「政治とカネ」で話題になった、“1億円献金隠し”をめぐる村岡兼造氏の裁判。 私、無罪判決が出る瞬間を、今日初めてナマで見ちゃいました。 傍聴席から「ウワッ」と歓声がわいたり、報道記者がドタバタ出ていったり。 ちょっと興奮しました。
村岡さんは、2時間半以上にわたる判決理由の読み上げを聞きながら、顔を真っ赤にして男泣きしておられましたし、川口裁判長は「これからどうなるかわかりませんが、今晩ぐらいは桜を眺めて楽しまれてはいかがでしょうか」という言葉で、判決言い渡しを締めくくりました。 ひじ杖をついたり、顔にシワを寄せたりといった検察官の悔しそうな表情も印象的でしたね。
判決の中では、「瀧川証言は信用できない」「渡辺証言は信用できない」と延々と繰り返され、このような虚偽証言の理由を「派閥会長である橋本龍太郎氏に、刑事責任が及ぶのを避けるため」とハッキリぶっちゃけちゃいました。 ここまでケチョンケチョンに言われても控訴はあるんでしょうかね。
こうなったら、橋本さんを起訴してみます? ひょっとして、もう時効?
近ごろ、重要な法律系ニュースが立て続けに報じられて、更新がまったく追いつかない状態です。 すみません。
1999年7月10日、杉並区の盆踊り大会に参加していた男児(4つ)が転倒。持っていた綿あめの割りばしをのどに刺した。救急車で三鷹市の杏林大医学部付属病院に運ばれる間も、嘔吐を繰り返し、意識レベルも低下していた。
担当医(37)は、消炎鎮痛剤(塗り薬)をつけただけでCTスキャンなどはせず、家に帰した。 翌朝、男児の容態は急変。頭がい内損傷で死亡した。
この男の子から、笑顔と将来を強引に奪い去ってしまった不幸な事故。 それから3年以上が経過した2002年8月、担当医師は業務上過失致死容疑で在宅起訴されることになります。 立件まで3年かかっているという事実こそ、被告人を有罪にするため、かなりの無理をしていたんじゃないかな、と思わずにはいられません。
そして、おとといの一審無罪判決。 出したのはなんと、今日と同じく川口政明裁判長だったのです。
◆ 刑法 第211条(業務上過失致死傷等)
業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。(※以下略)
ここにいう『業務上』とは、
- 社会生活上の地位に基づいて行われていること
- 反復継続して行われていること
- 人の生命・身体の危険にかかわること
……の3つを満たして初めてあてはまる、と考えるのが判例です。医師という資格に基づく医療行為は、当然『業務』に該当します。 そして、『人を死傷させた』という結果も生じています。
問題は、その担当医師が『必要な注意を怠』っていたといえるか。言い換えれば、業務上過失致死罪としての『過失』があったのか? 男児の死亡という不幸な結果の責任を、その医師にかぶせるべきなのか?です。
◆ 刑法 第38条(故意)
1 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
もともと刑事法というのは、「わざと」やったことを処罰するための決まりごとでして、「うっかり」やってしまったことを処罰するのは、むしろ例外的な位置づけなのです。
「わざと」他人の物を壊すのは器物損壊罪ですが、「うっかり」他人の物を壊してしまった行為を処罰する規定はありません。 もちろん、民法的には、その持ち主への弁償(損害賠償)が問題になり、道徳的には謝罪をしなければならないという話にはなるでしょうけど。
残念ながら、刑法は「過失」「うっかり」ということについて、それほど一生懸命には規定していないのです。 それこそ刑法を作った立法府の「うっかり」なのかもしれませんし、テレビもねえ、ラジオもねえ、クルマもそれほど走ってねえ文明開化の時代に、「業務上の過失ぐらいキッチリ定義しておけ」と求めるのは酷ともいえます。
しかし現代は、危険性と引き換えに便利さや効率、有用性を求める数々の道具であふれています。 光が強くなれば、影もまた色濃くなるのが世の常。 ひとたび「うっかり」が生じたときに、計り知れないほどの被害が生じることも少なくありません。 にもかかわらず、「うっかり」の責任を誰も取らない、というのではマズい場合もあるでしょう。
そこで、言い方が足りない「口ベタ」な刑法に代わって、裁判所や刑法学者たちが、『過失犯とは何ぞや?』を懸命に探してきたわけです。
