2012年8月26日 (日)

映画『死刑弁護人』を観て……

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 誰も引き受けないような凄惨な殺人事件の弁護人を請け負うことで知られる、安田好弘弁護士。彼の仕事ぶりと半生を終始取り上げたドキュメンタリー映画です。

 都内ではJR東中野駅前の「ポレポレ東中野」で今月いっぱい上映されています。

 

 ((参考エントリ)) 『最高裁ドタキャン弁護士 安田好弘さんの基礎知識』2006/03/24
 

 

 オウム真理教事件、和歌山カレー事件、光母子殺害事件という、日本で生活していれば誰もが知っているような数々の著名殺人事件の弁護を手掛けてこられました。

 私はこの人、単純な好き嫌いで言うと、好きなタイプの弁護士ではありません。

 確かに、刑事弁護人としての使命感は、日本でも指折りのものをお持ちだと思います。同時に多くの大事件を担当し、膨大な仕事量をこなし、日本中を駆けずり回っている。費用もほとんど持ち出しでしょう。
 それでも思い通りの判決が出ないことが多々あり、それでも信念を曲げずに貫いている。常にファイティングポーズを崩さない姿勢、エネルギッシュな行動力には敬意を表します。

 また、滅びの美学のような要素も感じますね。

 殺人事件は必要的弁護事件ですから、弁護士資格を持つ誰かが弁護人に就かない限り、有罪判決を出すことすらできない。それどころか裁判すら始まらないのです。

 その汚れ役を買って出るのは、並大抵での覚悟でできるはずがないでしょうし、刑事裁判の運営という公共的利益においても、一定の貢献をしているといえます。

 一方で、公判期日に欠席するなどの引き延ばし工作が目立つので、その点はマイナス材料という他ないですが、かといって永久に引き延ばすこともできないわけで、いずれは判決が出されるでしょうからね。

 

◆ 刑事訴訟法 第289条
1 死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮にあたる事件を審理する場合には、弁護人がなければ開廷することはできない。
2 弁護人がなければ開廷することができない場合において、弁護人が出頭しないとき若しくは在廷しなくなつたとき、又は弁護人がないときは、裁判長は、職権で弁護人を付さなければならない。
3 弁護人がなければ開廷することができない場合において、弁護人が出頭しないおそれがあるときは、裁判所は、職権で弁護人を付することができる。

 

 
 職権で付された弁護人は、どうしても「裁判長から命令されて、やらされてる感」が拭えないかもしれません。安田弁護士のような方のモチベーションの高さには敵いません。

 安田弁護士が強制執行妨害容疑で逮捕された際、彼の弁護人を引き受けたいと志願した弁護士が、全国から山のように押し寄せたと、作中で紹介されてましたし、人望は厚いのだと思いました。

 そうした事情を考慮しても、やっぱり苦手です。

 目的と手段を履き違えているところが。

 安田弁護士が担当した殺人事件のひとつに、1980年に発生した「名古屋女子大生誘拐殺害事件」があります。

 安田弁護士の献身的な努力むなしく、彼には死刑判決が言い渡されて確定したのですが、安田弁護士は「恩赦」の申し立てを助言して、死刑言い渡しそのものの取り消し、ないし軽減を求めようとしたんですね。

 しかし、彼の死刑は執行されます。恩赦の申し立てを検討している事実だけでは、死刑執行の可能性を止められないからです。

 

◆ 刑事訴訟法 第475条
1 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

 

 安田弁護士は、こういう主旨のことを述べて、当時を回顧します。
 

 「早く再審請求しておけばよかった。そうすれば彼はまだ生きていられた」

 「事実をでっち上げてでも再審請求すればよかった」

 事実をでっち上げてでも? ……その一言に心がズキンと痛んで、その後に作中で美談のように綴られている安田弁護士の弁護活動の様子も、素直に受け取れなくなっていました。

 もちろん、話に勢いがついて大げさな表現で述べたとも考えられますが、死刑判決を回避するために、なりふり構わぬ大胆な活動をする方なので、時間にすればコンマ数秒程度であろう「でっち上げ」発言を、どうしてもスルーできませんでした。

 あるいは、検察が事実をでっち上げてるから、「こっちもでっち上げて構わない」という確信がおありなのか。

 

◆ 刑事訴訟法 第1条
 この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。

 

 たびたび書いていますが、私自身も、究極的には死刑制度を廃止すべきだと考えています。
 とはいっても、あんまり理念的な考えに基づいているわけではなく、人を殺めるという取り返しのつかない過ちに落とし前をつける対価として、その者の「死」が本当に釣り合うんだろうか? という問いに基づいています。
 むしろ、遺族の悲嘆や怒り、諦観などの人間的感情に正面から向き合わせ、生きて苦しむべきではないかと。

 少なくとも、「国家権力を忌み嫌う感覚」からスタートして、権力を攻撃するネタのひとつとして採用する死刑廃止論ではありません。

 

 確かに、十分な社会的武器を持たずに虐げられている人のために、自らの力を貸すのが、民間における権力者である弁護士の望ましい姿だと思いますよ。一般論ですが。

 とはいえ、安田弁護士は自らの担当の刑事被告人に不自然に肩入れ過ぎていて、被告人が犯した罪の重大さ・凄惨さを敢えて、自らの行動原理から排除しているように思えるのです。被告人の冤罪を主張しているなら別ですが。

 安田弁護士が被告人に寄せる同情の仕方は、率直に申し上げて「没頭」や「自己投影」に近く、語弊があるかもしれませんが純文学的な印象を抱かせるんです。法律学は一応、社会科学なんですから。

 なので、犯罪被害者や裁判官・検察官・警察官など、それぞれの事件当事者・裁判当事者に対する立場への一定の目配りが抜け落ちている点にも、強烈な違和感があります。
 「敬意を表せ」とまでは言いませんが、せめて、それぞれの立場に配慮した発言や行動があるべきです。

