2009年6月17日 (水)

刑事裁判の量刑は、やっぱり検察官が決めちゃうのか?

>>> 懲役1年2カ月…申し訳ない、2年にします 求刑勘違い

 秋田地裁で8日、窃盗罪に問われていた横浜市の無職男性被告2人の判決公判の言い渡しの際、裁判官が検察側の求刑を勘違いしており、読み上げの途中でいったん休廷し、改めて判決を言い渡すミスがあった。

 2人は共謀して東北各地でカーナビゲーションを盗んだとされる。馬場純夫裁判官は冒頭、検察側の求刑をそれぞれ懲役1年6カ月として、1人に同1年2カ月、もう1人に同1年6カ月執行猶予4年と伝えた。

 しかし、読み上げの途中で、検察官から「求刑は2年6カ月だったはず」と指摘があった。馬場裁判官は手を止めて判決文の草稿をめくり直し、「(求刑は)1年6カ月だったよね」と検察官に問い直した。間違いがわかると、両被告を退席させ、約30分の休廷をはさんだ。

 馬場裁判官は改めて、懲役2年と同2年執行猶予4年をそれぞれ言い渡した。その後、両被告に「実刑、有罪の判決であることに変わりはないが、2人には迷惑をかけ、申し訳ない」と陳謝した。

 秋田地裁は、記者団に「どのような過程でミスが起きたかわからない。裁判体の判断事項なのでコメントは差し控えたい。通常は求刑に、裁判官の判断が拘束されるものではない」と説明。今後ミスの原因を調べるという。

 秋田市の法律関係者は、休廷した30分間で判決が変わったことを問題視し、「検察側の求刑によって判決が変わるというのはおかしなこと。(独立した判断が求められる裁判官の)判決が求刑に引っ張られている実態が明らかになった」と話した。

 また、この裁判は検察側の論告を書面ではなく、口頭でやりとりしていたことから、「裁判員制度の導入にあたり、論告を口頭でやり取りすることが多くなった。その弊害ではないか」とも指摘した。(2009年6月9日 アサヒコム)


 

 マズいですよ~、これは!

 裁判官の量刑は、検察官の求刑に一切影響を受けないのがタテマエです。

 求刑よりも重い刑をたまに言いわたしちゃう、大阪地裁の杉田宗久判事のような例すらあります。

 その一方で、刑事裁判官の量刑は「求刑の8掛け」とか「2割引」なんていわれて、検察官から懲役5年という求刑が出たら、懲役3~4年が“相場”だと、まことしやかにウワサされてきました。

 実際、いろんな判決ニュースを見聞きしていると、その法則があてはまる場面が多くみられます。

 が、「求刑の8掛け」について、もちろん、裁判官は公式に一切認めてきませんでした。 私も新聞記事や法律の専門誌などで、いろんなインタビューを読んでまいりましたが。

 

 今回の馬場裁判官は、「検察官が言った求刑によって、私の判決はブレます」と、自白してしまったようなものです。

 2年6カ月の求刑に対し、判決が2年では、ちょうど「求刑の8掛け」になってしまうという、恥ずかしい結果に。

 それじゃあ、検察官と裁判官の関係が“なあなあの馴れ合い”になってしまっている事実を、正直に暴露してしまったも同然。

 もしかして馬場判事、ウソをつけない、まっすぐな性格でいらっしゃるのでしょうか。

 

 同じ件を報じた読売新聞の記事によると、書記官が作成した事件記録のほうが「求刑:1年6カ月」だと間違っていたみたいです。

 そういえば過去に、こういう騒動もありましたし、ときに「1」と「2」は聞き違えやすいんでしょうね。

 

 じゃあ、

 検察官から求刑の勘違いを指摘されたとしても、裁判官は判決を変えなかったほうがよかったのか? ……という話になるでしょう。

 私は、決して変更すべきではなかったと考えます。

 検察官の求刑と、裁判官の量刑は何の関係もない、という本来のタテマエを貫くのであれば。

 もっとも、検察官と裁判官の馴れ合いを、あからさまに認めてほしくない、この勘違いをキッカケに断ち切ってほしかったという、個人的な願望が含まれていることも否定できませんけれども。

 

 特に今回は、本来の求刑より軽い方向で勘違いしていたわけで、被告人らにとっては、ある意味で自分たちに不利益な方向に(重く)判決を変更されたようなかたちです。

 執行猶予つきならともかく、ひとりは実刑ですからね。 いきなり8カ月も懲役を長くされるのは、不意打ちだといわれても仕方ありません。

 カーナビ盗んで実刑ということは、初犯ではない可能性も高く、被告人なりに、ある程度の覚悟はできていたのかもしれませんが、それはそれとして。

 

 ちょっと調べてみました。

 馬場純夫裁判官は、昭和36年12月15日生まれの47歳、神奈川県出身。 新聞記事を検索しましたが、過去に特に大きな問題を起こしたことはないようですね。

 最近では、卵を産めなくなったタダ同然の雌鳥(廃鶏)を「比内地鶏」と偽装して販売した業者の社長に、懲役4年の実刑を言いわたしています。

 ちなみに、このときの求刑は懲役7年でした。 求刑の「6掛け」以下ですね!

 おかしいなぁ……。

 馬場判事が関わった量刑について、もっと調べてみました。

 
 

2009年4月22日 詐欺 懲役3年6月(求刑・懲役4年)

2009年4月7日 詐欺 懲役2年6月(求刑・懲役3年6月)

        詐欺 懲役1年6月(求刑・懲役2年)

2009年3月31日 傷害致死 懲役12年(求刑・同じ)

        現住建造物放火など 懲役5年(求刑・懲役6年)

2009年3月27日 強姦 懲役4年(求刑・懲役5年)

2008年12月24日 強姦傷害 懲役8年(求刑・懲役10年)

2008年12月3日 強盗傷害 懲役6年(求刑・懲役7年)

2008年10月27日 詐欺 懲役12年(求刑・同じ)

2008年10月17日 傷害 懲役4年6月(求刑・懲役5年)

2008年7月30日 覚せい剤密売など 懲役4年(求刑・懲役5年)

 

 以上、実刑判決のみピックアップしました。 以上の太字が「求刑の8掛け」法則があてはまる判決です。

 こうしてみると、法則があてはまる場合のほうが少数派…… って、そりゃそうか。 裁判所はキリのいい数値を量刑に採用するのが好きですから、キッチリ割り切れるほうが珍しいですしね。

 とにかく、今回は、求刑の変更によって、量刑を動かすべきではなかったと思えて仕方ありません。

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2009年6月 5日 (金)

賢い法律家たちだって、不完全な人間なのだ…「足利事件」

 今から20年近く前に栃木県で起こった、幼女殺害「足利事件」の犯人として、無期懲役判決を受け、服役中だった男性が、昨日、千葉刑務所から釈放されました。

 DNA鑑定による検察官の有罪立証に、疑わしいところが出てきたからです。

 疑わしきは罰しちゃいけないのです。

 

 この裁判が行われていた時代、DNA鑑定は、鳴り物入りで導入されたものの、まだできたてのホヤホヤの技術でした。

 DNA鑑定結果を、有罪の証拠として最高裁が採用したというだけで、大ニュースになったのは、まさに、この足利事件での裁判が、日本で最初の出来事でした。

 司法浪人をやっていた時代に、最新判例として覚えたので、記憶にとどまっています。

 しかし、その最新判例は、9年後の現在、地に墜ちたことになりますね。 技術的に早すぎた判例だったのかもしれません。

 

 本件の加害者とされた菅家さんが、本当に犯人でないのか、私にはわかりません。 わかるワケもありません。

 「私は犯人じゃない」…… その重たい言葉を、人として信じたい気持ちでいっぱいですが、「なるほど、間違いなく犯人じゃない」と、100%の納得をもって断言できるかどうかは、また別の話です。

 

 「無罪」と「無実」は違います。

 無罪というのは、あくまで「有罪を証明できなかった」という裁判技術の問題。

 無実というのは、究極的には、本人にしか認識しえない事実です。

 

 無実を客観的な根拠をもって確定させるのは至難の業ですが、無罪判決を出すのは、技術的に何も難しくありません。 本来は、検察官の有罪立証が、0.1%でも崩れれば無罪なのです。

 無罪判決を出す難しさが、何かあるとすれば、

 それは、凶悪事件の被告人に無罪判決を出した後に待ち受けるであろう、世論(メディア論調)のバッシングを思い浮かべたときの恐怖感があるぐらいです。

 今回の場合、「DNA鑑定が怪しい」という一点を弁護人が突いて、それで検察官による有罪立証が少しでも揺らいだなら、裁判官は被告人を無罪にしてしまっていいのです。

 それが、神ならぬ人間が「無実の人を、一切刑務所に送らないための安全弁」として開発した、現時点での知恵の到達点なのです。

 たしかに、真犯人に無罪判決が出された結果、心の中で密かに笑いながら、この社会で生活しているヤツもいるかもしれません。

 真犯人を逃がすか。

 無実の者を罰するか。

 究極の選択ですが、少なくとも司法は、「真犯人を逃がしたとしても仕方ない。 とにかく無実の人を絶対に処罰しないこと」と決めたのです。

 全体のために、ひとりに犠牲となるよう強制してはいけないと、憲法13条の「個人の尊重」は謳っているからです。

 もちろん、その人の意思で「自分が社会全体の犠牲になる」と覚悟するのは、美しい話ですし、個人の自由ですが、少なくともその犠牲を周りが強制してはいけないと。

 
  

 無実の人を罰しないように、気をつけてシステムを構築しているハズでも、今回の「足利事件」裁判のように、無実の人を長期間にわたって拘禁してしまう間違い、悲劇は起こるのです。

 菅家さんには、いずれ再審で無罪判決が出ることでしょう。

 しかし、失われた時間は決して戻ってきません。

 仕方がないので、法制度は「刑事補償」という仕組みを用意しています。

 要するに、失われた時間を「お金に換算しましょう」というのです。

 失われた時間に対する刑事補償は、最高額で1日あたり12,500円です。たいていの場合は、その最高額が支払われるようです。

 菅家さんが逮捕された1991年12月2日から、釈放された2009年6月4日までは、期間計算サイトによると、6394日(19年6カ月2日)だそうです。

 ということは、国からの刑事補償額は、単純計算で、約8000万円になります。

 

 とはいっても、「補償」って「賠償」とは違って、支払う側に責任はないけど、結果的に気の毒な目に遭っている人のために支払うよ、というニュアンスがあります。

 つまり、刑事補償をしている国は、ひとりの人生を台無しにしたということについて、自分が悪いことをしたと自覚していないんでしょう。

 しかも、刑事補償は、無罪判決が出た後に、裁判所に改めて訴え出ないと支給されません。 どこまで不親切なんでしょうか。

 

 ……といったような話を、私は次回作の中で、たまたま書いていました。

 これから裁判員が加わる刑事裁判が行われれば、「疑わしきは罰せず」という原理は、ますます一般の皆さんにとって重要性を増すからです。

 法律なんて、しょせん人間の作ったもの。 疑いながら従うぐらいで、ちょうどいい。

 

 とはいえ、ナガミネの次回作は、もちろん堅苦しい雰囲気の本ではありません。

 

 読んでみて、もしかしたら、「今までの雰囲気と違う」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

 今まではあえて削っていた、皮肉やイヤミ、冗談、ツッコミなど、わざとトゲやエッジを残してますので、私と同年代(30歳~35歳)ぐらいの「男ウケ」をする本かな、と思っています。

 人によっては、「裁判官の爆笑お言葉集」よりも、笑っていただけることでしょう。

 まぁ、著者の狙いなんて、だいたい外れるんですけどね。 良いほうにも、良くないほうにも。

 

 はたして、法律界の感覚がズレているのか? それとも、私の書いていることがズレてるだけなのか?

 最新刊「ズレまくり! 正しすぎる法律用語」は、阪急コミュニケーションズから、来週木曜(6月11日)発売予定です。

 あと6日ですね。 どうぞよろしくお願いします。

 だいたいの目次は、こちらで。

 
 

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2009年5月26日 (火)

精神鑑定の結果に逆らい続ける裁判所

>>> 「鑑定重視を」最高裁の差し戻し審、高裁で再び実刑判決

 03年6月に東京都北区で起きた傷害致死事件をめぐり、男性被告(40)に刑事責任能力があったかどうかが争点となった刑事裁判の差し戻し後の控訴審 で、東京高裁は25日、責任能力があったと判断し、被告に懲役2年6カ月の判決を言い渡した。精神鑑定に基づく責任能力の認定のあり方について、中山隆夫 裁判長は、最高裁の従来の考え方を踏まえつつ、裁判員制度のもとでは固定的・絶対的なものとすべきではないとの考えを示した。

 被告は、元勤務先の塗装店経営者を殴って死なせたとして起訴された。一審・東京地裁は「心神喪失」とした鑑定結果に基づいて無罪判決を言い渡した が、二審・東京高裁判決は鑑定結果を信用せず懲役3年の逆転有罪に。しかし、最高裁は上告審判決で「専門家の精神鑑定は十分に尊重すべきだ」として審理を 東京高裁に差し戻していた。

 中山裁判長は、最高裁の考え方を「一般論としては正鵠(せいこく)を射ており、裁判官も含めて素人の知見で評価するのは慎重でなければならない」 と評価した。その一方で、「責任能力は社会や一般人の納得性を考えて規範的にとらえるべきもので、固定的・絶対的なものとするのは相当ではない」と指摘し た。

 さらに、最高裁が過去の裁判例で「様々な要素を考慮して総合判定すべきだ」としたことに言及し、「責任能力についても裁判員に意見を求める意義はこの点にある。(最高裁の考え方を)そう解釈してこそ、裁判員の率直な感覚や意見を引き出すことにつながる」と述べた。

 これらを踏まえ、一審が無罪の根拠とした鑑定結果を検討し、現在の精神医学の知見から見て信用性に問題があると判断。有罪の結論を導いた。 (アサヒ・コム 2009年5月26日)

 

 そもそも、裁判で証拠として提出された精神鑑定の結果に、裁判官が従わなくていいという、司法業界のオキテが、どうしても理解できないのです。

 精神医学の専門家が、長い間をかけながら、試行錯誤を繰り返し、被疑者・被告人に面と向き合い続けて出した結論について、外野(裁判官や裁判員)があれこれ口を出してひっくり返すのですよ。

 そのくせ、裁判員裁判の評議(話し合い)には、誰にもツッコミを入れられたくないので、非公開にし、中身をバラした裁判員経験者に罰則を科してまで、誰が何を話したのか、外部へ明らかにされないのです。

 これを、一般人の市民感覚では「ズルい」と呼びます。

 医療ミスを法律の論理で平気で裁いているクセに、なぜ医療は法律の世界に満足に関われないのか。 この一方的な流れは何なのか。

 本件のような傷害致死事件で裁判員は召集されませんが、裁判員が呼ばれる殺人などでも責任能力は問題になりえます。

 中山裁判長は、責任能力の問題についても、一般の裁判員にフリーハンドで意見を求めることの意義を強調しています。

 しかし、責任能力について尋ねられても困るのが多くの裁判員の率直な気持ちだと思うのです。 万一、私が裁判員でも、大いに困りまくるしかありません。

 困らない自信満々の裁判員でも、自分の直感で意見をいうしかありません。

 つまり、「人ひとりが亡くなっているのに、無罪はおかしい! 誰も責任を取らないのか! 遺族がかわいそうだ!」という直感を、法廷に反映させようということなのでしょう。

 

 精神医学が結論づけた「心神喪失」「心神耗弱」と、司法にいう「心神喪失」「心神耗弱」が、なぜ同じではいけないのでしょう。

 どういう筋合いで、裁判官が精神科医の意見にダメ出しできるのでしょう。

 共通の言葉を使って、医療界から法曹界に手渡されているのに、わざわざ別の中身にしなければならない理由なんてあるでしょうか。

 理由が特にない根拠として、「社会や一般人の納得」とか「規範的」というような、どういう意味とでもとれる、ボンヤリしたキーワードしか出せない点があります。

 つまり、直感で裁判しようぜ、といっているのです。

 ただでさえ「合理的に推察される」「総合的に判断すべき」という表現の裏で、裁判官は直感的に裁いとるのに、これ以上まだ直感でやるのかと。

 古今東西の人々が抱いてきた直感が土台になって、法ができあがっているのは疑いないところですが、直感って、時と場合によってブレるのが宿命なんだから、本来は法の基準としてふさわしいものではないのです。 特に刑事罰の基準としては。
 

 「人ひとり死なせたんだから、償え。 むしろ死んでわびろ!」

 ただ、心神喪失状態(善悪の区別、あるいは行動のコントロールができない状態)にある状態で犯した犯行で、単に結果責任をとらされるのでは、刑罰を科される本人が納得いきません。

 犯罪結果を生じさせた原因は、本人の悪意ではなく、精神疾患だったのです。 むしろ治療の対象。 それこそ専門家が出した結論。

 つまり、刑罰を科されたところで、反発こそすれ、彼が心から反省する動機が見あたらないのです。 それじゃあ、何のための刑罰なのでしょう。

 だけど、「みんなの納得」のために、ひとりに犠牲を強いるわけです。

 今の憲法の根本的な考え方とは、逆をいく結果になりますね。

 中山裁判長は、きっと「良心」に基づいて今回の結論を導いたのでしょうが、それ以前に憲法には従いながら判決理由を書かなければなりません。

 

◆ 日本国憲法 第76条
 3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

 
 

 私だって、心神喪失・心神耗弱というのが、いったいどういう精神状態なのか、具体的には想像すらつきません。

 しかし、人間の精神状態について四六時中考えている精神科医が、精神医学という人類の英知の蓄積をもとに導いた結論なのですから、それに従っときましょうよ。

 その代わり、精神鑑定にあたる医師は、必ず複数人必要だろうなと思います。

 そのうち、精神鑑定にも、素人をランダムに6人ぐらい呼びつけて関与させるんじゃないかと、余計な心配をしたくなります。

 

 専門家というものが、なぜか少しずつ崩壊し始めている印象を受けます。

 ライターの世界だってそうです。 ネットを通じて、誰でも簡単に世界へ意見表明できる時代なのですし。

 しかし、そういう状況だからこそ、世の専門家が、プロがプロである理由を、仕事で示し続けなければならないと思うのです。

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2009年5月24日 (日)

「追い出し屋」とは?

