差し戻し控訴審で、ついに死刑判決が出て、第2次の最高裁判断が注目されている光母子殺害事件。
その悲惨な事件について丹念に取材してまとめたという、「○○君を殺して何になる」と題されたノンフィクション本が、一部の書店で発売され、話題になっているそうですね。
というより、少年法61条違反という「ルール破り」の書名(タイトル)ですから、この書名が会議で決まった時点で、世間の話題をさらうのは最初から運命づけられています。
そもそも「よく会議を通ったなぁ」という驚きのほうが大きいです。 インシデンツという出版社の。
◆ 少年法 第61条(記事等の掲載の禁止)
家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であること推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。
各種犯罪を始め、法律違反というのは、通常の枠からハミ出している行いですから、マスメディアやインターネットが採り上げるネタとして乗っかりやすい。
なので、世間にたくさん採り上げてもらえ、人の目に触れる機会も多くなるのです。
私もその例外ではありません。ついついブログで採り上げてしまいました。
露出度が上がると、世間から「注目されているもの」だと認知されます。
そして、世間から注目されている事実は、それだけで「面白いんじゃないか」「すごいんじゃないか」「何か価値があるんじゃないか」と思わせるパワーを帯びます。
CDや映画などの「トップチャート」、ラーメンやスイーツなどの「人気ランキング」は、その好例です。
なので、職業として何かモノを作り、世に送り出す以上は、「露出度を上げる」ための策を考えるのが第一。
その方法として、営業努力を尽くしたり、広告・広報(PR)・マーケティング戦略などを練るのもひとつですが、モノそれ自体に話題性が加わるような仕掛けを講じることも大切ですね。
私も物書きですから、職業柄、「インパクトの強い書名」「世間の話題に乗せてもらえるような内容」を、年がら年中考えている人間です。 出版社の編集者は、もっと考えています。
おととしの「裁判官の爆笑お言葉集」だって、裁判官の語録に“爆笑”という冠を付すのは、ある種の“タブー破り”なのかもしれません。 著者の私もビックリした、出版元の挑戦です。
消費者の皆さんの予想や思い込みを裏切り、心のバランスを崩させたところに「インパクト」は潜んでいるのです。
大なり小なり、世間様に影響を与える職業である以上、何でも許されるわけではありません。
たとえ悪役のプロレスラーでも、プロである以上、決して「一線」は越えちゃいけないのです。
「平凡」と「極端」の間を絶妙に突いていく、大胆かつ洗練されたセンスが求められますし、常にその領域を目指して鍛錬を重ねなければなりません。
だから、タブー破りを超えた「ルール(法律)破り」は、つまらないのです。
「あーあ、やっちゃったね」と思うだけです。
私も、最高裁で、この光母子殺害事件の弁論を傍聴しましたから、被告人である「元少年」のフルネームは知っていました。
そして、少年法61条も知っていますから、そのフルネームを公にすることは慎んでいます。 この事件の概要と法廷での弁論の様子を伝えるのに、被告人のフルネームは不要だからです。
著者は少年法を破ってまで、確信犯的にどんなメッセージを伝えようとしているのか存じませんが、書名において被告人の実名を掲げてしまったことから、「本の話題づくりに利用した」と思わせるのに十分な外観をさらしてしまいました。
もちろん、少年法を破る点において、本文の中で破ろうがタイトルの中で破ろうが変わりはないのですが、書籍の顔であるタイトルであえて破る以上は、「ある殺人事件の高い知名度を、書籍の売り上げに利用した」という、著者にとって不利な推定をされても仕方ありません。
目立つタイトルを付ける以上、中身を一切読まずに、タイトルから受ける先入観だけで、反射的にアレコレ口を出す人が出てくるのは避けられません。 この私のように。
「○○君を殺して何になる」というのなら、○○君は生かして更生させるべきだというご主張なのでしょう。
だとしたら、○○君の前科という重大なプライバシーを踏みにじってどうするんですか? 基本的人権を共有しているはずの被告人の更生、逆に足を引っぱっているだけにしか見えません。
仮に、実名を載せることにつき「元少年の許可が取れている」として、書名の一部に利用する許可は取れているのでしょうか?
私は、神戸のいわゆる「酒鬼薔薇事件」を裁いた元裁判官の弁護士にお話を伺ったのですが、少年の犯した殺人事件を裁いたのは、40年以上の裁判官生活で、たった3回だけなのだそうです。
少年事件の全貌を構成する罪名のうち、ほぼすべては (おそらく「~~何になる」の著者にとっては、ネタとしてつまらない)、万引きや違法薬物がらみ、ケンカや共同暴走行為などで占められています。
本気で少年犯罪の問題を考えるのであれば、ただでさえ目立つ光事件だけを、さらに過剰に強調して採り上げるべきではないと考えます。
そんなことでは、世間の認知をゆがめ、「人を殺して、大きなルールを破れば、世間に注目され、自分は特別な存在になれるのだ」と、勘違いする連中を生むリスクが高まるだけでしょう。
せめて、同種罪名の少年事件を複数採り上げて、共通項や相違点などを洗い出し、分析すべきです。 それこそ、ノンフィクション作家・ジャーナリストの仕事でしょう。
著者は、被告人をはじめ、関係者100人以上に取材したそうで、その「足で稼ぐ」労力には頭が下がります。
が、もし、取材した人数の多さを「水戸黄門の印籠」のような目くらましにして、「何を書いても、自分の努力に免じて大目に見てもらえる」と誤解しているのなら、非常に残念です。
ただ、書名はつまらなくても、中身は興味深く、あえて被告人が少年法を破った覚悟に感銘を受けるのかもしれません。
とりあえず、この本を「読みたい」という気分になるまで、自分自身、気長に待ってみようと思います。
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