 戦う姿勢は素晴らしいのですが、生身の人間を相手にして戦っているとは思えない営みに、うすら寒さを覚えるのです。

 人間を殺すのも人間なら、権力を動かすのも人間ですからね。

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2010年12月 7日 (火)

これだけ証拠が少なくても、裁判員は死刑を出せるか? 判決まであと3日

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((鹿児島老夫婦強盗殺人裁判 関連記事))
 桜島の夜明けでゴワス (2010/11/02)

 
 

>>> 否認被告に死刑求刑、裁判員3週間の重い評議へ

 裁判員の目の前で「絶対にやってない」と訴え続けた被告に、検察側が求めたのは死刑だった。17日に鹿児島地裁で結審した高齢夫婦殺害事件の裁判員裁判。重い判断を迫られる6人の市民たちは、12月10日の判決に向けて長く厳しい評議に入った。

 遺族の意見陳述には、蔵ノ下忠さん(当時91歳)と妻ハツエさん(同87歳)の4人の子ども全員が参加。「2人を殺してまで奪う物がありましたか」。強盗殺人罪などに問われた白浜政広被告(71)=写真=の前に立った長女(65)は、怒りで声を震わせた。忠さんが、育てた野菜などを子どもたちに渡すのを楽しみにしていたなどと語り、モニターに麦わら帽子姿で笑顔を見せる忠さんの写真が映し出された。

 三男(60)は裁判員に向かって「死刑をためらうかもしれないが、遺族の心の整理のためにも、死刑にすべき犯人は死刑にするしかない」と強い口調で述べた。

 続く論告で、検察官は「2人の遺体があった和室を、現場検証で見たときの状況を思い出してほしい。その光景は冷静に見られないほど残虐だったはず」などと裁判員に語りかけた。

 弁護側は最終弁論で、検察の立証に対する疑問点を書いた紙をホワイトボードに次々に張り出し、「ずさんな捜査で分からないことだらけ」と強調。「白浜さんの命がかかっている。納得するまで話し合い、一点の曇りもない結論を出してほしい」と呼びかけた。

 白浜被告は遺族の意見陳述にも表情を変えず、死刑求刑の瞬間も動揺した様子はなかった。最終意見陳述では「痛ましい被害に遭われたご夫婦には、一人の人間として心からご冥福をお祈りします」と述べ、「私のぬれぎぬを晴らし、苦しみを取り除いていただきたい」と訴えた。

 公判中、裁判員たちは硬い表情を崩さなかった。死刑求刑の際には、身を乗り出して白浜被告の方をのぞき込む人も。10日間の審理で、裁判員が裁判 官に話しかけ、裁判官が代わりに証人や被告に質問するような場面は度々見られた。ただし、裁判員が直接質問することは最後までなかった。 (2010年11月18日  読売新聞)


 
 

 先月2日から17日まで、鹿児島の現地で、全10回の審理のうち、傍聴券を入手できた6回、傍聴してきました。

 「絶対にやっていません」と淀みない口調で主張する被告人に対し、検察側が死刑を求刑した決め手としているのは、事件現場に残されていた指紋・掌紋・DNA。

 これだけ科学的な有罪証拠が揃っていて、しかも事件当日(2009年6月18日)に被告人の姿を見た人は誰もいないという事実があります。

 被告人は「パチンコでお金を使い果たし、クルマのガソリンもなく、居候していた姉とも顔を合わせづらいので、鹿児島市内を一日中散歩していた」と供述し、被告人質問では歩いたルートも地図で示しました。

 まぁ…… お金が無くて行くところもないので、急に散歩するっていう判断は自由ですが、こんなもんがアリバイといえないのは明らかです。

 また、7年前にコンビニ強盗の前科まであるところをみると、「こりゃ、やっぱり、この人がやっとるんじゃないか?」「ウソつきまくっとるんじゃないか?」と思えてきます。

 
 

 しかし、

 裏を返せば、指紋・掌紋・DNA以外で、被告人と事件を結びつける物的証拠がまるで無いのです。

 

【目撃者がいない】

 現場周辺は整備された道路が通っており、新興住宅地やアパートもあります。しかも、事件発生推定時刻の昨年6月18日(木)夜8時前後は、道路工事に伴う交通整理が行われ、作業員や警備員もいたそうです。

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 しかし、被告人らしき人物の目撃証言は皆無。 それどころか、窓ガラスが突き破られた音を聞いた人もいません。
 唯一の目撃証言は、夜11時ごろ、地元民しかわからない裏道を、殺害された老夫婦の次男らしき人物が歩いていて、クルマですれ違ったというもの。 ちなみに、その次男は法廷で「その夜は家で寝ていた」と述べました。

 

【金品が手つかずのまま】

 家人をすべて殺害しているんですから、本当に物取り目的なら、ゆっくり物色できるはずです。しかし、金庫には被告人の指紋どころか、いじった形跡すらありません。そのほか、整理ダンスなどに、現金が計10万円以上あったのに、まったく無くなっていないそうです。特に台所にはテーブルの上に小銭が4000円ほど、箱に置かれていたのに手を付けていないのです。本当に押し込み強盗なのでしょうか?

