2009年10月15日 (木)

札幌・書店の本棚転倒重体事故 … 刑事立件の可能性

20091015200942

 

 今売りの「週刊文春」が、書評コーナー“文春図書館”にて、私の文章を載せてくださっています。

 しかも、文春の編集者から「いい書評ですね」と褒められるという奇跡が起きました! ありがたい!

 当方は、書評の正しい書き方なんて露知らず、手探り状態で原稿をでっち上げたのに、すみません……。

 

 今回ご紹介させていただいたのは、米カリフォルニア州の地方都市で、身重の妻を殺した疑いで、夫が陪審裁判を受け、死刑の評決に達した一部始終につき、つぶさに記録するため、12人の陪審員のうち、7名が著者として参加した本。

 一般に陪審制で、陪審員は量刑に参加しないのですが、カリフォルニア州の刑事陪審では量刑までやるモノみたいです。

 恥ずかしながら、この本を読むまで知りませんでした。
 

 対岸の火事ではありません。 そう遠くない将来、日本の裁判員が死刑の判断に加わる日は来ますから、われわれ日本人にとっても大いに参考になり、考えさせられる本です。

 ただ、日本の裁判員には、非公開評議の核心などにつき、終身守秘義務が課せられているので、いまの制度上、「裁判員体験記」を出版することは難しいでしょうね。

 


>>> 「危険認識なかった」本棚転倒で書店経営者

 札幌市東区の古書店「デイリーブックス」で本棚が倒れ、小学生女児1人が重体、女児の姉ら2人が軽傷を負った事故で、書店の経営者は14日昼、同書店近くで記者会見し、「多くの方に迷惑をかけた。申し訳ない。女の子の無事を祈っている」と謝罪した。

 本棚を床や天井に固定していなかったことについては、「地震の時も倒れなかった。危ないという認識はなかった」と改めて語った。

 また、事故当時、店内にいて軽傷を負った従業員は、書店のインターネットサイトに掲載するため、本の写真を撮影していたと説明した。(2009年10月14日23時03分  読売新聞)

 
 

 将来ある子ども、それも読書に興味がある子どもが、無事に助かりますように、遠く東京から願うしかありません。
 

 この古本屋の店長さんは、経営者(オーナー)に雇われている形のようですね。

 オーナーはテレビ画面で観る限り、けっこう若い青年実業家という風情でした。

 

 本件については、業務上過失致傷の罪に該当する疑いで、捜査が進められているようです。

 子どもがひとり、意識不明の重体になっており、今なお生命の危機に瀕している事故ですから、不起訴ということは考えにくいと思います。 きっと裁判には持ちこまれるのでしょう。

 
 

◆ 刑法 第211条(業務上過失致死傷等)
1 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処する。 重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。

 
 

 「必要な注意を怠り」という部分は、一般的に4つに分解して解釈されます。

・ 人身事故が起こる結果に、あらかじめ気づく義務が存在すること
・ その義務(予見義務)に違反したこと
・ 人身事故の結果を避ける義務が存在すること
・ その義務(結果回避義務)に違反したこと

 

 高さ2メートル以上にも古本を積み上げた本棚が倒れる可能性、その結果、人が負傷する可能性は、常識的につかむことができます。

 棚同士の上部を1枚の板でつないで、いちおう補強をしているみたいですが、申し訳程度の措置だといわれても仕方がないでしょう。

 だとすれば、少なくとも「まさかこんな事故が起こるとは!」という類のものではない。

 現場の店長はもちろん、現場に張り付いていないオーナーにも、予見義務・回避義務は課され、その義務に違反したことは明らかだと思います。

 たとえオーナーが「危険だという認識はなかった」と弁解しても、今回は「危険性を認識すべきだ」という法律上の義務づけがあると考えられますので、弁解になりえないのです。

 

 あとは、古本屋の経営が「業務」といえるかどうか。

 「業務に決まってるじゃないか」とツッコミが入りそうですが、業務上過失致死傷でいうところの「業務」は、仕事や経営といった意味とは切り離されています。

 以下の3つの条件を満たす必要があります。

(1) 社会生活上の地位(職業的な地位)に基づき
(2) 何度も繰り返し行われ、
(3) 他人に危害を加えるおそれがあるもの

 

 古本屋の運営は、(1)(2)を満たすことに間違いないでしょうが、たとえば医師やパイロットなどの仕事と同じように、「古本屋は人の命を預かる商売」だという一般的な認識があるといえるかどうか……?

 (3)を満たすかどうかは微妙ですね。 裁判で争われてもおかしくありません。

 

 もっとも、古本屋の運営が「業務」にあてはまらず、業務上過失致傷にならなくても、「重過失傷害」にあたる可能性は、かなり高いでしょう。

 もう一度、刑法211条1項を確認してみます。

 
 

◆ 刑法 第211条(業務上過失致死傷等)
1 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処する。 重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。

 
 
 

 重過失傷害罪の刑罰の重さの定めは、業務上過失致死傷と同じです。

 もしかしたら、本件書店の責任者らは、はじめから重過失傷害の罪で起訴されるかもしれません。

 被害を受けた女の子に、身体的な障害が残ることになれば、判決は禁錮1年前後でしょうか……。

 もしも、女児に万が一の事態が訪れれば、刑事責任はもっと重くなります。

 もちろん、民事上の金銭賠償も求められますね。

 こういう場合に、古本屋サイドへ保険金がおりたりすることが、ありうるのかどうか、私は不勉強ゆえわかりません。

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2009年6月22日 (月)

臓器移植法の改正について、気合いを入れて考えてみる

 臓器移植法の改正案が、衆議院を通過し、現在は参議院で審議されています。

 A~Dまで4つの改正案があったものの、最も臓器移植の「規制緩和」につながるA案が、衆議院議員の過半数の賛成を得たのです。

 その内容は、脳死者が前もって明確に、臓器移植を拒む意思を示していない限り、その家族の承諾を事後に得れば、臓器移植が可能であると書かれています。

 現在は、15歳以上の者が前もって、脳死や心臓死の場合の臓器移植について、認める意思をカードなどで示していない限りは、臓器移植できないことになっていますから、大幅な規制緩和です。

 これは、自分の財産などの処分について最終意思を文書で示す「遺言」が、民法上、15歳以上の者にしか認められていないことに準じた措置だとされています。

 問題は15歳未満の場合です。

 肝臓などは切断しても機能するので、成人の臓器を子どもに合わせたサイズにして移植することもできるかもしれません(違っていたらお知らせください)が、心臓や腎臓などは、それができません。

 なので、同じくらいの年齢の子ども同士で移植を行うことになります。

 しかし、日本国内では、この臓器移植法によって、15歳未満の子どもからの臓器摘出が禁止されてきたので、そうした制限のない外国で移植を受けるしかないという選択をするしかなくなります。

 「選択をするしかなくなる」というより、ここにあるのは、わが子を思う親の感情に他なりません。

 50年前、100年前なら、「これも運命」と延命をあきらめるしかなかった不治の病が、医療技術の飛躍的な進歩によって実現にこぎつけたのです。

 しかし、ヨーロッパでは、すでに日本人患者の受け入れを拒むようになっています。 親日的な国として知られるオーストラリアでも同様です。

 移植でまかなわれる臓器は、その国の患者に優先して「分配」されるという、無理もない方向性です。

 すがるべき国として残っているのはアメリカ合衆国。なので、幼児の心臓移植といえば、決まって「渡米」という流れになっています。

 ただ、アメリカで日本人に臓器移植をする場合は、極めて高額のデボジット(要はお金)を負担させられることになります。 本来は、日本円で1千万円台で可能だといわれる心臓移植も、アメリカで行えば1~2億円、最近では約4億円を要求されるようです。

 客観的には「足元を見られている」としても、仕方のない状況かもしれません。

 これも、アメリカ側にだって「自国民を優先して救いたい」という、素朴な国民感情が背景にあるからではないでしょうか。

 

 しかし、技術の進歩によって救われる命もあれば、臓器を摘出されて、確定的に還らぬ者となった、幼き脳死者もいます。

 脳死とは、人工呼吸器などを付けている限りは、自発的に心臓を動かして生きていける状態を指します。 人工呼吸器など延命装置が発明されて、初めて生じる状態といえるのでしょう。

