昨日午前0時に、メールマガジンの復活号を配信いたしました。
今のところ、幸いにも、面白いというご感想ばかりいただいておりますが、それを真に受けてイイんですかねぇ。ホントに……。 勘違いしてしまいますよ。
賛否両論の「賛」ばかりではないはずですけどねぇ…… もちろん、ムリヤリけなされたところで、当方はどうしたもんか困ってしまうんですが。
なにはともあれ、復活を喜んでくださる方の存在を感じられて、ありがたいです。
来週は、「ウィークリーながみね」という実験コーナーにおいて、2回目にして最大の無謀な実験を敢行します。
この私が、調子に乗って、小説を書き始めちゃいますぜ。(^^;
高校時代には星新一にハマったものの、最後に読んだ小説が「パラサイト・イブ」(古っ)である私に、はたして小説を書く資格があるものか?
もともと理科好きで、SFぐらいしか読んどらんばってんが……。 今回の企画は、いったい何と呼べばいいものやら。
法律SF小説? そんなもん成立するのか。
じつは、結末は思いついてるんですが、そこに至るまでの筋書きというんですか? そいつがあんまり固まってないんですよ。 文字通り、本末転倒です。
そうして半年以上あたためてきて、さらに最近気になるのは、話がなんだか「デスノート」っぽくなってきとるってことです。 こりゃドエライ恥ずかしいぞと。
もちろん、まったく違うテーマを設定して最初は出発してるはずなんですが、なんだかんだで、行き着く先は「デスノート」もどきなのか……。 ガッカリ。
恥ずかしいと同時に、悔しいなと。 しょせんナガミネだなと。
まぁ、これから小出しに配信していきながら、この問題作の筋書きを少しずつイジっていこうと思います。 どうしても他の原稿の片手間になってしまいますけど、いつか形になるといいなぁ~(他人事)。
集英社新書「イカの哲学」を読みました。
飽きっぽい私の場合、大半の本は途中で読むのを中断してしまいます。 結局は何度かにわけて読了するのですが、ひさびさに一気にスパッと読める本に出会えましたね。 うれしいっす。
たしかに、何が言いたいのか意図が見えにくい部分もありますよ。 でも一貫したワクワク感がある。 これは大事です。 しかめっツラして書かなきゃ本じゃない、みたいな風潮を、うまく吹き飛ばしていて、爽快感すらあります。
最も納得できたのは、「人間尊重主義に対する疑いのまなざし」です。 人間尊重主義の行き過ぎが、環境破壊と戦争を生む。 ……これは心にしみます。
人間様によるイカ漁というのは、イカの群れにとっては、突然の「大量殺戮」以外のナニモノでもない。 海面に巨大な網を投げ入れられるというのは、まるで核兵器を落とされたようなダメージを受けるというのです。 イカたちの感覚では。
「万物の霊長」などと調子に乗ってる、ヒト目ヒト科ヒトどもよ。 もっと謙虚になれ。
お前が銃を向けている相手は、かけがえのない生命のひとつなのだ。 お前が銃を向けようとする衝動も、かの者を征服・支配したいという欲求も、生命における本能的な反応である。
背後には、気が遠くなるほど繰り返されてきたDNAの交換・つながりといった営みがあるのだ。 そのへんをどれだけ想像できているか。 国際法や軍事規律などといった、外部から課される掟だけでなく、実存する生命において、実感としての内面から訴えかけていく。
お前が気軽に食べているコンビニ弁当は、生命の犠牲が複雑に入り組んで構成されている。 そこらへんをどこまで感謝して口にできているか。
となると、私がなんとなく抱いてきた、動物愛護法に対する違和感についても、少し理由が見えてきた気がします。
◆ 動物の愛護及び管理に関する法律 第44条(罰則)
1 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。
2 愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめることにより衰弱させる等の虐待を行つた者は、50万円以下の罰金に処する。
3 愛護動物を遺棄した者は、50万円以下の罰金に処する。
4 前3項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一 牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの
もちろん、犬や猫など、「かわいいかわいい」と、多くの人間様からの人気を集める生物だけでなく、牛や豚などの家畜とされる生物も「愛護動物」の定義に入れた点は十分に評価できます。
人間様の都合を最優先としてきた法の伝統的な発想から抜け出す第一歩、まだ途中なんだろうな、というのもわかります。
しかし、あえてモノ申したい!