 

【被告人は、そんなに金に困っていなかった】

 たしかに、仕事が見つからないのに、2009年6月に支給された年金を、パチンコや飲み屋で3日で使い果たすなど、被告人の生活にはだらしない面があったようで、強盗の動機があったようにもみえますが、だからといって、今回の強盗殺人に結びつけるのは早計です。
 被告人は姉夫婦の家に居候していて、とりあえず衣食住には困らない生活をしていました。実際、預金残高が3桁(858円)の状態で、1カ月以上過ごした記録もあります。
 前科のコンビニ強盗は、消費者金融5社に返済を迫られて、追い込まれての犯行だったようですが、当時は消費者金融からの借り入れはなく、年金を担保にしての借り入れがあったのみで、激しい返済請求はありませんでした。

 

【逮捕当初から、一貫して否認している】

 被告人は逮捕された初日こそ黙秘していましたが、それからは一貫して否認を続けています。供述内容にもブレがほとんど無いようです。

 

【被告人は、被害者夫婦と面識がない】

 被害者宅の裏には山があって、その中腹に神社があり、家屋や庭を見渡せる位置にあります。被告人はその神社に少なくとも一度行ったことがある事実はあるようです。
 検察官は、神社から被害者宅を見下ろして、老夫婦しか住んでいなかったことを把握していたと主張しますが、遠くから眺めただけで、そこまで詳細な情報を読み取ることは可能でしょうか。

↓実際の風景 (ズーム無し)
↓中央が事件現場となった被害者宅の母屋
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【面識がないのに、殺害態様が残忍すぎる】

 被告人は、被害者夫婦や遺族のことをまったく知りません。なのに、被害者の老夫婦は、その家の庭にあったスコップで、計150回以上も殴りつけられたとみられます。ご主人のほうは部屋で寝ていたところを襲われたそうですが、壁じゅうに血痕が線状に残っており、犯人はスコップを勢いよく振り回したと推測されます。布団を持ち上げると、おびただしい量の血液が床にしたたるほどだったといいます。照明の蛍光灯も激しく割られていました。
 被害者夫婦に対して、特別な恨みがあった者の犯行と考えるほうが自然ではないでしょうか。

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【なのに、凶器のスコップから指紋やDNAが出ていない】

 検察官は、スコップが古く、表面が錆び付いていてザラザラしており、指紋が非常に付きにくい状況だったと主張します。また、鹿児島県警の指掌紋主任鑑定官は、「凶器には、かえって指紋が付きにくいもの。人の身体に勢いよくぶつけることで、握った部分が動くので」とも証言しています。
 これに対し、主任弁護人は最終弁論で「バットを150回も素振りしたら、皮膚がこすれたり、まめが出来て潰れたりするだろう。スコップに犯人のDNAぐらい残っていてもいいのではないか」と主張しました。ちなみに、凶器として使われたスコップの重さは約1・6キロ。一般的なバットよりも重いですね。

 

【前科のコンビニ強盗とは、犯行態様がだいぶ異なる】

 被告人の前科であるコンビニ強盗致傷は、灯油入りのお手製の火炎びんを持ちこんで、店員にやけどを負わせたというもの。結局お金が取れなかった点は似ていますが、今回のようなまがまがしい暴力は手段として用いられていません。
 火炎びんにしても、投げつけるでもなく、最終的にはコンビニの床に立てた状態で置いて、現場から逃走しました。しかし、店員に追いかけられ、現行犯逮捕されています。当時は軍手も着用していましたから火炎びんなどに指紋も付着しません(ただし、被告人は軍手をはめていた理由について「火炎びんが熱くなるんじゃないかと思い、仕事で使っていたクルマの中にたまたまあったのを使った」と供述していますが)。
 今回の強盗殺人事件のあった6月18日の直前5日間ほど、被告人は行方をくらませています。しかし、その翌日を境に、被告人は姉の家に戻ってきて、年金を使い込んでしまったことを謝罪し、同居を再開しました。そのまま逃亡を図ろうと思えば逃げられたのに、です。
 この「逃亡を図っていない点」は「強盗に失敗したから、お金に困って姉を頼った」と考えることもできますので、検察の主張を崩すまではいきませんが、そもそも強盗に失敗する要素があったのかどうか不明です。

 

【指紋・掌紋の発見場所が偏っている】

 犯人の侵入口(だと検察側がみる)「掃き出し窓」のガラス破片に指紋1点。整理ダンスの引き出し面に左右の掌紋5点。その引き出しに入っていた契約書封筒に掌紋1点。整理タンス下に散らかっていたメガネ店のチラシなどに指紋が計4点。以上11点が被告人のものと一致しています。
 しかし、犯罪現場はたくさんの部屋がある立派な民家なのに、それ以外に被告人の指紋や掌紋が残っていないというのは、痕跡として少なすぎないでしょうか。整理ダンス周辺だけに、11点中10点が集中しているのも不自然です。しかも、チラシや紙袋などメガネ店関連品4つに、被告人の左手人差し指の指紋が1つずつ付いているのも奇妙です。

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【被告人の指掌紋ばかり多い】

 現場から発見された被告人の指掌紋は、判別できるものだけで11点。その一方、現場を住居として長年住んでいた被害者妻の指紋は10点、夫の指紋は2点しか発見されていません。

 

【ガラス片の指紋の不自然さ】

 スコップで突き破られた掃き出し窓のガラス破片のうち、大きめの2つは、窓のそばの壁に丁寧に立てかけられていました。法廷では便宜上、それぞれ「四角ガラス片」「三角ガラス片」と呼ばれていましたが、三角ガラス片にのみ、表面を指が滑ったような指紋が1つ残っていました。それぞれ1枚ずつ運んだのであれば、四角ガラス片にも指紋が付くはずですので、2つ同時に運んだのでしょう。だとすると、2つ合計で約1.6キロの重さがありますので、運ぶのに両手を使ったのではないかと思われます。だとすると、左右の手に同じ重力がかかるわけですから、指紋も2つ以上付いていたほうが自然です。

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【被告人のDNAが見つかったのは、細胞片1つだけ】

 現場から見つかった細胞片のうち、DNAが検出されたのは886点。そのうち、被告人のDNAと一致したとされるのは1点だけです。スコップで突き破られた掃き出し窓の網戸の破れて尖ったところに引っかかっていた皮膚片だそうです。検察側は、その網戸の破れ目から手を突っ込んで、窓のクレセント錠を開けようとしたときに付いたと主張します。
 弁護人は、「網戸の破れ目に付くくらいなら、もっと鋭く尖ったガラス片にも、細胞片が付いていてしかるべきではないか」と主張します。