 家賃を滞納した借り主が強引に退去を迫られる「追い出し屋」被害で、大阪市城東区の男性が玄関ドアの鍵を2回交換され、居住権を侵害されたとして、貸主 側に慰謝料など140万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が22日、大阪簡裁であった。篠田隆夫裁判官は鍵交換を不法行為と認定し、貸主側に約65万円の支払いを命じた。(2009年5月22日 asahi.com)

 家賃を滞納したとたんに、カギを勝手に交換するという、この「追い出し屋」は、部屋の貸し主と契約している、いわゆる賃貸保証業者が演じることが多いようです。

 賃貸の連帯保証人になるのって、安定収入がある身内の者でないと難しいんですよね。

 父が定年を迎えた後に部屋を借り直すなら、こういう賃貸保証業者に頼むことになるのなぁ……と思っていましたが、もし、こんな裏側も散見されるなら、あらためて考えなきゃいけませんね。

 法律は、賃貸借契約での当事者である「借り主」と「貸し主」において、部屋の借り主を保護しようという発想ですから、その縛りをすり抜けようとして、貸し主が「(施設付き)鍵使用契約」という名で契約書を作ってしまうことがあるようです。

 もちろん、どんな名前を付けようと、実質的には賃貸借契約ですから、さすがに判決はぶれないだろうと思いますね。

 「払えそうもない家賃の部屋に住もうと思うのが間違い。身の丈にあったトコを探さなきゃ」と、借り主に厳しい意見もあるようです。

 しかし、そもそも「身の丈にあった」低賃料の公営住宅について、供給が少ない社会状況では、あんまり現実的な意見とはいえなさそうです。

 
 

 「全国追い出し屋対策会議」公式サイト

 家賃の保証業は、営利目的の民間会社がやるのでなく、公的な機関が行うべきだという主張もありますね。

 たしかに相対的には公的機関のほうが安心でしょうが、そこに営利目的がないかどうかは、個別ケースがいろいろあって、ちょっと心配です (cf.「漢検」)

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2009年5月15日 (金)

新聞記者の義憤

 月曜日、コムロ判決で傍聴券を外したのに続き、

 今年の「さまぁ~ずライブ」の事前予約も、さっき「残念ながらチケットをご用意することができませんでした。」というメールが来ました。

 やっぱり、運勝負になると弱い。 ガキのころからジャンケンも弱いので仕方ないのだ。

 

 ところで、知り合いの某新聞記者の方から、

 TK(テツヤ・コムロ)の執行猶予について、納得いかない!

 ……という内容のメールが届きました。

 ホリエモン、村上世彰、耐震偽装に関わった会社社長たちなど、立場のある人が有罪になれば、すべてを失い、同じ業界でやっていくことは難しいはずなのに、

 なぜ、TKだけは「音楽でもう一度」という反省の仕方が許されるのか?

 ……ということです。 もっともな疑問です。

 

 そこで、取り締まりを受けた一部の経営者や、耐震偽装の連中と、TKの違いを考えてみました。

 

■ TKは、今回の件で本気で懲りている(ように見える)こと

 裁判を受けても後悔も反省もしていない人を刑務所に送るべきです。 なぜなら、どこの刑務所も満杯だからです。

 あとは、今後の継続的な行動によって、反省の態度を明示的にすればいいのです。 それでもコスイことをして当座のカネを得ようとするなら、そのときに改めて刑務所にぶちこめば十分でしょう。

 

■ 1回きりの犯行で、「魔がさした」とも考えられること

 もちろん、譲渡する権限がないのに、あるように装って、相手から金品を受け取れば、立派な詐欺ですが、やろうと思えば二重・三重譲渡も容易な犯行だったはず。

 1回きりの犯行にとどまった点は(かりに本人に、そのつもりがなかったとしても)、いちおう考慮すべきです。

 

庶民からみたら5億円は想像を絶する大金ですが、かつてのコムロにとっては、800曲の楽曲と引き替えるには破格、ヒットメーカーとして鳴らした誇りをかなぐり捨てた額だと考えたかもしれません。 割り算したら、1曲あたり60数万円ですからね。

 

■ (エイベックス社による立て替えとはいえ)被害弁償は済んでいること

 殺人や性犯罪などの被害と違って、詐欺被害は、ハッキリ言ってお金で十分にあがなえるものです。
 今回の「ギリギリ執行猶予」判断は、TKに特殊な事情が重なってなされたものであるため、「5億円の詐欺でも執行猶予になるんだ。甘いなぁ。よーし、オレもやろう」と考えることは、よほどのおバカさんでない限り、なかろうと思います。

 なので、刑罰の一般予防(威嚇)機能も減殺されないと考えられるのです。

 

 杉田宗久判事が「音楽で再起してください」と言ったのは、以上の事情を踏まえたうえでの、二次的なものだと思いますが、

 「みんなが納得する作品を作らないと、世間から『立ち直った』とみなされない」のも、お決まりの懲役刑メニューを超える、ものすごいプレッシャーじゃないかなと思います。

 ただ、「世界にひとつだけの花」のメガヒットにより、世間が薬物事犯の前科を忘れ去ってくれた、槇原敬之さんの前例もありますから、険しいながらも決して不可能な道ではないのでしょう。

 

……おおむね、以上のような返事を送ったところ、くだんの記者さんからは「100納得できなかったのが、50は納得できました」と返ってきました。

 残り50、納得できないのも、ムリはありません。

 私の場合、中高生時代の思い出の片隅に、TMネットワーク・TMNが確実に鎮座しているから、時間をかけてイロイロ書いてますけど……

 これが、個人的に何の興味もないグループだったら、ここまで懸命に長文でフォローするかどうかわかりません。

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2009年5月14日 (木)

「グッドウィルで働く」ということ

>>> グッドウィル、請求上回る支払いで和解 給与天引き訴訟

 昨年7月に廃業した日雇い派遣大手のグッドウィルが「データ装備費」の名目で派遣労働者の給与から業務1回につき200円を不透明に天引きしていた問題で、過去に徴収された全額の返還を求めていた原告26人と同社の間で13日、和解が成立した。原告側によると、26人全員に提訴時の請求総額455万4600円を上回る金額を支払うという。同社は「コメントできない」としている。(アサヒ・コム 5月13日)


 何を隠そう、物書きとして売れないころに、私はグッドウィルで働いていました。

 よく報道されている工場勤務などではなく、100円ショップやホームセンター、ショッピングモールなどでの接客業務で各地に派遣されていて、当時はほとんど不満はなかったです。

 むしろ、支店長などスタッフに恵まれていて、いろんなワガママを聞いてくれていたので、本当に感謝しています。

 そういえば、1回、支店長と居酒屋で飲みましたしね。 よくしてくださってました。

 

 その支店は、北海道から鹿児島まで全国にある、某100円ショップチェーンへの派遣業務を一手に引き受けていました。

 年末年始にスタッフが全員帰省してしまい、私が臨時で内勤スタッフを務め、支店長と2人で、支店に泊まり込みでこなしていたんですが、ハッキリ言って不可能な仕事量でした。

 全国100店舗近くから派遣依頼を受けて、地元支店へ詳細を連絡し、派遣の遅刻・欠勤の報告やクレームなどを受けなければなりません。

 なのに、他から応援がまったく来ない。慣れない仕事に、私が正月2日に高熱でダウンして、ようやくベテランスタッフの応援が来たほど。

 末端のスタッフは一生懸命やっていますが、六本木ヒルズでぬくぬくしているグッドウィルの上層部が、とにかく非情で仕方ない事実、こんなところからも浮かび上がってきます。

 

 ちなみに、データ装備費200円は、辞めるときに結局8万円ぐらい貯まってました。最初は「業務を紹介するまでに必要な電話代やFAX代」と説明されて、「そんなものを自分らから取るんですか?」と質問した覚えが。

 上京したてでお金がほしかったので、泣き寝入っちゃいましたが、最終的に全額返ってきたので別にいいです。

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2009年5月11日 (月)

被告人TKに有罪判決

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 ま~~たまた、傍聴券の抽選に外れてしまいました。

 ちくしょーい! 大阪でも、くじ運の悪さは一緒かーい!

 どうやら、おととしに「爆笑お言葉集」を上梓した時点で、だいぶ人生の運を使い果たしてしまったようですな。

 もし、抽選番号が5番ずれてたら当たってました。

 あと1分ぐらい遅く起きて、1分遅く行列に並んでたらよかったんかな。

 そげんこと書いたっちゃ、仕方なかばってん。

 

 次に、こういう耳目を集める裁判があるとすれば…… 例の秋葉原の事件ですかね。

 昨年夏の段階で起訴されましたけれども、精神鑑定などで、いろいろと長引いているみたいです。

 6月22日に、ようやく第1回の公判前整理手続きが行われるようですから、そのときに、初公判の日とか判決期日まで決まる可能性があります。

 

 報道によると、音楽プロデューサー小室哲哉氏に、懲役3年、5年間の執行猶予の判決が出たそうですね。

 執行猶予は懲役3年以下でないと付けられませんし、執行猶予期間の上限は5年間ですから、実刑スレスレの執行猶予判決、ということがいえそうです。

 裁判長は、アノ杉田宗久さんでしたから、被告人TKに握手を求めて「がんばりや」と声をかけることも期待されたのですが、残念ながらそういう情報は入ってきておりません。

 中学校のとき、リアルにTMネットワーク聴いてましたからね。「Get Wild」を最初に聴いたときは衝撃的でした。

 今は、中田ヤスタカとPerfumeのおかげで、テクノポップブームですから、わりと近いところにあるTKサウンドの復活も、ありえなくはないですね。

 

 もちろん、大物は逃しても、一般の刑事裁判は観てきました。

 自動車運転過失傷害の事件。被告人は60歳代の男性。同居する妻が精神疾患にかかり、義母の介護の負担もあるということで、いろいろと考え事をしながら普通乗用車を運転。

 上り坂でスピードをあげてしまい、横断歩道を横断中の歩行者に気づくのが遅れ、はねてしまい、下半身不随の重傷を負わせてしまいました。肘から下も動かなくなってしまったようです。

 被告人には20年前にも、同様の前科がありました。夜間に残業していて、居酒屋で夜食をとり、そのときについ酒を飲んでしまい、クルマで会社へ戻る途中に居眠りして、人をはねたとのこと。

 そのことへの深い反省もあったのでしょう。被告人は今回、被害者が入院する病院へ、毎日見舞いに行ったそうです。事故直後は、被害者自身とは面会できませんでしたが、その家族とは顔を合わせて謝罪を続けます。「もう、クルマには乗りません」とも誓いました。

 被告人は対人無制限の任意保険に入っており、入院治療費は保険でまかなえましたが、加えて個人的に10万円を包み、見舞金として持って行っています。被害者からはその受け取りを拒否されました。

 約2週間後、家族から「気持ちはわかりましたから、毎日病院に来なくていいですよ」といわれ、それからは1~2週間に1度のペースにはなったものの、被害者や家族からは、その誠実な謝罪の気持ちが伝わったようです。

「わざとやったことではないのだし、重い処罰は求めません。関係機関に任せます」と、被害者本人から寛大な言葉を得て、減刑嘆願書も作成されました。

 被告人自身も、肝臓ガンの疑いがあって入院する必要があったのですが、自分の裁判が終わるまでは入院を拒否し、償いを優先させたのです。

 「すみません」は、言葉よりも態度で示さなければならないという、いい見本なんでしょうね。

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2008年1月 8日 (火)

福岡3児死亡 飲酒ひき逃げ事故 判決公判

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 あけましておめでとうございます。

 午前9時10分。 福岡地裁の構内は、えらい人ごみに。 68席の傍聴席を求めて、500人以上が群がっていました。

 その群れのなかに、福岡の実家に帰ったついでで来た私自身もいたわけですから、他人事みたいに書いている場合ではありませんが。

 空を見上げれば、地元新聞社のヘリが旋回しています。 注目度はハンパじゃありませんね。

 

 えーと、抽選の結果ですが…… 相変わらずのクジ運でした。 今年も幸先が良いようですね。

 話題の裁判を傍聴しようとして、いちおう「メジャーに挑戦」してみたつもりだったのですが、私にはやっぱり、小さな裁判がお似合いのようです。 メジャー入りできた皆さん、おめでとうございました。

 

 世論やマスコミから叩かれたくない、むしろ拍手喝采を得ようと狙って、裁判所が厳罰を科すようなことはあっちゃいけません。 そんな「民主的」裁判で構わないのなら、私にだってできますから。

 したがいまして、世論の動きに惑わされず、とことん法律の条文を見つめつづけた川口宰護裁判長ほか3名の裁判官の態度は、「司法の独立」を具現化したものとして、その点で評価いたします。

 
 

◆ 刑法 第208条の2(危険運転致死傷)
1 アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は15年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は1年以上の有期懲役に処する。 (※以下略)

◆ 刑法 第12条(懲役)
1 懲役は、無期及び有期とし、有期懲役は、1月以上20年以下とする。

 
 

 この刑法208条の2 第1項が問題です。 適用されれば、道路交通法上の救護義務違反(最高で[当時]懲役5年)と併合させることによって、最高で懲役25年まで科すことができます。

 
 

◆ 刑法 第47条(有期の懲役及び禁錮の加重)
 併合罪のうちの2個以上の罪について有期の懲役又は禁錮に処するときは、その最も重い罪について定めた刑の長期にその2分の1を加えたものを長期とする。ただし、それぞれの罪について定めた刑の長期の合計を超えることはできない。

 
 

 酒気帯び運転(最高で[当時]懲役2年)も併合させたら、懲役27年まで科せたんじゃないのかなぁーと一瞬思ったのですが、そしたら、危険運転致死傷罪とで、飲酒の事実を二重に評価することになってしまいますね……。 やっぱり最高は25年のようです。

 そんなことだから、司法試……(以下略)

 さて、おおもとに戻りますが、208条の2には「アルコール(又は薬物)の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって」「人を死亡させた」と書いてありますね。

 この表現は、同じ交通死亡事故でも、「酒気帯び運転」「酒酔い運転」(ひっくるめて飲酒運転)の場合と、「危険運転」の場合とを、明確に分けていることを示しています。

 ポイントは「正常な運転が困難な状態で」という文言です。 ここが危険運転致死傷罪のカナメであり、かつ、現実の適用を難しくしている箇所といえます。

 もっと言えば、「危険な飲酒運転」と「危険でない飲酒運転」というふうに、複数の段階があることを認めた条文なのです。

 「酒を飲むことと、酒に酔うことは別だ」と言わんばかりに見えますが、「酒に酔ったことと、正常な運転が困難かどうか」ということすら別だというわけです。

 標語では「飲んだら乗るな 乗るなら飲むな」と言っているくせに、法が「正常な運転が困難でない飲酒運転」というレベルの存在を認めるのは、ひょっとしたら、一種の矛盾かもしれません。

 酒に強い弱いといった体質には個人差がありますから、「正常な運転が困難な状態」だったかどうかは、必ずしも事前の飲酒量だけでは計れませんし、まして現場から逃げられて水などガブ飲みされたら、ますます立証は難しくなるのです。

 酔っぱらいが「ダイジョーブダイジョーブ」と言い放つのは、一種の口グセみたいなもんですから、何をもって大丈夫とするのか、客観的な線引きが求められます。 当然、線引きは難しいところです。

  

 まず、酒に強かろうが弱かろうが、「呼気中アルコール濃度0.15mg/l」という境界線をもって、それ以上を「酒気帯び運転」として取り締まっています。

 さらに、数値的な境界線は置いておいて、「正常な運転ができないおそれがある状態」といえれば、「酒酔い運転」として、さらに厳しく取り締まることになっているんです。 このへんの判断は、取り締まりにあたった警察官の主観によるといわれます。

 それじゃあ、「正常な運転が困難な状態」といえば、もっとひどい段階のはずですよね。 つまり、酒酔い運転レベルの状態で事故を起こしても、危険運転致死傷が適用されない可能性が残るということです。 

 だって、文言上、正常な運転が「できないおそれがある状態」と「困難な状態」ですから、この両者を比べたら、危険運転は酒酔い運転の親玉だと読み取るのが自然ではないでしょうか。

 事故を起こして相手に危害を加えたかどうかという結果を差し引いたとしても、酒酔い運転罪と危険運転致死傷罪の法定刑には大きな開きがあります。

 そのため、刑罰法規全体のバランスを考えたとき、裁判所は、正常な運転ができない可能性(「おそれ」)以上のもの、すなわち事故に至るまでの “現実としての” 運転困難性を求めたのでしょう。

 もちろん、飲酒運転を3段階に区別する必要がどこまであるのか、やっぱり「飲酒運転イコール危険運転」にしておくべきじゃないのか、よくよく考え直す必要はあります。

 また、危険運転には飲酒だけでなく「高速走行」のパターンもありますが、条文の要求は、やはり「その進行を制御することが困難な高速度で」となってます。 いずれにせよ結局は、現実的な運転の困難さを立証しなければならないとみられる、とても面倒な犯罪類型なのです。

 

 危険運転致死罪の適用に関して、酒酔い運転を上回るレベルを想定しなければならなかった本件の裁判官3名は、苦渋の決断を強いられたに違いありません。

 裁判官すら、条文の構成そのものに違和感を抱かれたのではないでしょうか。 むしろ気の毒な思いです。

 今日の判決は控訴審や上告審で破棄されるかもしれませんが、決して一審の裁判官が、人情や心の機微を知らぬ冷血動物だというわけじゃない、ということを太字で記しておきます。

 司法は今日もまた、法治国家の限界に直面したのです。

 良くも悪くも、法律は人間による産物。 批判されるべきは、刑法改正にあたった国会議員や内閣法制局のほうです。

 そういえば、危険運転致死傷罪で起訴された刑事事件は、来年以降、一般から裁判員が招集されるようになりますね。 一体どうなることやら……。

 なお、現行法では、自動車運転過失致死傷罪が最高で懲役7年、救護義務違反(ひき逃げ)が同10年、酒気帯び運転が同3年(酒酔い運転が同5年)と改正されています。 よって、本件と同じケースを現在起こせば、最高で懲役15年が科されるようになっていますので念のため。

 

 あんまり交通法規を厳罰化すると、クルマを運転する人がいなくなってしまうと懸念する人がいるようですが、結構なことじゃないですか。

 この国には今、クルマが多すぎるんです。 特に公共交通機関が発達した都市部では、どうしても必要な人だけ運転すればいいでしょう。 それでも遊びでクルマを走らせたいなら、それなりの覚悟が求められる時代になったってコトです。

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2007年2月16日 (金)

法の番人、おさえきれない義憤

 面白かったですよ!

