2010年10月 5日 (火)

どうして今日になって、検察審査会が批判を浴びているのか

 ホントは、もっと肩の力が抜けた楽しいネタを採り上げたいのですが、法律系の時事が続いていますので、思うところを書かせていただきます。

 

>>> 「とどめ刺されたのに近い」漫画家の倉田真由美さん

 東京第5検察審査会の議決公表により、民主党の小沢一郎元幹事長(68)は資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で嫌疑不十分で不起訴処分となった平成16、17年分の虚偽記載容疑について、「起訴すべき」(起訴議決)と判断された。小沢氏は、「裁判の場で無罪を明らかに」とコメントを発表したが、これに対し漫画家の倉田真由美さんは、「裁判で無罪になったとしても『一度、被告になった』というイメージはぬぐえない。小沢一郎氏は今回、とどめを刺されたのに近い」と話した。
 (MSN産経 2010/10/05※このほか、元最高裁判事の濱田邦夫弁護士と、日本大学の岩井奉信教授のコメントあり


 

 くらたまさんのおっしゃる話もわかるのですが、今回の強制起訴によって、小沢さんの政治生命にとどめが刺されるようなことは、決してあってはなりません。

 起訴は起訴です。 それ以上でも以下でもありません。 裁判手続きに乗せる「スタート」を宣言しているだけなのです。

 今後、裁判所が有罪判決を言い渡し、それが確定することのない限り、小沢被告人は無罪と推定するルールです。 無罪の推定です。 同じことを私は過去に何度書いたかわかりませんし、別に面白い話でも何でもありませんが、飽きずに何度でも書かせてもらいます。

 もともと小沢さんは、裏で手を引く「政界の陰のドン」などと呼ばれていて、様々な後ろ暗いイメージがあります。 そこに「強制起訴」「被告人」という言葉の響きが加われば、事実上さらなるダーティーさを上塗りするかもしれません。

 それでも、このたび強制起訴されたことを引き金に、小沢さんの政治生命に終止符が打たれちゃいけないのです。

 私たち有権者は、まだ小沢さんを「政治資金規正法違反の罪」と結びつける色メガネで見ちゃいけません。 まだ早すぎます。

 将来、まぁ有罪が確定すれば別ですけど、もし裁判所が小沢さんに無罪判決を言い渡し、それが確定したならば、私たち有権者は、この陸山会の件を頭から差し引いたうえで、今後の投票行動に及ばなければなりません。 仮に差し引いて、それでも「政治家としてふさわしくない」かどうかです。

 でなければ、「何が法治国家だ」って話です。 言い渡した判決に社会的影響力のない裁判所など、維持するだけ税金のムダですから、廃止されてしかるべきだということになります。

 「推定無罪」という概念は、抽象的に語られるだけでは、ただひたすら説教くさくて耳にタコができるだけですから、今回の件が、実践のいいキッカケになろうかと思います。

 たとえ密室政治が大好きでも、都合の悪い問題にダンマリを決めこんでも、たとえ面構えがチョウチンアンコウみたいでも、小沢さんは、まだ罪人ではありません。

 

 検察審査会の2度の「起訴相当」議決⇒強制起訴が、ここにきて新聞やテレビなど各方面のメディアから批判されていますが、どうして批判されているのでしょうか。

 検察審査会の方々は、与えられた務めを粛々と果たしたにすぎないだろうと思います。

 むしろ問題は、小沢さんが「公判」へ向けての手続きに乗せられた、との報道が、非常に強烈なインパクトをもって広まって、とても重く受け止めている方が少なくない点でしょう。


 

◆ 検察審査会法 第1条(目的)
 公訴権の実行に関し民意を反映させてその適正を図るため、政令で定める地方裁判所及び地方裁判所支部の所在地に検察審査会を置く。(以下略)

 
 
 

 検察審査会は、国民の中から抽籤で決められた、11人の一般メンバーのみで構成されています。 サポート役で弁護士も同席してますけど、審査会の構成員ではありません。

 つまり、裁判官も一緒に議論をする裁判員裁判とは異なり、一般国民だけで議論して決するわけですから、より陪審制に近い形態だといえます。

 「特捜部は検討が不十分だったんじゃないか」「弁解は不合理なんじゃないか」という指摘が、政治家・小沢一郎の元来のイメージもあいまって、さらに何人かいたかもしれない(いなかったかもしれない)「小沢さんは不起訴でOK」派もここは空気を読んで意見を変えて、このたび2度目の起訴相当議決となったわけです。

 「民意の反映」という、検察審査会の目的に沿っているじゃありませんか。

 もっと言うなら、検察審査会の「(小沢さんの言い分は)著しく不合理であり到底信用することができない」などという議決理由が、根拠薄弱だと批判されているようですが、似たような言い回しは、プロ裁判官の判決理由でもみられますよね。

 もっとも、裁判官の場合は、「被告人の供述は著しく不合理で信用できない」と言う前に「供述に再三の変遷がみられる(言うことがコロコロ変わる)」などの根拠(注意則)を付け加える場合があります。 とはいえ、より一歩踏み込んで、いかに供述が変遷しているのか、具体性をもって述べる方はほとんどいらっしゃいません。 検察審査会の議決書と大差ないと言われても仕方ないでしょう。

 

 ただし、今回の2度目の起訴相当議決には、問題点もあるようです。 告発状や1度目の議決書では触れられていない被疑事実まで扱っていて、このやり方は検察審査会に与えられた権限から逸脱しているのではないか、という批判もあります。 私もそうした批判には合理的な理由があると思いますし、また、こんな話も出てきていますね。

 さらに、「絶対権力者である被疑者」「これこそが善良な市民の感覚である」など、議決書の言葉づかいとしては独善的な箇所も垣間見えます。

 これらの点は、検察審査会の制度上の改善や見直しの可能性を含めたうえで、厳しく検証されなければなりません。

 が、このたび起訴されたことは確かです。

 私は裁判員制度に懐疑的な立場ですが、それは庶民感覚そのものを疑っているというより、庶民感覚を活かすと謳いながら、そうした庶民感覚の反映が法システムをもって担保されていないこと(裁判員の庶民感覚を活かすも殺すも、それぞれの担当裁判官の心がけ次第になっている現状)、そうした芯の通ってない制度設計に対する懐疑が大きいのです。

