたら、ひどい話ですよね。 「そんなに急では、防御の策を用意するいとまが無い」との同情を寄せる余地は十分にありそうです。 しかし、実際には3ヶ月以上の準備期間が双方に設けられたわけです。

 3ヶ月あっても「足りない」とは、なかなか言い出せるものではありません。 この国に近代的な司法制度が導入されて以来、弁論を行うことが最高裁に予告されたなら、訴訟当事者は皆、その期日に間に合わせてきたのです。 それでも「時間が足りない」というのは、「自分の能力が足りない」ということの自白に他なりません。 なので、法律家は誰も、口が裂けても「足りない」とは言えやしないのです。

 とはいえ今回は、弁護側が「弁護人交替」を、3月6日に正式に申し出て、その交替の理由として「時間が足りない」と書いて寄こした事案のようです。 もちろん、安田氏と足立氏は、法曹としての能力は人並み以上のものをお持ちでしょう。 それでも「時間が足りない」のだと。 まぁ、あと8日間しかない、ということですからね……。
 ただ、遅くとも弁護人を替わった時点で、ご両名は3月14日という「締め切り」を認識し、その締め切りを覚悟の上で後任を引き受けた、と見るべきです。

 一部には、昨年12月の時点で実質的な弁護人の交替があって、すでに両名は水面下で動いていた(単に届け出が無かっただけ)との指摘もあるようです。 だったら、なおのこと、準備を整える期間は十分にあり、むしろ、「延期」を申し出る口実として、弁論の前週まで交替の申し出を保留したことになります。 その点において、ますます批判は免れないでしょう。
 もし、これで延期が認められるなら、弁論期日が近づくごとに弁護人を次々と交替させていくことで、弁論期日や判決言い渡しを永久的に回避できるようになりませんか。

 整理しますと、今回のドタキャン騒動と、弁護人が途中交替していた話は、いくらか関係がありそうに見えて、じつは関連性など無いんじゃなかろうか、との疑念に至るわけです。

 

■ 弁論の準備期間は不足していたか? それは誰の責任か?

 
(1) もしかすると、前任者のもとでは任務が継続できない、なにか、やむを得ない事情でもあったのか。
  

(2)-1 仮に、やむを得ない事情があったとして、なぜ、それを公開法廷で堂々と弁明しなかったのか。弁護人の交替について、もし、やむを得ない事情があったのなら、その旨の主張がどこかでなされるのだろうが、現時点では見つからない。 (※事情に詳しい方、ぜひ情報をお寄せくださいませ)
 

(2)-2 仮に、交替につき、やむを得ない事情が何もなかったとして、二審判決から3年以上の時間が経過していたにもかかわらず、なぜ交替があの時期だったのか。 上告審の準備期間は、それまでにいくらでもあったのではないか。 それとも、二審判決の「無期懲役」のまま確定するものと、楽観していたのか。

(3) 弁護士さんの業界はどうなのか不明だが、世の中には「引き継ぎ」というものがある。 前任者の担当弁護人が、これまでの裁判経過の蓄積について何らのサポートもせず、後任者に丸投げでもしたというのか。

 

■ なぜ、当日の出廷が、かなわなかったのか?

(4) ドタキャン理由として公表されているのは、「準備期間の不足」ではなく、スケジュールが重なった「裁判員模擬裁判のリハーサル」を優先させたためであった。

(5) 何歩か譲って、「準備期間の不足」を理由に法廷をボイコットすることを認めるとして、それならば、「ただいま裁判資料を検討している」「最高裁の暴挙に抗議する」といったことを(たとえウソでも)欠席理由とするのが筋ではないか。

(5)-2 いや、ひょっとしたら、準備期間の不足は、あえて自分たちが引き受けた「危険」であるから、大っぴらには出さない、というのが、彼らの美学にあったのかもしれない。
 では、「裁判員模擬裁判のリハーサル」は、弁護人両氏が同席していなければ動かなかったのか。 模擬裁判(ましてやリハーサル)の運営は、現に人が2名も犠牲になった必要的弁護事件の弁論とは違い、少なからず人員の替えが利くのではないか。