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【被告人の履いていた靴の足跡が見つかっていない】

 現場室内で見つかった、いくつかの足跡は、鹿児島市内でも普通に売られている安全靴と一致しました。被告人が普段履いていたのは、ニューバランスのスニーカーですが、その足跡は現場で見つかっていません。被告人は内装やリフォームの仕事をしていましたが、安全靴は一切使わないそうです。唯一履いたのが、東京で工事現場の仕事をしていたときだそう。

 もちろん、「事件が大々的に報道されたのを見て、証拠隠滅のために捨てた」と考えることもできますので、有罪を崩す決め手としては弱いのも確かです。
 ただ、弁護人は最終弁論で「現場の庭では足跡が40個も見つかりましたが、そのうち、安全靴の足跡はひとつもない、これも不思議です」と主張しています。たしかに不思議です。

 

【被告人の関連品に痕跡なし】

 被告人のクルマの中には、血液も蛍光灯ガラスのカケラも見つかっていません。わずかに蛍光反応はあったみたいですが、本件との結びつきは不明です。
 被告人の衣服や靴にも血液反応がみられませんでした。
 検察官は、「犯行時の衣服は捨てた」と主張しています。たしかにそれはありうるでしょう。

 

【警察の証拠集めがズサン】

 最もよくわからないのは、現場から見つかった状態での指紋や細胞片が、写真で残されていない点です。整理ダンスから採取したのなら、そのプロセスを写真撮影する。網戸から見つかった皮膚片なら、その付着状態を撮影する。これをやらなければ、その指紋や細胞片が本当に事件現場から採取されたものだという証拠にはなりません。

 また、皮膚片から採取したDNA溶液を全量消費しており、当時と同じ状況での再鑑定が不可能な状態にあります。これは犯罪捜査規範186条に違反します。足利事件のDNA鑑定と同じ失態を何度繰り返す気なのでしょうか。
犯罪捜査規範 第186条(再鑑識のための考慮)
 血液、精液、だ液、臓器、毛髪、薬品、爆発物等の鑑識に当たつては、なるべくその全部を用いることなく一部をもつて行い、残部は保存しておく等再鑑識のための考慮を払わなければならない。

 DNA鑑定が「6月22日終了」と書かれたDNA鑑定書の作成日付は、なぜか「7月10日」となっています。被告人の逮捕後ですね。どうして鑑定書作成をこんなに先延ばししたのか疑問です。「6月22日」という鑑定終了日は虚偽ではないか、被告人の逮捕後、細胞採取後にDNA鑑定したのでは?という疑問すら湧きます。 さすがに決めつけることはできませんが。

 DNA鑑定データ(エレクトロフェログラム)は、パソコンを介して出力されますが、その日付データは、パソコンの内蔵時計と連動しているので、「変更することは可能」と、DNA鑑定人自身が法廷で証言しました。

 現場には、警察官の足跡が7つ、鑑識官が残したと見られる指紋様の払拭痕が3つ、台所の床などにはチョークなどの線が残っていて、実況見分時の現場保存もズサンです。

 弁護人は最終弁論で「指紋が被告人のものと一致したということで安心し、ズサンな捜査しかしなかったのではないか」と指摘しています。

 

<以上より>
 弁護団は「指紋やDNA鑑定の捏造の可能性」「足跡などの偽装工作の可能性」を指摘しています。 ただし、真犯人が捏造したのか、それとも警察が捏造したのかは、あえて特定を避けました。

 これを検察側は「荒唐無稽な主張だ」と一蹴していますが、果たして荒唐無稽とまで言い切れるものかどうか?

 特にDNAは「被告人から採取した唾液をとって塗りつければいい」ので、目に見える指紋や掌紋よりも偽造が簡単だと、弁護側は主張します。 また、警察で新たに開発された指紋採取道具「JPシート」を使えば、採取した指紋を別の場所へ転写することも、「可能かどうかと聞かれれば可能」だと、県警の指掌紋主任鑑定官が証言しています。

 たしかに、足利事件と違って、被疑者が長い間見つからずに迷宮入りしていたわけではないので、捜査機関の側にインチキ有罪証拠を作り上げる動機が薄いのも確かですが……。

 やっぱりよくわかりません。

 

有罪か無罪か、よくわからない場合は、無罪判決を出す。 これが「推定無罪」という刑事裁判の基本的ルールです。

 

 先月、2週間にわたって裁判を傍聴し続けたので、本当は細かい情報を挙げようと思えば、まだまだ盛りだくさんあるのですが、キリがないのでこの辺りにさせていただきます。

 皆さんも、金曜日に示される判決に注目していただきたいと思いますね。

 「無罪を出すべきだ」と積極的に言い張るつもりはありませんが、「この程度の証拠しかないのに、有罪にしちゃいけない」とは思っています。

 では、また鹿児島へ行ってきます!

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2010年10月12日 (火)

日本に近い刑事裁判システムの米フロリダ州で、冤罪が次々に発覚!?

 「冤罪なんか他人事だ。 怪しまれるような生活を送ってるから捕まるんだ」

 「100%完璧なシステムなんてありえない。 安全な社会を最低限成り立たせるため、誰かが一種の犠牲、人柱を引き受けなければならない」

 

 ……ところで、皆さんは、社会の犠牲となって死ぬ覚悟はあるでしょうか。

 もし、誰かから、

 「ナガミネくん、一肌脱いで、この世界の人柱になって死んでくれたまえ」

 と命じられたなら、当然ギリギリまで拒み続けますし、自分の代わりに誰かいないか調査を求めると思いますが、

 どうしても私以外にはいないのなら、最終的には、ひとつだけ条件を付けるかもしれません。

 

 「代わりに、ナガミネを“伝説の大英雄”としてめちゃくちゃ祭り上げて、崇めたてまつって、皆の衆に永遠にナガミネを尊敬してほしい!!」と。

 