刑法211条『必要な注意を怠り』という言葉の意味ですが、これは「客観面(見た目)」と「主観面(気持ち)」に分けて考えることになっています。そして、主観面での「必要な注意を怠り」こそが「過失」であり、裁判所で通じる用語としての「うっかり」です。
法律的には、過失犯というのは以下のように解剖されています。
<客観ジャンル(見た目)>
1.「原因となった行為」(※目に見える『必要な注意を怠り』)
2.「結果」 (※『人を死傷させた』)
3. 1と2の間にある「因果関係」 (※『よって』)
<主観ジャンル(気持ち)>
4.「過失」 (※目に見えない『必要な注意を怠り』)
この事故において、1「原因となった行為」は、男の子を診察して入院もさせずに帰した事実です。2「結果」は、男の子が力尽きてしまった事実。では、その両者に 3「因果関係」はあるのか。これは立ち止まって考えてみる必要がありそうです。 ……が、いったん置いておきます。
次に、メインである4「過失」ですが、こいつはさらに細かく分けられます。
A.結果を予見できた可能性があったこと
B.結果を予見する義務を怠ったこと
C.結果を回避できた可能性があったこと
D.結果を回避する義務を怠ったこと
ここにいう「結果」とは、もちろん2の『人を死傷させた』結果です。
もう…… どこまでミジン切りにしてくれるのかと、昔から刑法が苦手な私は悲しくなってくるのですが、処罰すべき人をキッチリ処罰し、処罰しちゃいけない人を決して処罰しないようにするためには仕方のないマニュアルです。
……それはわかってるんです。それはわかってるんですが!
A.死亡結果の予見可能性があった?
B.死亡結果を予見する義務を怠った?
まず本件では、男児が転んで割りばしをのどに刺してしまったときの状況を、母親はまったく見ていなかった、という事情があったようです。 なので、割りばしが折れて、一部が体内に残っていることについて、母親も駆けつけた救急隊員も意識していなかったのです。お母さんは、気が動転して冷静でいられなかったのは理解できますけれども。
当時、救急隊員から病院は、男児の状況について「二次救急相当」と伝えられていたとのことでした。 この「二次救急相当」とは、ただちに救命救急措置を必要とする状態ではない、という意味だそうです。
消防署長の署名で裁判所に提出された回答書には、「意識清明 散瞳なし 対光反射あり バイタルサイン異常なし」という救急隊長の判断が書かれています。 まさか脳が致命的なダメージを受けているとは夢にも思わなかったに違いありません。
「男児がのどを箸で突いた」との連絡を受けたのは「皮膚科の講師」だったそうで、その連絡を聞いた皮膚科講師は「のど(首)の外側表面をケガした」と解釈したらしく、形成外科の受診を手配していたといいます。 到着した救急隊が、「耳鼻科の受診」と再度申し出ることによって、耳鼻咽喉科医である被告人が呼ばれることになります。
ほんとうに、この担当医師のみが全面的に重たい責任を負わされるべき事例なのでしょうか。 言っちゃ悪いですけれども、うちのおふくろ、わが子に外で立ち食いなんかさせませんでしたよ。 夏祭りで綿アメを食べるのもいいですけど、最低限の「行儀」を保つ意味でも、ベンチに座らせて食べさせておけば、割りばしをくわえたまま転ぶことも無かったでしょうに。
以上のように、本件に至るまでには、さまざまな人たちが関わり、複雑に絡み合った状況があったようなのです。 にもかかわらず「詳細な問診によって割りばしが見つかっていないことの聴取を怠った」というふうに一方的に被告人を責めたててしまう、その検察官の態度ははたして妥当だったのかどうか。 いくら被告人を問い詰めることが仕事とはいえ、ですよ。 そこまで厳格な結果責任を負わされたら、救急医療なんて怖くて誰もやりたがりません。
さらには、体内の割りばしというのは、レントゲンでは発見できないのだそうです。釘などの金属ならX線を通さずにハッキリ映るんですが。 CTスキャンでは、ボンヤリ映るそうですが発見は難しい。 それ以前に、CTは幼児の身体に悪いそうで。 なにしろ放射線を浴びせますのでね。
割りばしが刺さっているのを発見できるとしたら、MRI(磁気共鳴装置)らしいのです。 それでも、割りばしが直接映るというのではなく、のどや脳の一部が欠損して見えることから、割りばしの存在を疑う、推認する、といった手続きを踏むようですが。
C.死亡結果の回避可能性があったか?