 ただいま公開中の映画「バブルへGO! ―― タイムマシンはドラム式」を観てきました。

 先月「それでもボクはやってない」を観に行ったときに、予告編を目にしまして、ずっと気になっていたのです。

 バブル絶頂の時代、私は中学生で、しかも九州の熊本平野に生息していたもので、大都市圏での大騒ぎについては実感がまるでありゃしないのです。 それで、物語の中で描かれていた「バブル」の、どこまでが本当で、どこまでがツッコミどころなのか、いまいち掴みきれませんでした。

 それでも、すごく気持ちよく楽しめましたよ。 こういう世界観は好きだなぁと思いながら、エンドロールを眺めていると…… 君塚良一脚本作品でした。 納得。

 登場人物がひとりも死ななくても、十分にドラマチックな展開は創れるのだ、ということがわかりましたね。 その点は「それでもボクはやってない」と通じるものがあります。

 ちょっと精神的に疲れぎみで、重たい作品はやめとこうかな、という日にはオススメです。「バブルへGO!」

 ……ということは、私はアノ日、疲れてたのか?

 ま、なんだかんだいって、広末涼子はカワイイ。 それが結論ですよ。

 さすが、常人には味わえない類の修羅場の数々をくぐりぬけてきただけのことはありますね。 クレアラシルのCMに出てたころとは、彼女から放たれる輝きが違う気がします。 ところどころサービスカットもありましたし。

 今年は映画を観に行くのもそうですが、もっと有料のエンターテインメントを、ケチらず身銭を切って、純粋に楽しみたいものです。 上京して2年半になりますが、まだ、お笑いライブにも岡本太郎美術館にも行けてないので、そういった楽しみに時間を割く余裕をつくれるよう、励んでまいります。

 ネットでのB級ニュース収集とか、裁判傍聴とか、とりとめのないトークとか、本屋での立ち読みとか、そういった0円娯楽もいいけども、最近、なにが面白くて、なにがつまらないのか、ちょっとだけ迷いが生じはじめてますので、世の中に散らばる「楽しさのシャワー」を、より積極的に浴びていこうと決めました。今。

 

>>> 判事 腹立てながら「有罪」 高齢被爆者詐欺公判

 「20年以上判決文を読んでいるが、これだけ腹を立てながら判決文を読むことはめったにない」‐。6日、高齢の被爆者の女性から現金などをだまし取ったとして詐欺と窃盗の罪に問われた長崎市の無職の男(37)に対する判決公判で、長崎地裁の林秀文裁判官が感情もあらわに、男の行為を指弾した。
 判決によると男は、昨年8月、介護士と称して市内の80代女性宅を訪れ「被爆者の医療手当がもっともらえる。手続きに費用が必要」などとうそをつきキャッシュカードをだまし取り、口座から2回にわたり現金計約20万円を引き出した。判決は懲役1年、執行猶予4年(求刑懲役1年)。
 林裁判官は「高齢で被爆者。本来助けないといけない人を食い物にした犯行で極めて悪質」と判決を言い渡し、「裁判官が非常に腹を立てていたことをゆめゆめ忘れないように」と付け加えた。
=2007/02/07付 西日本新聞朝刊= 

 

 去る2月14日はバレンタインデーでした。 そう。世の女性たちが、気になる殿方に熱い想いを伝えるため、きれいにラッピングされた全裁判官経歴総覧をプレゼントする日です。

 しかし、私には案の定「本命総覧」も「義理総覧」ももらえませんでしたので、裁判傍聴の帰りに日比谷図書館まで寄って、林判事の情報をチェックしてまいりました。

 モテるライターなら、家の本棚から全裁判官経歴総覧を引っ張りだして簡単に調べられることなのですが、その点、箸にも棒にもかからんような、しょーもない野郎の場合、よけいな手間を強いられるわけです。 つらいです。

 

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■ 長崎地裁 部総括判事 林 秀文裁判官

 はやし・ひでふみ

 1953年7月14日生まれ(満53歳)

 佐賀県出身 京都大学卒

1979.4(25歳) 高松地裁 判事補
1982.4(28歳) 熊本地家裁 判事補
1985.4(31歳) 東京地裁 判事補
1988.4(34歳) 福岡地家裁 判事補
1989.4(35歳) 同 判事に昇進
1991.4(37歳) 函館地家裁 判事
1994.4(40歳) 福岡高裁 職務代行判事
1996.4(42歳) 福岡高裁 判事
1997.4(43歳) 那覇地家裁 部総括判事
2000.4(46歳) 福岡地裁 部総括判事

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 佐賀出身の九州男児で、しかもバブル時代には福岡に赴任されていたようですね。 ふるさとの九州を中心にまわっておられることから、裁判官の中でも幸せな境遇にいる方といえるかもしれません。

 そして、長崎市という土地柄、「被爆者」というデリケートな存在をねらった犯行ということで、林判事のお怒りも理解できます。

 ただ、それでも執行猶予が出されてるんですよね。 詐欺事犯としては少ない20万円という被害額がネックだったのでしょうか。

 ネットでさらに調べてみたんですが、どうやら被告人には同種の余罪があった模様ですし、しかも現場は大浦署の管轄ですから、まさに爆心地付近ですよ。

 どうやら、裁判官というのは、執行猶予など軽めの主文を言いわたすときほど、強烈な言葉を使って被告人を叱りつけがちのようです。

 世間から「甘い」と批判されそうな結論について、少しでも穴埋めしうる説諭をして、なんとか処罰感情にこたえておきたい、という気持ちの表れなのでしょうか。

 じつは近々出る予定のデビュー作「裁判官語録(仮)」の中でも同じようなことを書いたんですけど……。 ここでネタばらししてどうする。

 ちなみに林判事は、その翌日、別の判決公判でも、判決理由らしからぬ印象的な言及をなさってます。 妊娠中の女性ら4人と胎児(※事故から1週間後に死亡)に重軽傷を負わせたという交通事故の刑事裁判です。
 

 林裁判官は「事故当時に胎児だった男児が出生後に死亡した場合も業務上過失致死が成立する」と認定。「男児は出生後ほどなく死亡し、母親から抱かれることは一度もなかった」と指摘し、「末永く冥福を祈るように」と説諭した。(2007/02/07 長崎新聞)

 

 なるほど。 林判事にとって、何かひとこと付け加えたくなる時期だったのでしょうか。 バイオリズム的に。

 

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 脊椎動物や節足動物は、皆さんもご存知でしょう。

 この世には「緩歩動物」というのもいるのです。そのジャンルに唯一分類されているのが、「地球上最強」「キング・オブ・へんないきもの」の称号を持つ微生物、クマムシくん。

 霊長類ヒト科最強といえば、マーク・ケアーですが(懐)、クマムシは、彼に踏みつぶされようとも、靴の裏のわずかな隙間に入りこんで回避するでしょう。 なにしろ体長は50ミクロンから1ミリ程度ですから。 アリンコよりも小さい。

 それどころか、「タン」と呼ばれる防御モードにトランスフォームすれば、マイナス272 ℃の超低温から 151 ℃の高温まで耐えぬき、真空状態すら切り抜けます。 カッコイイ!! そんな環境下では、さすがのビックリ人間 ケアーも、ひとたまりもありません。

クマムシ?! ― 小さな怪物
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2006年5月 4日 (木)

定期点検で危険性を見ぬけたはず → 敗訴 → そんなら点検しねぇよ

>>>「奥入瀬落木訴訟への影響懸念」 林野庁、安全点検に不参加
 青森県十和田市の奥入瀬渓流で2003年8月に起きた落木事故をめぐって、4月7日に出た東京地裁判決を受け、林野庁が急きょ安全点検パトロールへの参加を見送った。同庁が毎年点検に参加していたことをとらえ「危険性を認識していた」との地裁判断に対し、裁判闘争を重視した対応とみられている。関係者からは「本末転倒」「大人げない」との声が上がっている。
 (※中略)落木被害に遭った女性(41)の弁護を担当した御器谷修弁護士は「林野庁の対応は非常識で許せない。国民の安全を第一に考える視点が欠落している。次に被害者が出たら、どう責任をとるのだろう」と憤っている。(河北新報) - 5月1日

((参考過去ログ))
注目の判決スケジュール 【4月第2週】

 

 「もっと努力していれば、制限時間内に答えられたはず」

  ↓

 [不合格]

  ↓

 「もう2度とやるか! 試験と名のつくものは一生受けん!」

 

 林野庁の態度は、まるで司法試験に7回失敗して、ヤケを起こしたときの私みたいです。 オトナげないですね。

 

 青森・秋田・岩手の3県にまたがる「十和田八幡平」国立公園。 その中でも「奥入瀬(おいらせ)渓流」は、年間50万人が訪れる人気の観光スポットとして知られます。 そのような大切な観光資源について“安全点検パトロール”が実施されるのは、冬は積雪のため通行禁止ということもあってか、毎年、この大型連休直前の時期なのだそうです。
 

参加メンバーは、

  • 林野庁の森林管理署
  • 環境省
  • 青森県
  • 十和田市の教育委員会
     

 どうして、各方面からお役人が集結してくるのか。 その原因は、責任関係の複雑さにあるようですね。
 

  •  奥入瀬渓流周辺  … 林野庁の所有
  •  うち遊歩道部分  … 青森県が林野庁から借り受け
  •  うち特別保護地区 … 環境省
  •  うち重要文化財や天然記念物 … 地元の教育委員会

 

 なので、行政機関が一堂に会する年1度のパトロールは、公園に関する各方面の情報を共有する上で重要な機会だといえます。

 かといって、これらの保護地域について、法律は何と言っているかというと、国民に向けて「いじるな触るな近寄るな」の一辺倒なんですよね。
 管理者による実地調査というのも「ちゃんと形状が維持されているかどうか」をみる目的でして、安全性の点検については、法律で義務づけられているわけではないようです。 少なくとも私は、そういった規定を見つけることはできませんでした。
 

 この自主的な合同パトロール、今年は4月26日に行われることが決まっていたようなのです。 しかし、先の国家賠償訴訟での、1億4000万円支払い命令を受けて、林野庁がいきなりの「ドタキャン」。

 仕方なく、当日に残りのメンバーで点検したわけですが、人通りの多い遊歩道の周辺に限っただけでも、倒木や落枝が13カ所で確認されたそうです。 中には、根元から折れ、道をふさいでいる倒木も。

 どう見たって不可欠ですよ、この安全点検は。 しっかりやってもらわないと困ります。
 

 いつもは、林野庁の指示に従って、青森県の職員が協力して倒木などを撤去するのですが、林野庁不在の今年は、自分たちの判断で、自力で動かせるものをすでに撤去してしまったのだそう。
 また、青森県は、毎年5月の中旬から下旬にかけても、独自に「危険木調査」を行っているそうで、その姿勢には敬意を表します。 県は「危険木調査には、ぜひ林野庁にも同行してほしい」とコメントしているそうです。

 「今度こそ来いよ、待ってるぞ」と。 まるで、最高裁のアノ弁論期日を見ているようです。 彼らが訴訟戦略(のつもり)で姿を現さなかったところも似てますし。

 林野庁の担当者さん、あの判決で、東京地裁は「安全性を点検するな」と言ったわけではないんですよ。 「もっとしっかり点検してくれ」「点検結果を尊重してくれ」と行政にお願いしたのです。

 まぁ、そんなことは知ったうえでドタキャンしたんでしょうけど。

 

 そういえば、東京都心の「都立 林試の森公園」をめぐる行政訴訟で、7月に最高裁弁論が行われるそうです。 この「林試」とは、何を隠そう、林野庁の林業試験場の略。

 かつて、この林試の森公園の敷地を拡張する計画が持ち上がったそうなのです。 それは結構なのですが、官舎のある周辺の国有地は見て見ぬフリしておきながら、先に民有地に立ち退きを求めてきたということで、怒った住民が司法に訴えました。 上告審の弁論があるということは、住民側の逆転勝訴の可能性も高まります。

 ザ・林野庁…… なかなか人騒がせな存在みたいですね。覚えておきます。

 

◆ 自然公園法 第14条(特別保護地区)
1 環境大臣は国立公園について、都道府県知事は国定公園について、当該公園の景観を維持するため、特に必要があるときは、公園計画に基づいて、特別地域内に特別保護地区を指定することができる。
3 特別保護地区内においては、次の各号に掲げる行為は、国立公園にあつては環境大臣の、国定公園にあつては都道府県知事の許可を受けなければ、してはならない。(※中略)
  一  前条第3項第1号から第6号まで、第8号、第9号、第12号及び第13号に掲げる行為(※工作物の新設や増築、木竹の伐採、鉱物の掘採、川や湖の水位改変や排水、広告物の設置、埋め立てや干拓、土地の開墾、設備の色彩変更、指定区域内の立ち入り)
  二  木竹を損傷すること。
  三  木竹を植栽すること。
  四  家畜を放牧すること。
  五  屋外において物を集積し、又は貯蔵すること。
  六  火入れ又はたき火をすること。
  七  木竹以外の植物を採取し、若しくは損傷し、又は落葉若しくは落枝を採取すること。
  八  動物を捕獲し、若しくは殺傷し、又は動物の卵を採取し、若しくは損傷すること。
  九  道路及び広場以外の地域内において車馬若しくは動力船を使用し、又は航空機を着陸させること。
  十  前各号に掲げるもののほか、特別保護地区における景観の維持に影響を及ぼすおそれがある行為で政令で定めるもの

◆ 自然公園法 第50条(実地調査)
1  環境大臣は国立公園若しくは国定公園の指定、公園計画の決定若しくは公園事業の執行又は国立公園の公園事業の決定に関し、(※中略)実地調査のため必要があるときは、それぞれ当該職員をして、他人の土地に立ち入らせ、標識を設置させ、測量させ、又は実地調査の障害となる木竹若しくは垣、さく等を伐採させ、若しくは除去させることができる。ただし、道路法 その他他の法律に実地調査に関する規定があるときは、当該規定の定めるところによる。

◆ 文化財保護法 第55条(保存のための調査)
 文化庁長官は、次の各号の一に該当する場合において、前条の報告によつてもなお重要文化財に関する状況を確認することができず、かつ、その確認のため他に方法がないと認めるときは、調査に当たる者を定め、その所在する場所に立ち入つてその現状又は管理、修理若しくは環境保全の状況につき実地調査をさせることができる。

  1.重要文化財に関し現状の変更又は保存に影響を及ぼす行為につき許可の申請があつたとき。
  2.重要文化財がき損しているとき又はその現状若しくは所在の場所につき変更があつたとき。
  3.重要文化財が滅失し、き損し、又は盗み取られる虞のあるとき。
  4.特別の事情によりあらためて国宝又は重要文化財としての価値を鑑査する必要があるとき。

◆ 文化財保護法 第131条(保存のための調査)
 文化庁長官は、次の各号のいずれかに該当する場合において、前条の報告によつてもなお史跡名勝天然記念物に関する状況を確認することができず、かつ、その確認のため他に方法がないと認めるときは、調査に当たる者を定め、その所在する土地又はその隣接地に立ち入つてその現状又は管理、復旧若しくは環境保全の状況につき実地調査及び土地の発掘、障害物の除却その他調査のため必要な措置をさせることができる。ただし、当該土地の所有者、占有者その他の関係者に対し、著しい損害を及ぼすおそれのある措置は、させてはならない。
  1.史跡名勝天然記念物に関する現状変更又は保存に影響を及ぼす行為の許可の申請があつたとき。
  2.史跡名勝天然記念物がき損し、又は衰亡しているとき。
  3.史跡名勝天然記念物が滅失し、き損し、衰亡し、又は盗み取られるおそれのあるとき。
  4.特別の事情によりあらためて特別史跡名勝天然記念物又は史跡名勝天然記念物としての価値を調査する必要があるとき。

◆ 文化財保護法 第184条(都道府県又は市の教育委員会が処理する事務)
 次に掲げる文化庁長官の権限に属する事務の全部又は一部は、政令で定めるところにより、都道府県又は市の教育委員会が行うこととすることができる。
  5.第54条(第86条及び第172条第5項で準用する場合を含む。)、第55条、第130条(第172条第5項で準用する場合を含む。)又は第131条の規定による調査又は調査のため必要な措置の施行

 

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 ここにいう「勉強」とは、もちろん受験勉強を意味します。

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 特に司法試験は、受験生の持つ本来の実力を100%発揮させてくれるような、甘い試験ではありません。あらゆる側面から考え抜かれたさまざまな“トラップ”が、しかるべき位置に仕掛けられているのです。そこをかいくぐっても、なお余りある実力を出題者に見せつけた者だけが、合格の栄冠を勝ち取れることになっています。

 だとすれば、教科書に書かれた情報を暗記したり、暗記したことを素早く出力する練習をこなすだけでは、態度として不充分です。隠れたトラップを分析し、そのトラップ群をつまづかずにクリアするための作戦を練って、その作戦を制限時間内に遂行する訓練まで、すべて受験勉強に含まれます。

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2006年3月30日 (木)

割りばし事故 【医師無罪】を、ちょびっと分析

 「政治とカネ」で話題になった、“1億円献金隠し”をめぐる村岡兼造氏の裁判。 私、無罪判決が出る瞬間を、今日初めてナマで見ちゃいました。 傍聴席から「ウワッ」と歓声がわいたり、報道記者がドタバタ出ていったり。 ちょっと興奮しました。

 村岡さんは、2時間半以上にわたる判決理由の読み上げを聞きながら、顔を真っ赤にして男泣きしておられましたし、川口裁判長は「これからどうなるかわかりませんが、今晩ぐらいは桜を眺めて楽しまれてはいかがでしょうか」という言葉で、判決言い渡しを締めくくりました。 ひじ杖をついたり、顔にシワを寄せたりといった検察官の悔しそうな表情も印象的でしたね。 

 判決の中では、「瀧川証言は信用できない」「渡辺証言は信用できない」と延々と繰り返され、このような虚偽証言の理由を「派閥会長である橋本龍太郎氏に、刑事責任が及ぶのを避けるため」とハッキリぶっちゃけちゃいました。 ここまでケチョンケチョンに言われても控訴はあるんでしょうかね。

 こうなったら、橋本さんを起訴してみます? ひょっとして、もう時効?