 そして、わざわざ忙しい国民を呼び付けずとも、庶民感覚は裁判官それぞれの学習能力、あるいは庶民との実際の交流などによって身につけていただきたいと申し上げています。

 「疑わしきは罰せず」という法原理まで持ち出して批判している記事も見受けられますが、的外れでしょう。 検察審査会は小沢さんを罰したわけではありません。 ただ、起訴しただけです。

 いや、「起訴しただけ」という言い回しは語弊があるかもしれませんね。 ある人を起訴して裁判に持ちこむことは、精神的にも時間的にも、あるいは社会的な意味でも、相当な負担を強いることになりますから。

 それでも、起訴は起訴です。 「これから裁判を始めるために動き出す」、それ以上でも以下でもありません。

 

 日本の刑事司法の現状「有罪率99.9%」とは、どういうことでしょうか。

 要するに、裁判官が法廷でやるべき仕事を、代わりに、検察官が法廷の外でやってしまっている、ということに他なりません。

 検察官が起訴すれば、99.9%有罪。 しかし、起訴しないと決めれば放免される。

 こうした現状は、実質的に検察官が、有罪の被疑者と無罪の被疑者とを振り分けちゃっているようなものといえます。

 「無罪が出たら沽券に関わる」という検察官の意識が、いつの間にか、まるで「裁判官の代わりに有罪の被告人だけを抽出する」がごとき実情を生み出してしまったのでしょう。

 起訴されたけれども、「被告人は無罪」。 仮にそうなったとしても、問題ありません。

 もし起訴された者は、ことごとく有罪判決へ導かねばならないのなら、裁判という手続きは巨大なムダです。 真っ先に事業仕分けの対象とされてしかるべきですね。

 検察官と裁判官とで、捉え方が異なるケースがあって至極当然なのです。 本当に司法権が独立しているのなら。

 有罪証拠が不十分だから起訴しないということがあってもいいし、有罪証拠が不十分だから無罪だと認定してもいいじゃないですか。

 問題は、判断の種別が“前者”に著しく偏っている現状にあります。

 そして、今回のような検察審査会の「強制起訴」は、検察官と裁判官の役割を、あらためて分断する、いいきっかけにできるのではないかと思います。 法律家の皆さんが、その気になれば、という前提つきですけど。

 

 世間で「悪いことをしたら警察に捕まるよ!」と、親が子供に注意することはありますが、「裁判官に怒られて、有罪判決がくだるよ!」なんてややこしい注意は、まずしないでしょう。

 「牢屋に入れられるよ!」と言う親もいますが、牢屋は刑務所だけではありません。 警察でも牢屋(留置場)には入れてくれるし、留置場生活だけで懲りて反省する被告人も多いです。

 やはり、警察に捕まって、世間から犯罪者として見られること、留置場で身柄を拘束されること、小沢さんの場合は特捜部に目を付けられることこそが、現実には相当痛いペナルティになっているのです。 

 裁判の前にペナルティが科されているのですから、つくづく、裁判所の存在感が薄っぺらい世の中だなと思います。

 「司法手続きを身近で分かりやすく」するために、裁判員制度を導入しておきながら、この期におよんでもなお、です。

 身柄を拘束された被告人に、たとえ有罪判決が出されても、執行猶予つきなら「釈放された!」と捉えられるのが一般的でしょうしね。

 司法の存在感の薄さは、「起訴されたら99.9%有罪」「行政訴訟でも国が9割方勝訴」「選挙での一票の価値の格差を追認し続ける」など、ひたすら政治部門の3歩後ろに下がって「事なかれ主義」をOKとしてきた裁判所自身にも責任があるかもしれません。

 そして、法律ライターを名乗りながら、この世の中で、司法権の存在感をボトムアップさせるような企画をなかなか通せずに悶々としている私自身も、不徳の致すところです。
 率直に言って歯がゆさがありますが、まだまだ私の精進が足りないだけです。 もっともっと頑張ります。

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2010年9月10日 (金)

板倉教授のコメントの意味がわからない

>>> 板倉氏バッサリ「推定で話しているだけ」

 日大名誉教授(刑法)の板倉宏氏(76)は、初公判での押尾被告側の主張について「全体的に予想された通りの内容で、検察側の主張を覆すだけの証拠は何も提示できなかった。現時点では(保護責任者遺棄致死罪の)無罪を証明するのは厳しい」と指摘した。

 [中略]

 押尾被告は「救急車を呼ぶことは考えつかなかった」と述べたが、「あまりにも不自然」と板倉氏。「弁護側は救命可能性を低いと言っているがゼロとは証明できていない」とし、可能性がある以上は同罪が成立するとの見解を示した。裁判員裁判だったことで「モニターなどを使って裁判員の情に訴えたかったのだろう」と話していた。(2010.9.4 サンケイスポーツ


 

 司法試験を受けるような人なら、誰でも知っている、刑法上の基本的な論点なのですが……

 保護責任者遺棄致死というのは、仮に、「保護責任者」とされる人が、もし「遺棄」せずに対処していた場合、その被害者の命を「十中八九」救えたであろうとされた場合に成立する、というのが最高裁の判例です。

 だとしたら、弁護人は救命可能性がゼロだったということまで証明する必要はないのでは?

 救命可能性が「十中八九」とまではいえない低い水準だった、ということさえ証明できれば、理論的には十分、保護責任者遺棄致死を突き崩す立証として足りるはずです(それが本件で現実的に可能かどうかはともかく)。

 

 板倉教授は、いったい何を言いたかったのか?

 あるいは、サンスポの記者が板倉教授の談話を誤解して載せてしまったのか?

 それとも、誤解をしているのは私なのか?