 必死さのあまり、かなり痛々しいことを口走るでしょう。

 同じ理不尽でも、人殺しだと世間に勘違いされたままの残酷な人柱になるのは、絶対に御免です。

 

 

 裁判員制度の下で、初めて死刑判決が示されるのも、そろそろ時間の問題となってきています。

 

● 来週の水曜日に東京地裁で初公判を控える、秋葉原「耳かきエステ」店の人気従業員と、その祖母の殺害事件。

 こちらは、店の常連客だった男の犯行で、罪を認めています。精神鑑定の結果がまだ公表されていませんが、これから法廷で明らかにされるのでしょう。判決は11月1日。

● 横浜地裁では来月、強盗殺人と覚せい剤密輸を犯した被告人の裁判が始まります。こちらも検察によって死刑が求刑されるのはほぼ確実でしょう。判決は11月16日。

● そして、鹿児島地裁では、資産家のお年寄り2人を殺害した70歳の男が、強盗殺人の罪で起訴されています。

 私はこの裁判を取材するため、鹿児島に2週間以上滞在する予定ですが、こちらの被告人は「やっていない」と無罪を主張し続けています。裁判員は「死刑か無罪か」という究極の選択を迫られることになりますね。初公判は11月2日、判決は12月10日です。

 さらに、この被告人は7年前に千葉で犯した強盗致傷の前科があるので、非常に難しい判断が求められます。

 もちろん「怪しい」のは確かですが、強盗の前科があるからといって、今回の強盗殺人をやったと結びつけられるほど、真相の解明は簡単ではありません。

 
 

 死刑囚の冤罪が後で判明して、無罪釈放された例は、国内では過去に4人います。

 言うまでもありませんが、裁判で濡れ衣を着せられた死刑囚の刑が執行されたら、もはや取り返しが付きません。「飯塚事件」の死刑囚は冤罪だったとの指摘もあります。

 だから、特に無罪を主張している被告人に死刑が求刑された場合、裁判員は、慎重に慎重を期して判断しなければなりません。

 話し合いの結果、有罪が多数派を占めたのなら、「無罪」だという意見を出した裁判員も、刑罰の内容を決める量刑判断に参加しなければならない、という理不尽もあります。

 こと、凶悪事件の裁判員裁判に関しては、「審理を分かりやすくして一般人の感覚で判断」なんて、生やさしい問題ではなくなると思います。

 

 先日、国会の議事録サイトを検索して読んでいましたら、気になる議論を見つけました。

  

>>> 参議院 - 法務委員会 - 平成21年04月16日

○近藤正道君 それでは、残りの時間は裁判員制度のことについてちょっとお聞きをしたいというふうに思っています。
 前の委員会で、私は、裁判員はその量刑についても判断を下さなければならないと。ところで、世界の国々を見たときに、国民が刑事司法に参加をしていて、そして死刑制度があって、そして量刑で多数決を採っているところ、これはアメリカのフロリダ州しかないんではないかと、こういうふうに質問をいたしました。そうしたら、大野刑事局長、フロリダ州とアラバマ州、この二つがそうではないかと、こういう答弁がございました。
 そこで私、その後、またいろいろこれ調べてみましたら、アラバマ州は多数決なんだけれども、単純多数決ではなくて特別多数決なんですね。ですから、刑事司法への国民参加があって、そして死刑という制度があって、そしてその死刑の量刑について単純多数決を採っているところ、特別じゃなくて単純多数決を採っているところはアメリカのフロリダ州だけ、このことに間違いはない。そこへ今、今度は日本も加わろうとしている、こういう現状だと思うんですが、間違いないでしょうか。

○政府参考人(大野恒太郎君) アラバマ州については、委員御指摘のとおりでございます。多数決ということであれば多数決でありますけれども、単純多数決ではございません。単純多数決ということで私どもが把握しておりますのはフロリダ州だけであります。
 ただ、何分にも外国の制度を網羅的に、完璧に把握しているわけではございませんので、それ以外に全くないかと言われると、それは分かりませんけれども、取りあえず私どもが把握しているのはフロリダ州ということになります。

○近藤正道君 私も余り勉強はしていないんですが、国会図書館とかいろんなところに、調べてみましたら、刑事司法への国民参加があって、死刑制度があって、単純多数決で死刑の量刑を決めている、この3点セットのそろっているのはフロリダ州ただ一つ、これはどうも間違いないようでございます。そこに日本が参加をこれからしていくということであります。
 ところで、アメリカのNGOが死刑情報センターというのをつくっておりまして、ここで死刑と冤罪の関係をいろいろ調べているんですが、実はアメリカでDNA鑑定によって1973年から今年の4月8日まで、実に131人の死刑囚が無罪と判明したと。これは、伊藤和子さんという弁護士がいろいろ詳しく紹介をしているんですが、アメリカでDNA鑑定を入れたら大変な死刑囚、無罪と判明したという驚くべき事実が出ておるわけでございます。
 その中で、実にフロリダが最も多いんですよ。22名だというんです。非常に突出してフロリダが多い。このように、冤罪が多発するという状況が分かって、同じ3点セットを取るフロリダがそうなら日本でもこういう事態は起きないのかなと俄然不安になったわけでございますが、法務大臣、裁判員制度の設計に当たって、日本と全く同じ制度を取っているフロリダの実態について調査はされたんでしょうか。

○国務大臣(森英介君) フロリダ州の死刑制度については、例えば死刑又は無期懲役となる事件について、先ほどお話がありましたように、陪審は過半数の一致により量刑の意見を決定すること、また、2007年の年末時点で死刑囚は389人であること、さらに、死刑は注射又は電気処刑で執行されることなどは承知しておりますが、それ以上の運用実態の詳細や、制度をめぐりどのような議論が行われているかについては承知をいたしておりません。すなわち、調査を行っておりません。