 

 近ごろ、重要な法律系ニュースが立て続けに報じられて、更新がまったく追いつかない状態です。 すみません。

 
 1999年7月10日、杉並区の盆踊り大会に参加していた男児(4つ)が転倒。持っていた綿あめの割りばしをのどに刺した。救急車で三鷹市の杏林大医学部付属病院に運ばれる間も、嘔吐を繰り返し、意識レベルも低下していた。
 担当医(37)は、消炎鎮痛剤(塗り薬)をつけただけでCTスキャンなどはせず、家に帰した。 翌朝、男児の容態は急変。頭がい内損傷で死亡した。

 この男の子から、笑顔と将来を強引に奪い去ってしまった不幸な事故。 それから3年以上が経過した2002年8月、担当医師は業務上過失致死容疑で在宅起訴されることになります。 立件まで3年かかっているという事実こそ、被告人を有罪にするため、かなりの無理をしていたんじゃないかな、と思わずにはいられません。

 そして、おとといの一審無罪判決。 出したのはなんと、今日と同じく川口政明裁判長だったのです。

 

◆ 刑法 第211条(業務上過失致死傷等)
 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。(※以下略)

 

 ここにいう『業務上』とは、

  • 社会生活上の地位に基づいて行われていること
  • 反復継続して行われていること
  • 人の生命・身体の危険にかかわること

……の3つを満たして初めてあてはまる、と考えるのが判例です。医師という資格に基づく医療行為は、当然『業務』に該当します。 そして、『人を死傷させた』という結果も生じています。

 問題は、その担当医師が『必要な注意を怠』っていたといえるか。言い換えれば、業務上過失致死罪としての『過失』があったのか? 男児の死亡という不幸な結果の責任を、その医師にかぶせるべきなのか?です。

 

◆ 刑法 第38条(故意)
1 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

 

 もともと刑事法というのは、「わざと」やったことを処罰するための決まりごとでして、「うっかり」やってしまったことを処罰するのは、むしろ例外的な位置づけなのです。
 「わざと」他人の物を壊すのは器物損壊罪ですが、「うっかり」他人の物を壊してしまった行為を処罰する規定はありません。 もちろん、民法的には、その持ち主への弁償(損害賠償)が問題になり、道徳的には謝罪をしなければならないという話にはなるでしょうけど。

 残念ながら、刑法は「過失」「うっかり」ということについて、それほど一生懸命には規定していないのです。 それこそ刑法を作った立法府の「うっかり」なのかもしれませんし、テレビもねえ、ラジオもねえ、クルマもそれほど走ってねえ文明開化の時代に、「業務上の過失ぐらいキッチリ定義しておけ」と求めるのは酷ともいえます。

 しかし現代は、危険性と引き換えに便利さや効率、有用性を求める数々の道具であふれています。 光が強くなれば、影もまた色濃くなるのが世の常。 ひとたび「うっかり」が生じたときに、計り知れないほどの被害が生じることも少なくありません。 にもかかわらず、「うっかり」の責任を誰も取らない、というのではマズい場合もあるでしょう。

 そこで、言い方が足りない「口ベタ」な刑法に代わって、裁判所や刑法学者たちが、『過失犯とは何ぞや?』を懸命に探してきたわけです。

 刑法211条『必要な注意を怠り』という言葉の意味ですが、これは「客観面(見た目)」と「主観面(気持ち)」に分けて考えることになっています。そして、主観面での「必要な注意を怠り」こそが「過失」であり、裁判所で通じる用語としての「うっかり」です。

 法律的には、過失犯というのは以下のように解剖されています。

 

<客観ジャンル(見た目)>
1.「原因となった行為」(※目に見える『必要な注意を怠り』)
2.「結果」 (※『人を死傷させた』)
3. 1と2の間にある「因果関係」 (※『よって』)

<主観ジャンル(気持ち)>
4.「過失」 (※目に見えない『必要な注意を怠り』)

 

 この事故において、1「原因となった行為」は、男の子を診察して入院もさせずに帰した事実です。2「結果」は、男の子が力尽きてしまった事実。では、その両者に 3「因果関係」はあるのか。これは立ち止まって考えてみる必要がありそうです。 ……が、いったん置いておきます。

 次に、メインである4「過失」ですが、こいつはさらに細かく分けられます。


 A.結果を予見できた可能性があったこと
 B.結果を予見する義務を怠ったこと
 C.結果を回避できた可能性があったこと
 D.結果を回避する義務を怠ったこと

 ここにいう「結果」とは、もちろん2の『人を死傷させた』結果です。

 もう…… どこまでミジン切りにしてくれるのかと、昔から刑法が苦手な私は悲しくなってくるのですが、処罰すべき人をキッチリ処罰し、処罰しちゃいけない人を決して処罰しないようにするためには仕方のないマニュアルです。

 ……それはわかってるんです。それはわかってるんですが!

 

A.死亡結果の予見可能性があった?
B.死亡結果を予見する義務を怠った?

 まず本件では、男児が転んで割りばしをのどに刺してしまったときの状況を、母親はまったく見ていなかった、という事情があったようです。 なので、割りばしが折れて、一部が体内に残っていることについて、母親も駆けつけた救急隊員も意識していなかったのです。お母さんは、気が動転して冷静でいられなかったのは理解できますけれども。

 当時、救急隊員から病院は、男児の状況について「二次救急相当」と伝えられていたとのことでした。 この「二次救急相当」とは、ただちに救命救急措置を必要とする状態ではない、という意味だそうです。

 消防署長の署名で裁判所に提出された回答書には、「意識清明 散瞳なし 対光反射あり バイタルサイン異常なし」という救急隊長の判断が書かれています。 まさか脳が致命的なダメージを受けているとは夢にも思わなかったに違いありません。

 「男児がのどを箸で突いた」との連絡を受けたのは「皮膚科の講師」だったそうで、その連絡を聞いた皮膚科講師は「のど(首)の外側表面をケガした」と解釈したらしく、形成外科の受診を手配していたといいます。 到着した救急隊が、「耳鼻科の受診」と再度申し出ることによって、耳鼻咽喉科医である被告人が呼ばれることになります。

 ほんとうに、この担当医師のみが全面的に重たい責任を負わされるべき事例なのでしょうか。 言っちゃ悪いですけれども、うちのおふくろ、わが子に外で立ち食いなんかさせませんでしたよ。 夏祭りで綿アメを食べるのもいいですけど、最低限の「行儀」を保つ意味でも、ベンチに座らせて食べさせておけば、割りばしをくわえたまま転ぶことも無かったでしょうに。

 以上のように、本件に至るまでには、さまざまな人たちが関わり、複雑に絡み合った状況があったようなのです。 にもかかわらず「詳細な問診によって割りばしが見つかっていないことの聴取を怠った」というふうに一方的に被告人を責めたててしまう、その検察官の態度ははたして妥当だったのかどうか。 いくら被告人を問い詰めることが仕事とはいえ、ですよ。 そこまで厳格な結果責任を負わされたら、救急医療なんて怖くて誰もやりたがりません。

 さらには、体内の割りばしというのは、レントゲンでは発見できないのだそうです。釘などの金属ならX線を通さずにハッキリ映るんですが。 CTスキャンでは、ボンヤリ映るそうですが発見は難しい。 それ以前に、CTは幼児の身体に悪いそうで。 なにしろ放射線を浴びせますのでね。

 割りばしが刺さっているのを発見できるとしたら、MRI(磁気共鳴装置)らしいのです。 それでも、割りばしが直接映るというのではなく、のどや脳の一部が欠損して見えることから、割りばしの存在を疑う、推認する、といった手続きを踏むようですが。

 

 C.死亡結果の回避可能性があったか?
 D.死亡結果を回避する義務を怠ったか?

 仮に、割りばしが脳に刺さっていることを発見でき、これが命にかかわる傷であることを耳鼻科の医師が認識できたとして、はたして救命の可能性はあったのかどうか。

 この判断については、医療の専門家にご意見を求めるしかないのですが、本件の検察側主張でも「50%はあった」とする程度です。 「2割以下」や「限りなくゼロに近い」という意見も少なくないようです。

 過失犯についての直接の判例ではありませんが、違法薬物を女性に打って、そのまま放置した事件について、その被告人の責任を問うには、もし適切な処置がとられた場合に少なくとも「十中八九」、つまり8割から9割の救命可能性が必要だとした最高裁の判断があります。

 残念ながら、大学病院にブラックジャックはいないのです。 だとすれば、たとえ、予見可能性あり・予見義務違反(AB)があったとしても、回避可能性なし(C×)と認定され、4「過失」無しとされる公算は高いかもしれません。

 

 しかし、川口裁判長は、4「過失」はあるけど、3「因果関係」が無いと認定して無罪という判断を導きました。 どっちみち結論に変わりはないのですが、「過失はあったのだ」という国家権力からの宣言は重いものです。

 ただ、気になるのは、判決理由の中で「割りばしがのどを突いて頭に刺さっていることに気付いても、救えた可能性は極めて低かった」とされていることです。 じゃあ、結果回避可能性を満たしてないから、やっぱり4「過失」が無いんじゃないか、とも思えます。

 実は、3「因果関係」と、4「過失」は、一部で似たようなことを言っているのです。

 

 「因果関係」の正体は、分析するとこうなります。

 ア)「1『原因行為』を取り除けば、2『結果』も無かった」という関係(条件関係)

 イ)「生じた 2『結果』の責任を、1『原因行為』を行った者に負わせることが、この社会の常識としてふさわしいか」(相当性)

 本当に刑法って「概念のミジン切り」が多いんです。 ロシア民芸品「マトリョーシカ」どころの騒ぎじゃありません。 人形の中に、2個か3個の人形が入っていて、さらにそれぞれの人形の中に5,6個ずつ……、という有り様。 
 そういう細か~いミジン切りをイライラせずに愛する余裕のある人が、刑法を得意になれるんですよね。 「刑法学は、文科系の数学だ」といわれるゆえんです。 頑張ってください。 誰に言ってんだろう。

 この ア『条件関係』ですが、要するに「そんなことやらなきゃ、結果は避けられたのに」と言っているわけでして、これはまさしくC「結果回避可能性」と似たような話なんですよ。
 これは、過失犯の体系を構築する過程で、故意犯の枠組みを借りてきたがために生じてしまった悲しみです。

 なので、刑法のココロを解さぬ大ざっぱなO型の私に言わせてもられば、本件は、「過失なし」として切ろうが、「因果関係なし」として切ろうが、どっちでもよかったんだと思います。  しかし、川口裁判長はあえて「無罪にはするけど、過失はあるよ」と宣言し、医療現場、殊に救急救命の現場に向けて警鐘を鳴らしておきたかったのかもしれません。

 理論的というより、政策的な理由づけなんでしょうかね。

 ご両親は2000年、担当医師と大学病院(学校法人)を相手取って、約8900万円の損害賠償を求めて提訴しています。 民法上の損害賠償が認められるかどうかについては、また基準が違ってきますので、精神的苦痛に基づく慰謝料であれば、一部認容される可能性はありそうです。 第一、こうして刑事で「過失」が認定されていますしね。

 それにしても、民事訴訟は時間がかかりますね。 仕方がないのでしょうか。

 

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 文字だけで、どうしてこんなに面白い? ここまで笑わせてしまう魔力は何なのか。電車の中で読んどると、周囲から気持ち悪がられるので、ご注意を。

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2006年3月23日 (木)

法廷の匿名希望さん

>>> 窃盗罪:初公判で男が「刑務所から出たらまた万引きやる」
 東京都台東区で店からケーキなどを盗んだとして常習累犯窃盗罪に問われ、身元を明かさず「上野警察署留置番号第7号」として起訴された男の初公判が22日、東京地裁であった。男は過去3回、同様に身元不明のまま窃盗罪で実刑判決を受けており、被告人質問で「服役して刑務所から出てきたら、すぐまた万引きをやるのは間違いない」と答え、裁判官や検察官を困惑させた。(毎日新聞)2006/03/22

 いきなり、ものすごい開き直りで、かましてくれてますが。

 この公判、昨日の午後3時15分から行われたものです。開廷予定表の被告人欄で「氏名不詳」となっておりまして、ずっと気になって観ようか観まいか迷っていたんですが、有料メルマガの今週号を書き上げないといけないということで、午前中だけで裁判所から帰ってきました。

 「ひょっとしたら、一見の価値があったのかもなぁ……」と思っていたんですが、毎日新聞さんが代わりに傍聴してくれて助かりました。
 私が昨日の午前中に傍聴した「巣鴨のご長寿スリ(御歳80、前科19犯)」も、見ごたえあったんですよ。 この方は事件当時、自分の財布に7万円持ってたのに、他人のポケットに手を入れていたそうです。

 男は白髪交じりで、人定質問には答えず、2月4日にディスカウントストアの食品売り場でケーキなど4点(計795円)を盗んだとの起訴事実は認めた。「仕事にありつけるか分からず、生活のため食料品を万引きして暮らすしかなかった。社会に戻ると被害が増えるので、できるだけ長く刑務所に入れたほうがいい」。検察側が読み上げた調書で、男はそう供述していた。(同)

 裁判を傍聴しても、報道を見ていても実感しますが、万引きで生計を立てる人って多いですよね。犯罪心理学者によると、おもに社会的なストレスが原因らしいですが。

 昨年、石川県警が独自に行ったという調査によると、同県内で万引きで検挙された成人は、2000年は282人だったのが、2004年には約2.5倍の707人にまで増加しているのだそうです。万引きの全検挙人員の65%を成人が占めており、「もはや『大人の犯罪』とも表現できるような状況だ」としています。困りましたね。

 しかも、この被告人は、人定質問(※最初に氏名・生年月日・本籍地・住所・職業を裁判官が尋ねて、法廷に出てきているのが被告人本人であることを確認する儀式)で全部黙秘してみせたそうで。

 名前を黙秘した結果として、みんなから無機質な番号で呼ばれることになった被告人。 ひょっとしたら、被告人の本名は、他人に言えないぐらい恥ずかしいものなのでしょうか。 たとえば、『山田チョメチョメ丸』とか。
 でも、いくら人前で口にできないような名前でも、言うべきだと思えば言えばいいし、言いたくなければ黙っていればいいんです。 いくら気恥ずかしくても、名前は親からの最初にして最高の贈り物。 チョメチョメ丸ならチョメチョメ丸として、その運命を広い心で受け入れ、堂々と胸を張って生きていけばいいじゃありませんか。 なぁ、チョメチョメ丸よ。

 こういう「氏名黙秘」という戦略が認められるかは微妙です。法律上(憲法上)規定されている被告人の黙秘権は、特に「包括的黙秘権」と呼ばれていまして、名前どころか、何を聞かれても最初から最後まで一貫して黙っていることだって許されるとされます。

 ただ、これは学説上の話であり、最高裁の判例は、黙秘権は氏名におよばないとも言っています。

 かつては、黙秘権といったら『国家権力の横暴に屈しない覚悟』を見せつけたい、運動家の被疑者が行使するなど、イデオロギー的色合いが強かったのですが。

 この第7号さん、以前の裁判でも名前を言わなかったようですので、この黙秘作戦は、弁護人からの入れ知恵というわけでは無さそうです。

 