 どなたか刑法に詳しい方、教えていただきたいと思います。

 
 

 明日は、布川事件再審の第3回公判で、朝から土浦へ向かわなきゃいけないのですが、この記事を見つけてしまったせいで、気になって眠れません。

 もう深夜1時過ぎちゃいました。 ぐ…… グンナイ!night

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2009年12月20日 (日)

鉄道ファンの現役最高裁判事・涌井紀夫さんのご冥福をお祈りします

>>> 最高裁の涌井判事が死去

 最高裁の涌井紀夫(わくい・のりお)判事が17日午後1時13分、肺がんのため、入院先の東京都内の病院で死去した。67歳。

 告別式の日時・場所は未定。現職の最高裁判事の死去は、1988年5月の高島益郎氏以来、8人目。2012年2月の定年まで約2年2か月を残しているが、体調を崩して11月末から入院し、法廷を欠席していた。

 1964年京大法卒。66年に判事補に任官、最高裁総務局長、司法研修所長、大阪高裁長官などを歴任し、06年10月に最高裁判事に就いた。最高裁事務総局や民事裁判官の経歴が長い。

 最高裁では第1小法廷に所属。韓国人の被爆者が国などに損害賠償を求めた訴訟で裁判長を務め、07年11月、健康管理手当を受給できないとした国の通達を違法として賠償を命じる判決を言い渡した。警察官がノートに記した取り調べメモの開示を巡る裁判では、08年9月に証拠開示を認める判断を示した。 (2009年12月18日12時24分  読売新聞)

 

■ 涌井紀夫判事のプロフィール・判決実績 (忘れられた一票2009)

 

 国政選挙の「一票の格差」問題で、涌井判事が平等原則に反せず合憲判断を示したことに対しては、賛否が渦巻きました。

 そのせいで、国民審査では「×付け市民運動」のターゲットのおひとりにもなっていました。

 忙しすぎて、大好きな列車に乗ることも、阪神タイガースの応援に行くこともままならず、もしかしたらストレスを溜めておられたのかもしれません。

 ご冥福をお祈りいたします。

 涌井さんの後任も気になりますが、この年末年始には、一気に3人の最高裁判事が入れ替わります。
 私としても、早めに顔と名前を一致させられるよう、頭に入れておくことにします。

 
 

●2009年12月23日就任内定
 須藤正彦(すどう・まさひこ)判事
 中央大学・栃木県・弁護士出身。
 東京弁護士会副会長などを歴任。66歳。
 (22日で定年退官する中川了滋判事の後任)

●2009年12月26日就任内定
 千葉勝美(ちば・かつみ)判事
 東京大学・北海道・裁判官出身。
 仙台高裁長官などを歴任。63歳。

●2010年1月2日就任内定
 横田尤孝(よこた・ともゆき)判事
 中央大学・千葉県・検察官出身。
 最高検次長検事などを歴任
 2008年に引退し、弁護士登録をしていた。65歳。

 
 

 最高裁判事は、内閣によって任命されることになっていますが、今のところ、政権交代の影響は見られません。

 相変わらず「順当に組織内でキャリアを重ねてきた人の“あがりポスト”」ってな感じです。

 司法制度改革によって、地裁の刑事裁判は「裁判員制度」というかたちで様変わりしても、最高裁はそう簡単に変わりそうもありません。

 
 

◆ 日本国憲法 第79条
1 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。

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2009年11月 6日 (金)

「被害者と共に泣く検察」を実践?

 ご無沙汰しておりました。

 去る10月22日に、「仕事ジャンジャンください!」と書いたからなのか、それとも偶然なのか、ここのところ、原稿執筆のご依頼を続々と頂戴しております。

 どうもありがとうございます。 助かります。

 ちょっと〆切りがタイトなご依頼もありますが、頑張ってまいります。

 

 コンプライアンス・株価操縦・職場の法律問題・冤罪……。

 法律ネタって、マイナーなようで、需要は掘り起こせば意外と埋もれているものかもしれません。

 次回作『47都道府県 これマジ!?条例集』(幻冬舎新書)を脱稿したばかりの時期でして、まだ、当方のスケジュールには若干の余裕がございます。

 法律・裁判などに関する文章の書き手にお困りの方は、プロフィール欄からお入りになって、メールにてご依頼くださいますようお願いいたします。 どうぞお気軽に。

 

 結局、愛車の板金塗装費用の見積もりは、約18万円。 これは、だいぶ以前に、車体右前方をこすってほっといた箇所につき、自費で修理することにしたぶんです。

 こないだ、栃木へ出発するときに、朝っぱらにガソリンを入れようとしたところ、寝ぼけて内輪差を忘れ、後輪を思いっきりこすったぶん(先日の写真参照)の原状回復費については、保険を使わなきゃ恐ろしい金額になるそうで……。

 あきらめて、修理屋さんの言うとおりにしました。



Photo  
 

 ついに手元に届いちゃいました。 台湾版の爆笑お言葉集。

 ありがたいことです。 かの国じゃ、まだ日本ブームは続いてるんでしょうか。

 もちろん読めやしませんが、『不快的』って……?

 けっこう、裁判官批判といいますか、辛口な印象の漢字が並んでいますねぇ。

 やっぱり、裁判官は世間知らずだと、ステロタイプに叩いておいたほうが、ウケがいいのかね?

 

 

>>> 松江地裁で検察官が涙の求刑 「感極まった」

 仮免許中に乗用車を運転し、同乗の男女3人を死亡させたとして、自動車運転過失致死罪に問われた女性被告=当時(19)=の公判が5日、松江地裁であり、遺族らの心情を気遣う松江地検の男性検察官が泣きながら求刑する一幕があった。

 公判では、結婚間もない夫を亡くした妻が「生きる希望をなくした」と号泣しながら意見陳述。その後の論告求刑で、検察官は「遺族の方々の心中は察するに余りある」と涙を流し、傍聴席からもすすり泣きが漏れた。公判終了後、検察官は記者の問い掛けに「遺族からずっと話を聞いていたので、感極まった。お恥ずかしい」と振り返った。

 検察側は禁固6年を求刑、弁護側は寛大な刑を求めた。論告では被告は平成20年8月、松江市の国道で乗用車を時速約100キロで運転、街路灯に激突し後部座席の10~20代の3人を死亡させたとされる。(2009.11.5 22:13 産経ニュース)

 
 

 「被害者と共に泣く検察」というキャッチコピーがありますけど、ホントに感極まって泣いちゃったみたいですね。
 

 よほど感受性が強い方なのか?