 もちろん、一般庶民のみで裁くアメリカの陪審制と、プロ裁判官と一緒になって裁く日本の裁判員裁判とを、単純に比較することはできません。

 死刑情報センターなるNGOが、DNA鑑定を駆使してどのような手法で過去の冤罪を暴いていくのかも、よくわかりません。

 足利事件の例や、最近では検察のデータ偽造事件もありますから、今やDNA鑑定すら完全に鵜呑みにはできません。 困ったものです。

 

 ただ、

 日本の裁判員裁判システムと同様に「単純多数決で死刑の量刑を決めている」フロリダ州で、冤罪の死刑囚が多く生まれているのではないか、との指摘は決して無視できませんね。

 せめて、死刑判決を出すときには、裁判員6名と裁判官3名の「全員一致」で意見が揃わなければならないことを慣習化するなど、冤罪を防ぐために考えうる最大限の
歯止めをかける工夫が求められると思います。

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2008年5月 3日 (土)

文化放送が、5月6日午前10時より、死刑執行の模様を放送

 

>>> 死刑執行の音をラジオで放送 文化放送が5月に特別番組

 AMラジオの文化放送(東京)は、5月6日の報道特別番組『死刑執行』(仮題)で、実際に死刑が執行された時の音を放送する予定を15日、明らかにした。

 使用する音源は、大阪拘置所が昭和30年代、刑務官への教育などを目的に用意したテープだという。文化放送は「あらためて死刑制度を正面からとらえたい」としているが、議論を呼びそうだ。

 文化放送によると、市民が刑事裁判に参加する裁判員制度のスタートを来年5月に控え、死刑執行の現状を伝えることが必要だと判断。「過度な演出は避け、死刑囚のプライバシーに配慮して放送する」という。

 番組は午前10時から55分間の放送予定で、死刑執行にかかわったことのある刑務官や拘置所職員の話などを交え構成する。(産経新聞) 2008.4.15


 

 ロープがきしむ音まで入るそうですね。 ……えらいこっちゃ。 たしか、10秒間つるしておくんでしたっけ。


▼=================== 後日追加 2008.5.5 

◆ 刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律 第179条(解縄)
 死刑を執行するときは、絞首された者の死亡を確認してから5分を経過した後に絞縄を解くものとする。

▲=====================================

 

 私は仕事柄、耳をかっぽじって聴く義務がありそうですけど、いい気分ではないでしょう。 決して。

 でも、現実に起こっている出来事ですからね。

 文化放送の電波が届かない地域に住む友人から「一度聴いてみたい」と言われているので、ラジオをデジタル録音するための機材も買いました。 それほど大げさでなく、USBでパソコンとつなぐ接続コードみたいなものですが、いくら古い時代の音声とはいえ、たぶんこれで十分でしょう。

 たしかに、極めて重い放送内容に違いありません。 踏み絵みたいなものかもしれません。

 たとえが相当かどうかわかりませんが、たとえば原爆資料館で展示されたむごい写真を直視できず、うろたえていれば、「そんなに気味悪がったら、被爆者に申し訳ないと思わないか」「われわれは歴史の真実から学ばねば」といった、正しさという名の無言のプレッシャーを感じるかのような。

 まさか、この文化放送の挑戦について「死刑制度のむごさばかり強調するのは不公平だから、殺人現場の音声も並行して放送すべき」と主張する人は、たぶんいないと思いますが、まずは、裁判員のひとりとして、一般人が目の前の被告人に対して「死」を宣告する意味と覚悟について、大型連休の最終日に想像してみるのも、いかがでしょうか。

……とは、あんまり気軽にオススメできませんが。

 

 もともと、死罪は一般に公開されなければ意味のないものでした。 古今東西の権力者にとって、その権力を誇示する「見せしめ」としては絶好の機会だったとされます。

 公に見せることが前提のため、昔の処刑方法のバリエーションは豊富。 マスメディアがほぼ皆無の時代では、相当にインパクトの強い方法を選ばないと、権力の威圧感が世間へ浸透していかないはずです。 まるで祭りのような雰囲気で執行される場合もあったようですね。

 アメリカでは、今も公開処刑がされている州があるといいますし、現代的・国際的な「見せしめ」としては、独裁者の公開処刑もあります。 サダム・フセインについては記憶に新しいところです。 ちょっと古いところではチャウシェスク。

 一方で、現代の日本では、徹底して秘密裏に執行される死刑。

 いったい何を隠そうとしているのか。 ひた隠してまで執行する意味は何か。 死刑判決の増え方に比べ、死刑執行命令の回数が追いついていないのはなぜか。

 これらの疑問を解く糸口となりうるかどうかは未知数ですが、貴重な史料であることには間違いありません。 覚悟して耳を傾けることにします。

 文化放送の可聴地域(関東地方 1134kHz)にお住まいの方はぜひ。

 文化放送はネット配信の手段も持ってますけど…… ネットには乗らないかな。

 このたび、地上波で一般に公開される音声は、はたして私たちに何を伝えるのか。 少なくとも、法律の条文からは感じ取れない営みなのでしょう。 きっと。

 
 

◆ 刑法 第11条(死刑)
1 死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する。
2 死刑の言渡しを受けた者は、その執行に至るまで刑事施設に拘置する。

 

◆ 刑事訴訟法 第475条
1 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

 

◆ 刑事訴訟法 第476条
 法務大臣が死刑の執行を命じたときは、5日以内にその執行をしなければならない。

 

◆ 刑事訴訟法 第477条
1 死刑は、検察官、検察事務官及び刑事施設の長又はその代理者の立会いの上、これを執行しなければならない。
2 検察官又は刑事施設の長の許可を受けた者でなければ、刑場に入ることはできない。

 

◆ 刑事訴訟法 第478条
 死刑の執行に立ち会つた検察事務官は、執行始末書を作り、検察官及び刑事施設の長又はその代理者とともに、これに署名押印しなければならない。

 

◆ 放送法 第3条(放送番組編成の自由)
 放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

 