 少なくとも現在の医学によって、その脳死者の目を覚まさせることは不可能です。ただ、心臓が動いている間は、脳死状態の人でも髪の毛や爪が伸びたりするなど、身体の成長がみられます。

 ここに、脳死を「死」だと、にわかに受け入れきれない家族の感情が湧きおこる源があると考えられます。

 臓器移植法について議論するとき、「日本人の死生観」というキーワードが盛んに叫ばれます。

 たとえば「生前はどれだけ悪事を働いても、自分たちの敵であっても、亡くなったら丁重に弔う」というのは、日本文化に独特のメンタリティかと思います。

 ただ、そのメンタリティを、臓器移植の問題と結びつける根拠として持ち出すのはだいぶ弱いかな、むしろ関係ないんじゃないかという印象です(ほかに日本人に独特の死生観があるとすれば、ご教示くださるとありがたいです)。

 日本人は情緒的で、欧米人は合理主義、非常に大ざっぱにいえばそうかもしれません。

 しかし、脳死状態の子どもを持つ個々の親にとってみれば、呼吸もあるし心臓も動いているわが子から臓器を取り出されることに抵抗があるのは、国や文化圏の差など関係ないと思うのです。

 それでも、諸外国の人々は、どこかで「脳死と死」の問題について、ギリギリのところで折り合いをつけて、ドナーに名乗り出て、今救える命を救っているのでしょう。

 この問題に限らず、持論を補強する根拠として、安易に「文化的背景」や「国柄」を据えるような人たちを、私は疑います。 そこまで世の中は一面的でない。

 そんなに世の中が単純にできているなら、私たち思い悩む必要もないし、書店に山ほど本が売られている意味もないのです。

 

 「臓器移植の場合に限って、脳死を人の死とする」という、今までの扱い自体、お世辞にも自然の摂理に合うとはいえない、きわめて技術的なものでした。

 それをA案は、広く一般的に、脳死を人の死とするという扱いにしようというんですね。「臓器移植の場合」という限定が外れたぶん、不自然さは薄れました。

 そもそも、臓器移植法という、一種の手続きを定める技術的な法律に、「死とは何か」という、哲学的・宗教的・人道的な根幹テーマを据えることは、荷が重すぎるといいますか、ムリがあると思うのです。

  「死とは何か」の定めは、臓器移植法という一種の手続法より、民法や医師法など、もっとふさわしい場所がある気がします。

 こうした基本法の改正問題として話が持ち上がったなら、もう少し国会内での議論も深まった可能性が高かったろうと思います。

 

 また、A案で、仮に可決成立したとして、今現在、脳死状態の人の世話をしている方々へのフォローはどうするのかも問われます。

 「あなたは、死者を世話してるんだよ」という心ないことを、面と向かって言う人はいないでしょうが、そう言っているに等しい内容の法案なのです。

 もしかしたら、今現在、脳死状態で、家族が奇跡を信じて延命措置を続けている人については、適用から外すという選択肢もあっていいかもしれません(法技術的に不可能だったらすみません)。

 そのうえで、脳死者が臓器ドナーになることに同意した家族については、臓器移植を推進する国から、一時金の支給や、年金の大幅上乗せなど、ある程度の「お礼」があっていいと思います。1度の臓器移植で、複数の自国民を延命できるのですから。

 これをもし「臓器移植のインセンティブ」だと考えれば、ちょっと合理主義が過ぎる感はありますが、それは見方や呼び方の問題にすぎず、あくまで「ドナーとなることに同意したお礼」だと位置づけることが肝要でしょう。

 もし「日本人の死生観」という特殊なものがあるとして、それに基づき、脳死者を含む死者を、穏やかに丁重にとむらうためには、ある種、逆説的な意見かもしれませんが、人工臓器(被移植者自身のIPS細胞で作成した臓器も含む)の開発を推進して、安心して実用できるレベルにまで持って行く必要があると考えます。

 景気対策という免罪符をもとに、よくわからないハコ物に国家予算をつぎ込むより、人工臓器研究に今まで以上の費用を投じる一方、臓器移植法には「人工臓器が実用水準に至るまでの経過的措置である」ことを明記すべきだと考えます。

 傷病により機能を失った臓器に代わるものは、生体にそっくりの機能を果たす人工臓器であるべし。

 他者から移植された臓器を使わせていただくのは、あくまで、その技術が確立されるまでの間に許される、次善の策ではないだろうか、というのが、私の現時点での立場です。

 (以上、メールマガジン「ウィークリーながみね」の、冒頭からの転載です)

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2006年8月 3日 (木)

この問題にはフタをするな ― 埼玉ふじみ野市営プール死亡事故

>>> 埼玉プール事故「合うボルトがない」
 小2女児が死亡した埼玉県ふじみ野市の市営プール事故で、脱落した吸水口のふたは4隅とも針金で固定されていたことが2日、埼玉県警の調べで分かった。下請けとして実際にプールを管理していた「京明プランニング」も、6、7年前から針金で固定していたことを認めた。県警は、不透明な下請け発注などで管理がずさんになった可能性があるとみて、管理業務委託契約を市と結んでいた「太陽管財」や「京明-」などを業務上過失致死容疑で近く家宅捜索する。
 県警によると、京明の現場責任者(36)は脱落したふたについて「4カ所の固定穴全部を針金だけで固定していた。プール開きの7月15日前に、古くなった針金を新品に交換した」と説明。ふたはボルトで固定する構造だが、実況見分では、切れた状態の針金が1カ所に残っていた。プールには、事故があった吸水口のほかに2カ所の吸水口があるが、いずれも一部をボルトの代わりに針金で固定。針金使用は常態化していた。
 京明の佐藤昇社長(48)も現場から6、7年前に「吸水口のねじ穴の位置がずれており、合うボルトがないので針金で留めた」と報告があったことを明らかにした。社長は「うまく対応したと信じていた。針金はボルトの補強として使っていると思っていた」と弁明。針金だけによる固定というずさんな管理を事実上、黙認していた。 (ニッカンスポーツ)

 

 プールの吸水口は、ふつう、人の手足が吸いこまれないよう、奥からプロペラで水を押し出す流れをつくりだしているといいます。

 そんな水流のなんともいえない感触から、吸水口は、しばしば子供の遊び道具になります。 ふざけて手だとか尻を当てて、「ふひゃひゃ、気持ちいい」やら「うえー、気持ち悪い」などと言い合うのがガキってもんです。

 だったらなおのこと、プール吸水口の安全性は、しっかりと確保されなければなりません。

 流れるプールの吸水口は特殊で、効率の良い吸水を実現させるためには、プールに面するほうに向かってラッパ状に太くする必要があるそうです。 なので、フタがなければ、近くにいる人の手足を、排水と一緒に引き込んでしまう危険性があります。

 ただ、だからといって、この不幸な事故をきっかけに、吸水口の周りを厳重に囲ってしまえば、大人の都合で子供の遊びを1つ減らすことになり、あまりいい措置とも思えません。 ふじみ野の市営プールの営業が今後も続くかはわかりませんが、3ヶ所あるという吸水口に優先的に監視員を配置するようにすべきでしょう。

 それにしても、プール監視員の仕事は、いつから「楽勝バイト」のひとつになったんでしょうか。 私など、泳ぎが苦手な金づちの人間は、プール監視員の仕事を自主的に選択肢から外す。 それが、われわれ運動神経がブチ切れている者の務めであるべきです。

 また、水流のものすごい負荷がかかっているフタ(重さ約8キロ)を、針金のみで固定していた、なんちゅうのは論外です。 今まで脱落事故が起こらなかったのが不思議なくらいで、この点は、長年にわたる針金のたゆまぬ努力に敬意を表するべきでしょう。 「京明プランニング」と「太陽管財」の関係者は、針金に足を向けて寝られません。

 事故が起こった直後、プールの担当スタッフは、「フタはボルトで固定されており、その上から針金で補強して、安全性には万全を……」って言ってませんでしたっけ? これと同様の言い逃れを社長も聞かされて、信用していたみたいですね。

 

 2年前の夏にも、新潟で同様の事故が起こっています。 つい先日、刑事事件としての一審判決が出ています。

 