 あるいは、

 たまたま自らの境遇と重なる部分があるからなのか?

 
 私も先日、足利事件の再審初公判 (オリジナル傍聴記録はこちら) のやりとりを見聞きしながら、菅家利和さんの境遇を思い、傍聴席でメモを取りながらボロボロ涙を流してしまいました。

 その一方、周囲のマスメディア記者の皆さんは、変わらぬ様子で淡々と記録を取り続けていましたので、やっぱりその場は「お恥ずかしい」感じがありましたね。

 私のメンタリティは、どうやら今回の松江地検の検事さんに近いようです。

 
 常識的に、男の涙は「みっともない」とされています。

 まぁ、私が書いたら言い訳になっちゃいますけども、

 他人の心情や境遇を思って泣くのであれば、

 男の涙だって、“アリ”だと確信しています。

 

 検事が法廷でポロポロ涙を流している場面を、私は実際に目撃したことはないのですが(春先、花粉症の検事が、のどぬーるスプレーを口に噴射しつつ、目を腫らしながら冒頭陳述を朗読しているのなら見たことありますが)、

 過去の新聞記事の検索をかけてみると、わりと珍しくない出来事のようです。

 2002年8月には神戸地裁(大学院生の殺害事件)で、犠牲者の母親の供述調書を朗読していた検察官が、途中、涙で声をつまらせて読めなくなり、審理が数分間ストップしたことがあるそう。

 調書には、「妊娠中毒に苦しみながら、息子を帝王切開で産んだ」こと、「知人から話を聞いて、息子は殺されたのではないかと思った」こと、「息子は親孝行で、私にとって宝物だった」ことなどが、つづられていた模様です。

 さらに、2002年11月のさいたま地裁(会社員男性の殺害・死体損壊事件)でも、今回と同様、検察官が論告求刑中に涙を流したと報じられています。

 犠牲者が死を前にした心情に思いをはせた箇所で、検事の目に涙がこみ上げてきたといい、さらに、「4歳の娘が『パパがいなくても寂しくない』と母親を励ましている」と読み上げながら、何度も声を詰まらせたそうですね。

 

 拙著『裁判官の爆笑お言葉集』18ページでは、被告人に死刑を言いわたしながら控訴を勧めた裁判長が涙を流した場面を収録しました。

 以前、この裁判長ご本人に直接お話を伺ったことがあるのですが、当時はマスコミに相当叩かれたようで、さらに私の本を読んで過去のバッシングを思い出し、心を痛められたそうです。

 私へ諭すように「いろいろあるんですよ」と言われました。

 「泣いて控訴を勧めるなら、どうして死刑を決めたのだろう?」と、単純に疑問に思っていたのですが、判決公判の裏側には、筆舌に尽くしがたい、さまざまな苦悩が隠されているみたいですよ。

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2009年6月17日 (水)

刑事裁判の量刑は、やっぱり検察官が決めちゃうのか?

>>> 懲役1年2カ月…申し訳ない、2年にします 求刑勘違い

 秋田地裁で8日、窃盗罪に問われていた横浜市の無職男性被告2人の判決公判の言い渡しの際、裁判官が検察側の求刑を勘違いしており、読み上げの途中でいったん休廷し、改めて判決を言い渡すミスがあった。

 2人は共謀して東北各地でカーナビゲーションを盗んだとされる。馬場純夫裁判官は冒頭、検察側の求刑をそれぞれ懲役1年6カ月として、1人に同1年2カ月、もう1人に同1年6カ月執行猶予4年と伝えた。

 しかし、読み上げの途中で、検察官から「求刑は2年6カ月だったはず」と指摘があった。馬場裁判官は手を止めて判決文の草稿をめくり直し、「(求刑は)1年6カ月だったよね」と検察官に問い直した。間違いがわかると、両被告を退席させ、約30分の休廷をはさんだ。

 馬場裁判官は改めて、懲役2年と同2年執行猶予4年をそれぞれ言い渡した。その後、両被告に「実刑、有罪の判決であることに変わりはないが、2人には迷惑をかけ、申し訳ない」と陳謝した。

 秋田地裁は、記者団に「どのような過程でミスが起きたかわからない。裁判体の判断事項なのでコメントは差し控えたい。通常は求刑に、裁判官の判断が拘束されるものではない」と説明。今後ミスの原因を調べるという。

 秋田市の法律関係者は、休廷した30分間で判決が変わったことを問題視し、「検察側の求刑によって判決が変わるというのはおかしなこと。(独立した判断が求められる裁判官の)判決が求刑に引っ張られている実態が明らかになった」と話した。

 また、この裁判は検察側の論告を書面ではなく、口頭でやりとりしていたことから、「裁判員制度の導入にあたり、論告を口頭でやり取りすることが多くなった。その弊害ではないか」とも指摘した。(2009年6月9日 アサヒコム)


 

 マズいですよ~、これは!