◆ 放送法 第3条の2(国内放送の放送番組の編集等)
 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
  1.公安及び善良な風俗を害しないこと。
  2.政治的に公平であること。
  3.報道は事実をまげないですること。
  4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

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2006年2月 4日 (土)

「極刑」としての終身刑 ― 生きる刑罰

 いきなり、なんとも物騒なタイトルで、すみません。

 日本の大量殺人のワースト記録とされる「津山の三十人殺し」の都井睦夫(21歳)は、1938年5月、1時間足らずで30人を殺害し、猟銃自殺を遂げている。その遺書には、「僕は幻滅の悲哀を抱き、淋しくこの世を去っていきます」とある。そこで行きがけの駄賃に、日頃の恨みを晴らした。30人も殺害しておいて「身を以て償う」とは、恐るべき傲慢さではないか。

( 佐木隆三「人が人を裁くということ」より )

 佐木氏は、「死刑の廃止」が持論の方です。おそらく、「誰かの命を、キサマなんぞの薄汚れた命で埋め合わせることなど、到底できまい」というニュアンスは込められていそうですね。なんとなく、武論尊先生が好きそうなセリフではあります。

 こんなことを書くと誤解を受けそうなので、どんどん書いていきたいんですが、1938年と現代とでは、「生きる」という奇跡の重みが変わってきているようにも思えるんです。「生きるのがやっと」の時代に比べれば、私なんか、ロクな収入にならんのに好き勝手なこと書き散らかして、平日の昼間から観たい裁判を傍聴して、幸せなもんです。心配事といったら、来月の家賃が払えるかどうかぐらいです。

 弱冠30男などが達観したフリで言うようなことではないでしょうが、たぶん、「生きる」ことのほうが辛い。小学校に乱入して、8人の未来を身勝手に奪った男は「はやく死刑にしてくれ」と懇願し、法務省もその願いにいち早く応えましたね。国家の最高刑が、犯罪者へのアフターサービスになってどうするんですか。そんなギャグ、笑えませんよ。

 だとしたら、この“人生80年”時代、刑罰も見直されるべきなんです。死刑存置でも廃止でも、どっちでも構わないので、とにかく死刑より厳しい位置づけで「生きる刑罰」を置くと。

 今、死刑と無期懲役(「無期」とは名ばかりで、20年かそこらで仮釈放される)の間に、だいぶ処遇の開きがあるので、その両者の間隙を埋めるべく(あるいは、死刑廃止の引き替えとして)終身刑を新設すべきかどうかが議論されています。
 たしかに、終身刑はエゲツない刑罰かもしれませんね。自ら命を絶つことも許されず、残りの人生を孤独に、娯楽ひとつ無い場所でやり過ごしつづけるのです。個人的には、その「非人道性」は、絞首刑を超えていると考えています。
 「死刑に犯罪抑止力はない」という、証明が事実上不可能な説を信じる方々も、恐怖の終身刑が導入されるのなら、その一般予防力に納得がいくのでしょう。また「後で冤罪だと判明した場合に取り返しが付かない」というのが、死刑という刑罰の最大の弱点ですが、受刑者を生かしておけば、その批判はなんとか弱まります。繰り返しになりますが、生きることのほうが辛いのです。

 ただ、「生きる刑罰」は、この終身刑をさらにエグく発展させたものです。大勢の人々の生命を奪った者、そのひとりの命を断つことでは、犯罪被害を償うには足りないのです。そうです。そんな考えは傲慢きわまりないんですよ。だったら、奪った命のぶんだけ、受刑者には生きていてもらおうではありませんか。

 人生80年です。 小学生を8人殺したのなら、ひとりにつき約70年の人生が踏みにじられたとして、受刑者には、あと560年生きていただきましょう。
 アメリカなど諸外国では「禁固999年」など、しばしば冗談みたいな刑期が設定されて話題を集めます。さすがにそんな刑期を満了することなど生物学上ありえませんので、事実上の終身刑として機能しているわけです。

 しかし、「生きる刑罰」は、マジです。現代医療で実現できる、ありとあらゆる延命措置を講じて、しゃにむに560年生きていただきます。もちろん、薬剤をジャブジャブ投与することによって、精神を安定・平穏に保ちながら。 これが死刑を超える最高刑、「延命刑」でございます。医学の発展にも寄与する、新時代の刑罰。「死刑は国家による殺人だ」と断じる佐木氏にも、ご納得いただけることでしょう。

 ただ、「延命刑」の受刑者がすべて収容されるだけの施設規模が確保できるのか、そこは課題でしょうか。「収容しきれないから、一部を死刑に……」というのでは、なんとも人道に反しますから。

 

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2005年11月 4日 (金)

サインしません

 杉浦法相が31日の初登庁後の会見で、死刑執行命令書に「サインしない」といったん明言し、1時間後に撤回した問題で、同法相は1日の閣議後会見で「舌足らずというか、もう少し説明すべきだった」と改めて釈明した。また、一連の経緯を小泉首相に説明したところ、首相から「気を付けて下さい」と、閣僚として発言に注意するよう指示されたことも明らかにした。
 法務省によると、法相が就任時に死刑執行命令拒否を明言したのは異例で、「おそらく初めて」という。(読売新聞)2005/11/02

杉浦正健 公式サイト

杉浦法相 画像(時事通信)

【参考過去ログ】
 刑事訴訟法475条(2005/06/09)

 

◆ 刑事訴訟法 第475条
1 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。(※以下略)
 
 
 
 
 もう、皆さんすでにご存じのニュースでしょう。単に、私が乗り遅れてしまっただけです。
 死刑執行を巡っては、1990~91年に法務大臣を務めた左藤恵氏が、宗教上の理由で拒み、この期間を含む89年11月~93年3月には執行がなされなかったことがあります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「サインしない。私の宗教、哲学の問題」「(死刑制度は)廃止の方向に向かうのでは」