>>> 旧横越町民プール死亡事故:2職員、過失認め罰金刑--地裁 /新潟
 旧横越町(新潟市)の町民プールで04年7月、町立横越小6年の男児が排水口に足を吸い込まれておぼれ、死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた元同市横越支所総務課副主幹、神田勝利(60)、同支所副参事、田中十二男(58)両被告に対する判決公判が3日、新潟地裁であった。 斎藤千恵裁判官は両被告に罰金50万円(求刑・神田被告に禁固1年6月、田中被告に同1年)の有罪判決を言い渡した。
 判決によると、両被告は事故当時、町内の体育施設の安全管理を担当。県教委などからプールの排水口のふたをボルトなどで固定するよう指導されていたにもかかわらず放置し、プールを開放していた。男児は04年7月29日、遊泳中にふたが外れた排水口に両足を吸い込まれ、2日後に死亡した。
 斎藤裁判官は、両被告に対し「対策を講じることなく漫然とプールの開放を続けてきた過失は重い」としながらも、「事件の偶発性は否定しがたく、両被告だけに全責任を負わせるのは酷」などとして禁固刑は重いと判断した。
 男児の父親は判決について「罰金刑は納得できない」と悔しさをにじませた。(毎日新聞) 2006年7月4日

 
◆ 刑法 第211条(業務上過失致死傷等)

1 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下(※事故当時。 今年5月以降は100万円以下)の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。

 

 わが子の命を突然奪い去ったことの刑事責任が、なぜ50万円納めれば果たされるのか、ご両親は、到底納得することはできないでしょう。 無理もありません。

 では、民事での不法行為責任はどうなるでしょうか。

 この新潟の件は、プールの管理を外注せず、公務員の皆さんだけで行っていたようです。 こういう場合は、公務員個人の法的責任は、おおっぴらには問われません。 その地方自治体としての「町」が、遺族に対して損害賠償義務を負うことになるでしょう。

 
 
◆ 国家賠償法 第1条
1 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
2 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。

 

 プールの安全管理って「公権力の行使」なのか? とも思った方もいらっしゃるでしょう。 ここにいう「公権力の行使」が意味するところは相当に広いらしいんです。 公立学校の部活動で教諭がする指導監督や、役所で住民票の原本にいろいろ書き入れる行為なども、判例によると「公権力の行使」なのだそうですし。

 ということは、多くの場合に国家賠償法が適用され、公務員の誰かの不法行為を、国や公共団体が民事上、肩代わりすることになります。

 
 この社会にある組織というのは、誰かの責任を分散させ、うやむやにするために存在するのでしょうか。 組織の意思に付き従うのと引き換えに、なにかあったときには組織がガッチリと守ってくれる。 最高の人生だと思います。
 

>>> プール管理会社 15年間に13回落札
 埼玉県ふじみ野市の市営ふじみ野市大井プールで同県所沢市の小学校に通う女児(7つ)が吸水口に吸い込まれて死亡した事故で、プール管理業務を請け負っていた施設管理会社「太陽管財」(さいたま市北区)が1992年の初受注以降、15年間で13回受注していたことが、2日分かった。こうした連続受注や同社が施設管理会社「京明プランニング」(同市見沼区)に“丸投げ”していたことが、安全対策の不備につながったとの指摘もあり、埼玉県警も受注や丸投げの経緯について調べを進める。(東京新聞)

 
 「太陽管財」が、ふじみ野市からプール管理業務を“請け負い”、さらに“孫請け”という形で「京明プランニング」が、実際の管理をしていたと、各マスメディアは報じておられるようですね。

 しかし、本件で、“孫請け”や“下請け”という表現を持ち出すのは、厳密には誤用です。

 この場合は、ふじみ野市と太陽管財とが結んでいたのは、民法上、請負契約ではなく、準委任契約であると考えられます。 そして、受任者である太陽管財が、京明プランニングに復委任していたという関係になります。

 孫請け・下請け契約と違い、復委任は、原則として許されません。

 

◆ 民法 第643条(委任)
 委任は、当事者の一方が法律行為をすることを相手方に委託し、相手方がこれを承諾することによって、その効力を生ずる。

◆ 民法 第656条(準委任)
 この節の規定は、法律行為でない事務の委託について準用する。

◆ 民法 第104条(任意代理人による復代理人の選任)
 委任による代理人は、本人の許諾を得たとき、又はやむを得ない事由があるときでなければ、復代理人を選任することができない。

 

 
 準委任契約は、委任者(ふじみ野市)と受任者(太陽管財)との信頼関係に基づいています。 なので、同じく当事者の信頼関係に基づく「代理」の考え方を借りて、『(1)その委任者の許可があったとき』か、『(2)やむを得ない事情がある』かしないと、受任者は、他の人に仕事をさせることはできないことになっております。

 もちろん、「京明プランニングと仲がイイから」などという私的な理由により、ふじみ野市に無断で業務委託するような契約は無効となります。 そして、そんな勝手な復委任をした太陽管財に対して、ふじみ野市は契約の解除を主張したうえで損害賠償を求めることができるのでしょう。 理論上は。

 でも、ふじみ野市が空気を読める自治体なら、そんな請求はしないでしょうけどね。 経費節減・合理化という名のもとに「他人まかせ」としていたふじみ野市にも、責任の一端があることは否定できませんから。

 

>>>>>>> みそしるオススメ本 <<<<<<<

 
 子どもはときに、予想できない行動を取るもの。 だからといって、他人の子を預かるよう頼まれたとき、「リスクを引き受けたくない」と、ひたすら敬遠しつづけますか?

 そう考えると、独身者だって、決して他人事ではありませんよ。

 子どもと過ごすときに起こりうる事態を前もって知っておくことで、法律の出る幕のない、楽しいひとときを送れますように。
 

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2006年6月16日 (金)

「呪いのエレベーター」の受難

>>> シンドラー社製エレベーター、壊されて停止
 14日午前5時40分ごろ、兵庫県西宮市西宮浜の市営住宅の「西宮浜4丁目住宅」2号棟で、2基あるエレベーターのうち1基が7階で扉が開いたまま止まっているのを、入居者が見付けた。入居者がボタン操作をしても動かなかったため、管理会社に連絡した。
 「シンドラーエレベータ」社製で、同社の担当者が調べたところ、建物4階のエレベーター乗り場にあるドアスイッチが押しつぶされたように変形していた。さらに4階のエレベーター乗り場ドアに激しくけったような靴跡が残っていた。(2006/06/14 17:19) 産経新聞・関西

 もぉー、ダメでしょう? もともと壊れてるものを壊しちゃあ。

 エレベーターって、なにかとイタズラされやすい装置ですよね。 タバコの火で、ボタンを黒く溶かされたり。 たまに、何者かがツバでも床に吐きかけたのか、むちゃくちゃクッサいエレベーターに遭遇することもありますよね。

 誰もが抱え込む現代社会へのルサンチマンが、一部、行くあてを失い、やがて、エレベーターや公衆トイレなど、密室の空間へと終着してしまうのでしょうか。

 ただ、本件は、時期的にみて、「シンドラー社製」という属性を持つ、特定のエレベーターが攻撃されたと考えるのが自然でしょうか。 「今のうちなら、こいつらは、やっつけてかまわない連中だ」と、無法者のストレスを解消する格好の標的となったシンドラーエレベーター(株)。

 先日、ヤミ金融業者を襲った若者らが被告人となっている、強盗被疑事件の初公判を傍聴しました。 「違法なことで儲けているヤツらを襲撃するのなら、こちらも後ろめたさが薄らぐ」と思いついたらしき彼らと、本件犯行に及んだ輩は、根っこで通ずる発想を持っているとみられます。

 どうせなら、シンドラーの日本支社に乗りこんで、その建物のエレベーターにイタズラしてやったほうが、より先方へメッセージが伝わったかもしれませんね。

 ただ、当のシンドラー社内に備え付けられたエレベーターのゴンドラに、「MITSUBISHI」とか「HITACHI」なんて刻印されてたとしたら……  笑えませんね。 すいません。

 私の自宅は、某ボロアパートの3階なので、エレベーターなんて設置されちゃおりません。  自分の足で階段を1段1段確かめ、踏みしめて、毎日上り下りしておるわけです。 が、福岡の実家でお勉強してたころは、エレベーターの点検がしょっちゅう、多いときは月に2回あったりで、あれにはうっとうしい思いをしていました。