 裁判官の量刑は、検察官の求刑に一切影響を受けないのがタテマエです。

 求刑よりも重い刑をたまに言いわたしちゃう、大阪地裁の杉田宗久判事のような例すらあります。

 その一方で、刑事裁判官の量刑は「求刑の8掛け」とか「2割引」なんていわれて、検察官から懲役5年という求刑が出たら、懲役3~4年が“相場”だと、まことしやかにウワサされてきました。

 実際、いろんな判決ニュースを見聞きしていると、その法則があてはまる場面が多くみられます。

 が、「求刑の8掛け」について、もちろん、裁判官は公式に一切認めてきませんでした。 私も新聞記事や法律の専門誌などで、いろんなインタビューを読んでまいりましたが。

 

 今回の馬場裁判官は、「検察官が言った求刑によって、私の判決はブレます」と、自白してしまったようなものです。

 2年6カ月の求刑に対し、判決が2年では、ちょうど「求刑の8掛け」になってしまうという、恥ずかしい結果に。

 それじゃあ、検察官と裁判官の関係が“なあなあの馴れ合い”になってしまっている事実を、正直に暴露してしまったも同然。

 もしかして馬場判事、ウソをつけない、まっすぐな性格でいらっしゃるのでしょうか。

 

 同じ件を報じた読売新聞の記事によると、書記官が作成した事件記録のほうが「求刑:1年6カ月」だと間違っていたみたいです。

 そういえば過去に、こういう騒動もありましたし、ときに「1」と「2」は聞き違えやすいんでしょうね。

 

 じゃあ、

 検察官から求刑の勘違いを指摘されたとしても、裁判官は判決を変えなかったほうがよかったのか? ……という話になるでしょう。

 私は、決して変更すべきではなかったと考えます。

 検察官の求刑と、裁判官の量刑は何の関係もない、という本来のタテマエを貫くのであれば。

 もっとも、検察官と裁判官の馴れ合いを、あからさまに認めてほしくない、この勘違いをキッカケに断ち切ってほしかったという、個人的な願望が含まれていることも否定できませんけれども。

 

 特に今回は、本来の求刑より軽い方向で勘違いしていたわけで、被告人らにとっては、ある意味で自分たちに不利益な方向に(重く)判決を変更されたようなかたちです。

 執行猶予つきならともかく、ひとりは実刑ですからね。 いきなり8カ月も懲役を長くされるのは、不意打ちだといわれても仕方ありません。

 カーナビ盗んで実刑ということは、初犯ではない可能性も高く、被告人なりに、ある程度の覚悟はできていたのかもしれませんが、それはそれとして。

 

 ちょっと調べてみました。

 馬場純夫裁判官は、昭和36年12月15日生まれの47歳、神奈川県出身。 新聞記事を検索しましたが、過去に特に大きな問題を起こしたことはないようですね。

 最近では、卵を産めなくなったタダ同然の雌鳥(廃鶏)を「比内地鶏」と偽装して販売した業者の社長に、懲役4年の実刑を言いわたしています。

 ちなみに、このときの求刑は懲役7年でした。 求刑の「6掛け」以下ですね!

 おかしいなぁ……。

 馬場判事が関わった量刑について、もっと調べてみました。

 
 

2009年4月22日 詐欺 懲役3年6月(求刑・懲役4年)

2009年4月7日 詐欺 懲役2年6月(求刑・懲役3年6月)

        詐欺 懲役1年6月(求刑・懲役2年)

2009年3月31日 傷害致死 懲役12年(求刑・同じ)

        現住建造物放火など 懲役5年(求刑・懲役6年)

2009年3月27日 強姦 懲役4年(求刑・懲役5年)

2008年12月24日 強姦傷害 懲役8年(求刑・懲役10年)

2008年12月3日 強盗傷害 懲役6年(求刑・懲役7年)

2008年10月27日 詐欺 懲役12年(求刑・同じ)

2008年10月17日 傷害 懲役4年6月(求刑・懲役5年)

2008年7月30日 覚せい剤密売など 懲役4年(求刑・懲役5年)

 

 以上、実刑判決のみピックアップしました。 以上の太字が「求刑の8掛け」法則があてはまる判決です。

 こうしてみると、法則があてはまる場合のほうが少数派…… って、そりゃそうか。 裁判所はキリのいい数値を量刑に採用するのが好きですから、キッチリ割り切れるほうが珍しいですしね。

 とにかく、今回は、求刑の変更によって、量刑を動かすべきではなかったと思えて仕方ありません。

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2009年6月 5日 (金)

賢い法律家たちだって、不完全な人間なのだ…「足利事件」

 今から20年近く前に栃木県で起こった、幼女殺害「足利事件」の犯人として、無期懲役判決を受け、服役中だった男性が、昨日、千葉刑務所から釈放されました。

 DNA鑑定による検察官の有罪立証に、疑わしいところが出てきたからです。

 疑わしきは罰しちゃいけないのです。

 

 この裁判が行われていた時代、DNA鑑定は、鳴り物入りで導入されたものの、まだできたてのホヤホヤの技術でした。

 DNA鑑定結果を、有罪の証拠として最高裁が採用したというだけで、大ニュースになったのは、まさに、この足利事件での裁判が、日本で最初の出来事でした。

 司法浪人をやっていた時代に、最新判例として覚えたので、記憶にとどまっています。

 しかし、その最新判例は、9年後の現在、地に墜ちたことになりますね。 技術的に早すぎた判例だったのかもしれません。

 

 本件の加害者とされた菅家さんが、本当に犯人でないのか、私にはわかりません。 わかるワケもありません。

 「私は犯人じゃない」…… その重たい言葉を、人として信じたい気持ちでいっぱいですが、「なるほど、間違いなく犯人じゃない」と、100%の納得をもって断言できるかどうかは、また別の話です。

 

 「無罪」と「無実」は違います。

 無罪というのは、あくまで「有罪を証明できなかった」という裁判技術の問題。

 無実というのは、究極的には、本人にしか認識しえない事実です。

 

 無実を客観的な根拠をもって確定させるのは至難の業ですが、無罪判決を出すのは、技術的に何も難しくありません。 本来は、検察官の有罪立証が、0.1%でも崩れれば無罪なのです。