(6) いずれにせよ、せめて主任弁護人の安田氏だけでも、法廷に出ることはできなかったのか。

(7) ドタキャン前と後とでは、傍聴希望者が倍(61名→119名)に増え、カメラや記者が最高裁前の歩道を塞いでしまわないか心配してしまうほどの盛況ぶりとなった。
 まさか「世間で忘れかけられている事件を、再度マスコミに注目させる目的」で、今回のドタキャンは粛々と執行されたのではなかろうか? ……と、つい早とちりの私は思ってしまうのだが、訴訟引き延ばし以外に、何らかの確信犯的な目的はあったのか。

 

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 「無期懲役か極刑か」という悩みを抱える現実の裁判を、いったん見て見ぬフリして、裁判員の模擬裁判(のリハーサル)に顔を出した両氏。 彼らは、なぜそこまで「裁判員裁判」にこだわりを見せておられるのでしょうか。

 ひょっとしたら、「死刑廃止」という彼らの最終的な目標を実現に向かわせる舞台として、3年後からの裁判員裁判に狙いを定め、そこに重点をシフトさせようとしているのではないか、と勘ぐらずにいられません。

 世論は、死刑制度に賛成なのか、それとも反対派が多数を占めるのか。各団体のアンケートの採り方によって、いろいろ答えがあるようです。 ただ、実際に裁判員になって、「死刑」という一票を呈示していく営みには、やはり一般の方は、少なからぬ抵抗や恐怖を抱くものだと思います。 それは、まさしく「一般の視点」であり、「庶民の感覚」に他ならないものといえましょう。

 もちろん、裁判官だって、何の心理的な葛藤もなく死刑判決を出しているわけではありません。 が、素人の裁判員なら、より、刑の選択に戸惑いを感じて、仮に間違いがあった場合に取り返しのつかない「死刑」という意見を表明しにくくなるのではないか、と。 ひいては死刑という刑罰が日本国でも有名無実になるのではないか、という期待を込めている人も、一部にはいるのではないでしょうか。

 実際に裁判員制度が動き出したとき、本当に一審段階での死刑判決は減るのか、やってみないとわかりません。 それでも、死刑慎重・廃止派の方々は、裁判員を務める一般人の戸惑いに賭けている…… だから、万難を排してでも(※ここでいう「万難」には、最高裁での弁論も含まれることになりますが)、模擬裁判に取り組む。

 そう考えないと、つじつまが合いませんよね。 いかがでしょうか。

 

◆ 刑事訴訟法 第278条の2(出頭在廷命令)
1 裁判所は、必要と認めるときは、検察官又は弁護人に対し、公判準備又は公判期日に出頭し、かつ、これらの手続が行われている間在席し又は在廷することを命ずることができる。
2 裁判長は、急速を要する場合には、前項に規定する命令をし、又は合議体の構成員にこれをさせることができる。
3 前2項の規定による命令を受けた検察官又は弁護人が正当な理由がなくこれに従わないときは、決定で、10万円以下の過料に処し、かつ、その命令に従わないために生じた費用の賠償を命ずることができる。
4 前項の決定に対しては、即時抗告をすることができる。
5 裁判所は、第3項の決定をしたときは、検察官については当該検察官を指揮監督する権限を有する者に、弁護士である弁護人については当該弁護士の所属する弁護士会又は日本弁護士連合会に通知し、適当な処置をとるべきことを請求しなければならない。
6 前項の規定による請求を受けた者は、そのとつた処置を裁判所に通知しなければならない。

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2006年4月17日 (月)

どのツラさげて来るのカナ?

足立修一(あだち・しゅういち)

昭和33(1958)年8月23日生まれ(47歳)

出身:兵庫県

広島弁護士会 所属
足立法律事務所

昭和58(1983)年 京都大学法学部卒
昭和63(1988)年 司法試験最終合格
平成3(1991)年 司法修習修了(43期)

((参考過去ログ))
最高裁ドタキャン弁護士 安田好弘さんの基礎知識(2006/03/24)

 

 明日は4月18日。 光市の母子殺害事件の上告審で、口頭弁論に弁護人2名が来なかったので、最高裁判所が「口頭弁論やりなおし」の期日として指定した日です。

 でもねぇ。 「準備不足」が理由で、前回出席しなかったそうですので、この1カ月かそこらで、裁判官たちの心証の悪さを逆転させて余りあるほどの準備を整えられるでしょうか。 どうせ来ないんでしょ?