 でも、エレベーターの不具合(プログラムミス?)が原因で、ああいうふうに利用者の死亡事故が起こってしまうとなると、やっぱり点検はしっかりしていただかなきゃな、と思わずにいられませんね。

 ちまたには、航空機が墜落すれば、空港から足が遠のき、通勤電車がマンションに衝突すれば、マイカー通勤になり……、というデリケートな感覚の持ち主が多くいらっしゃいます。 彼らは、今回のような事故が生じたことをきっかけに、エレベーターにも乗れなくなったものと思われます。 不便を強いられますね。

 そういう面に関しては、私はかなり鈍感というか、平和ボケしてますので、おかげさまで今日も明日もエレベーターを利用し続けますが。

 

住民の女性は「7階のドアが開いたまんま(だった)。すぐにシンドラーに電話した」と話しています。エレベーターは、壊された装置を交換し午前中には復旧しましたが、警察では、悪質ないたずらとみて器物損壊の疑いで調べを進めています。(ABC朝日放送 6/14 19:09)

 直接、シンドラー社へ連絡したので、その日のうちに復旧したのでしょう。 もし、この修理を、エレベーターの保守点検業者に依頼していたら、どうにもならなかった可能性が高いのです。

 先週のTBS「報道特集」で、独立系のメンテナンス業者が、エレベーターのメーカー側から“嫌がらせ”を受けている構図が伝えられていました。 TBSいわく、この構図は、なにもシンドラー社に限った話ではなく、国内メーカーとの関係でも同様だとのことですね。

 かつては、メーカーが言い値でメンテナンスも行っていて、エレベーター業界にとっての“ドル箱業務”となっていたそうです。 しかし、メンテナンス業が自由化された昨今、安く請け負う保守点検の専門業者に、仕事を奪われる形となり、やがて、メーカーは点検業者に対し、無言のプレッシャーをかけ始めるようになったといいます。

 たとえば、ゴンドラに備え付けられた階数のボタンが、イタズラで焼け焦げたとして、オーナーがボタンの交換を依頼したとしますよね。 それを受けて、点検業者はボタン1個を発注するわけですが、肝心のメーカーからは「1ヶ月待ってくれ」との、つれない返事が返ってくるのみ。

 しかし、メーカーが、替えのボタンを在庫として持っていないわけがないんです。 現に、今回の通報を受けて、シンドラー社はボタンの交換も含めて数時間で対応できているじゃありませんか。 ……やればできる。 必ずできるのです。

 例の死亡事故で、エレベーターの点検業者が「原因がわからない」とコメントしていたのを、フシギに思った方も多いでしょう。 私もそのひとりです。

 じつは、エレベーター各メーカーは点検業者に、エレベーターの設計図や修理マニュアルなどの資料を、1ページたりとも渡していません。 また、点検業者が別の会社に代わった際にも、エレベーターの不具合などの情報が伝えられておらず、業者相互間でも満足な引き継ぎが行われていない実態も明らかになっています。

 それでも、長年の経験や勘(?)で、現場の修理担当者は、エレベーターの安全を維持してきた実績があります。 それを、「一流の職人技」として喝采を贈るべきなのか。 それとも、国内製のエレベーターについては、たまたま無事という“奇跡”が続いている最中なのか。 私たちは、いまだ見ぬけないままでいます。

◆ 刑法 第261条(器物損壊等)
 前3条に規定するもの(※文書・建造物)のほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金若しくは科料に処する。

 
◆ 建築基準法施行令 第129条の10(エレベーターの安全装置)
1 エレベーターには、制動装置を設けなければならない。
2 前項のエレベーターの制動装置の構造は、次に掲げる基準に適合するものとして、国土交通大臣が定めた構造方法を用いるもの又は国土交通大臣の認定を受けたものとしなければならない。
  一 かごが昇降路の頂部又は底部に衝突するおそれがある場合に、自動的かつ段階的に作動し、これにより、かごに生ずる垂直方向の加速度が9・8メートル毎秒毎秒を、水平方向の加速度が5・0メートル毎秒毎秒を超えることなく安全にかごを制止させることができるものであること。
  二 保守点検をかごの上に人が乗り行うエレベーターにあつては、点検を行う者が昇降路の頂部とかごの間に挟まれることのないよう自動的にかごを制止させることができるものであること。
3 エレベーターには、前項に定める制動装置のほか、次に掲げる安全装置を設けなければならない。
  一 かご及び昇降路のすべての出入口の戸が閉じていなければ、かごを昇降させることができない装置
  二 昇降路の出入口の戸は、かごがその戸の位置に停止していない場合においては、かぎを用いなければ外から開くことができない装置
  三 停電等の非常の場合においてかご内からかご外に連絡することができる装置
  四 乗用エレベーター又は寝台用エレベーターにあつては、次に掲げる安全装置
   イ 積載荷重を著しく超えた場合において警報を発し、かつ、出入口の戸の閉鎖を自動的に制止する装置
   ロ 停電の場合においても、床面で1ルクス以上の照度を確保することができる照明装置

 
 

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■ 6月第1週 【刑事】覚せい剤取締法違反(所持・使用)

 元「ドリカム」キーボード 西川隆宏メンバーの薬物再犯

 ニーヒャが違法薬物に手を付けはじめた理由(仮説)
 

■ 6月第2週 【刑事】殺人

 母親にベッタリ 44歳息子の尊属殺

 病気で苦しむ母親が「殺してくれ」と頼んだ?
 

http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/41/P0004187.html

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2006年4月 4日 (火)

医師曰く「エイズ患者は早く死ね」

 神戸市長田区役所の医師で部長級の男性職員(57)が昨年11月、同区の市立中学校で生徒にエイズに関する講義をした際、「エイズになれば、自覚症状がないまま他人にうつす恐れがあるので、(患者は)早く死んでしまえばいい」などと発言していたことが分かった。
 市は31日、誤った発言で生徒に著しいショックを与えたとして、この職員を減給10分の1(3カ月)の懲戒処分にしたと発表した。
 市によると、職員は昨年11月22日、エイズ問題の理解を促す出張授業で生徒約110人を前に講師を務めた際に発言した。(毎日新聞)2006年04月01日

 いやぁ、ショッキングです。 なにがショッキングかというと、「エイズの患者がいなくなれば、エイズは解決する」という考えの浅さにです。 だって、エイズが発症するまでに、何年もHIVウイルスが体内に潜伏するから怖いわけでしょう?

 あんまり、HIVをナメちゃいけないんじゃないですか。

 「自覚症状が無いまま他人にうつす恐れがある」……まぁ、残念な現実ですが、それはそうかもしれません。 ただ、そこからどうして「だから早く死ねよ」という結論に至るのか。その両者の間に、どういう論理の架橋をすれば意味が通じてくるんでしょうかね。

 また、その場にいた中学生は、どんな顔して聞けばよかったのか、さぞ戸惑ったでしょう。 心が痛みます。 こんな講演でも、終わったら拍手をする義務があるのかどうか考えたでしょう。

 あ、わかりました。 つまり、この医者は、「早く死ね」という発言の悪影響について自覚症状が無いまま、その悪影響を聞き手に伝染させようとしておるわけですね。
 

 ただ、関西では「死ね」という言葉も、ツッコミの一種にまで意味あいが希釈される場合もあるみたいですよね。 ……だとしたら、ひとりツッコミですか。

 

◆ エイズ予防法 第4条(医師の責務)
 医師は、エイズの予防に関し国及び地方公共団体が講ずる施策に協力し、その予防に寄与するように努めなければならない。

 
 問題は、HIVキャリアの皆さんが、まだエイズの症状を自覚していない段階だけにはとどまりません。 検査によって陽性という結果が判明したらしたで、それで「自分は死ぬんだ」と自暴自棄になってしまい、不特定多数の相手を誘って性交渉に及んでしまう……という話だってありますよね。

 だからこそ、この脅威のウイルスに正面から挑んで、「不治の病であるエイズの治療法」あるいは「寿命が尽きるまでHIVを潜伏させたまま封じ込めておく方法」を、なんとしても確立することが最重要命題になるわけです。 ただ、エイズは感染症ですから、平行して「一般向けの広報」といった地道な活動も、「予防」のために必要となります。