D.死亡結果を回避する義務を怠ったか?
仮に、割りばしが脳に刺さっていることを発見でき、これが命にかかわる傷であることを耳鼻科の医師が認識できたとして、はたして救命の可能性はあったのかどうか。
この判断については、医療の専門家にご意見を求めるしかないのですが、本件の検察側主張でも「50%はあった」とする程度です。 「2割以下」や「限りなくゼロに近い」という意見も少なくないようです。
過失犯についての直接の判例ではありませんが、違法薬物を女性に打って、そのまま放置した事件について、その被告人の責任を問うには、もし適切な処置がとられた場合に少なくとも「十中八九」、つまり8割から9割の救命可能性が必要だとした最高裁の判断があります。
残念ながら、大学病院にブラックジャックはいないのです。 だとすれば、たとえ、予見可能性あり・予見義務違反(AB)があったとしても、回避可能性なし(C×)と認定され、4「過失」無しとされる公算は高いかもしれません。
しかし、川口裁判長は、4「過失」はあるけど、3「因果関係」が無いと認定して無罪という判断を導きました。 どっちみち結論に変わりはないのですが、「過失はあったのだ」という国家権力からの宣言は重いものです。
ただ、気になるのは、判決理由の中で「割りばしがのどを突いて頭に刺さっていることに気付いても、救えた可能性は極めて低かった」とされていることです。 じゃあ、結果回避可能性を満たしてないから、やっぱり4「過失」が無いんじゃないか、とも思えます。
実は、3「因果関係」と、4「過失」は、一部で似たようなことを言っているのです。
「因果関係」の正体は、分析するとこうなります。
ア)「1『原因行為』を取り除けば、2『結果』も無かった」という関係(条件関係)
イ)「生じた 2『結果』の責任を、1『原因行為』を行った者に負わせることが、この社会の常識としてふさわしいか」(相当性)
本当に刑法って「概念のミジン切り」が多いんです。 ロシア民芸品「マトリョーシカ」どころの騒ぎじゃありません。 人形の中に、2個か3個の人形が入っていて、さらにそれぞれの人形の中に5,6個ずつ……、という有り様。
そういう細か~いミジン切りをイライラせずに愛する余裕のある人が、刑法を得意になれるんですよね。 「刑法学は、文科系の数学だ」といわれるゆえんです。 頑張ってください。 誰に言ってんだろう。
この ア『条件関係』ですが、要するに「そんなことやらなきゃ、結果は避けられたのに」と言っているわけでして、これはまさしくC「結果回避可能性」と似たような話なんですよ。
これは、過失犯の体系を構築する過程で、故意犯の枠組みを借りてきたがために生じてしまった悲しみです。
なので、刑法のココロを解さぬ大ざっぱなO型の私に言わせてもられば、本件は、「過失なし」として切ろうが、「因果関係なし」として切ろうが、どっちでもよかったんだと思います。 しかし、川口裁判長はあえて「無罪にはするけど、過失はあるよ」と宣言し、医療現場、殊に救急救命の現場に向けて警鐘を鳴らしておきたかったのかもしれません。
理論的というより、政策的な理由づけなんでしょうかね。
ご両親は2000年、担当医師と大学病院(学校法人)を相手取って、約8900万円の損害賠償を求めて提訴しています。 民法上の損害賠償が認められるかどうかについては、また基準が違ってきますので、精神的苦痛に基づく慰謝料であれば、一部認容される可能性はありそうです。 第一、こうして刑事で「過失」が認定されていますしね。
それにしても、民事訴訟は時間がかかりますね。 仕方がないのでしょうか。
>>>>>>>> みそしるオススメ本 <<<<<<<<<
文字だけで、どうしてこんなに面白い? ここまで笑わせてしまう魔力は何なのか。電車の中で読んどると、周囲から気持ち悪がられるので、ご注意を。
他の誰にも似ていない、唯一無二のコント芸人。彼らの舞台脚本を公開! たとえDVDボックスを買う金が無くても、この本さえ手元にあれば、まだオレは耐えられる。
最近のコメント