動物愛護法44条4項に列挙された名前以外に、「愛護」すべき生物は、はたして本当にいないのでしょうか。
ほ乳類だの魚類だの、無脊椎動物だの…… こんなもん、人間様が勝手に決めた分類でしょう。
研究者の人間に向かって、水を飛ばしてからかうタコもいるらしいです。このタコは「遊び」というものを知っているわけです。
野生のアメリカカケスという鳥は、木の実を盗まれないよう、密かに隠し場所を移動させたりして、仲間の鳥をだますといいます。
小さな魚の群れだって、規模のあるカタマリを構成するためには、個々の魚がある種の論理的思考をしていなければ不可能だともいわれます。
もし、ヒトの知能の高さ・複雑さが、人間尊重主義の基本的な根拠とするなら、これら「非愛護動物」に見られる知性の片鱗について、いかに落とし前をつけるでしょうか。
人間様の都合で対象を分断する、いびつな「愛護」が、かえって生きとし生けるものの軽視を生むのではないでしょうか。
魚類を愛護動物に含むとなったら、釣り師が困る? そのへんは、動物愛護法44条1項「みだりに」の解釈の問題として処理すれば済むんじゃないですか。
つまり、釣りは、魚を「みだりに殺す」「みだりに傷つける」ことに含まないと解釈することも、可能性としてはありうるでしょ。
昆虫や植物、菌類なども一般的に「愛護」されていいはずですし、みだりに傷つけるものに対する罰則だってあって構わないでしょう。 昭和天皇は「『雑草』という言葉は好きでない」とおっしゃったそうです。
雑草もいのちなのですから、庭を草むしりした後には、死骸に手を合わせるとか……。 変ですかね? たしかに一般常識からは変ですよね。
雑草と呼ばれる植物たちも、温室効果ガスである二酸化炭素を酸素に変換し、人間様に貢献しているのです。 たとえ人間尊重主義を貫く立場でだって、植物は人間様の寵愛を注がれてしかるべきでしょう。
もちろん植物は、空気中の酸素濃度を維持する営みが人間様のためだなんて認識していません。 単に光合成で生じた排泄物を出しているだけです。
私は、死んだり枯れたりするのが過剰に悲しくて、熱帯魚とか飼えないし、観葉植物も育てられないのです。
もちろん、動物とか植物は大好きなんですけど、直接ふれあうというより、ある程度距離を取って、遠くで観察しているほうが性に合ってます。
世話よりも観察のほうが安心する性格って、そのむかし、動物から何かひどい目に遭わされたトラウマか……? と思ったりもするのですが、特には思い出せません。
でも、めでたくベランダつきの部屋に引っ越せたし、この春からは、トマトとかゴーヤとか育ててみたいなぁと、ほのかに思ってますね。 そうなると、取材などで長い間自宅を離れづらくなりますので、それも困るのですが……。
私は化石好きですけど、大自然とか天体とか、そういうものに対する「愛護」の精神だって、あってもいいですよね。
恐竜のレプリカ骨格でもいいですし、水族館のジンベイザメでもいいですし、頂上が見えないほど高い山でも結構ですし、気が遠くなるほど遠い天体に思いをはせるのもいいでしょう。
人間たちは、まるで自然を征服したような気分にひたっていますが、そんなのムリムリ。 目で見え肌に感じる範囲だけ認識して済ませてるだけです。
自然界に限らず、あえて人工物でも構いませんが、「圧倒的に壮大な存在」すなわち「ロマン
」を繰り返し見せつけられれば、子どもたちの非行も意外と減るんじゃないかと思ってます。 もちろん、それだけじゃダメでしょうけど。
>>> マケドニアの裁判所、はちみつ盗んだクマに有罪判決
マケドニア南部ビトラの裁判所は、養蜂家からはちみつを盗んだクマに有罪判決を下した。ただ、クマには所有者がおらず、保護動物にも指定されていることから、養蜂家に対しては国が14万デナール(約35万円)の損害賠償を支払うよう命じている。
勝訴した養蜂家はドネブニク紙に対し「クマが怖がると聞いたので、撃退するために照明や音楽を使った。そのために発電機を買い、辺りを照らして音楽をかけた」と語った。
ただ、その後の数週間は効果があったものの、発電機が使えなくなって音楽がやむと「クマは再びミツバチの巣箱を襲ってきた」という。
クマの居場所などの情報は明らかになっていない。(2008年3月17日 ロイター)
こういうニュースを見て、「バカじゃないか」と考える日本人って、きっと多いと思うんです。 人間さまの理屈でクマを裁くって……。
これは、人間尊重主義の行き過ぎなのか。 それとも、クマの知性もヒトのそれと変わらないという、「イカの哲学」的な認識における現象なのか……。
はちみつを採取する都合で、それを妨害したクマを裁いているみたいですから、前者のようなニオイもしますけど。
そうそう。 私は、こんな子どもの話を聞いたことがあります。
たしか小学2年ぐらいの男児らしいのですが、飼っていたミドリガメが死んでしまって、それで部屋にこもってビービー泣いていたそうなんです。
母親がなだめつつ、ミドリガメを小箱に入れ、近所のキンモクセイの木の下に埋めに行こうと男児を引っ張っていったのですが、そいつ、さらに大声あげてワンワン泣きさけぶんですよ。
で、母親が理由を聞いたら、なんて答えたと思います? そのガキ。
「箱が埋められたら、箱がかわいそう!」
「箱も死ぬ!」ですって。
……ほんと、バカじゃないの? 単なる紙箱にまで感情移入して。
その男児、オトナになったら案の定、組織のなかでは使い物にならず、今では個人でおかしな文章を書いて売る仕事なんかしてて、現実社会に適応するかしないかギリギリの、ヤクザな生活をしてるんですって。 ムリもないですよね~。
あぁ、そういえば、こんな私もゴキブリや蚊を見つけたら殺してしまうわなぁ……。 やっぱり、人間尊重主義の思想に片足つっこんでいます。
どうやら、この業からは、なかなか逃れられないようですな。 にんげんだもの。
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