 無罪判決を出す難しさが、何かあるとすれば、

 それは、凶悪事件の被告人に無罪判決を出した後に待ち受けるであろう、世論(メディア論調)のバッシングを思い浮かべたときの恐怖感があるぐらいです。

 今回の場合、「DNA鑑定が怪しい」という一点を弁護人が突いて、それで検察官による有罪立証が少しでも揺らいだなら、裁判官は被告人を無罪にしてしまっていいのです。

 それが、神ならぬ人間が「無実の人を、一切刑務所に送らないための安全弁」として開発した、現時点での知恵の到達点なのです。

 たしかに、真犯人に無罪判決が出された結果、心の中で密かに笑いながら、この社会で生活しているヤツもいるかもしれません。

 真犯人を逃がすか。

 無実の者を罰するか。

 究極の選択ですが、少なくとも司法は、「真犯人を逃がしたとしても仕方ない。 とにかく無実の人を絶対に処罰しないこと」と決めたのです。

 全体のために、ひとりに犠牲となるよう強制してはいけないと、憲法13条の「個人の尊重」は謳っているからです。

 もちろん、その人の意思で「自分が社会全体の犠牲になる」と覚悟するのは、美しい話ですし、個人の自由ですが、少なくともその犠牲を周りが強制してはいけないと。

 
  

 無実の人を罰しないように、気をつけてシステムを構築しているハズでも、今回の「足利事件」裁判のように、無実の人を長期間にわたって拘禁してしまう間違い、悲劇は起こるのです。

 菅家さんには、いずれ再審で無罪判決が出ることでしょう。

 しかし、失われた時間は決して戻ってきません。

 仕方がないので、法制度は「刑事補償」という仕組みを用意しています。

 要するに、失われた時間を「お金に換算しましょう」というのです。

 失われた時間に対する刑事補償は、最高額で1日あたり12,500円です。たいていの場合は、その最高額が支払われるようです。

 菅家さんが逮捕された1991年12月2日から、釈放された2009年6月4日までは、期間計算サイトによると、6394日(19年6カ月2日)だそうです。

 ということは、国からの刑事補償額は、単純計算で、約8000万円になります。

 

 とはいっても、「補償」って「賠償」とは違って、支払う側に責任はないけど、結果的に気の毒な目に遭っている人のために支払うよ、というニュアンスがあります。

 つまり、刑事補償をしている国は、ひとりの人生を台無しにしたということについて、自分が悪いことをしたと自覚していないんでしょう。

 しかも、刑事補償は、無罪判決が出た後に、裁判所に改めて訴え出ないと支給されません。 どこまで不親切なんでしょうか。

 

 ……といったような話を、私は次回作の中で、たまたま書いていました。

 これから裁判員が加わる刑事裁判が行われれば、「疑わしきは罰せず」という原理は、ますます一般の皆さんにとって重要性を増すからです。

 法律なんて、しょせん人間の作ったもの。 疑いながら従うぐらいで、ちょうどいい。

 

 とはいえ、ナガミネの次回作は、もちろん堅苦しい雰囲気の本ではありません。

 

 読んでみて、もしかしたら、「今までの雰囲気と違う」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

 今まではあえて削っていた、皮肉やイヤミ、冗談、ツッコミなど、わざとトゲやエッジを残してますので、私と同年代(30歳~35歳)ぐらいの「男ウケ」をする本かな、と思っています。

 人によっては、「裁判官の爆笑お言葉集」よりも、笑っていただけることでしょう。

 まぁ、著者の狙いなんて、だいたい外れるんですけどね。 良いほうにも、良くないほうにも。

 

 はたして、法律界の感覚がズレているのか? それとも、私の書いていることがズレてるだけなのか?

 最新刊「ズレまくり! 正しすぎる法律用語」は、阪急コミュニケーションズから、来週木曜(6月11日)発売予定です。

 あと6日ですね。 どうぞよろしくお願いします。

 だいたいの目次は、こちらで。

 
 

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2009年5月26日 (火)

精神鑑定の結果に逆らい続ける裁判所

>>> 「鑑定重視を」最高裁の差し戻し審、高裁で再び実刑判決

 03年6月に東京都北区で起きた傷害致死事件をめぐり、男性被告(40)に刑事責任能力があったかどうかが争点となった刑事裁判の差し戻し後の控訴審 で、東京高裁は25日、責任能力があったと判断し、被告に懲役2年6カ月の判決を言い渡した。精神鑑定に基づく責任能力の認定のあり方について、中山隆夫 裁判長は、最高裁の従来の考え方を踏まえつつ、裁判員制度のもとでは固定的・絶対的なものとすべきではないとの考えを示した。

 被告は、元勤務先の塗装店経営者を殴って死なせたとして起訴された。一審・東京地裁は「心神喪失」とした鑑定結果に基づいて無罪判決を言い渡した が、二審・東京高裁判決は鑑定結果を信用せず懲役3年の逆転有罪に。しかし、最高裁は上告審判決で「専門家の精神鑑定は十分に尊重すべきだ」として審理を 東京高裁に差し戻していた。

 中山裁判長は、最高裁の考え方を「一般論としては正鵠(せいこく)を射ており、裁判官も含めて素人の知見で評価するのは慎重でなければならない」 と評価した。その一方で、「責任能力は社会や一般人の納得性を考えて規範的にとらえるべきもので、固定的・絶対的なものとするのは相当ではない」と指摘し た。

 さらに、最高裁が過去の裁判例で「様々な要素を考慮して総合判定すべきだ」としたことに言及し、「責任能力についても裁判員に意見を求める意義はこの点にある。(最高裁の考え方を)そう解釈してこそ、裁判員の率直な感覚や意見を引き出すことにつながる」と述べた。

 これらを踏まえ、一審が無罪の根拠とした鑑定結果を検討し、現在の精神医学の知見から見て信用性に問題があると判断。有罪の結論を導いた。 (アサヒ・コム 2009年5月26日)

 

 そもそも、裁判で証拠として提出された精神鑑定の結果に、裁判官が従わなくていいという、司法業界のオキテが、どうしても理解できないのです。

 精神医学の専門家が、長い間をかけながら、試行錯誤を繰り返し、被疑者・被告人に面と向き合い続けて出した結論について、外野(裁判官や裁判員)があれこれ口を出してひっくり返すのですよ。

 そのくせ、裁判員裁判の評議(話し合い)には、誰にもツッコミを入れられたくないので、非公開にし、中身をバラした裁判員経験者に罰則を科してまで、誰が何を話したのか、外部へ明らかにされないのです。