 「なぜ感染するのか」 「どんな病気なのか」 「どうすれば広まらなくなるのか」……などについて、皆さんの理解を深めたり認識を改めたりする「ソフト面」での予防策です。

 特に、エイズという病気の場合は、性感染症という面だけをことさらに強調して「コンドームがどうのこうの」という話でお茶を濁すことなく、薬害エイズ問題についての説明もしっかり行われるべきであるのは、いまさらお医者様に言うまでもありませんね。

 「エイズ患者は、早く死ね」…… これも、エイズ予防法4条に定められた責務を彼なりにまっとうしようと努めた結果なのでしょうか。 極めてハードランディングな予防策ですけどね。

 なーんて。ウソです。 エイズ予防法は、とっくに廃止されているんですよ。1999年でしたっけ。 現行法はこっちです。


◆ 感染症予防法 第5条(医師等の責務)

 医師その他の医療関係者は、感染症の予防に関し国及び地方公共団体が講ずる施策に協力し、その予防に寄与するよう努めるとともに、感染症の患者等が置かれている状況を深く認識し、良質かつ適切な医療を行うよう努めなければならない。 

 

 それにしても、「区役所医師」って、何をする人なんですか?


((( 最近の とほほ失言集 )))

● 2006/03/23 杉浦正健 法務大臣
 参議院法務委員会で、近ごろの「変な裁判」の例として、小田急線の高架化事業について行政認可取り消しを命じた2001年の東京地裁判決(藤山雅行裁判長・上級審で取り消し)を挙げる。「そういう批判が国民の中にあるとの趣旨だった」と釈明。

● 2006/03/06 福井県議会 谷口忠応議員
 「警察による交通違反もみ消しは、立ち小便したようなもの。(退職しないよう)慰留すべきだった」と発言。 「法的に許されることではないが、同情すべきところがあったと思って発言した。失言だったかもしれない」と釈明。

● 2006/02/28 小坂憲次 文部科学大臣
 トリノ五輪フィギュアスケートの金メダリスト、荒川静香選手が文部科学省を訪問した際、「人の不幸を喜んじゃいけないけど、スルツカヤ選手がこけた時は喜びましたね」と発言。 後日「一部配慮に欠けた発言をしたことについては深く反省しており、荒川選手及びスルツカヤ選手に対しておわびを申し上げます」との談話を発表。

● 2005/10/18 日本経済新聞 関西版
 性的少数者の行うプライド・パレードを「ホモ祭り」と表現して、「ゲイジャパン・ニュース」など関係方面から苦情が殺到。 翌月、謝罪と訂正。

 

 ……微妙で難しいですね。もっと仲良くできないんですかね。

 「ゲイ」はセーフで「ホモ」はアウトなんですか? だったら、昔のとんねるずの「保毛尾田保毛男」や「ホモマン」のネタなんて、関係者全員で土下座と賠償もののような気もします。

 でも、保毛尾田さんは、男性を好きなことについて「あくまでウ・ワ・サ」とおっしゃってますので……、だからいいのか??

 

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 テレビのチャンネルをひねると、笑顔のカワイイお天気おねえさんが「このいいお天気も、残念ながら今日いっぱいなんです。明日からは下り坂に向かいます」と、元気に予報を伝えてくれました。そうかぁ、洗濯サボってたから、今日じゅうに済ませにゃいかんなぁ。ありがとう、お天気おねえさん。
 そんな私の感謝に応えて、彼女は「今日も元気に行ってらっしゃい!」と、送り出してくれました。ハイ、行ってきまーす。

 それにしても、「晴れ」イコール“いい天気”だと、誰が決めたんでしょう。「晴れのち曇り 所により一時雨」という予報をもって、すなわち“下り坂”だとも言い切れません。職業や趣味によっては、待望の「恵みの雨」だと捉える人もいるはずです。

 面白い新書ですよ。 そのうち、斎藤孝教授あたりが「仮説力」とか言い出しそうです。

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2006年3月30日 (木)

割りばし事故 【医師無罪】を、ちょびっと分析

 「政治とカネ」で話題になった、“1億円献金隠し”をめぐる村岡兼造氏の裁判。 私、無罪判決が出る瞬間を、今日初めてナマで見ちゃいました。 傍聴席から「ウワッ」と歓声がわいたり、報道記者がドタバタ出ていったり。 ちょっと興奮しました。

 村岡さんは、2時間半以上にわたる判決理由の読み上げを聞きながら、顔を真っ赤にして男泣きしておられましたし、川口裁判長は「これからどうなるかわかりませんが、今晩ぐらいは桜を眺めて楽しまれてはいかがでしょうか」という言葉で、判決言い渡しを締めくくりました。 ひじ杖をついたり、顔にシワを寄せたりといった検察官の悔しそうな表情も印象的でしたね。 

 判決の中では、「瀧川証言は信用できない」「渡辺証言は信用できない」と延々と繰り返され、このような虚偽証言の理由を「派閥会長である橋本龍太郎氏に、刑事責任が及ぶのを避けるため」とハッキリぶっちゃけちゃいました。 ここまでケチョンケチョンに言われても控訴はあるんでしょうかね。

 こうなったら、橋本さんを起訴してみます? ひょっとして、もう時効?

 

 近ごろ、重要な法律系ニュースが立て続けに報じられて、更新がまったく追いつかない状態です。 すみません。

 
 1999年7月10日、杉並区の盆踊り大会に参加していた男児(4つ)が転倒。持っていた綿あめの割りばしをのどに刺した。救急車で三鷹市の杏林大医学部付属病院に運ばれる間も、嘔吐を繰り返し、意識レベルも低下していた。
 担当医(37)は、消炎鎮痛剤(塗り薬)をつけただけでCTスキャンなどはせず、家に帰した。 翌朝、男児の容態は急変。頭がい内損傷で死亡した。

 この男の子から、笑顔と将来を強引に奪い去ってしまった不幸な事故。 それから3年以上が経過した2002年8月、担当医師は業務上過失致死容疑で在宅起訴されることになります。 立件まで3年かかっているという事実こそ、被告人を有罪にするため、かなりの無理をしていたんじゃないかな、と思わずにはいられません。

 そして、おとといの一審無罪判決。 出したのはなんと、今日と同じく川口政明裁判長だったのです。

 

◆ 刑法 第211条(業務上過失致死傷等)
 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。(※以下略)

 

 ここにいう『業務上』とは、

  • 社会生活上の地位に基づいて行われていること
  • 反復継続して行われていること
  • 人の生命・身体の危険にかかわること

……の3つを満たして初めてあてはまる、と考えるのが判例です。医師という資格に基づく医療行為は、当然『業務』に該当します。 そして、『人を死傷させた』という結果も生じています。

 問題は、その担当医師が『必要な注意を怠』っていたといえるか。言い換えれば、業務上過失致死罪としての『過失』があったのか? 男児の死亡という不幸な結果の責任を、その医師にかぶせるべきなのか?です。

 

◆ 刑法 第38条(故意)
1 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

 

 もともと刑事法というのは、「わざと」やったことを処罰するための決まりごとでして、「うっかり」やってしまったことを処罰するのは、むしろ例外的な位置づけなのです。
 「わざと」他人の物を壊すのは器物損壊罪ですが、「うっかり」他人の物を壊してしまった行為を処罰する規定はありません。 もちろん、民法的には、その持ち主への弁償(損害賠償)が問題になり、道徳的には謝罪をしなければならないという話にはなるでしょうけど。

 残念ながら、刑法は「過失」「うっかり」ということについて、それほど一生懸命には規定していないのです。 それこそ刑法を作った立法府の「うっかり」なのかもしれませんし、テレビもねえ、ラジオもねえ、クルマもそれほど走ってねえ文明開化の時代に、「業務上の過失ぐらいキッチリ定義しておけ」と求めるのは酷ともいえます。

 しかし現代は、危険性と引き換えに便利さや効率、有用性を求める数々の道具であふれています。 光が強くなれば、影もまた色濃くなるのが世の常。 ひとたび「うっかり」が生じたときに、計り知れないほどの被害が生じることも少なくありません。 にもかかわらず、「うっかり」の責任を誰も取らない、というのではマズい場合もあるでしょう。