◆ 日本国憲法 第38条(自己負罪拒否特権)
1 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。

◆ 刑事訴訟法 第311条(被告人の黙秘権)
1 被告人は、終始沈黙し、又は個々の質問に対し、供述を拒むことができる。

◆ 刑事訴訟法 第291条(黙秘権の告知)
2 裁判長は、起訴状の朗読が終つた後、被告人に対し、終始沈黙し、又は個々の質問に対し陳述を拒むことができる旨その他裁判所の規則で定める被告人の権利を保護するため必要な事項を告げた上、被告人及び弁護人に対し、被告事件について陳述する機会を与えなければならない。

 

 こういう権利は、「しゃべるかしゃべらないかを決める」という最低限の自由を保障しているわけです。裏を返せば、訴追側による無茶な拷問や自白強要に対抗する武器にもなりえますし、捜査官に都合のいい供述調書を作らせることを避け、被告人がぬれぎぬを着せられないための防波堤としても機能します。

 でも、「黙秘権」という権利は、一般の方にはなかなか理解していただきにくい概念ですよね。黙りこくる被告人に対して、皆さんは「悪いことをしたなら、サッサと認めろよ」と、一種のイラ立ちを覚えるかもしれません。
 たしかに、それも正しいのですが、

 ・ 誰ひとりとして、絶対にぬれぎぬを着せてはならない。たとえ真犯人を取り逃がしても。

 ・ 一部はやったとしても、そこからのなし崩しで、やってないことまで罪をかぶる必要はない。
 

……という要請だってあります。

 コナン君の言うとおり、「真実」は、いつもひとつかもしれませんが、「正義」は、立場によって複数ありえるのです。

 いくら賢かろうと、裁判官は神ではありません。 間違いを起こす人間だからこそ、また、間違ったら取り返しのつかない結果が引き起こされるからこそ、最終判断者は結論を決めつけてはなりませんし、つねに謙虚な態度で臨むべきです。

 とはいえ、本件被告人の、開き直ったその態度も気に入らないのよぉ~~♪  氏名の黙秘が、まるで2ちゃんねるでの匿名性みたいに、傍若無人に振る舞うための免罪符のようになっては残念です。

 ちなみに、判例では、氏名を黙秘したままの弁護人選任届は無効だとされていますので(※私にはその理由がわかりませんけど。この場合「上野署第7号」と署名しておけば、誰がどの弁護士を依頼したか識別できるんですから)、本件で就いた弁護人は、私選ではなく国選だということがわかります。

 裁判官が「今度出所した時は、盗みをしなくても何とかなるよう考えなくては」と更生を促すと「年を重ねるだけで駄目ですね。何だか不思議な裁判になっちゃいましたね」と返答。裁判官も「本当、不思議な裁判だね」と苦笑した。(同)

 不思議にしちゃってるのは、あなた自身ですよ。第7号さん。

 

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 裁判官の人数が絶対的に足りない日本の司法権に、なぜ、無視できない数の「裁判しない裁判官」たちが存在しうるのか。

 そして、「裁判官の独立」というタテマエをぼやかす、最高裁からの人事的圧力。さらに、日本全国の裁判官の判断内容を、最高裁がトップダウン方式で統制しているとウワサされる、「長官所長会同」という名の集い。

 これらも司法権の正義なのか? それとも必要悪なのか?

 詳細な図表が多く収録されているためか、少し値が張ってしまう本なのが玉にキズですが、司法権という聖職組織が抱えるドロドロした現実を少しでものぞいてみたい方には、ぜひお勧めしたい一冊です。

日本司法の逆説―最高裁事務総局の「裁判しない裁判官」たち
日本司法の逆説―最高裁事務総局の「裁判しない裁判官」たち 西川 伸一


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2005年12月12日 (月)

それでもダメなのか? ネット選挙運動

 まだウィンドウズ95フィーバーが冷めやらない頃、当時の自治相が1996年に出した通達があります。「インターネットで選挙運動をすんな」と。選挙期間中にサイトを立ち上げたり、既存のページ内容を更新したりすることは、公職選挙法に違反するというのです。

 このお達しは、全国の選管が各方面からの問い合わせに答える形で、一般に広まっていったわけです。現に、今年9月の総選挙を前にして、民主党と自民党のホームページに対し、総務省からの「指導」が入り、各党は内容の一部を削除しています。

 「そういうオマエは、最高裁判事の国民審査のページを作って、選挙期間中なのに、ああでもないこうでもないと、バンバン書き換えとったじゃないか」とお思いになる方もいらっしゃるかもしれません。が、国民審査に公職選挙法の適用は無いのです。


◆ 公職選挙法 第2条(この法律の適用範囲)
 この法律は、衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長の選挙について、適用する。


 ただ、お上のお墨付きがあったわけではありません。もしかしたら、「国民審査のオカズ」も公職選挙法に違反した存在だった可能性が無いともいえませんので、あるとき突然、このブログごと消されているかもしれません。

 一緒に私も消されたりして。夜道を歩くときには気を付けます。


 きたる今月22日、ネット上の選挙運動が認められないまま行われた先の衆院選(殊に比例代表)は無効であると訴えた裁判の判決が、東京高裁で言い渡されます。
 この訴訟の原告は、なんと法学部の学生さんとのことで驚きました。立派にキッチリと勉強なさってるんでしょうね。日本の将来に期待が持てます。

http://www.geocities.jp/netelec05/


 ネット選挙運動が、なぜ認められないのか。総務省の見解によると、ホームページやEメールは、公職選挙法にいう「選挙運動のために使用する文書図画」にあたるというのですが。

 この「文書図画」を配る場合、142条で枚数が制限されていますし、上空などからバラ撒くことは全面禁止です。あるいは、2003年に新設された142条の2にもとづき、各党のマニフェストを配布することが許されるぐらいです。
 また、「文書図画」を掲示することは、あらかじめ143条に挙げられているもの以外は禁止されています。
 
 ちなみに、法律業界で「図画」は “とが”と読みます。“ずが”ですと、小学校の図画工作を連想させるので、なんとなく安っぽいからでしょう。


◆ 公職選挙法 第143条(文書図画の掲示)
1 選挙運動のために使用する文書図画は、次の各号のいずれかに該当するもの(衆議院比例代表選出議員の選挙にあつては、第一号、第二号、第四号及び第五号に該当するものであつて衆議院名簿届出政党等が使用するもの)のほかは、掲示することができない。
  一  選挙事務所を表示するために、その場所において使用するポスター、立札、ちようちん及び看板の類
  二  第141条の規定により選挙運動のために使用される自動車又は船舶に取り付けて使用するポスター、立札、ちようちん及び看板の類
  三  公職の候補者が使用するたすき、胸章及び腕章の類
  四  演説会場においてその演説会の開催中使用するポスター、立札、ちようちん及び看板の類
  四の二  個人演説会告知用ポスター(衆議院小選挙区選出議員、参議院選挙区選出議員又は都道府県知事の選挙の場合に限る。)
  五  前各号に掲げるものを除くほか、選挙運動のために使用するポスター(参議院比例代表選出議員の選挙にあつては、公職の候補者たる参議院名簿登載者が使用するものに限る。)
2 選挙運動のために、アドバルーン、ネオン・サイン又は電光による表示、スライドその他の方法による映写等の類を掲示する行為は、前項の禁止行為に該当するものとみなす。
(※以下略)


 ひょっとして、ホームページは、この143条2項で禁止されている「映写等の類」にあたるんでしょうか……。うーむ。だとしたら次の手段。そういった映写等の類を「掲示」していないと主張すればいいのです。

 この「掲示」とは何かについて、学者さんはいろいろ定義してらっしゃるようですが、ネット上にホームページのデータをアップロードすることを、ポスターの貼り付けと同列に扱っていいものかどうかは、あらためて考える必要があります。

 街中に、見たくもないポスターがベタベタ貼られ、「○山○夫」と書かれた派手なネオンサインが頭上を覆い、その下で「お兄さん、スケベかーい? 寄ってかないかぁ~い」と呼び込みされるような選挙運動が行われれば、そりゃ世も末でしょう。 ちょっと楽しそうだけど。
 しかし、選挙運動用のホームページを立ち上げることは、そこまで選挙制度や日常生活の秩序を乱したりはしません。なぜなら、ホームページは見たい人が見るのであって、わざわざ自分でURLや検索ワードを入力したりしてアクセスするものだからです。逆に、作った側からみれば、受け身のメディアです。そこが、ポスターなどで想定される「掲示」という概念とは根本的に違う点だといえます。

 まぁ、たとえば、ヤフーのトップページなど、非常に目に付く場所にバナーリンクを掲載したりすれば、また性格が違ってきますし、「金のかからない選挙」という理念にも反するでしょう。
 それに、ブログはどうなるんでしょうかね。トラックバック機能で、他人のブログからリンクを貼ることができる点を考えれば、少し攻撃的です。とすれば、ホームページとは、いちおう分けて考えていく必要があります。

 この訴訟では、ホームページと一緒にEメールでの選挙運動についても解禁を目指しているようですが、私に言わせてもらえば、ホームページとメールは、似て非なるメディアです。メールは相手にムリヤリ送りつけるものであって、しかも送信した後の書き直しができません。だからメールマガジンは難しいんです。(と、ついでにメルマガ休刊の言い訳)

 ホームページの立ち上げは143条の「掲示」の問題でしょうが、ダイレクトEメールの送信は142条の「頒布」「散布」に近いイメージであろうかと思います。文書の「頒布」については、ビラの数量規制がありますし、ましてや「散布」とみなされて全面禁止されては厄介です。なので、ここは「ホームページ等」とせず、ホームページのみに的を絞って争ってみるのも、ひとつの作戦だったかな、とオジサンは考えます。

 奇しくも、こないだの総選挙からわずか数日後、外国に住む日本人の選挙権を十分に保障してこなかった国の違法性を認めた最高裁判所大法廷判決が出ています。外国に住む方々が、故郷のどの政党やどの候補者に投票するかを決めるのに使える情報源として、インターネットは第一に挙げられるものです。なのに、ネット選挙が認められなければ、あの大法廷判決の威光は半減してしまう、というべきでしょう。

 さて、「最高裁チルドレン」の東京高裁は、どう出ますか? 22日に、ひと足早いクリスマスプレゼントを、ちょうだいな!


地方議員のための支持者をふやすホームページの鉄則―ネット時代の議員活動PR・新手法!
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2005年11月21日 (月)

子供の未来を断つ行為

>>> 胎児死亡:交通事故の影響で 加害者は致死罪に問われず

 妊娠9カ月で交通事故の被害に遭った女性(30)が事故の影響で胎児を失った。加害者を業務上過失致死罪に問えるか否か--。札幌地検は検討を重ねた結果、致死罪での立件を断念し、けがをした女性と夫(31)に対する業務上過失傷害罪で加害者を起訴した。胎児は帝王切開で生まれ、11時間の命だった。「胎児に人権はないのか」。夫妻は釈然としない思いを抱き続けている。

 ◇「胎児に人権はないのか」

 胎児は女の子。仮死状態で取り出され、人工呼吸で息を吹き返したが、翌朝、夫妻の目の前で息を引き取った。「手の中でどんどん冷たくなっていった。それが子供に触れた最初で最後。何もしてあげられなかった」。夫は無念の思いを口にする。妻は意見陳述書に「苦しい思いだけさせて死なせてしまい、涙を流して娘に謝りました」とつづった。2人の初めての子供。春に生まれるからと名前を「桜子」と決め、ベビーベッドや服も用意していた。

 事故は03年12月、札幌市東区で起きた。年末の買い出しに出かけた帰り道、凍結路面でハンドル操作を誤った対向車が中央線を越え、夫妻の車に衝突。運転席の夫は鼻骨骨折、妻は左手骨折の上、下腹部を強く圧迫された。

 事件を自ら担当した札幌地検の依田隆文交通部長にとっても初のケースだった。法務省刑事局にも照会したが、致死罪での立件は困難との結論に達した。「刑法上、『人』として扱われるのは母体から胎児の一部が露出した時点から。今回のケースは母体内で危害を受け、生後11時間で死亡したため、『人』として扱えない。過失規定のない堕胎罪とのバランスも考えた」と説明する。

 「私たちは法の範囲でしか動けず、感情で押し切れない。しかし、医学の進歩に法律がついていっていないのかもしれない……」。依田部長は胸の内を語った。

 加害者の男(35)を今年9月、起訴した。論告に「十分人間と呼ぶに足りる状態だった胎児を死に至らせた結果は極めて重大」と記載し、禁固2年を求刑した。判決は11月末に言い渡される。

 夫は地検の配慮に感謝しつつも、「今の刑法は胎児の人権を担保していない」と悔しさをにじませる。事故後、精神的に不安定になった妻を支えるため仕事を辞めた。現在は小児医療に携わろうと大学に通う。

 交通事故の影響で早産で生まれた女児が36時間後に死亡したケースで、秋田地裁は79年の判決で「刑法上、女児は『人』になったと言えず、胎児の延長上にある」として業務上過失致死罪を適用しない判断を示した。

 北海道大大学院法学研究科の小名木明宏教授(刑法)の話 胎児は生物学的には「ヒト」だが、刑法上の「人」として扱うのは難しい。現行刑法を変えるとすれば、全体のバランスをとるために大手術が必要だ。「ヒト」はいつから「人」として扱われるか、どのように扱われるべきかを幅広い視点で考えるべき時期に来ているのは確かだ。(毎日新聞)2005/11/13

 
 
 法解釈作業の主なものとしては、条文にある言葉の意味を、通常よりも広げるか狭めるかの決定があります。本件と関連させて申し上げれば、刑法上の「人」に、出産前の胎児は含まれておらず、通常の意味で使われる「人」よりも狭い意味で用いられている、というわけです。

 あるいは、裁判所は、ヒトのDNAを持つ生命体に「人」としての資格を与える線引きを、常識的な認識よりもズラしている、という言い方もできそうですね。

 ただ、こういう特殊操作が行われれば行われるほど、「常識の延長上にあるべき法律が、常識から乖離してどうするんだ」「単なる言葉遊びだ」などの批判が増えてくることになります。その批判は正当なものですが、時代の流れや定着した世論に即した法改正が遅れている場合(or議員センセイが怠慢で放置している場合)には、なんとか妥当な結論をひねくり出すためにも、仕方なく司法が言葉遊びをせざるをえない、という側面もあります。

 まず、そこを踏まえておかないと、この問題の難しさはなかなか伝わらないかな、と思っております。

 じつは、刑法上の「人」の定義は、現行の刑法典に書かれているわけではありません。胎児の身体が一部でも母体の外に出れば、他者からの攻撃対象になりうるのだから、その時点で「人」として扱って保護しよう、という「一部露出説」を、明治時代に司法府が宣言し、その原則論が現在まで連綿と息づいているにすぎません。

 だったら、判例を変更して定義しなおせばいいじゃないか。子供が無事に産まれて育つかどうかも紙一重で「7つになるまでは神のうち」とされたのも遠い昔。医学の発達によって、胎児が無事に出産まで至る確率は格段に上がっている。
 しかも、生命の神秘にこれだけ科学のメスが入り込み、公害や交通がこれだけ大がかりになった危険極まりない時代なんだから、もはや、卵子が受精した時点で「人」にしないと保護したことにはならん。それが21世紀だぜ、バイオてくのろじーだぜ……ということにはなるんですが……。

 「人」の定義を変えるということは、法体系の「全体のバランス」を崩すおそれがあると、記事中で北大大学院の先生はおっしゃっています。

◆ 刑法 第212条(堕胎)
 妊娠中の女子が薬物を用い、又はその他の方法により、堕胎したときは、1年以下の懲役に処する。

◆ 刑法 第213条(同意堕胎及び同致死傷)
 女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させた者は、2年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させた者は、3月以上5年以下の懲役に処する。

◆ 刑法 第214条(業務上堕胎及び同致死傷)
 医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、3月以上5年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させたときは、6月以上7年以下の懲役に処する。

◆ 刑法 第215条(不同意堕胎)
1 女子の嘱託を受けないで、又はその承諾を得ないで堕胎させた者は、6月以上7年以下の懲役に処する。
2 前項の罪の未遂は、罰する。

◆ 刑法 第216条(不同意堕胎致死傷)
 前条の罪を犯し、よって女子を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。
 
 
 
 一連の「堕胎の罪」でございます。「女子(母親)」への配慮はございますが、堕胎で母体外に押し出され掻き出されした胎児については、何も書かれていません。そもそも、殺人罪よりもはるかに軽い刑罰が設定されているのですから、胎児の生命を断つ行為は、その程度のものだと。胎児を「人」として扱っていないことは明らかです。

 たしかに、これをもって「法的に、胎児はほったらかしにすべきなのだ」とも読めます。しかし、胎児について刑法で特に触れられていないということは、具体的な運用は司法府に委ねられている、と捉えることも可能なはずです。

 各種堕胎罪が成立する場合、その堕胎させた医師(場合によっては母親)には、加えて胎児についての殺人罪が成立する……と考えることも、論理的には禁じられていません。交通事故を起こして胎児を死亡させた点につき、業務上過失致死罪で摘発することも同様です。刑法改正は不要で、単に「一部露出説」と呼ばれる大審院・最高裁判例、その事実上の重しが、現場の裁判官や検察官の背中に乗っかっているだけなのです。
 ただ、それだけなのですが、その重さが想像を絶するものなのでしょう。上で、ご紹介した事件では、胎児への犯罪を成立させることは断念し、父母に対する業務上過失傷害の公判の中で、「胎児の生命を奪った責任」について検察官が言及するという手法を採りました。苦肉の策です。
 