 これを、一般人の市民感覚では「ズルい」と呼びます。

 医療ミスを法律の論理で平気で裁いているクセに、なぜ医療は法律の世界に満足に関われないのか。 この一方的な流れは何なのか。

 本件のような傷害致死事件で裁判員は召集されませんが、裁判員が呼ばれる殺人などでも責任能力は問題になりえます。

 中山裁判長は、責任能力の問題についても、一般の裁判員にフリーハンドで意見を求めることの意義を強調しています。

 しかし、責任能力について尋ねられても困るのが多くの裁判員の率直な気持ちだと思うのです。 万一、私が裁判員でも、大いに困りまくるしかありません。

 困らない自信満々の裁判員でも、自分の直感で意見をいうしかありません。

 つまり、「人ひとりが亡くなっているのに、無罪はおかしい! 誰も責任を取らないのか! 遺族がかわいそうだ!」という直感を、法廷に反映させようということなのでしょう。

 

 精神医学が結論づけた「心神喪失」「心神耗弱」と、司法にいう「心神喪失」「心神耗弱」が、なぜ同じではいけないのでしょう。

 どういう筋合いで、裁判官が精神科医の意見にダメ出しできるのでしょう。

 共通の言葉を使って、医療界から法曹界に手渡されているのに、わざわざ別の中身にしなければならない理由なんてあるでしょうか。

 理由が特にない根拠として、「社会や一般人の納得」とか「規範的」というような、どういう意味とでもとれる、ボンヤリしたキーワードしか出せない点があります。

 つまり、直感で裁判しようぜ、といっているのです。

 ただでさえ「合理的に推察される」「総合的に判断すべき」という表現の裏で、裁判官は直感的に裁いとるのに、これ以上まだ直感でやるのかと。

 古今東西の人々が抱いてきた直感が土台になって、法ができあがっているのは疑いないところですが、直感って、時と場合によってブレるのが宿命なんだから、本来は法の基準としてふさわしいものではないのです。 特に刑事罰の基準としては。
 

 「人ひとり死なせたんだから、償え。 むしろ死んでわびろ!」

 ただ、心神喪失状態(善悪の区別、あるいは行動のコントロールができない状態)にある状態で犯した犯行で、単に結果責任をとらされるのでは、刑罰を科される本人が納得いきません。

 犯罪結果を生じさせた原因は、本人の悪意ではなく、精神疾患だったのです。 むしろ治療の対象。 それこそ専門家が出した結論。

 つまり、刑罰を科されたところで、反発こそすれ、彼が心から反省する動機が見あたらないのです。 それじゃあ、何のための刑罰なのでしょう。

 だけど、「みんなの納得」のために、ひとりに犠牲を強いるわけです。

 今の憲法の根本的な考え方とは、逆をいく結果になりますね。

 中山裁判長は、きっと「良心」に基づいて今回の結論を導いたのでしょうが、それ以前に憲法には従いながら判決理由を書かなければなりません。

 

◆ 日本国憲法 第76条
 3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

 
 

 私だって、心神喪失・心神耗弱というのが、いったいどういう精神状態なのか、具体的には想像すらつきません。

 しかし、人間の精神状態について四六時中考えている精神科医が、精神医学という人類の英知の蓄積をもとに導いた結論なのですから、それに従っときましょうよ。

 その代わり、精神鑑定にあたる医師は、必ず複数人必要だろうなと思います。

 そのうち、精神鑑定にも、素人をランダムに6人ぐらい呼びつけて関与させるんじゃないかと、余計な心配をしたくなります。

 

 専門家というものが、なぜか少しずつ崩壊し始めている印象を受けます。

 ライターの世界だってそうです。 ネットを通じて、誰でも簡単に世界へ意見表明できる時代なのですし。

 しかし、そういう状況だからこそ、世の専門家が、プロがプロである理由を、仕事で示し続けなければならないと思うのです。

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2009年5月24日 (日)

「追い出し屋」とは?

 家賃を滞納した借り主が強引に退去を迫られる「追い出し屋」被害で、大阪市城東区の男性が玄関ドアの鍵を2回交換され、居住権を侵害されたとして、貸主 側に慰謝料など140万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が22日、大阪簡裁であった。篠田隆夫裁判官は鍵交換を不法行為と認定し、貸主側に約65万円の支払いを命じた。(2009年5月22日 asahi.com)

 家賃を滞納したとたんに、カギを勝手に交換するという、この「追い出し屋」は、部屋の貸し主と契約している、いわゆる賃貸保証業者が演じることが多いようです。

 賃貸の連帯保証人になるのって、安定収入がある身内の者でないと難しいんですよね。

 父が定年を迎えた後に部屋を借り直すなら、こういう賃貸保証業者に頼むことになるのなぁ……と思っていましたが、もし、こんな裏側も散見されるなら、あらためて考えなきゃいけませんね。

 法律は、賃貸借契約での当事者である「借り主」と「貸し主」において、部屋の借り主を保護しようという発想ですから、その縛りをすり抜けようとして、貸し主が「(施設付き)鍵使用契約」という名で契約書を作ってしまうことがあるようです。

 もちろん、どんな名前を付けようと、実質的には賃貸借契約ですから、さすがに判決はぶれないだろうと思いますね。

 「払えそうもない家賃の部屋に住もうと思うのが間違い。身の丈にあったトコを探さなきゃ」と、借り主に厳しい意見もあるようです。

 しかし、そもそも「身の丈にあった」低賃料の公営住宅について、供給が少ない社会状況では、あんまり現実的な意見とはいえなさそうです。

 
 

 「全国追い出し屋対策会議」公式サイト

 家賃の保証業は、営利目的の民間会社がやるのでなく、公的な機関が行うべきだという主張もありますね。

 たしかに相対的には公的機関のほうが安心でしょうが、そこに営利目的がないかどうかは、個別ケースがいろいろあって、ちょっと心配です (cf.「漢検」)

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2009年5月15日 (金)

新聞記者の義憤

 月曜日、コムロ判決で傍聴券を外したのに続き、

 今年の「さまぁ~ずライブ」の事前予約も、さっき「残念ながらチケットをご用意することができませんでした。」というメールが来ました。

 やっぱり、運勝負になると弱い。 ガキのころからジャンケンも弱いので仕方ないのだ。

 

 ところで、知り合いの某新聞記者の方から、

 TK(テツヤ・コムロ)の執行猶予について、納得いかない!