 そこで、言い方が足りない「口ベタ」な刑法に代わって、裁判所や刑法学者たちが、『過失犯とは何ぞや?』を懸命に探してきたわけです。

 刑法211条『必要な注意を怠り』という言葉の意味ですが、これは「客観面(見た目)」と「主観面(気持ち)」に分けて考えることになっています。そして、主観面での「必要な注意を怠り」こそが「過失」であり、裁判所で通じる用語としての「うっかり」です。

 法律的には、過失犯というのは以下のように解剖されています。

 

<客観ジャンル(見た目)>
1.「原因となった行為」(※目に見える『必要な注意を怠り』)
2.「結果」 (※『人を死傷させた』)
3. 1と2の間にある「因果関係」 (※『よって』)

<主観ジャンル(気持ち)>
4.「過失」 (※目に見えない『必要な注意を怠り』)

 

 この事故において、1「原因となった行為」は、男の子を診察して入院もさせずに帰した事実です。2「結果」は、男の子が力尽きてしまった事実。では、その両者に 3「因果関係」はあるのか。これは立ち止まって考えてみる必要がありそうです。 ……が、いったん置いておきます。

 次に、メインである4「過失」ですが、こいつはさらに細かく分けられます。


 A.結果を予見できた可能性があったこと
 B.結果を予見する義務を怠ったこと
 C.結果を回避できた可能性があったこと
 D.結果を回避する義務を怠ったこと

 ここにいう「結果」とは、もちろん2の『人を死傷させた』結果です。

 もう…… どこまでミジン切りにしてくれるのかと、昔から刑法が苦手な私は悲しくなってくるのですが、処罰すべき人をキッチリ処罰し、処罰しちゃいけない人を決して処罰しないようにするためには仕方のないマニュアルです。

 ……それはわかってるんです。それはわかってるんですが!

 

A.死亡結果の予見可能性があった?
B.死亡結果を予見する義務を怠った?

 まず本件では、男児が転んで割りばしをのどに刺してしまったときの状況を、母親はまったく見ていなかった、という事情があったようです。 なので、割りばしが折れて、一部が体内に残っていることについて、母親も駆けつけた救急隊員も意識していなかったのです。お母さんは、気が動転して冷静でいられなかったのは理解できますけれども。

 当時、救急隊員から病院は、男児の状況について「二次救急相当」と伝えられていたとのことでした。 この「二次救急相当」とは、ただちに救命救急措置を必要とする状態ではない、という意味だそうです。

 消防署長の署名で裁判所に提出された回答書には、「意識清明 散瞳なし 対光反射あり バイタルサイン異常なし」という救急隊長の判断が書かれています。 まさか脳が致命的なダメージを受けているとは夢にも思わなかったに違いありません。

 「男児がのどを箸で突いた」との連絡を受けたのは「皮膚科の講師」だったそうで、その連絡を聞いた皮膚科講師は「のど(首)の外側表面をケガした」と解釈したらしく、形成外科の受診を手配していたといいます。 到着した救急隊が、「耳鼻科の受診」と再度申し出ることによって、耳鼻咽喉科医である被告人が呼ばれることになります。

 ほんとうに、この担当医師のみが全面的に重たい責任を負わされるべき事例なのでしょうか。 言っちゃ悪いですけれども、うちのおふくろ、わが子に外で立ち食いなんかさせませんでしたよ。 夏祭りで綿アメを食べるのもいいですけど、最低限の「行儀」を保つ意味でも、ベンチに座らせて食べさせておけば、割りばしをくわえたまま転ぶことも無かったでしょうに。

 以上のように、本件に至るまでには、さまざまな人たちが関わり、複雑に絡み合った状況があったようなのです。 にもかかわらず「詳細な問診によって割りばしが見つかっていないことの聴取を怠った」というふうに一方的に被告人を責めたててしまう、その検察官の態度ははたして妥当だったのかどうか。 いくら被告人を問い詰めることが仕事とはいえ、ですよ。 そこまで厳格な結果責任を負わされたら、救急医療なんて怖くて誰もやりたがりません。

 さらには、体内の割りばしというのは、レントゲンでは発見できないのだそうです。釘などの金属ならX線を通さずにハッキリ映るんですが。 CTスキャンでは、ボンヤリ映るそうですが発見は難しい。 それ以前に、CTは幼児の身体に悪いそうで。 なにしろ放射線を浴びせますのでね。

 割りばしが刺さっているのを発見できるとしたら、MRI(磁気共鳴装置)らしいのです。 それでも、割りばしが直接映るというのではなく、のどや脳の一部が欠損して見えることから、割りばしの存在を疑う、推認する、といった手続きを踏むようですが。

 

 C.死亡結果の回避可能性があったか?
 D.死亡結果を回避する義務を怠ったか?

 仮に、割りばしが脳に刺さっていることを発見でき、これが命にかかわる傷であることを耳鼻科の医師が認識できたとして、はたして救命の可能性はあったのかどうか。

 この判断については、医療の専門家にご意見を求めるしかないのですが、本件の検察側主張でも「50%はあった」とする程度です。 「2割以下」や「限りなくゼロに近い」という意見も少なくないようです。

 過失犯についての直接の判例ではありませんが、違法薬物を女性に打って、そのまま放置した事件について、その被告人の責任を問うには、もし適切な処置がとられた場合に少なくとも「十中八九」、つまり8割から9割の救命可能性が必要だとした最高裁の判断があります。

 残念ながら、大学病院にブラックジャックはいないのです。 だとすれば、たとえ、予見可能性あり・予見義務違反(AB)があったとしても、回避可能性なし(C×)と認定され、4「過失」無しとされる公算は高いかもしれません。

 

 しかし、川口裁判長は、4「過失」はあるけど、3「因果関係」が無いと認定して無罪という判断を導きました。 どっちみち結論に変わりはないのですが、「過失はあったのだ」という国家権力からの宣言は重いものです。

 ただ、気になるのは、判決理由の中で「割りばしがのどを突いて頭に刺さっていることに気付いても、救えた可能性は極めて低かった」とされていることです。 じゃあ、結果回避可能性を満たしてないから、やっぱり4「過失」が無いんじゃないか、とも思えます。

 実は、3「因果関係」と、4「過失」は、一部で似たようなことを言っているのです。

 

 「因果関係」の正体は、分析するとこうなります。

 ア)「1『原因行為』を取り除けば、2『結果』も無かった」という関係(条件関係)

 イ)「生じた 2『結果』の責任を、1『原因行為』を行った者に負わせることが、この社会の常識としてふさわしいか」(相当性)

 本当に刑法って「概念のミジン切り」が多いんです。 ロシア民芸品「マトリョーシカ」どころの騒ぎじゃありません。 人形の中に、2個か3個の人形が入っていて、さらにそれぞれの人形の中に5,6個ずつ……、という有り様。 
 そういう細か~いミジン切りをイライラせずに愛する余裕のある人が、刑法を得意になれるんですよね。 「刑法学は、文科系の数学だ」といわれるゆえんです。 頑張ってください。 誰に言ってんだろう。

 この ア『条件関係』ですが、要するに「そんなことやらなきゃ、結果は避けられたのに」と言っているわけでして、これはまさしくC「結果回避可能性」と似たような話なんですよ。
 これは、過失犯の体系を構築する過程で、故意犯の枠組みを借りてきたがために生じてしまった悲しみです。

 なので、刑法のココロを解さぬ大ざっぱなO型の私に言わせてもられば、本件は、「過失なし」として切ろうが、「因果関係なし」として切ろうが、どっちでもよかったんだと思います。  しかし、川口裁判長はあえて「無罪にはするけど、過失はあるよ」と宣言し、医療現場、殊に救急救命の現場に向けて警鐘を鳴らしておきたかったのかもしれません。

 理論的というより、政策的な理由づけなんでしょうかね。

 ご両親は2000年、担当医師と大学病院(学校法人)を相手取って、約8900万円の損害賠償を求めて提訴しています。 民法上の損害賠償が認められるかどうかについては、また基準が違ってきますので、精神的苦痛に基づく慰謝料であれば、一部認容される可能性はありそうです。 第一、こうして刑事で「過失」が認定されていますしね。