 と思ってましたら、今日の夕方に会見し、「明日やっぱり来ようかな」だそうな。 そうスか。

 明日は、同じ時間帯に東京地裁で「ジャニーズJrストーカー女」の第2回公判が行われますし。 別に傍聴券が取れんでも惜しくは無いかな、というスタンスではおります。

 

◆ 刑事訴訟法 第289条(必要的弁護事件)
1 死刑、無期、もしくは長期3年を超える懲役もしくは禁固に当たる事件を審理する場合には、弁護人がなければ開廷することができない。


 こちらが原則規定です。 厳重な法定刑が設定されている犯罪に関して裁判が行われる場合は、弁護人が就いていなければ、判決どころか裁判を始めることすらできないと。そういう手続きです。
 被告人の言い分が適切に聞き入れられないまま、裁判官や検察官といった、力を背景にしている人たちが寄ってたかって死刑などの重大決定をするようなことがあっちゃならん。 なので、被告人を守る専門家である弁護人を必ずつけましょう。 弁護人を雇う経済的余裕が被告人になければ、国で就けましょう、というわけです。

 なるほど、わかりますよね。 一般的・抽象的な議論としては。


◆ 刑事訴訟法 第341条
 被告人が陳述をせず、許可を受けないで退廷し、又は秩序維持のため裁判長から退廷を命ぜられたときは、その陳述を聴かないで判決をすることができる。

 しかし、必要的弁護の裁判に弁護人がいなかった前回の口頭弁論。 ひとり孤独に法廷に立った最高検の検事さんは、「約束を守らない弁護人なんかほっといて、私どもの主張だけ聞いて結審してくださいよ」と、この341条の考え方を借りて、さきほど挙げました289条(必要的弁護)の例外を採用するよう主張しました。
 弁護人が欠かせない裁判で弁護人が法廷にいないという状況は、実質的には、被告人がいないのと似たようなものですよ、と。 特に、この上告審の口頭弁論には、もともと被告人は出てこないのだし、というわけです。

 しかし、最高裁の結論はそうではありませんでした。 いったん休廷し、5人の判事による審議の結果、「まぁ、検察の言うこともわかるけど、あと1回だけ待とうや」ということになったのです。

 せめてもの温情かもしれませんし、法の番人としての「余裕」を演出したかったのかもしれませんし。
 

◆ 弁護士職務基本規程 第46条 (刑事弁護の心構え)
 弁護士は、被疑者及び被告人の防御権が保障されていることにかんがみ、その権利及び利益を擁護するため、最善の弁護活動に努める。

 

 この「弁護人ドタキャン」騒動は、もはや、被告人の防御権がどうとか、弁護士倫理がどうとかいう問題を超えていると思います。

 神聖なる法廷をバカにした行為……? これでも言い足りません。 もっと肉感的なものです。

 被告人「フクダタカユキ」の身もフタもない露骨な私利私欲の毒牙にかかってしまった、本村さんの愛する奥さんとお子さん。 ふたりが最期に残した、傷と涙と無念さを、被告人による犯行の後ろから忍び寄って、再び平気で踏みにじったのです。 弁護士のクセに。

 じゃあ、そんな犠牲者の想いを捨て石にしてでも、クライアントたる被告人を守り抜こうとするのかと思えば、先月は、口頭弁論をすっぽかし、被告人をほったらかす始末。 この弁護人たちは、いったい何がやりたいわけ?  教えて! 偉いひと!

 足立修一センセイ。 どうやら電子工学の分野で同姓同名の学者さんがいらっしゃるようですね。 その方の功績が輝かしすぎて、なんとも調査をつけにくいですが、交通規制や公共事業に関して、法律の専門雑誌に寄稿されてるようです。読んでませんけど。

 山口県の事件ですので、地元の広島から就いたのでしょうが、弁護人として1審や2審を担当していたのかどうかは不明です。 これだけの大事件ですから、弁護人として担当したならもっと名前が出ていてもいいかと思いますけどねぇ。

 奇しくも(?)、同志である安田弁護士と同じ出身地、兵庫県。

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