 悩んだのはわかりますよ。わかりますけどねぇ。なぜ、司法試験が法律系の国家試験で最も難しいとされているのか。それは、頭に詰め込んだ知識の蓄積だけでなく、今ある法律を駆使して、新しい事態にどれだけ対処できるか、どこまで現代社会の空気を読めるか、も問われているからです。少なくとも、私はそう認識しております。

 秋田地裁の判例が記事中で紹介されていますが、その後に、胎児性水俣病に関する最高裁判例が出ています。そこでは、胎児の際に原因行為(この場合は有機水銀が体内に入ること)があって、その影響が出生後に顕在化した場合には、出生した「人」について業務上過失致死傷罪の成立を認めているのです。この論法を借りれば、胎児の際に原因行為(交通事故)があった本件でも、同罪での立件は十分に可能だろうと考えられます。

 もともと、堕胎罪での検挙は少なく、年に1回あるかないかの頻度です。妊婦が事故にあって胎児が傷害を負い、あるいは死亡するという事態は、堕胎行為よりは発生頻度が高いとみられますが、立法府で堕胎罪廃止の可能性も含めた適切な刑法改正がなされるまでの経過措置だとすれば、大きな問題は生じないのではないか、と思うんですけれども、やっぱり、そこは「最高裁チルドレン」。親が設定した一部露出説という正解に逆らうわけにはいかないのですよね。司法試験や司法修習制度が彼らに少しずつ投与してきた薬の効果は絶大です。

 人工妊娠中絶は、原則は堕胎罪なんだけれども、母体保護法で掲げられた条件を満たしているのなら例外的に処罰しない、違法性はない、という取り扱いになっています。それを「原則は殺人罪なんだけれども……」と変更しするならば、ルーチン的に中絶を担当し、感覚が麻痺しつつある、一部の医師や看護師の方々への心理的効果も期待できるかもしれません。しかも、理論的にイジってみただけで、どっちみち不処罰という結論は変わらないのだから、具体的に生ずる問題も少ないでしょう。

 かつて、メルマガでは大きく採り上げて特集しましたが、昨年7月、横浜の産婦人科医院で、中絶胎児の遺体が一般ゴミに混ぜられて捨てられていたことが発覚しました。それで院長が逮捕されたわけですが、その容疑が「廃棄物処理法違反」とは、これいかに。
 「荼毘に付したときに、お骨が残るギリギリの線」ということで、12週に達している胎児であれば、その遺体は墓地埋葬法で埋葬されるべき対象となっており、放置した者は刑法上の死体遺棄罪に問われます。しかし、12週に満たない胎児の遺体は、あろうことか「感染性の産業廃棄物」。つまり、血に染まったゴミというわけですな。法律上は家畜の死骸と同じ扱いなのです。ものすごい、アクロバチックなバランス感覚です。一瞬、中国雑伎団かと思いました。

 もちろん、一般論として法体系の理論的なバランスは大切ですよ。しかし、そのバランスは、社会の共通認識になりつつあるものを軽視・無視してまで成り立たせるべきものなのでしょうか。ぜひ、立法・行政・司法が連携して対処していただきたい問題です。
 

 いやぁ、判例・通説に久々に噛みついて、ちょっとドキドキです。各方面からの鋭いツッコミ、お待ちしております。
 

 いよいよ明日、宮崎さんちのツトムくんの上告審口頭弁論が行われます。最高裁に問い合わせたところ、「おそらく傍聴券は抽選になるだろう」とのことでした。11月22日はバイトを休もうと、夏ごろから決めていた私。

 地球のみんな!  オラにクジ運を分けてくれ!

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放送禁止映像大全
4861990041 天野 ミチヒロ

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2005年11月 2日 (水)

「原則」「例外」という論理

<TV録画訴訟>装置の販売差し止め命令 大阪地裁

 マンション住民のために1週間分の民放テレビ番組を一括して録画し、住民が自室で好きな時間に視聴できる自動録画装置を巡り、大阪の民放5社が「著作権法に違反している」として開発・販売元のクロムサイズ社(東京都港区)を相手取り、販売差し止めなどを求めた訴訟の判決が24日、大阪地裁であった。山田知司裁判長は「放送局の著作隣接権である番組の複製権と、公衆に視聴させる送信可能化権を侵害する。装置の販売によって必然的に権利侵害の結果が生じる」として視聴可能地域での販売差し止めを命じた。

 装置の商品名は「選撮見録(よりどりみどり)」で、大容量ハードディスクを備えた共用サーバーをマンション内に設置し、番組を録画する。各世帯(最大約50戸)ではLAN回線を通じ、ハードディスクに録画した番組を見ることができる。録画番組は各世帯ごとに予約する仕組みだが「全局予約モード」を選択すると5局の全番組を1週間分録画できる。

 毎日放送など5社が今年1月に提訴した。(毎日新聞)2005/10/24

 聞きかじりの法律マニアと、法律のプロヘッソナルの違い。それは膨大な法律関連情報のうち、何が「メイン(主)」であり、「サブ(従)」が何なのかを把握し、整理できているかどうかにあります。

 まず、メインの決まり事である「原則」を見つけて、それに沿って考えていき、その後に初めて例外規定を検討していくわけです。たとえば、自動車学校の学科でも、原則と例外を混乱させる問題が引っかけとして出されたりしますよね。あれも元はといえば道路交通法の条文知識ですから。「原則から例外」……おそらく、この順序をたどることこそが法的思考の論理であり、作法であるようです。

 だから、司法試験の問題では決まって、例外的な事例をあえて出してくるのでしょう。なぜなら、原則ばかりを問題にして聞いたのでは、例外を書かなくても(知らなくとも)正解できますので、受験者の実力をまんべんなく試せないからです。この順序をたどらず、「こう聞かれたら、こう書く」式の情報を丸暗記して吐き出しているような受験生は、まっさきに落とされます。

 「原則→例外」という思考パターンを心がけてほしいと願う出題者側。だとすれば、そういう方針の出題に対して、前提である原則を飛び越していきなり例外であるはずの「論点」を持ち出してくる答案や、例外の後に原則を書いているような答案には、真っ先にG評価(最低評価)が下されてフラレるのは当然だということになります。出題者に言わせれば、「原則に戻って出なおしてこい」ってとこでしょうね。

 ただ、やっかいなのは、何が原則で何が例外なのかが、条文を通読しただけでは意外と分かりづらいことです。六法全書を手にしたことなんて一度もないという一般の方にとっては、なおさらです。

 テレビ番組をビデオに録画するのは構わないのに、そのビデオを友人のためにダビング(複製)してあげることは、著作権侵害の違法行為です。海外に住む人、あるいは当該番組の放送エリア外にいる人のために、番組を録画してテープを郵送することも同様です。
 こういった事実に対して、一般の人が「おかしいじゃないか」という反応をするのは、結構ありうることのようです。これは著作権法の「原則」が、未だにちまたに浸透していないことから起こる誤解ではないかと思われます。

 著作権法第21条をひもとくと、「著作者は、その著作物を複製する権利を専有する」とあります。とすれば、テレビ番組という著作物を、テレビ局などの著作権者に無断でビデオ録画するという、全国の誰もが当たり前にやっている行為じたいが、本来的には違法なんです。

 つまり、「テレビ番組録画は違法行為」であり、「ビデオデッキは、もっぱらレンタルビデオだとか、自分たちがビデオカメラで撮影した映像を再生するためにある」というのが「原則」だということになります。

 この原則を前提に、番組視聴者によるビデオ録画は、著作権法第30条にいう「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること……を目的とする場合」において、あくまで「例外」的に認められているにすぎない、というわけです。
 このようなプライベート視聴目的で留まっているのであれば、著作権者の権利が不当に侵害されるおそれは類型的に小さかろう、と考えられていることが、その理由のようです。その昔、ビデオデッキが登場し始めのころには、家の中に番組テープを数多く蓄積・保存して「ライブラリー」を構築することも、「私的使用」の範囲を超えており、番組制作者に無断でやれば著作権侵害になるのではないか、という議論すらあった模様です。

 地方に住んでいる友人がやたら観たがっている首都圏ローカルの番組を、録画して送ってあげようという場合が、「その他これ(個人的・家庭内)に準ずる限られた範囲内」という「例外」に含まれるどうかは、いろいろご意見もおありでしょう。ただ、法律上の通説は「含まれない」ということのようです。なので、原則通り違法な行為だとされております。
 マスターテープを友人に送り、その友人に複製してもらって、マスターテープだけ送り返してもらえば、「限られた範囲内」での複製になると認識してらっしゃる方も少なくないようですが(お恥ずかしいことに、昔の私もそう思い込んでおりましたが)、全体としてみれば、ダビングテープを送ったのと同じことなので違法となります。

 まぁ、違法だ違法だとはいっても、テレビ局側があなたを法的手段に訴えない限り、それで警察に逮捕されたり賠償請求されたりすることはございませんけどね。著作権法がそういう仕組みですので。実際には、人気番組を毎週録画しつづけたテープやDVDを、ネットオークションに出して現に経済的利益を得るなどした者たちから優先的に摘発されている模様です。

 番組の複製(ビデオ録画)は、もともとは番組制作者側の権利なのであって、番組視聴者が当然にできるものではない。この原則・例外の関係さえ知っていれば、ビデオのダビングが、たとえ対価を取らず好意で行ったとしても、著作権者の著作物複製権を侵害する違法な行為となりうるんだ、といったことも、だいぶ分かりやすくなるのではないかと思います。

 たしかに、広告収入のもとに無料で提供される地上波放送を、しかも放送が終了した後に、無償で友人にダビングしてやったのを指して「原則として著作権侵害だ」と言われても、なかなかピンと来ないかもしれません。「それでテレビ局に何か実害でも出るのかよ」とも言いたくなります。そのお気持ちは分かりますよ。

 しかし、その番組を、どの地域、どの放送局に、どのタイミングで放送させるか、そのコントロールを決定することだって、膨大な人材・資力・時間を費やしてその番組を生み出した側に認められるべき利益です。特に今後、有料の衛星放送がさらに普及してくれば、視聴者のダビングにより生じる損害が、経済的な意味でもより具体化されてくるのでしょうしね。

 テレビ番組に限りません。音楽、書籍、写真、ゲームなどなど、これからも、そういったエンターテインメントで楽しみたいと願うのであれば、作品の安易なコピーは慎むべきです。せっかく世間に新しい楽しみを送り込んで、多くの人々に受け入れられているのに、その支持にふさわしい対価が入ってこないということであれば、物を創り出すクリエイターたちのモチベーションが下がって当たり前です。
 著作権法の「原則」を意識していなければ、自分で自分の首を絞める結果にもなりかねない、ということをお知らせしておきます。

 
 
 ただ、「原則」と「例外」が逆転しているのは、じつは一部の法律実務での運用だって同じです。

 たとえば、犯罪を犯した疑いのある者は、「証拠隠滅のおそれ」や「逃亡のおそれ」という条件を満たさない限り、逮捕できないことになっています。しかし実際には、警察官等が請求さえすれば、逮捕状は裁判官によってほぼ100%の確率で自動的に垂れ流されています。
 また、被疑者と弁護人は、捜査当局による取り調べ中だろうが何だろうが、いつでも接見交通(直接のコミュニケーション)ができる、というのが刑事訴訟法の基本的な立場です。しかし、被疑者の身柄を確保している捜査機関が、接見してもいい時間等についても主導権を握っているのが現状です。
 そして公判。起訴された事件の有罪率が99%以上を誇る、「推定無罪」の国ニッポン。

 
 司法試験で、さんざん理論的な「原則と例外」を身につけてきた優秀な合格者たちも、

 「何を寝ゴト言っとるんだ。これが実務だ」

 ……先輩法曹からそういうふうに断言されたとたん、素直な彼らは、刑事実務での「例外と原則」の関係性にも柔軟に適応しながら、それぞれの現場へと羽ばたいていくのでしょうか。
 
 
 
 閑話休題。今回の判決では、「システムの設置者(※マンション)と録画番組の使用者(※その住民ら)が異なるので、私的使用のための複製にはあたらない」と言いつつも、こういう一括録画システムを「販売」した業者の行為だけを採り上げて違法であると指摘した模様です。このシステムを「設置」したマンション経営者や、「利用」した住民の行為については不問に付されました。

 このあたりは、他にもいろいろな考え方ができるかもしれません。本件のように、マンションの経営者側が、住民のためのサービスとして、代わりにすべてのテレビ番組を録画・蓄積・配信する行為も、著作権者であるテレビ局や番組制作会社に断りなく行っていれば、著作権侵害の違法行為になる可能性があるのではないか、と私は考えます。基本的には、番組録画DVDをネットで売りさばく兄ちゃんたちと同じ問題が生じうるからです。
 たとえ、そのテレビ番組配信サービスを利用した住民から対価を取っていなかったとしても、そのぶん販売価格や家賃が高く設定されていたり、そういったサービスの存在が新規入居者を誘いこむ魅力的な要素になっていれば、番組を制作した方々の努力に「タダ乗り」していると批判されても仕方がないでしょう。

 また、テレビ局側は、当システムの「廃棄」まで請求し、著作権侵害の容赦なき徹底壊滅に臨んだようですが、「権利侵害の予防に必要な措置として認められる範囲を超える」として、判決で退けられたと報じられています。
 


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2005年10月29日 (土)

そんなに見ないでよ

『窓に目隠し』設置命令 東京地裁判決(東京新聞)2005/10/28

 東京都練馬区の男性が隣家の住民を相手取り、自宅内部を見ることが可能な窓に目隠しを設置するよう求めた訴訟の判決で、東京地裁(杉浦正樹裁判官)は27日、合成樹脂板などの素材による目隠しを設置するよう命じた。

 男性は隣家の1階台所や2階居室など5つの窓について、土地所有権や平穏な日常生活を営む権利としての人格権に基づいて、目隠しを設置するよう訴えていた。

(中略)

 隣人側は「二階居室はレースのカーテンを閉め切りにしており、他は曇りガラスになっていて、観望できる窓にあたらない」と主張していた。

 判決は「原告とその妻は(隣家から)自宅内部を見通しうる状態に、強い不安感にとらわれている」としたうえで「居室のカーテンは掃除で開けることもある。台所のまどは開閉可能で男性の自宅内部まで見通せることは明らか」と指摘した。

 「目隠し命令」と聞いて、ちょっとエッチなことを連想し、ムラムラ興奮中のアナタのことは放っておくとして、まずは問題の条文を見てまいりましょう。
 
 
◆民法 第235条(境界線付近の建築制限)
1 境界線から1メートル未満の距離において他人の宅地を見通すことのできる窓又は縁側(ベランダを含む。次項において同じ。)を設ける者は、目隠しを付けなければならない。
2 前項の距離は、窓又は縁側の最も隣地に近い点から垂直線によって境界線に至るまでを測定して算出する。
 
 
 「他人の目なんか気にしない」と、いかに飄々としたキャラを気取っていようと、そんな彼にだって他人に見られたくない場所・時・行動があります。心の中で考えていることが絶対的自由で、誰にも干渉されないことが保障されているように、プライベートの場面だって、それに準ずる程度の自由が欲しいものです。

 そういった私的基盤(オフ)がしっかりしていれば、仕事や人付き合いといった社会行動も充実するものです。そして、表の光が強くなれば、影もまた色濃くなる。もちろん、私が改めて説明するようなことじゃありませんけどね。単純に、自分の知らないタイミングで、家の台所や茶の間での私生活を誰かに一瞬でも見られるのは気持ち悪い、ということです。

 ある程度、法律をお勉強したことのある方なら、「個人のプライバシー権」の根拠条文として、憲法13条(個人の尊厳)を挙げることができるかと思います。加えて、この民法235条も「私生活をむやみに垣間見られない自由」を反映した規定だといえるのです。
 所有権は、ある人がある物に向けることのできる、民法界最強の全面的支配権なのですが、複数の所有権どうしがぶつかり合うような場合(特に、隣り合った土地や建物の所有権どうし)には、互いの歩み寄りを余儀なくされます。ダイヤモンドの硬さに対抗できるのは、唯一ダイヤモンドしか無いのだと。こういう調整場面を、専門的には「相隣関係」だとか呼んだりします。


 民法には「敷地境界線から1メートル未満の所に、他人の宅地を観望できる窓を設ける場合には、目隠しをしなければならない」とする規定があるが、台所の窓は境界線から99センチ、居室は95センチ、ほかは1メートル以上だった。(※記事より)

 おぉ、これぞ「ギリギリアウト」ってやつでしょうか。

 まぁ、家の中を覗かれないための目隠しといっても、ブロック塀のような大げさなものは要求されません。この判決が設置を命じているのも「合成樹脂製の板」ですからね。過去の裁判例にも「目隠しの程度は常人の日常的な生活行動を前提とし、ことさら窓際に密着したり、のぞき込んだりするなどの一時的な異常行動を考慮することは相当でない」と判断したものがあるようですし。

 このように、「境界線より1メートル」というラインから0.1ミクロンでも踏み込んだ所に窓を設置した場合は、民法235条1項に基づき、目隠しの設置義務も課されることになります。

 ただ、皆さんには是非、ここで「おかしいぞ」という違和感を感じていただきたいのです。だって、境界線から99センチ離れていたら、隣家をのぞき見ることができてプライバシーの侵害だけども、100センチ離していれば大丈夫……、というわけにはいかないじゃありませんか。
 実際問題、見えるもんは見えるんです。現に「お隣さんから家の中を見られている」「いや、見えない」というふうな近隣トラブルが生じているのは、土地の境界線から1メートル以上離れたところにある窓、つまり、民法規定の範囲内に収まっているケースがほとんどのようです。本件のように、民法235条に違反した状態の距離関係で揉めるのは、むしろ珍しいことなんですよ。