 それにしても、民事訴訟は時間がかかりますね。 仕方がないのでしょうか。

 

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 文字だけで、どうしてこんなに面白い? ここまで笑わせてしまう魔力は何なのか。電車の中で読んどると、周囲から気持ち悪がられるので、ご注意を。

 他の誰にも似ていない、唯一無二のコント芸人。彼らの舞台脚本を公開! たとえDVDボックスを買う金が無くても、この本さえ手元にあれば、まだオレは耐えられる。

小林賢太郎戯曲集―home FLAT news
小林賢太郎戯曲集―home FLAT news 小林 賢太郎

おすすめ平均
starsファンの方に怒られるかもしれませんが…
stars目的のはっきりした本
stars二人のすごさを実感
starsこりゃやばい。
stars戯曲と言うと大袈裟ですが、

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2006年2月 4日 (土)

「極刑」としての終身刑 ― 生きる刑罰

 いきなり、なんとも物騒なタイトルで、すみません。

 日本の大量殺人のワースト記録とされる「津山の三十人殺し」の都井睦夫(21歳)は、1938年5月、1時間足らずで30人を殺害し、猟銃自殺を遂げている。その遺書には、「僕は幻滅の悲哀を抱き、淋しくこの世を去っていきます」とある。そこで行きがけの駄賃に、日頃の恨みを晴らした。30人も殺害しておいて「身を以て償う」とは、恐るべき傲慢さではないか。

( 佐木隆三「人が人を裁くということ」より )

 佐木氏は、「死刑の廃止」が持論の方です。おそらく、「誰かの命を、キサマなんぞの薄汚れた命で埋め合わせることなど、到底できまい」というニュアンスは込められていそうですね。なんとなく、武論尊先生が好きそうなセリフではあります。

 こんなことを書くと誤解を受けそうなので、どんどん書いていきたいんですが、1938年と現代とでは、「生きる」という奇跡の重みが変わってきているようにも思えるんです。「生きるのがやっと」の時代に比べれば、私なんか、ロクな収入にならんのに好き勝手なこと書き散らかして、平日の昼間から観たい裁判を傍聴して、幸せなもんです。心配事といったら、来月の家賃が払えるかどうかぐらいです。

 弱冠30男などが達観したフリで言うようなことではないでしょうが、たぶん、「生きる」ことのほうが辛い。小学校に乱入して、8人の未来を身勝手に奪った男は「はやく死刑にしてくれ」と懇願し、法務省もその願いにいち早く応えましたね。国家の最高刑が、犯罪者へのアフターサービスになってどうするんですか。そんなギャグ、笑えませんよ。

 だとしたら、この“人生80年”時代、刑罰も見直されるべきなんです。死刑存置でも廃止でも、どっちでも構わないので、とにかく死刑より厳しい位置づけで「生きる刑罰」を置くと。

 今、死刑と無期懲役(「無期」とは名ばかりで、20年かそこらで仮釈放される)の間に、だいぶ処遇の開きがあるので、その両者の間隙を埋めるべく(あるいは、死刑廃止の引き替えとして)終身刑を新設すべきかどうかが議論されています。
 たしかに、終身刑はエゲツない刑罰かもしれませんね。自ら命を絶つことも許されず、残りの人生を孤独に、娯楽ひとつ無い場所でやり過ごしつづけるのです。個人的には、その「非人道性」は、絞首刑を超えていると考えています。
 「死刑に犯罪抑止力はない」という、証明が事実上不可能な説を信じる方々も、恐怖の終身刑が導入されるのなら、その一般予防力に納得がいくのでしょう。また「後で冤罪だと判明した場合に取り返しが付かない」というのが、死刑という刑罰の最大の弱点ですが、受刑者を生かしておけば、その批判はなんとか弱まります。繰り返しになりますが、生きることのほうが辛いのです。

 ただ、「生きる刑罰」は、この終身刑をさらにエグく発展させたものです。大勢の人々の生命を奪った者、そのひとりの命を断つことでは、犯罪被害を償うには足りないのです。そうです。そんな考えは傲慢きわまりないんですよ。だったら、奪った命のぶんだけ、受刑者には生きていてもらおうではありませんか。

 人生80年です。 小学生を8人殺したのなら、ひとりにつき約70年の人生が踏みにじられたとして、受刑者には、あと560年生きていただきましょう。
 アメリカなど諸外国では「禁固999年」など、しばしば冗談みたいな刑期が設定されて話題を集めます。さすがにそんな刑期を満了することなど生物学上ありえませんので、事実上の終身刑として機能しているわけです。

 しかし、「生きる刑罰」は、マジです。現代医療で実現できる、ありとあらゆる延命措置を講じて、しゃにむに560年生きていただきます。もちろん、薬剤をジャブジャブ投与することによって、精神を安定・平穏に保ちながら。 これが死刑を超える最高刑、「延命刑」でございます。医学の発展にも寄与する、新時代の刑罰。「死刑は国家による殺人だ」と断じる佐木氏にも、ご納得いただけることでしょう。

 ただ、「延命刑」の受刑者がすべて収容されるだけの施設規模が確保できるのか、そこは課題でしょうか。「収容しきれないから、一部を死刑に……」というのでは、なんとも人道に反しますから。

 

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 盲点を巧みに突いてみせている、今までにありそうでなかった企画。少し悔しいです。

 なんとなく「知ったかぶり」になりがちな法律の改正点を、各分野の専門家がコンパクトに解説して、一冊にまとめています。法律本にはめずらしく、贅沢なオールカラー。  私もこの本で、あわてて法律知識を更新してる最中です。

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2005年11月21日 (月)

子供の未来を断つ行為

>>> 胎児死亡:交通事故の影響で 加害者は致死罪に問われず

 妊娠9カ月で交通事故の被害に遭った女性(30)が事故の影響で胎児を失った。加害者を業務上過失致死罪に問えるか否か--。札幌地検は検討を重ねた結果、致死罪での立件を断念し、けがをした女性と夫(31)に対する業務上過失傷害罪で加害者を起訴した。胎児は帝王切開で生まれ、11時間の命だった。「胎児に人権はないのか」。夫妻は釈然としない思いを抱き続けている。

 ◇「胎児に人権はないのか」

 胎児は女の子。仮死状態で取り出され、人工呼吸で息を吹き返したが、翌朝、夫妻の目の前で息を引き取った。「手の中でどんどん冷たくなっていった。それが子供に触れた最初で最後。何もしてあげられなかった」。夫は無念の思いを口にする。妻は意見陳述書に「苦しい思いだけさせて死なせてしまい、涙を流して娘に謝りました」とつづった。2人の初めての子供。春に生まれるからと名前を「桜子」と決め、ベビーベッドや服も用意していた。

 事故は03年12月、札幌市東区で起きた。年末の買い出しに出かけた帰り道、凍結路面でハンドル操作を誤った対向車が中央線を越え、夫妻の車に衝突。運転席の夫は鼻骨骨折、妻は左手骨折の上、下腹部を強く圧迫された。

 事件を自ら担当した札幌地検の依田隆文交通部長にとっても初のケースだった。法務省刑事局にも照会したが、致死罪での立件は困難との結論に達した。「刑法上、『人』として扱われるのは母体から胎児の一部が露出した時点から。今回のケースは母体内で危害を受け、生後11時間で死亡したため、『人』として扱えない。過失規定のない堕胎罪とのバランスも考えた」と説明する。

 「私たちは法の範囲でしか動けず、感情で押し切れない。しかし、医学の進歩に法律がついていっていないのかもしれない……」。依田部長は胸の内を語った。

 加害者の男(35)を今年9月、起訴した。論告に「十分人間と呼ぶに足りる状態だった胎児を死に至らせた結果は極めて重大」と記載し、禁固2年を求刑した。判決は11月末に言い渡される。

 夫は地検の配慮に感謝しつつも、「今の刑法は胎児の人権を担保していない」と悔しさをにじませる。事故後、精神的に不安定になった妻を支えるため仕事を辞めた。現在は小児医療に携わろうと大学に通う。

 交通事故の影響で早産で生まれた女児が36時間後に死亡したケースで、秋田地裁は79年の判決で「刑法上、女児は『人』になったと言えず、胎児の延長上にある」として業務上過失致死罪を適用しない判断を示した。