 ……という内容のメールが届きました。

 ホリエモン、村上世彰、耐震偽装に関わった会社社長たちなど、立場のある人が有罪になれば、すべてを失い、同じ業界でやっていくことは難しいはずなのに、

 なぜ、TKだけは「音楽でもう一度」という反省の仕方が許されるのか?

 ……ということです。 もっともな疑問です。

 

 そこで、取り締まりを受けた一部の経営者や、耐震偽装の連中と、TKの違いを考えてみました。

 

■ TKは、今回の件で本気で懲りている(ように見える)こと

 裁判を受けても後悔も反省もしていない人を刑務所に送るべきです。 なぜなら、どこの刑務所も満杯だからです。

 あとは、今後の継続的な行動によって、反省の態度を明示的にすればいいのです。 それでもコスイことをして当座のカネを得ようとするなら、そのときに改めて刑務所にぶちこめば十分でしょう。

 

■ 1回きりの犯行で、「魔がさした」とも考えられること

 もちろん、譲渡する権限がないのに、あるように装って、相手から金品を受け取れば、立派な詐欺ですが、やろうと思えば二重・三重譲渡も容易な犯行だったはず。

 1回きりの犯行にとどまった点は(かりに本人に、そのつもりがなかったとしても)、いちおう考慮すべきです。

 

庶民からみたら5億円は想像を絶する大金ですが、かつてのコムロにとっては、800曲の楽曲と引き替えるには破格、ヒットメーカーとして鳴らした誇りをかなぐり捨てた額だと考えたかもしれません。 割り算したら、1曲あたり60数万円ですからね。

 

■ (エイベックス社による立て替えとはいえ)被害弁償は済んでいること

 殺人や性犯罪などの被害と違って、詐欺被害は、ハッキリ言ってお金で十分にあがなえるものです。
 今回の「ギリギリ執行猶予」判断は、TKに特殊な事情が重なってなされたものであるため、「5億円の詐欺でも執行猶予になるんだ。甘いなぁ。よーし、オレもやろう」と考えることは、よほどのおバカさんでない限り、なかろうと思います。

 なので、刑罰の一般予防(威嚇)機能も減殺されないと考えられるのです。

 

 杉田宗久判事が「音楽で再起してください」と言ったのは、以上の事情を踏まえたうえでの、二次的なものだと思いますが、

 「みんなが納得する作品を作らないと、世間から『立ち直った』とみなされない」のも、お決まりの懲役刑メニューを超える、ものすごいプレッシャーじゃないかなと思います。

 ただ、「世界にひとつだけの花」のメガヒットにより、世間が薬物事犯の前科を忘れ去ってくれた、槇原敬之さんの前例もありますから、険しいながらも決して不可能な道ではないのでしょう。

 

……おおむね、以上のような返事を送ったところ、くだんの記者さんからは「100納得できなかったのが、50は納得できました」と返ってきました。

 残り50、納得できないのも、ムリはありません。

 私の場合、中高生時代の思い出の片隅に、TMネットワーク・TMNが確実に鎮座しているから、時間をかけてイロイロ書いてますけど……

 これが、個人的に何の興味もないグループだったら、ここまで懸命に長文でフォローするかどうかわかりません。

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2009年5月14日 (木)

「グッドウィルで働く」ということ

>>> グッドウィル、請求上回る支払いで和解 給与天引き訴訟

 昨年7月に廃業した日雇い派遣大手のグッドウィルが「データ装備費」の名目で派遣労働者の給与から業務1回につき200円を不透明に天引きしていた問題で、過去に徴収された全額の返還を求めていた原告26人と同社の間で13日、和解が成立した。原告側によると、26人全員に提訴時の請求総額455万4600円を上回る金額を支払うという。同社は「コメントできない」としている。(アサヒ・コム 5月13日)


 何を隠そう、物書きとして売れないころに、私はグッドウィルで働いていました。

 よく報道されている工場勤務などではなく、100円ショップやホームセンター、ショッピングモールなどでの接客業務で各地に派遣されていて、当時はほとんど不満はなかったです。

 むしろ、支店長などスタッフに恵まれていて、いろんなワガママを聞いてくれていたので、本当に感謝しています。

 そういえば、1回、支店長と居酒屋で飲みましたしね。 よくしてくださってました。

 

 その支店は、北海道から鹿児島まで全国にある、某100円ショップチェーンへの派遣業務を一手に引き受けていました。

 年末年始にスタッフが全員帰省してしまい、私が臨時で内勤スタッフを務め、支店長と2人で、支店に泊まり込みでこなしていたんですが、ハッキリ言って不可能な仕事量でした。

 全国100店舗近くから派遣依頼を受けて、地元支店へ詳細を連絡し、派遣の遅刻・欠勤の報告やクレームなどを受けなければなりません。

 なのに、他から応援がまったく来ない。慣れない仕事に、私が正月2日に高熱でダウンして、ようやくベテランスタッフの応援が来たほど。

 末端のスタッフは一生懸命やっていますが、六本木ヒルズでぬくぬくしているグッドウィルの上層部が、とにかく非情で仕方ない事実、こんなところからも浮かび上がってきます。

 

 ちなみに、データ装備費200円は、辞めるときに結局8万円ぐらい貯まってました。最初は「業務を紹介するまでに必要な電話代やFAX代」と説明されて、「そんなものを自分らから取るんですか?」と質問した覚えが。

 上京したてでお金がほしかったので、泣き寝入っちゃいましたが、最終的に全額返ってきたので別にいいです。

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