 重視されるべきは、距離よりもむしろ、窓の大きさだとか、その窓から観望可能な角度ではないか、と思うのは私だけでしょうか。

 民法が示している「1メートル」というボーダーラインは、あくまで目安のつもりなんだろうと思います。1メートルに足りない距離なら、明らかに隣接しすぎで、プライバシー侵害が無視できない程度に達しているだろうと。ただ、目安ではあるんですが、具体的な数字を出して条文に掲げてしまった以上、たとえば、境界線から1メートル1センチ離れた窓について、民法235条1項を根拠としてプライバシー保護目的の目隠し設置を相手方に強制することは困難です。

 では、どうするのか。それはズバリ「話し合い」です。あんまり注目されませんが、条文の言葉どおりにカッチリ処理できないトラブルにおいて、相手方とじっくり交渉しながら、互いに納得のいく和解を取りまとめることも、弁護士の重要な職務です。この先も末永く、隣同士で顔を合わせていかなければならない相隣関係では、なおさらですよね。

 逆に、隣人同士で了解し合っているのであれば、境界線から1メートル以内に窓が設置されていようが、その窓から隣家の暮らしが丸見えになっていようが、まったく適法です。
 他からどう見られようが、その現状で本人たちがオッケーなら、国家権力は何も手出しできない。法律よりも、お互いの「譲り合いの精神」が優先され、尊重される。……それが、刑事法の世界とは違う顔を持つ、THE民事なのです。


マンガ 法律の抜け穴―日常生活・隣り近所のトラブル
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2005年10月12日 (水)

新コーナーつくってみました

 最近、法律的な話題をなかなか採り上げられなくて残念だなと思っています。一般の方が目にしても面白そうなニュースはいろいろ入ってきているんですが、おいしく味付けする腕が足りなくて、「はてさて、どうしたもんかのぉー」と思案しているうちに、3日経ち、1週間経ちで、忙しいのにかまけて賞味期限が切れてしまったりするんですよね。

 まぁ、私がいらんことを書くのもいいけれども、ひょっとしたら、もっと純粋に最新情報を提供するような営みも並行してやっていくべきなんじゃないかと思いましてですね。メルマガのレギュラーコーナーである「判決スケジュール」を、さらに見やすく加工してネット上に置いてみることにしました。半月ぐらい前から考えてはいたんですが、ようやく実現の運びとなりましたね。
 さすがに「国民審査のオカズ」みたいな華はございません。あんな派手なブレイクはしないと思いますけどねぇ。ただ、こういう類のページも、今まで意外と存在してませんでしたので、誰も作らないんだったら、そのスキマを私めが狙わせていただきます。今日1日でザックリつくったものなので、皆さまに満足していただけるか不安ですが、使ってもらえれば嬉しいです。

 http://homepage2.nifty.com/misoshiru/mg/kijitsu.htm

 たしかにどうやって使うのかは不明ですけどね。ま、毎日の話題のスパイスにでもご利用ください。「明日は、どこどこ地裁で、こういう判決が出されるらしいぜ。担当のだれだれ裁判長は過去に……」とまくしたてれば、愛しのあの子から尊敬の眼差しを得られる……かどうかは保証の限りではございません。

 本日は、背骨に休養を与えるべく、このコンテンツを朝から静かにシコシコ作成していました。そして、どのカイロプラクティックに予約を入れようかなぁと、「判決スケジュール」を書きながら調べてたんです。ふと気づいたら、昨日まであれだけ痛かった背骨に、あんまり違和感が無くなってきたんです。というより、痛かったのをしばらく忘れていたぐらいなもんで。
 こうなれば、もう一度再発して追いつめられるまでは、整体には行かなくなるんでしょうねぇ。私の性格からして。……って、他人事か!

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2005年7月21日 (木)

宮崎さんちのツトムくん

 いつの間にか、15年以上も経過していたんですね。幼女連続誘拐殺人事件の容疑で、一審二審と死刑判決を受け、最高裁に上告中の宮崎勤被告ですが、最高裁は11月22日に口頭弁論を開くことを決定しました。

 事実関係を審理しない「法律審」である最高裁で弁論が行われるのは、例外的な扱いです。たとえば、4月の櫻井よしこさん名誉毀損をめぐる弁論のように、逆転判決や判例変更の可能性が高い場合や、先日の在外邦人選挙権訴訟の弁論のように憲法判断を要求される事件などです。

 ただ、死刑で係争中の事件でも、口頭弁論を開くのは慣例となっているようですね。

 「オタクのパイオニア」との異名を持つ(というより、私が勝手に呼んでいる。しかも今日から)宮崎勤被告ですが、「冤罪説」も、いまだ根強いものがあります。ひょっとしたら、オタク族からの同情票なのかもしれませんけど。

 今日、正義の法律用語辞典の項目を大幅に増強しました。法律の世界にくだらなさを織りまぜた自信作ですので、ぜひ一度ご覧ください。
 もっと項目を増やして、ゆくゆくは本屋に置きたいんですけど、現時点で7社に出版企画書を断られております。でも、オラは負けねぇぞ。

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2005年6月28日 (火)

ニュース映像の証拠採用…毒物カレー事件

 今日は、全国各地で重大な判決が立て続けに言い渡されました。下関駅通り魔事件(5名死亡)で広島高裁、和歌山の毒物カレー事件(4名死亡)で大阪高裁、それぞれ控訴を棄却し、一審の死刑判決を支持しました。

 前者は、無差別殺傷行為の事実関係に争いはなく、もっぱら責任能力の有無が争点となりました。後者は逆に、被告人が無差別殺傷を行ったという物的証拠や目撃証言がなく、確たる動機も不明というので、情況証拠の積み重ね、つまり「怪しさの足し算」で確信にまで持っていったというわけです。

 この2つの死刑判決の陰で、このような最高裁決定が奇しくも本日出されています。なぜ、よりによって今日なのか?という疑問もよぎってきますが、皮肉なものです。
 遺族の逆転敗訴が確定 毒カレー事件の医療訴訟で(共同通信)

 さらに、このようなニュースも報じられています。

 読売テレビなど関西の民放6社とNHKは28日、毒物カレー事件で、同日の大阪高裁判決が、テレビで放映された林真須美被告(43)らへのインタビューを録画したビデオテープに証拠能力を認めたことに抗議する見解を発表した。「報道目的以外の利用は市民の信頼を裏切る。報道に重大な制約を加え、取材の自由を軽視する判決に、強く抗議する」などとしている。(読売新聞)

 おっしゃっていることの理屈はわかりますよ。われわれマスコミは、裁判の証拠集めのために動いているのではない。国民の知る権利に資するために……ということなんでしょうが、この高尚なはずの「抗議」から受ける、なんともスカスカした印象は何なんでしょうか。

 自分たちの主張や先入観にとって都合のいいようにつなぎ合わせて、おどろおどろしいBGMを流し、有限の地上波をそんな面白おかしい「電波紙芝居」でお茶を濁しているような現状で、「報道目的以外の利用は市民の信頼を裏切る」は無いもんです。その「市民」って、どこの誰ですか?

 このブログが多少荒らされるのを覚悟で、あえて書きますが、庶民の多くは、真実を知ることにそれほど興味はありません。とりあえず、庶民の総意である林真須美の死刑判決に資するためにマスコミの仕事が援用されたのなら万々歳です。それならば、国民の信頼を裏切るどころか、逆に「公共の利益」として支持してくれるはずです。

 憲法の教科書をひもとけば、何だかいろいろ書いてあります。未編集の生テープや未放送の映像作品について司法当局から提出命令を受けたというなら、抗議したくなる気持ちもまだ理解できます。が、現実問題、さんざん放映済みの映像資料が裁判に流用された程度のことで、本当に報道は萎縮するんでしょうか。マスコミってそんなタマなのか、はなはだ疑問でなりません。頭の中でこねくりまわした単なるイチャモンのようにしか聞こえないんです。

 どうして報道だけをマスコミの使命だと強調したがるんですか。誰にだって向き不向きはあるんですから、もう背伸びはやめて、地上波放送局はバラエティづくりに徹すればいいんです。バラエティ番組のほうが、下手な娯楽ニュース番組より、よっぽど世の中の真実を映し出している場合もあるんですから。特にフジテレビには、来月の「25時間テレビ」に大きな期待を寄せています。去年の「27時間テレビ」が奇跡的な面白さでしたので。

 一方で、明石市花火大会の将棋倒し事故(11名死亡)の民事判決で、神戸地裁は、兵庫県と明石市と警備会社の3者に連帯して5億6800万円の賠償を命じました。また、芸能関係でも某俳優の出演料恐喝未遂事件で、東京地裁において有罪判決が出されていますね。

 今日は、豪雨と猛暑という異常気象に加えて、重要判決の特異日といえたかもしれません。

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2005年6月16日 (木)

名誉毀損の分かれ目…… 櫻井よしこ氏と新潮社

>>> 桜井さん逆転勝訴 薬害エイズ名誉棄損訴訟・最高裁
   薬害エイズ事件を巡る記事で名誉を傷付けられたとして、安部英・元帝京大副学長=今年4月死去=がジャーナリストの桜井よしこさんに1000万円の損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決が16日、最高裁第一小法廷(才口千晴裁判長)であった。同小法廷は桜井さんに400万円の支払いを命じた二審判決を破棄、元副学長の請求を棄却した。桜井さんの逆転勝訴が確定した。

 問題となったのは、1994年の月刊誌「中央公論」に掲載された記事「私の傍聴した『HIV訴訟』裁判」と同年発行の著書「エイズ犯罪 血友病患者の悲劇」で、桜井さんが「安部元副学長が製薬会社に配慮して加熱血液製剤の治験開始を遅らせた」などと指摘した点。元副学長側は6カ所の記述が名誉棄損に当たると主張した。

 判決理由で同小法廷は、問題となった6カ所の記述について「真実であると信じたことには相当の理由があり、意見や論評の域も逸脱していない」と述べ、違法性を全面的に否定した。(日本経済新聞)
 
 
>>> 桜井さん「表現の自由守った判決」・薬害エイズ名誉棄損訴訟

 「表現の自由は最大限守られなければならず、大変な喜びを感じている」。最高裁判決を受け、ジャーナリストの桜井よしこさんは16日午前、東京・霞が関の司法クラブで会見し、逆転勝利した心境を語った。

 グレーのスーツ姿で背筋をまっすぐ伸ばした桜井さんは「勇気を持って、社会の問題点を調査・報道することを後押ししてもらった判決」と評価。「支えてくださった(薬害エイズの)患者さんや弁護団に感謝したい」とゆっくり話した。

 安部英元副学長は今年4月に死亡し、司法の場での真相究明の道は絶たれている。「医師としての説明責任を果たさず、亡くなられたことは安部さんにとっても不名誉なこと。患者や遺族にきちんと説明してほしかった」と語気を強めた。

 一方、安部元副学長の弁護団は同日、「最高裁判決は、記事の内容を真実であると認めたものではなく、控訴審での判断は維持された」などとするコメントを出した。 (日本経済新聞)

【参考過去ログ】
 櫻井よしこさん「薬害エイズ」著作名誉毀損訴訟 最高裁口頭弁論傍聴録(4月16日)
 
 
 最高裁が上告を棄却し、原審の判断を維持する場合には、両当事者の言い分を直接に聞く弁論を開く必要はなく、いきなり棄却判決・決定を行えるものとされています。裏を返せば、第一小法廷が口頭弁論を開くことを決めた時点で、櫻井さんに400万円の賠償を命じた東京高裁判決が見直されることは、十分に予想されていました。

 櫻井さんは著作の中で、安部氏を評して『一体いかほどの金に染まって医師の心を売り渡したのか』という、一歩踏み込んだ表現を採用しました。薬害エイズという厄介な大事件に巻き込まれたくないと考える関係者たちから、証言を得ることに難儀したという彼女ですが、そんな取材活動の中で、安部氏が治験をめぐって袖の下を受け取っていた事実の存在に確信を持っていたのでしょう。
 
 
 第一小法廷は、治験で不利だった製薬会社の弱みにつけこみ、安部氏が『寄付』を受け取っていた報道について「真実と信じる相当な理由があった」として、違法性を否定しました。
 少し難しい話ですが、その報道内容が客観的に真実なのかどうかは、とりあえず置いておくんです。そして、「自分は真実を報じている」と櫻井さんが信じたことが相当なのか、それとも軽率な思いこみだったのかという、表現者の主観面について判断しているところがミソです。その主観面で「相当性あり」と認定できれば、請求を退けるのに十分だからです。

 また、「医者の心を売り飛ばした」うんぬんの表現について、「意見または評論の域を脱するものではない」として、こちらも原告の名誉を傷つけるものではないと結論づけました。

 女性フリーランス・ジャーナリストの草分け的存在として、広く知られる櫻井よしこさんですが、その国家体制のたたき方や世論のあおり方には違和感を持つ方が少なくないようです。思想的には保守寄りの方だとは思うんですが、私自身「そういう言い方は、少し品がなかろう」と感じてしまうこともあります。特に小泉内閣に対しての物言いなど。
 しかし、薬害エイズという巨悪にも敢然と立ち向かってきた、その姿勢には敬服しております。

 また、同じ第一小法廷で、安部氏が、薬害エイズ事件を巡る「週刊新潮」の報道で名誉を傷つけられたとして、賠償を求めた訴訟について、上告棄却決定が言い渡されました。こちらは、新潮社に300万円の支払いを命じた1、2審判決が確定しています。

 業務上過失致死傷容疑の薬害エイズ刑事裁判で一審無罪となった安部氏を名指しして、新潮は『大量殺人の容疑者』と書いたのですが、その表現に違法性を認めたんですね。安部氏は決して殺人罪で起訴されているわけではありませんから、真実性も真実だと信じる相当性もない、という結論は、いちおう筋が通っています。

 一方で、その結論に立ち向かい、ひとり異を唱えたのは、裁判長の島田仁郎判事。「表現に相当性を欠く部分があるが、刑事責任を追及・指弾したものであり、元副学長の権力の大きさと責任の重さを考えれば許容範囲」として、これも「意見または評論の域」を出ないと述べました。櫻井さんの事案同様、損害賠償請求を棄却すべきだとの反対意見です。
 ただ、いくら裁判長という立場とはいえ、1対4の少数意見であることに変わりはなく、上告棄却決定に影響を及ぼす言葉とはなりえないのでした。

エイズ犯罪 血友病患者の悲劇
4122032148櫻井 よしこ

中央公論社 1998-08


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2005年2月16日 (水)

スウガクギライ

新嘉手納爆音訴訟17日判決 個人の健康被害認定が焦点(共同通信)

 あす木曜日は、第2次嘉手納基地“爆音”訴訟の判決が言い渡されます。

 昨日は仕事が昼の3時からだったので、ギリギリまで国会図書館で資料あさりをしておりました。おかげで仕事に遅刻しそうになりましたが。

 メルマガで爆音訴訟を採り上げようかと思って、いろいろ調べていたんですが、調べれば調べるほど、このテーマに手を付けたことを後悔するようになってきました。ひょっとしたら、日曜日の号は、爆音訴訟判決1本だけで終わってしまうかもしれません。いや、日曜に間に合うかどうかも微妙。

 嘉手納基地の騒音の問題は「日本音響学会誌」や「環境衛生工学研究」という専門資料で特集されていたんですが、何がキツイって、ゾロゾロと数式が出てくるところです。アルファベットで変数が表されているのが視野に入ってくるうち、だんだん気が遠くなってくるのがわかります。
 騒音が住民に及ぼす健康被害は、騒音を長年受けてきた影響を積分すれば出てくるんだそうです。ふーん。で、logって何だっけ…?