 ↓1時間後

「私個人の心情を吐露したもので、法相の職務執行について述べたものではない」

 ↓1日後

「法相の職務にはあらゆる要素を加味して、厳正に対処しなければいけない。個人の心情で動かされるべき問題じゃない」「職務執行に当たっては個々の事案、千差万別なので、そういうものを十分、大臣としての職責を検討したうえで判断する」

 ↓だけど

「他人の命を奪うということは、理由を問わず『許すべからざることだ』という気持ちが根底にある」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 悩みに悩んでいる様子は、人間らしくて結構なんですけれども、「結局どないやねん」と言いたくなるのも確かです。死刑執行命令書に「サインしない」というのが「法相の職務執行について述べたものではない」という発言が特に意味不明ですし。命令書へのサインは、法務大臣にしか許されていない特命なのですよ。

 
 昨年5月30日、官房副長官だった杉浦氏は、曽我ひとみさんと面会したことがありました。北朝鮮に残る夫のジェンキンスさんと娘2人との再会実現について、話し合うためです。杉浦氏は、金正日総書記が提案した北京での再会を望んでいたんですが、曽我さんはかねてから「中国で面会したら、私も一緒に北朝鮮へ連れ戻されてしまう」と拒絶しており、すれ違いが予想されていました。
 しかし、杉浦氏は面会後、報道陣に向けて、曽我さんが北京での面会を容認したと発表したのです。「意向は十分聞き、信頼関係ができた」とも強調していました。翌日、杉浦氏の発言に驚いた曽我さんは、佐渡市を通じ「私の真意について」とする声明を発表。その中には遠回しながら「できれば北京以外で再会したいと思います」との願いが込められていたといいます。

 うーむ、もともと、人騒がせな方なんでしょうか……。

 「私の宗教、哲学の問題」と語った杉浦大臣。先生は、浄土真宗大谷派の信徒だということですけれども。もうちょっと、突っ込んで調べてみたいものですね。

 一方で、われらが内閣総理大臣。

>>> 死刑制度「あっていい」

 小泉純一郎首相は1日夜、首相官邸で記者団に対し、死刑制度について「うん、あっていいと思いますよ」と肯定した。(時事通信)2005/11/02

 なんだか、軽いなぁ。 まるで「うん、あっていいと思いますよ。黄色いピーマンも」ぐらいの口ぶりです。



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2005年6月 9日 (木)

刑事訴訟法475条2項

◆ 刑事訴訟法 第475条
1 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。
 
 
 
 死刑確定から、わずか半年で法務大臣がハンコを押すという運用は、実際にはされておりません。死刑被執行者のページをご覧いただくとわかりますが、だいたい5,6年、長くて10年以上経過してから、忘れた頃に許可を出す形になっています。
 昨年、大阪の小学校乱入 児童殺傷事件で死刑判決を受けた囚人が処刑されました。死刑確定(控訴取り下げ)から1年が経過していたんですが、それを指して『異例のスピード処刑』と報じられていたほどです。

 なんだか、法務大臣だけが死刑に関して重責を担っているようですが、もちろんそんなことはありません。死刑を言い渡した裁判官、死刑を求刑した検察官、実際に絞首刑を執行する刑務官、法務大臣を任命した内閣総理大臣……。ひいては現在の法制度を享受するわれわれひとりひとりが、その『死』について責任を負っています。

 もちろん、刑が執行されないまま、何十年も拘置所で死刑囚として毎日を過ごす人もいます。これは形式的には違法状態なのですが、中には、再審請求が認められ、裁判のやり直しを行う場合もあります。死刑という刑罰の最大の弱点は、死刑囚がぬれぎぬを着せられていた場合に取り返しが付かないことです。

 私な、死刑という物騒な刑罰は、無いに越したことはなかろうと思っています。しかし、無いに越したことはないから無くすべきかは別の問題です。『死刑は国家による殺人だ』と主張する人は、仮釈放の可能性を断つ「終身刑」を、死刑の代替に据えようとします。では、終身刑は国家による殺人ではないのでしょうか。終身刑って、早い話が『軟禁殺人』ですよね。非人道の度合いに関して、どこかに根本的な違いでもあるのでしょうか。

 身勝手な殺人・死体遺棄事件が横行し、それらを憎み、恐れる気持ちを持っている以上、『国家による殺人』は、われわれ国民が引き受けて、抱えこみ、支えておかなければならない『罪』だと思います。それに、私はもう、『殺人事件もイヤだが、死刑もイヤ』と、無邪気なワガママを言えるような歳じゃありませんし。

 だからこそ、死刑が予告なしに行われたり、情報が隠蔽されたりしてもならないと考えます。死刑制度を支える責務を負う者は、死刑の現実を知る権利も持ててしかるべきです。(※当然ですが、なにも『公開処刑をしろ』と言っているわけではございません。念のため)
 
 
 
■ 南野法務大臣 就任記者会見 2004/09/27
 
 【Q】法務大臣になられると、必ず死刑の問題に直面すると思うんですけれども、その死刑制度に対する基本的なお考えと、その運用についてですが、先日執行された死刑は、確定から1年という短期間で執行になりました。この点について賛否もあったわけですけれども、どのように執行対象を選んでいかれるのか。

 【A】死刑についてどう考えているかということだろうと思いますが、いろいろな方々がいろいろなことをお考えになられると思いますが、大半の国民の方々もやはり死刑というものについてはいまだそのまま賛同している方が多いのではないかと思っております。そういう意味では、現在の法体系ということについて、さらに死刑はだめよということは今の時点では申し上げにくいことではないかなと思っております。
 それから、死刑執行に当たってどのように考えているかというお話でございますが、これは個別にいろいろな課題があろうかというふうに思っております。個別の案件につきましては、少し差し控えさせていただきたいというふうに思っております。この前死刑があったじゃないかというお話でもございましたが、その案件につきましても、これは個別の課題というふうに理解したいと思っておりますので、その件につきましては、どうぞご容赦いただきたいと思っております。

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