 北海道大大学院法学研究科の小名木明宏教授(刑法)の話 胎児は生物学的には「ヒト」だが、刑法上の「人」として扱うのは難しい。現行刑法を変えるとすれば、全体のバランスをとるために大手術が必要だ。「ヒト」はいつから「人」として扱われるか、どのように扱われるべきかを幅広い視点で考えるべき時期に来ているのは確かだ。(毎日新聞)2005/11/13

 
 
 法解釈作業の主なものとしては、条文にある言葉の意味を、通常よりも広げるか狭めるかの決定があります。本件と関連させて申し上げれば、刑法上の「人」に、出産前の胎児は含まれておらず、通常の意味で使われる「人」よりも狭い意味で用いられている、というわけです。

 あるいは、裁判所は、ヒトのDNAを持つ生命体に「人」としての資格を与える線引きを、常識的な認識よりもズラしている、という言い方もできそうですね。

 ただ、こういう特殊操作が行われれば行われるほど、「常識の延長上にあるべき法律が、常識から乖離してどうするんだ」「単なる言葉遊びだ」などの批判が増えてくることになります。その批判は正当なものですが、時代の流れや定着した世論に即した法改正が遅れている場合(or議員センセイが怠慢で放置している場合)には、なんとか妥当な結論をひねくり出すためにも、仕方なく司法が言葉遊びをせざるをえない、という側面もあります。

 まず、そこを踏まえておかないと、この問題の難しさはなかなか伝わらないかな、と思っております。

 じつは、刑法上の「人」の定義は、現行の刑法典に書かれているわけではありません。胎児の身体が一部でも母体の外に出れば、他者からの攻撃対象になりうるのだから、その時点で「人」として扱って保護しよう、という「一部露出説」を、明治時代に司法府が宣言し、その原則論が現在まで連綿と息づいているにすぎません。

 だったら、判例を変更して定義しなおせばいいじゃないか。子供が無事に産まれて育つかどうかも紙一重で「7つになるまでは神のうち」とされたのも遠い昔。医学の発達によって、胎児が無事に出産まで至る確率は格段に上がっている。
 しかも、生命の神秘にこれだけ科学のメスが入り込み、公害や交通がこれだけ大がかりになった危険極まりない時代なんだから、もはや、卵子が受精した時点で「人」にしないと保護したことにはならん。それが21世紀だぜ、バイオてくのろじーだぜ……ということにはなるんですが……。

 「人」の定義を変えるということは、法体系の「全体のバランス」を崩すおそれがあると、記事中で北大大学院の先生はおっしゃっています。

◆ 刑法 第212条(堕胎)
 妊娠中の女子が薬物を用い、又はその他の方法により、堕胎したときは、1年以下の懲役に処する。

◆ 刑法 第213条(同意堕胎及び同致死傷)
 女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させた者は、2年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させた者は、3月以上5年以下の懲役に処する。

◆ 刑法 第214条(業務上堕胎及び同致死傷)
 医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、3月以上5年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させたときは、6月以上7年以下の懲役に処する。

◆ 刑法 第215条(不同意堕胎)
1 女子の嘱託を受けないで、又はその承諾を得ないで堕胎させた者は、6月以上7年以下の懲役に処する。
2 前項の罪の未遂は、罰する。

◆ 刑法 第216条(不同意堕胎致死傷)
 前条の罪を犯し、よって女子を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。
 
 
 
 一連の「堕胎の罪」でございます。「女子(母親)」への配慮はございますが、堕胎で母体外に押し出され掻き出されした胎児については、何も書かれていません。そもそも、殺人罪よりもはるかに軽い刑罰が設定されているのですから、胎児の生命を断つ行為は、その程度のものだと。胎児を「人」として扱っていないことは明らかです。

 たしかに、これをもって「法的に、胎児はほったらかしにすべきなのだ」とも読めます。しかし、胎児について刑法で特に触れられていないということは、具体的な運用は司法府に委ねられている、と捉えることも可能なはずです。

 各種堕胎罪が成立する場合、その堕胎させた医師(場合によっては母親)には、加えて胎児についての殺人罪が成立する……と考えることも、論理的には禁じられていません。交通事故を起こして胎児を死亡させた点につき、業務上過失致死罪で摘発することも同様です。刑法改正は不要で、単に「一部露出説」と呼ばれる大審院・最高裁判例、その事実上の重しが、現場の裁判官や検察官の背中に乗っかっているだけなのです。
 ただ、それだけなのですが、その重さが想像を絶するものなのでしょう。上で、ご紹介した事件では、胎児への犯罪を成立させることは断念し、父母に対する業務上過失傷害の公判の中で、「胎児の生命を奪った責任」について検察官が言及するという手法を採りました。苦肉の策です。
 
 悩んだのはわかりますよ。わかりますけどねぇ。なぜ、司法試験が法律系の国家試験で最も難しいとされているのか。それは、頭に詰め込んだ知識の蓄積だけでなく、今ある法律を駆使して、新しい事態にどれだけ対処できるか、どこまで現代社会の空気を読めるか、も問われているからです。少なくとも、私はそう認識しております。

 秋田地裁の判例が記事中で紹介されていますが、その後に、胎児性水俣病に関する最高裁判例が出ています。そこでは、胎児の際に原因行為(この場合は有機水銀が体内に入ること)があって、その影響が出生後に顕在化した場合には、出生した「人」について業務上過失致死傷罪の成立を認めているのです。この論法を借りれば、胎児の際に原因行為(交通事故)があった本件でも、同罪での立件は十分に可能だろうと考えられます。

 もともと、堕胎罪での検挙は少なく、年に1回あるかないかの頻度です。妊婦が事故にあって胎児が傷害を負い、あるいは死亡するという事態は、堕胎行為よりは発生頻度が高いとみられますが、立法府で堕胎罪廃止の可能性も含めた適切な刑法改正がなされるまでの経過措置だとすれば、大きな問題は生じないのではないか、と思うんですけれども、やっぱり、そこは「最高裁チルドレン」。親が設定した一部露出説という正解に逆らうわけにはいかないのですよね。司法試験や司法修習制度が彼らに少しずつ投与してきた薬の効果は絶大です。

 人工妊娠中絶は、原則は堕胎罪なんだけれども、母体保護法で掲げられた条件を満たしているのなら例外的に処罰しない、違法性はない、という取り扱いになっています。それを「原則は殺人罪なんだけれども……」と変更しするならば、ルーチン的に中絶を担当し、感覚が麻痺しつつある、一部の医師や看護師の方々への心理的効果も期待できるかもしれません。しかも、理論的にイジってみただけで、どっちみち不処罰という結論は変わらないのだから、具体的に生ずる問題も少ないでしょう。

 かつて、メルマガでは大きく採り上げて特集しましたが、昨年7月、横浜の産婦人科医院で、中絶胎児の遺体が一般ゴミに混ぜられて捨てられていたことが発覚しました。それで院長が逮捕されたわけですが、その容疑が「廃棄物処理法違反」とは、これいかに。
 「荼毘に付したときに、お骨が残るギリギリの線」ということで、12週に達している胎児であれば、その遺体は墓地埋葬法で埋葬されるべき対象となっており、放置した者は刑法上の死体遺棄罪に問われます。しかし、12週に満たない胎児の遺体は、あろうことか「感染性の産業廃棄物」。つまり、血に染まったゴミというわけですな。法律上は家畜の死骸と同じ扱いなのです。ものすごい、アクロバチックなバランス感覚です。一瞬、中国雑伎団かと思いました。

 もちろん、一般論として法体系の理論的なバランスは大切ですよ。しかし、そのバランスは、社会の共通認識になりつつあるものを軽視・無視してまで成り立たせるべきものなのでしょうか。ぜひ、立法・行政・司法が連携して対処していただきたい問題です。
 

 いやぁ、判例・通説に久々に噛みついて、ちょっとドキドキです。各方面からの鋭いツッコミ、お待ちしております。
 

 いよいよ明日、宮崎さんちのツトムくんの上告審口頭弁論が行われます。最高裁に問い合わせたところ、「おそらく傍聴券は抽選になるだろう」とのことでした。11月22日はバイトを休もうと、夏ごろから決めていた私。

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