 私はガキのころ、理科は大好きだったんですが、数学の授業には完全に置いて行かれてました。数字は好きなんです。数式に苦手意識があるんです。
 「マイナスで引いたらプラスになる」…ここまでは分かります。でも、マイナスにマイナスをかけたら、なんでプラスになるのか、意味が全く分からなくて、そのあたりからジワジワと付いていけなくなりましたね。

 本当は大学で理学部に行って、天文やら地震の研究をしたかったんです。でも、高校1年で物理の教師に期末テストの答案を返されながら「まさか、この成績で理系に来ようとは思っとらんよな」と言われてしまったのが決定的でした。それ以上に、数学の成績も目も当てられないような状態で、「ナガミネよ、さては恋の悩みで勉強に手が着かんのだな」と、数学担当の中林教諭にイヤミを言われてしまったのですが、半分図星だったのも悲しい思い出です。

 もちろん、今となっては法学を専攻して良かったと思ってますけど、とにかく数式に対しては根深い劣等コンプレックスがあるんです。なので、数式が書かれているページは、ハナからコピーしないことに決めました。

 あぁ、数学が嫌いで良かった。おかげでコピー代が浮いたわ。それでも、今日のコピーにかかった費用は1,309円也。まぁ、面白い本を1冊買ったと思えば納得できる額ではあります。
 ただ、“WECPNL”とかいうものが頻繁に出てきます。これは人呼んで「うるささ指数」というものらしく、賠償額の算定で裁判所が公式に採用されているものだそうなので、これだけは無視してやり過ごすわけには行かないようです。

 念のため、資料として、第1次嘉手納基地騒音訴訟の経過をアップしておきます。


●提訴 1982/02/26

 【 原  告 】周辺住民907名(沖縄県嘉手納町・北谷町・沖縄市他)

 【 被  告 】国

 【 請求内容 】(1)夜間(PM7-翌AM7)の航空機離発着・エンジン作動の禁止
         (2)昼間(AM7-PM7)の、原告居住地65デシベル以上の騒音到達禁止
         (3)本土復帰(1972/05/15)から訴状送達(1982/03/11)までの過去の
          損害の賠償(原告それぞれに100万ずつ+弁護士費用15万ずつ)
         (4)訴状送達(1982/03/11)から、(1)(2)差し止めの履行済みまでの
          過去及び将来の損害賠償(一律慰謝料3万/月、弁護士費用
          3000円/月)

 【 根拠法条 】人格権・環境権・平和的生存権、国家賠償法


●第一審判決 1994/02/24


 【 判  決 】 ● 差し止め請求(1)(2):棄却 ●

          ● 過去賠償(3)(4):原告うち768名につき一部認容 計8億円余り ● 
          ● 将来賠償(4):却下 ●
         
 【 判決理由 】(1)(2)…被告国の支配が及ばない第三者(米国)の行為を、日本の
           司法権をもって差し止めるのは無茶。
         (4)  …将来の損害は、現時点では容易に予測できず、あらかじめ
           請求権の成否や内容を認定することは困難なので、請求として
           適法でない。


●控訴審判決 1998/05/22(確定)

【 判  決 】一部増額変更
         ● 過去賠償(3)(4):原告うち867名につき一部認容 計13億7千万円余り ● 


 

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2005年1月25日 (火)

予習! 在日韓国人が公務管理職就任を拒否された事件

 明日の午後3時。いよいよ1年ぶり、個人的には上京してきて初の大法廷判断がなされます。それに備えて、ちょっと事案を整理してみることにしました。

 原告(被上告人)は、在日韓国人2世の女性(54)。都の保健師の方です。主に保健所や保健センターに所属し、住民の健康増進・疾病予防のために、様々な保健事業を行う職業で、保健事業には、住民健診・乳幼児健診・健康相談・リハビリ・予防接種 ・家庭訪問などがあります(サイト 青空保健師様より引用)。
 しかし、管理職昇任試験を受験すること自体が、日本国籍がないことを理由に東京都に拒まれたということで、受験資格の確認などを求めて提訴、という経緯です。日本国籍が無ければ、誰もが一律に受験資格がない、ということのようですね。都側としては、その既存の規律にのっとって処理したまででしょう。

 まぁ、外国人は外国人でも、在日コリアンということで、先の戦争や朝鮮併合など、史実の評価じたいが分かれる非常にデリケートな問題も絡みます。今でこそ空前の韓国ブームで、朝鮮名をオープンにするのも支障無くなってきた時代ですが。私が大学で朝鮮語を第二外国語にしていた頃(単に「ハングルがカッコよく感じた」という動機で)は、まさかこんな世の中が来るとは思ってませんでしたしね。


■第一審:1996/05/16

 国民主権の原理は、我が国の統治作用が「主権者と同質的な存在」である国民によって行われることを要請。

 ↓よって

 憲法は、外国人が、直接的・間接的に国の統治作用にかかわる公務員に就任することを保障するものではない。

 ↓もっとも

 法律で、外国人に対して間接的に国の統治作用にかかわる職務に従事する公務員に就任する権限を授与することは、憲法上禁止されていない。

 ↓本件では

 権利職選考は、我が国の統治作用にかかわる職への任用が目的。

 ↓

 在日韓国人に管理職選考試験の受験資格を認めないことは、22条1項(職業選択の自由)、14条1項(法の下の平等)に反せず適法。

■第二審:1997/11/26

 管理職は、統治作用にかかわる蓋然性の高い職。

 ↓よって

 外国人に管理職就任権を認めることは、国民主権に照らして問題。

 ↓もっとも

 管理職でも、統治作用にかかわる程度の弱いものも存在。

 ↓

 これらの管理職については、管理職就任権を外国人に認めても、国民主権に反しない。その範囲で、22条1項、14条1項による保障が及ぶ。

 ↓

 在日韓国人に管理職選考試験の受験資格を認めないことは、職業選択の自由・法の下の平等に反し違法。慰謝料40万円。


 まず、一般論として、そもそも外国人に日本国憲法の基本的人権規定は、どこまで保障されていいものか、という問題があります。これについては、権利の性質上、日本国民のみを対象としているものを除いては、外国人にも及ぶというのが最高裁の判例です。昭和53年でしたかね。
 それを思うと、公務管理職の就任権というものを外国人に認めるというのは、なかなか厳しいものがありそうです。「人類普遍の原理」なんていう格好の良いものではなく、まさに国内問題ですから。ちなみに、地方自治とか地方公務員の話であっても「国民」主権の問題になります。

 一審の地裁と二審の高裁では、結論こそ真逆ですが、論理の流れとしては少し似ているように見えます。どちらも、一般論としては国民主権との兼ね合いで問題があることを指摘しておいて、次に公務管理職を十把一絡げにしてるわけではなく、二種類に分けようとなさっているんですね。かなりザックリとではありますが。
 地裁は、国の統治作用に「直接的」に関わるか、「間接的」に関わるかで管理職を分類しています。そして、原則として、外国人の就任はどっちもダメだが、例外的に法律の特別規定を作れば、「間接的」なほうへの就任はオッケー、という基準を立てました。
 定住外国人の地方参政権も、特別法さえあれば認められるという10年前の判例がありますが、おそらく、それを下敷きになさったのでしょう。
 ただ、地裁は本件保健師の管理職が、「直接」「間接」いずれに該当するのかは明言していないようです。たぶん「直接」ということは無かろうな、という気はしますが、まぁ、どっちみち特別法が作られてなかった以上、どう転んでも結論は変わらないからでしょう。

 高裁は、国の統治作用に関わる「程度の強弱」という表現を使っています。それで、その程度が「弱い」管理職であれば、外国人に任せても構わないだろう、という基準を立てています。その条件さえクリアしていれば、法律の特別規定なんかいらんよ、というわけです。
 そうして、本件保健師管理職を「弱い」ほうだと認定し、控訴人に管理職試験を受けさせろ、受けさせなければ違法だ、という結論を導きました。


◎上告審の口頭弁論:2004/12/15

 ご本人:「少数者である外国籍住民の人権を回復し、保障できるのは司法しかない」

 その弁護団:「外国人をすべての管理職から一律に排除しようとする都の姿勢は人権意識を欠いている」

 東京都:「公務に就任する権利は国家の主権者である国民にのみ保障されており、外国人は憲法上の権利として主張することはできない。昇任させないことは自治体の裁量として許される」

 二審判決から、足かけ9年ですか。何があったんでしょうかね。これぞまさしく「最高裁 忘れたころの 棄却判決」(by才口千晴判事)ってやつでしょうか。でも、明日棄却判決が出たら、都の違法性を認めた二審判決が確定するわけですから、えらいことになりますね。都知事のコメントにも注目せねばなりません。

 日本国の地方自治体の公務員になろう、という意思を持っているほどの外国人ですから、日本に定住する意思もあるのでしょう。だったら、帰化という選択肢もありますし、民間で活躍するという選択肢だってあるわけです。自らのアイデンティティを海の向こうに置き、帰化申請が通る以上の時間を訴訟に費やし、民間の保健センターを横目に見てまで、都の管理職にこだわらなければならない理由って何なんでしょう。この被上告人は、何と戦っておられるのでしょう。保健師の仕事ができるのなら、それでよかろうもん。

 …やっぱり、公務員の管理職って、そんなにグッド待遇なのか! いいなぁ~、役人天国。(笑)

 でも、役人天国に入国する権利って、人が人であるゆえに当然に享受すべき基本的人権なのでしょうか。素朴な疑問です。これを「差別」だと誤解する方がいらっしゃるのでしょうが、それでも構いません。この疑問への答えをお持ちの方、コメントお待ちしています。


 

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2004年9月21日 (火)

テクニカル最高裁

 皆さん、ごぶさたしてました。さっそくまいります。

 郵便配達ミス、高裁の再審開始決定を破棄・最高裁(日経)

 「抗告期限過ぎ、不適当」 最高裁、再審開始決定を破棄 (朝日)

 不適法と開始決定を破棄 郵便法違憲受けた再審請求(河北)

 過去の関連つまみぐい(『過去を振り返れ!』 2004/09/01)

 郵便配達によって損害を受けても、賠償額が制限されるという郵便法の規定について、昨年、国家賠償請求権を国民に認めた憲法17条に違反する、という最高裁の判断が出されました。それを受けて、その違憲となった郵便法の条文を根拠に敗訴していた方が、裁判のやり直しを求めて再審請求し、去る1日に大阪高裁がその再審を受け付ける決定をしたんです。その決定を不服として、日本郵政公社側が最高裁に再審受け付けの再判断(特別抗告)を求めたという事案です。

 ●民事訴訟法第338条(再審の事由)
 次に掲げる事由がある場合には、確定した終局判決に対し、再審の訴えをもって、不服を申し立てることができる。
(中略)
 八 判決の基礎となった民事若しくは刑事の判決その他の裁判又は行政処分が後の裁判又は行政処分により変更されたこと。
(以下略)

 たしかに、昨年の最高裁の違憲判断は、この8号の文言に該当し、再審事由にはあてはまっていそうで、なんとなく再審を受け付けても良さそうです。しかし、過去の記事に書きましたとおり、最高裁による憲法違反という判断の効力は、あまりにも社会的に与える影響が強いものですから、その後の混乱を避けるために、その事件につき、その当事者にだけ及び、さらに過去にさかのぼったりせず、将来効のみがあるというのが、憲法解釈上のポピュラーな考え方になっています。

 憲法違反の判断が出たからといって、いちいち過去の裁判のやり直しをしていたら、こういう効力の問題と理論的に矛盾しないのでしょうか。それとも、効力の一般的な性質論をいっているにすぎず、個別に再審を申し出た人に関しては、あくまで普通の再審と同様に受け付けて粛々と進行させていくという話なのでしょうか。しかし、それでは訴えた者勝ちを認めることになり、同様の敗訴判決を受けたのに、再審を維持するだけの経済的・時間的余裕の無い方は泣き寝入りということになって、不公平にはならないのでしょうか。これは民訴338条1項8号そのものの存在理由にも関わってくるでしょうが。

 こんな大問題を抱えているにもかかわらず、最高裁は、「大阪高裁への抗告受け付け期限を1日オーバーしていたからダメ」という、身もフタもない技術論で締めくくってみせました。なにやら面倒そうな問題は、重箱の隅をつついてでも門前払いする。杓子定規の最高裁らしいといえば、そのとおりかもしれませんが、ガッカリでもあります。
 大阪高裁は、受付期限に関する杓子定規さをあえて捨ててでも、裁判のやり直しについてゴーサインを出したんですよ。これからの司法は上から変わるのか、下から変わるのか、そして、その変化は真っ当な変化なのか。それとも、変化と変化がぶつかって結局そのままなのか、見守っていきたいものです。

 

 

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2004年9月 8日 (水)

琉球文化の「女と男」

 女性側が逆転敗訴 金武軍用地料分配訴訟 - 琉球新報

 福岡高裁那覇支部 「男優遇」の慣習、「公序良俗に反しない」 - 朝日新聞・沖縄

 先ほど、データベースにも組み込んでおいた判決ですので、詳しく知りたい方は、そちらも併せてご覧いただきたいと思います。そこでは「共有トラブル(入会権)、憲法問題」という分類にしてみましたので、見つけてください。

 ちなみに、「入会権」は、「いりあいけん」と読みます。一定区域の山林や水域を、地元の皆の衆で一緒に協力しながら使っていこうや、と、当面のもめごとを避けるために取り決めておいた感じのボンヤリした権利です。本来は、権利といった強張った意味すらふさわしくないと思っています。入り会いの「地位」だとか「立場」といった印象です。

 具体的にはどんな事案かと申しますと、要するに「同じように地元に住んでいるのに、男は20歳以上で分け前としてのお金がもらえて、女は50歳時点で独身の場合にしかもらえないと決められているのは、不公平じゃないの」というものです。去年の一審判決は「たしかに不公平だね」と認めて、請求額の全額を認容したんですが、今回の控訴審レベルは、原告側を逆転敗訴としています。

 判決理由の言いたいことは、分からないでもないんです。なんとかバランスを取ろうとしている姿勢はすごく伝わってくるんですが、

 「入会権の帰属する構成員とは、当該共同体に居住する家族を含めた全員を指すものではない。同部落内に世帯を構える一家の代表(世帯主)を指す」とし、「家の代表の多くが男子で、二男、女性が代表となるのは比較的まれなのは公知の事実」と指摘。 (琉球新報)

 「公知の事実」というのは、たとえば「阪神淡路大震災」とか「ヤワラちゃんが五輪V2」のように、証拠による証明によって裁判官に教えてあげる必要がないほど、一般に広く知られている事実、というくらいの意味です。

 私たちも、両親が健在で仲も悪くないのに、住民票か何かで、あえて母親の名前を世帯主として届けたりはしないと思います。私は長男ですが、今から田舎の墓の管理のことをゴチャゴチャ言われています。たしかに「家の代表の多くが男子」というのは「公知の事実」なのかもしれません。しかし、私は「公知の事実だったら何なんだ」と言いたいわけです。

 「世帯主として家族の中から男(長男)が選ばれがち」という、いわば統計学的な事実は、そんなに重要な問題でしょうか。問題は、長男しかお金をもらえないようになっている決まり事が「公の秩序、善良な風俗」に反しないのか、です。反しないなら反しないで、法律の専門家らしい理由付けが必要なはずなんですが、それを地域慣習の現状追認で片づけ、あとは「血縁だけの資格でもらえるとしたら、家族の構成人数に相関して分配金の額が増えることになるけど、それじゃあ、かえって不公平だろ」という趣旨で、さっそく力点を自説のフォローのほうに移しています。

 でも、ご自分で言っていることを改めてよく考えてみてください。家族の人数に応じて分配金が増えたほうが、よっぽど地域社会の福祉に適って公平なんじゃないですかね。それが暴論というのなら、せめて家族を一単位にして、家族に宛ててお金を分配するような形にできないんでしょうか。個人あてに分配しているくせに「世帯主」というタテマエを持ち込んどるから、少しずつねじれてくるんです。
 ひょっとしたら、ひょっとしたらですけど、原告女性のダンナ連中は、部落団体からの毎年の分配金を、ちっとも家庭に入れずにチョロマカしたりしているのかもしれません。そうでなければ、ここまで揉めないんじゃなかろうかと思いますし。もし違っていたならば、誠に失礼申し上げました。

 それはともかく、高裁は高裁で、入会権の性質論ばっかりで、法の下の平等にはほとんど踏み込んでいません。一方で、昨年の地裁は地裁で、男女平等の抽象論ばかりで、地域慣習の背景などについては、あまり言及していません。どちらか選べと言われたら、地裁の結論のほうがマシなんだろうとは思うんですが、どっちもどっちで「両極端だな」という印象を拭いきれません。最高裁の判断が待たれます。

 

「入会権は過去の長年月にわたり、慣習に根ざして形成された権利。最大限に尊重すべきだ」(同)

 気になるので最後にひとこと書き留めておきたいのが、この部分に関してです。たしか、琉球って「女尊男卑」に似たような文化に立脚していたような気がして、見つけたのが以下のページです。沖縄についての話以外にも、なかなか興味深いことが書かれています。

  WR0976病める日本の心理学34号011017又吉

 かつての琉球王朝には、シャーマニズムに基づく女性尊重の価値観が覆っていた。だとすれば、「過去の長年月にわたり、慣習に根ざして形成された」という男性有利の「正会員資格」は、いつ、どこからやってきた発想に根ざしたものなんでしょうかね。


 

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2004年9月 1日 (水)

過去を振り返れ!

郵便誤配巡り「国家賠償」異例の再審決定…大阪高裁
- 読売新聞


 いやぁ、なかなかの憲法上の大問題が浮上してまいりましたね。

 郵便局員が何かミスをして国民に損害を与えても、その賠償額は一定限度に制限されるという郵便法の規定があるらしいんですが、おととしの9月、「憲法の番人」である最高裁判所で、この規定が、国民に国家賠償請求権を認めた憲法17条に違反すると判断されたんです。
 記事にもありますように、こんな「法令違憲」の判決はめったに出ないんですが、その違憲判決の効力は、その事件を解決するのに必要な分だけ及ぼされるべき限定的なもので、その事件のその当事者(原告・被告)だけに限って有効だという考え方が一般的です。この考え方を「個別的効力」だとかいいます。

 友達の持っているおもちゃがうらやましくて、子供が母親におもちゃをねだるときに、母親は決まって「よそはよそ、うちはうち」と言いますよね。違憲判決の効力は、それと似たようなものです。

 しかし、今回の問題は、おととしの9月の違憲判決よりも以前に、その違憲とされた郵便法を根拠に請求を認めなかった他の事件について、「やっぱ、あのとき請求を認めたほうがよかったのかも。やりなおそうか…」と言っているんです。これは違憲判決の「個別的効力」に抵触するのもそうですが、そういう「人」とか「事件」レベルの問題だけではなく、判決の効力を過去にまでもさかのぼらせようという「時間的な効力」の問題も含んでいそうなんです。

 記事中の浦部教授のお話にもありますように、最高裁の裁判官が全員集合する大法廷で、最終的には決着を付ける必要がありそうですね。次回の国民審査(※次回の衆議院議員選挙と同時に行われるため、2007年11月までには行われるはず)の対象となる予定の裁判官である才口千晴判事や、津野 修判事の価値判断もモロに問われるため、3年後に向けての良質な判断資料になりそうです。

 今日は、地方公務員試験の受験資格に「日本国籍」が要求されることは憲法に違反しないかの判断が、最高裁大法廷にまわされることになったそうですし、国民一般にはあまり知られていないところで最高裁がひそかに賑わってきましたね。

 


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